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本編

26. 顛末

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 一飛びで森の家に戻った私は、それからしばらく泥のように眠って過ごした。

 ベッドに沈む直前で薬の場所だけは伝えたが、何分手当てなどしたことのないナガルだ。結局派手髪が使用人……ミィナを寄越してくれたので、彼女がその辺りはやってくれた。私も一応、子どもなりに恥じらいというものがあるのだし。

 だが食事については相変わらずナガルが用意をしていて、過保護が行き過ぎて今日もまた手ずからリゾットを食べさせられていた。

「ほら、もっと食べろ」

「……人参きらぁい……」

「ワガママ言うな」

「うぇぇ……」

 いくら柔らかく煮込んでも人参は人参である。けたけた笑いながらこっちを見ているミィナと、遊びに来た派手髪をテーブル越しに睨むが助けてくれる気配はない。

「せっかくご主人様が手配してくれた栄養満点の野菜なんだから、食べなきゃダメだよ」

「これ本来薬用でしょ。こんな普通の食事で使うなんて贅沢すぎる……大根も、大葉も、豆も、全部!」

「迷惑料だ。受け取っておけ」

「なら食べないで薬にするから取っといて!」

「却下」

 何故だ。家主は私だ。迷惑料を受け取っているのも私なのに!

「そんなに薬の材料が欲しいなら、治ってからいくらでも買えばいい。金ならあるだろう」

「そういう問題じゃない。そういう問題じゃない……」

 そう、今の私は小金持ちである。工房の片隅には贅沢しなければ一生暮らせるだけの金が山となっていて正直置き場所に困っている。

 あれを持って来たのはロイという騎士で、家の戸の前で跪いてまた謝罪されてやっと以前男を殺しに来た一人だということを知った。うん、覚えていなかった。赦しを請われても鬱陶しいだけだったのだが、囚われている間にこの家が焼き払われないよう手を回して守ってくれていたというのを派手髪に教えられたので、適当にいいよと言えば尻尾を振らんばかりの勢いで礼を言って帰っていった。

 大金など一気に与えられても喜べないのが庶民の気持ちなのだが、常識が欠如した魔王にはわからないらしい。すっかり元通りになった夜空の目を瞬かせるナガルに、私はため息をついた。



 そろそろ体も落ち着いたので、と話を聞くと、どうにも事は一年ほど前から動いていたようだった。

 発端はミィナがクソ豚領主の屋敷から逃げ出したこと。そこ繋がってたのかと思いながら聞くと、派手髪はミィナや彼女が呼び寄せた他の使用人を領主の手先に見つからないよう屋敷から出さずに匿っていたのだが、それを魔族嫌いの領主は近くに棲んでいた魔王の仕業だと思った。領地経営に苦しんでいた奴は魔王の存在のせいで財が回らないのだと決めつけ、使用人の失踪事件をあることないこと盛って国王に報告したらしい。

「お前がもう少し人付き合いの良い奴だったら、討伐隊など組織される前に止められたかもしれないのになあ」

「どういうこと?」

「此奴は本当に友人が少ないのだよ、お嬢さん。あまりに色々なことに関心を持たない。この国の王には古くから影の相談役がいてね、其奴は随分と長生きをしている魔族なのだが……まあつまり、我々と人間が下手に領域を侵さないよう見張っている者でもあるのだよ」

「ああ……」

「私が仕事で国外にいたという時期も悪かったが、そもそも此奴が同族と交流をしないのがよくない」

「だってさ」

「……面倒だったんだ」

 長らく害のない魔王だと放置されていたが、人を喰うのであれば仕方ない。そんなわけで討伐隊が組織されナガルは襲われたと。

 問題はそこからだった。

 ナガルが棲んでいた城は荒野にそびえる草木の育たない山に立っていたのだが、なんとその山は聖石が採れる鉱山だったのだ。

「自らの弱点をベッドの下に飼っていたとは、お前の鈍さにはほとほと呆れるな」

「うるさい。先代も何も言わなかったし、ハイドも知らなかったんだろう。俺の責任じゃない」

「阿呆……」

「おい、何か言ったか?」

「いたいいたいいいたい」

 頭を小突くのは流石に遠慮してくれたようだが、なら頬をつねるのもやめてほしい。

 要するに魔王が代々あの城に居を構えていたのは、同族の弱点を他の種族に渡さないための守り手という意味があったのだ。しかし長い歴史のどこで途切れたのか、ナガルも、派手髪も、千年を生きる王の相談役もそれを知らなかった。

 元々魔王さえいなければ西の国との交易権が得られるという目論見で荒野を領地に収めた領主だったが、鉱山の発見は棚から牡丹餅と言う他なかっただろう。せめてそこで王に報告すれば良かったのに、次から次へと欲が出て聖石を独り占めしようとしてしまった。

 あんなに武器を作ってどうするつもりだったのか……その野望に興味などないけれど、やはり打ち据えられ、剣を掲げられたときの表情を思い出して背筋が震える。

「大丈夫か?」

 微かな身じろぎに気づいたのか、ナガルが肩を抱え込むように触れてきた。

 ……何というか、もう、認めたくはないのだけれど。条件付けが行われてしまったせいで体が学習した故の反応だと自分に言い聞かせてはいるけれど。とにかく、結果論として、ナガルの体温は私にとって安心材料になっている。

「大丈夫」

「……お嬢さん、安心したまえ。あの豚はもう処刑されたのだから、君が怯える理由などないよ」

 そう、領主……もう元領主か。あのデブは色々やらかしすぎて、国家反逆の罪で処刑されたそうだった。報告義務のある聖石の存在を隠していたことや私に対する冤罪のでっち上げだけではない。交易における関税は不正徴収していたし、その隠れ蓑に作った商会は品質詐欺がひどかったらしいし、そもそも昔から脱税やら殺人やら強姦やら。

 騎士たちは王に魔王の罪を調べ直すよう進言してから、そういったデブの悪行の証拠を集めていたようだった。派手髪が街に来たのも王の相談役経由で協力していたからで、私が捕まってからは急いで騎士を呼んでくれたのだとか。

 色々聞きはしたものの、よくもまあそこまでがめつくなれるものだなぁと、物語を聞くような心地だった。だから逆にあのデブが生きていないことに実感がなくて、とりあえず思いついたことを言う。

「どうせ処刑されるんだったら、あの場で殺してもよかったんじゃ」

「人の手で裁くということと、魔王が理性のある隣人だと国民に理解させることが大事だったんだよ。ロイ・クィニーランドは少々頭が足りない以外は立派な騎士だから、彼と言葉を交わしたことで我々の同族も随分と安心したろうさ」

「……よくわかんない。魔王が力を見せつける方が、魔族に手を出す馬鹿はいなくなるんじゃないの?」

「窮鼠猫を噛む、という言葉があるだろう。言葉の通じない脅威には生存本能で何が何でも抗おうとするものだ。まして聖石の鉱山などというものが見つかってしまった。箝口令は敷かれているが、もしナガルが奴らを殺していたら人間と魔族の溝は決定的なものになっていただろうな。豚はとんでもないものを掘り出したが、まああの舞台で魔族への感情が少しでも和らぐなら良しとするしかない」

「ふぅん……」

 ややこしいことはわからない。まあわかるつもりもない。とりあえず、殺しに来るような相手がいないのならそれでいい。

「……ていうか、豚ってもう共通なんだね」

「あんな醜い生き物、名前を呼びたくもないじゃないか」

「でもご主人様、豚って案外可愛いですよ。ぷぎゅぷぎゅ言うの」

「そんな鳴き声を真似するのはやめたまえ! 美しくない!」

「な! ちょっと、普通に鳴いてるだけの子に失礼でしょ! ぷぎゅー!」

「うあああああ!」

 ……何だあれ。喜劇か?

「豚に何かされたトラウマでもあるのかな」

「知らん。そうだな、今度目の前に運んできてみようか」

 ナガルは髪を振り乱して耳を塞ぐ派手髪を見て楽しそうだ。唯一の友達なくしても知らないぞと思ったけど、まあいいか。
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