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本編
12. ケーキ(2)
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今日一日、男の手元をひたすらほわぁぁと言いながら眺めていた。
甘く香ばしい匂いを発しながら膨らんでいくスポンジというもの。みるみるうちに固くまとまっていくクリームというもの。
男の手によってどんどん形を変えていくそれらに私は興奮しきりだった。成る程菓子作りとは調薬にも似た面白さがある。混ぜただけで固まるなんて一体どんな成分の作用だろう? 見た目はほぼ石鹸じゃないか。もしかしたら石鹸も泡立てまくったらこうなるのか……?
「魔法みたい」
「魔法ではない」
「本当に? こんないい匂いがするもの、どこかに使ってるんじゃないの?」
「まさか」
そう言いつつ、男は二つ焼いたスポンジの片方にクリームを塗り終えた。てっきりもう一つもそうすると思っていたのだが、男はクリームを塗っていたヘラを脇へ置いた。
そして手に取ったのは乾燥させた木苺とベリーの籠だった。
「これだけは特別だ」
「?」
男が籠に手をかざすと、驚くことが起きた。
保存が利くよう水分を飛ばしてギュッと小さくなっていた実だ。それがぽわっとどこからともなく湧いた光に包まれたかと思うと、あっという間に膨らんだ。
「何これ!」
まるでつい今しがた摘み取ったかのように瑞々しい。籠から零れ落ちそうなくらいこんもり積み上がったそれらを男はナイフで手早く切っていった。
「魔法? 魔法?」
「ああ」
「使うならちゃんと言ってよ! 心構えが……!」
「大した魔法じゃない」
「大したものだよ! きっと時間に作用するものでしょ? 凄いよ!」
ナイフを持つ手を遮るわけにもいかず、男の服の裾を掴んで地団駄を踏むしかない。ああもう言ってくれればじっくり観察したのに!
男は私の憤慨など意に介さずスライスした実をクリームを塗ったスポンジに乗せていった。更にその上からもう一度クリームを重ね、その上にもう一つのスポンジを乗せる。再度全体が真っ白になるようクリームを贅沢に塗り、いくつか切らずに取っておいた木苺とベリーを頂点に乗せた。
その外見は、食べ物というより何かの芸術品のように美しかった。どの角度から見ても完璧に整っている。外に降り積もっている雪より白い土台に木苺とベリーの色味が映える。
「完成だ」
「これが、ケーキ……」
話に聞いただけのものが、目の前にある。
魔法をちゃんと観察できなかった落胆もどこかへ消え去って、しばらく見蕩れた。男が作ったこれが正解の形なのかもわからないが、なるほど祝い事に用意されるのも納得の見た目である。木苺なんて何もしてないのに、ここに鎮座しているだけでまるで宝石みたいだ。
と思ったら男がヘラを使ってひょいっとそれを持ち上げてしまって、「あっ」と声を上げると小首を傾げられた。
「食べるんだろう?」
「……あ、そうか」
一瞬、食べるものだということを忘れていた。
皿に移して食事用のテーブルへ運んで、フォークを添えられるが本当に崩して良いものなんだろうか。何となく椅子にも座れない。
「あまり時間が経つと、クリームが溶けるぞ」
「えっ、そうなの?」
「だから早く食べろ」
「うん……うん?」
「どうした?」
「あんたの分は?」
「……? お前の分が減るぞ」
「誰の完治祝いだと思ってるの?」
「……そうか」
男はキッチンから調理用のナイフとお皿とフォークを取ってきた。半分で切ると断面が露わになり、先程間に挟んでいた果物が綺麗な色でアクセントを加えていた。
「凄い、綺麗」
「そうだな」
相槌を打ちつつ男はさっさと自分の分にフォークを突き立てている。早っ。
私も恐る恐るフォークを持ってクリームをつついてみた。
「……! 何これ、柔らかい」
「ああ」
「えっ、凹むんだけど? どうしたらいいの?」
「フォークを真っ直ぐに刺せば切れるだろう」
「おぉ……! えっ、これ、食べていいの?」
「いいから早く食べろ」
「そんなこと言われても……わっ、プルプルする」
男は私の実況に飽きたのか無言でバクバク食べ始めた。そんな勿体ない!
結局覚悟を決めて一口目を口にしたときには男は半分以上食べていた。けど、私がクリームの甘さとスポンジの柔らかさとベリーの甘酸っぱさに悶絶したときには手を止めていた。
「何この、美味しいの……」
「そうか」
切実に語彙力が欲しい。この素晴らしさを表現する言葉が欲しい。せっかく会話という人類の叡智を発露する相手がいるというのに。
「美味しい」
「ああ」
「凄いね。美味しい」
「そうだな」
「こんなの作れるとか天才なの。美味しい」
あまりに私が連呼したからだろうか。男は可笑しそうにくしゃりと顔を歪めた。
「わかったわかった。いいから黙って食べろ」
「――」
フォークを口に突っ込んだ状態で私は固まった。
男は、笑うと幼く見えるのか。
「……どうした?」
「……いや、何でも」
「そうか。口の周りがクリームだらけだぞ」
「えっ」
「馬鹿、舌で舐めるな。行儀が悪い」
手が伸びてきて口の周りを指でなぞられる。勿体ない、と思って食いついた。
「だから、行儀が悪いと」
口ではそう言いつつ、男はまた笑っていた。
甘く香ばしい匂いを発しながら膨らんでいくスポンジというもの。みるみるうちに固くまとまっていくクリームというもの。
男の手によってどんどん形を変えていくそれらに私は興奮しきりだった。成る程菓子作りとは調薬にも似た面白さがある。混ぜただけで固まるなんて一体どんな成分の作用だろう? 見た目はほぼ石鹸じゃないか。もしかしたら石鹸も泡立てまくったらこうなるのか……?
「魔法みたい」
「魔法ではない」
「本当に? こんないい匂いがするもの、どこかに使ってるんじゃないの?」
「まさか」
そう言いつつ、男は二つ焼いたスポンジの片方にクリームを塗り終えた。てっきりもう一つもそうすると思っていたのだが、男はクリームを塗っていたヘラを脇へ置いた。
そして手に取ったのは乾燥させた木苺とベリーの籠だった。
「これだけは特別だ」
「?」
男が籠に手をかざすと、驚くことが起きた。
保存が利くよう水分を飛ばしてギュッと小さくなっていた実だ。それがぽわっとどこからともなく湧いた光に包まれたかと思うと、あっという間に膨らんだ。
「何これ!」
まるでつい今しがた摘み取ったかのように瑞々しい。籠から零れ落ちそうなくらいこんもり積み上がったそれらを男はナイフで手早く切っていった。
「魔法? 魔法?」
「ああ」
「使うならちゃんと言ってよ! 心構えが……!」
「大した魔法じゃない」
「大したものだよ! きっと時間に作用するものでしょ? 凄いよ!」
ナイフを持つ手を遮るわけにもいかず、男の服の裾を掴んで地団駄を踏むしかない。ああもう言ってくれればじっくり観察したのに!
男は私の憤慨など意に介さずスライスした実をクリームを塗ったスポンジに乗せていった。更にその上からもう一度クリームを重ね、その上にもう一つのスポンジを乗せる。再度全体が真っ白になるようクリームを贅沢に塗り、いくつか切らずに取っておいた木苺とベリーを頂点に乗せた。
その外見は、食べ物というより何かの芸術品のように美しかった。どの角度から見ても完璧に整っている。外に降り積もっている雪より白い土台に木苺とベリーの色味が映える。
「完成だ」
「これが、ケーキ……」
話に聞いただけのものが、目の前にある。
魔法をちゃんと観察できなかった落胆もどこかへ消え去って、しばらく見蕩れた。男が作ったこれが正解の形なのかもわからないが、なるほど祝い事に用意されるのも納得の見た目である。木苺なんて何もしてないのに、ここに鎮座しているだけでまるで宝石みたいだ。
と思ったら男がヘラを使ってひょいっとそれを持ち上げてしまって、「あっ」と声を上げると小首を傾げられた。
「食べるんだろう?」
「……あ、そうか」
一瞬、食べるものだということを忘れていた。
皿に移して食事用のテーブルへ運んで、フォークを添えられるが本当に崩して良いものなんだろうか。何となく椅子にも座れない。
「あまり時間が経つと、クリームが溶けるぞ」
「えっ、そうなの?」
「だから早く食べろ」
「うん……うん?」
「どうした?」
「あんたの分は?」
「……? お前の分が減るぞ」
「誰の完治祝いだと思ってるの?」
「……そうか」
男はキッチンから調理用のナイフとお皿とフォークを取ってきた。半分で切ると断面が露わになり、先程間に挟んでいた果物が綺麗な色でアクセントを加えていた。
「凄い、綺麗」
「そうだな」
相槌を打ちつつ男はさっさと自分の分にフォークを突き立てている。早っ。
私も恐る恐るフォークを持ってクリームをつついてみた。
「……! 何これ、柔らかい」
「ああ」
「えっ、凹むんだけど? どうしたらいいの?」
「フォークを真っ直ぐに刺せば切れるだろう」
「おぉ……! えっ、これ、食べていいの?」
「いいから早く食べろ」
「そんなこと言われても……わっ、プルプルする」
男は私の実況に飽きたのか無言でバクバク食べ始めた。そんな勿体ない!
結局覚悟を決めて一口目を口にしたときには男は半分以上食べていた。けど、私がクリームの甘さとスポンジの柔らかさとベリーの甘酸っぱさに悶絶したときには手を止めていた。
「何この、美味しいの……」
「そうか」
切実に語彙力が欲しい。この素晴らしさを表現する言葉が欲しい。せっかく会話という人類の叡智を発露する相手がいるというのに。
「美味しい」
「ああ」
「凄いね。美味しい」
「そうだな」
「こんなの作れるとか天才なの。美味しい」
あまりに私が連呼したからだろうか。男は可笑しそうにくしゃりと顔を歪めた。
「わかったわかった。いいから黙って食べろ」
「――」
フォークを口に突っ込んだ状態で私は固まった。
男は、笑うと幼く見えるのか。
「……どうした?」
「……いや、何でも」
「そうか。口の周りがクリームだらけだぞ」
「えっ」
「馬鹿、舌で舐めるな。行儀が悪い」
手が伸びてきて口の周りを指でなぞられる。勿体ない、と思って食いついた。
「だから、行儀が悪いと」
口ではそう言いつつ、男はまた笑っていた。
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