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「ルース様は特定の人間以外、寄せ付けられない。だがジュダ殿の勧めもあり、お前は特例としてルース様付きのと使用人となった。これよりは室内清掃に始まり、食事の準備など身の周りの世話をしてもらう事となる」
「はい」
ギルの説明に、使用人姿のリノは神妙に頷いた。
黒いお仕着せに白いエプロン、長い髪を丸めた上に指定の白いキャップを被っている彼女は緊張の面持ちだ。
先刻対面したばかりの公爵家の子息は、外見の繊細さからは予想もつかない、気位の高い少年だった。
色々と駄目だしを受けそうな予感が早くもしている。
そんなリノにギルは更に告げた。
「その際、注意点がある。まず一つ、ルース様にお前から話しかけてはならない。口を利かず、ただ命に従うだけに徹すること」
対面する前に聞いた事だと思い、頷く。
「二つ、ルース様の事について一切他言無用。どれほど親しい間柄であっても、同じ使用人同士であっても、あの方について口外することを固く禁じる。守れぬ場合、贖うのはその命であってもおかしくないと承知しておくこと」
決して言いませんと力強く頷く。
「三つ、邸の東棟にある白薔薇の間には決して近づいてはならない。万が一足を踏み入れた場合は、無事に国へ帰れぬと考えてくれていい」
与えられた場所以外行動しませんとより固く心に誓い、頷いた。
「そ、それで、あのう・・・・ジュダ様は何か仰ってませんでしたか?適正を見ることについて」
リノの本来の目的はこちらだ。
ルースとの対面が終わるとジュダは、「それでは、頑張ってくださいネ」と言いながら素早く姿を消した。移動中の馬車で質問しても、邸についてからと言われてしまい、何も聞いていないのだ。
「いや。ジュダ殿からは何も聞いていない。ただ、あの方のことだ。お前が気づかなくとも何処かで様子を見ているだろう。ルース様付きの使用人に推薦されたことにも何か理由があるはずだ。お前は目の前にある役目に集中し、誠意をもってあの方にお仕えすればいい」
「・・・・は、はい。頑張ります」
貴族の令息に誠心誠意を込めてお仕えすることが、魔法の適正とどんな関係があるのか、リノには皆目見当もつかない。
が、やるしかない。
魔法使いの弟子になる目下最短の方法は、ジュダから認められる事だ。その彼が望むことだというのなら、命一杯働くつもりだ。
足元でイェルがこちらを見上げて鳴いた。
心配しないで、と微笑みかけて、リノは早速仕事に取り掛かかった。
炊事洗濯は嫌いではない。
森の家と違って、一部屋が何部屋分かと思うような広さで、調度品が見るからに高級で、拭き掃除が緊張感あふれるものであったとしても、苦ではないのだ。
――――ただ。
リリリリン。
涼やかで澄んだ音色に、リノは、はっとして掃き掃除の手を止めた。
慌てて箒と塵取りを片づける。
間を置かずして、呼び鈴の音が急かせるように鳴らされた。
慌てて三部屋先の書斎へ向かう。
扉を開くなり、向けられた第一声が、これだ。
「遅い。――――おまえは一体どれほど遠い部屋で仕事をしていた?」
「す、すみません」
たった三部屋先とはいえ、この邸の広さであればこれくらいの時間はかかってしまうのは仕方がないと思うのだが、眉を寄せた御子息は不機嫌そうにため息を落とす。
「呼んだらすぐに来るよう言っているだろ。のろまだな」
「申し訳ありません・・・・」
彼に不興を買ってはならない。
目的の為にはどんな理不尽な扱いにも耐えなければ。
「まったく。ジュダの勧めがなければ、おまえなど、とうの昔に解雇しているぞ?」
ひたすら恐縮するリノの様子に、彼はつまらなさそうな顔になると、片手で犬を追い払うようなしぐさをした。
「?」
「用は済んだ。さっさと出て行け」
怪訝に首を傾げるリノにぞんざいに言い捨てると、ルースは部屋から彼女を追い出したのだ。
入室したばかりだというのに、すぐさま退室する羽目になったリノは、重厚な扉を唖然として見つめた。
(な……何?)
呼びつけられた理由は一体なんだったのか。
すぐに来なかった事で気分を害し、用件を言いつける気がなくなったということ?
色んな可能性を模索し、リノは気を取り直して持ち場へと戻った。
(次は、もっと早く動こう!うんっ)
だが、そうではないのだとリノはこの数日後に気づいた。
日に何度も呼びつけられては、「遅い」、「愚図」、「のろま」と繰り返され、言いつけ通りに用意した本が違うと言われては、幾度も書庫と書斎を行き来させられ、「もういい」と叱りつけられる。
食事の内容が気に入らないと言われ、料理長に作り直しを頼みに行き、ようやく戻れば「もういらない」と言う。
一週間もたったぬうちに、リノはすっかり気疲れしていた。
慣れない場所、慣れない生活でクタクタになり、食事もそこそこ寝台に倒れ込む。
床から飛び乗って来たイェルが「にゃーお……」と鳴きながら、リノの腕にたしっと前足を置いた。
のろのろと顔を上げ、リノは力なく笑んだ。
「大丈夫だよ、イェル。頑張るって決めたんだもん。これくらいで凹んだりしないよ」
イェルはリノの頬にスリスリと頬づりをする。
言葉は通じないが、イェルが励ましてくれているのはわかる。
「ありがと。あのね、イェル。もう少しでわたしのお休みの日がくるってギルさんが言ってた。そうしたら、街に出てラルの情報を探そうと思うんだ」
旅人が多く集う場所を重点的に探さないと……。
思う傍から欠伸が漏れ、引きずり込まれるようにリノは眠りに落ちた。
すぅすぅと静かな寝息をたてるリノを見つめ双眸を細めると、イェルは窓の外に見える月に視線を転じる。
何者かに齧られたような輪郭の月。その柔らかな光の中でイェルは誰かを呼ぶように一鳴きした。
:::::
「手に入れて貰いたいものがあるんです」
机上に手を組み、にこりとジュダは笑んだ。
待ちに待った休日。
イェルを連れて邸の外へ出ようとしたリノは、黒梟に呼び止められた。
ジュダの使い魔である梟に案内されて訪れた、公爵家の離れがジュダの研究室らしい。
「街を越えた先に、平原があるんです。そこに咲く花を摘んで来て下さい」
「花、ですか?」
公爵家の敷地内にも華やかな花々が咲き乱れているが、それは珍しい花なのだろうか?
「鈴の音を響かせるといわれる花なんです。その澄んだ音色は、浄化と癒しを齎すといわれています」
花から鈴の音がするとは驚きだ。
「サージェスにはそんな花があるんですね」
隣国とはいえ、やはりポンターギュとは違う。
感心しきりのリノに、ジュダは、リノに紙片を手渡した。そこには、簡単に描かれた街と平原があり、花があると思しき部分に赤丸が書かれている。
「遅くなると外は物騒なので夕刻までには戻って下さいね」
「は、はい!」
休日返上――――しかし、これも試練だ。
回廊に面した窓から見える青空を見つめ、リノは気合を入れた。
(この地図を見たところだと、そんなに遠くもないみたいだし。うん、頑張ろう!)
「イェル。行こう」
イェルがひと鳴きし、リノと共に歩き出した。
エンディハイン公爵邸の敷地が広いのは勿論、知っていた。やって来た時と違い、徒歩で行くからには時間がかかることは想定済みだ。
だが、街を越え平原に辿り着くまでの距離は、手渡された地図のように近くはなかった。
土地勘のない場所では方向感覚も狂う。
歩き周り、道行く人に地図を見せ道を教えて貰い、ようやく平原に着いた頃、お昼を既に過ぎていた。
(や、やっと着いた)
思うよりもずっと遠かった。
後は、白くて鈴の音がする花を探すだけだ。
吹く風が、草を波立たせる。
リノはだだっ広い平原の中をきょろきょろ見回しながら探し始めた。
(風に揺れれば鈴の音がしそうなものだけど。う~ん)
所々に咲く野の花はあれど、ジュダ所望のその花は一向に見つからない。
丈の長い草の間、雑木の傍、小川の流れる脇――――やがて空の中央に浮かんでいた太陽の位置が下がり暫くして、リノは深く息をつき、足を止めた。
(ない……。この付近じゃないのかな?)
白い花もいくつか見つけたけれど、揺らしても音の立つものは一つとしてなかった。
夕刻までには戻らねばならない。
じわりと焦りが胸中に浮かぶ。
(もしかすると、魔法使いの適性を見るたもの試験とかかもなのに)
このまま見つけられなかったら、と考えてリノはぶんぶん首を左右に振った。
(時間はまだあるんだし、諦めるにはまだ早い)
気を引き締め再び探し始めた直後、何かに足を取られた。
「う、あ!?」
手を突くこともできず前につんのめったリノは、地面にあった何かの上にまともに倒れ込んだ。
固い地面ではない。
適度な弾力と柔らかさ。
「ぅっ……!」
怪訝に思った直後に聞こえたのは、低いうめき声。
(ひ、人!?)
はっとして上体を起こしたリノは、自分の下に横たわっている金髪の青年を見つけ、飛び上がった。
「すっ、すみません!」
躓いた何かは、どうやらこの青年のようだ。
なぜ、こんな所に人が横たわっているのか。
(行き倒れ?はっ……!具合悪くて倒れてたとか! )
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて尋ねると、固く目を閉じていた青年の目がうっすらと開く。
空の青を映しているような、真っ青な瞳がぼんやりとリノの姿を捉える。
瞬間、リノは息を呑んだ。
(!こっ、この人。とんでもなく綺麗なお顔してる)
同じ人とは思えないほど目鼻立ちが整ったその人物は、けれど冷たい印象は受けない。優しげな面差しは、神殿の壁画に見る聖人のような清廉ささえ感じさせた。
(て……天人?)
遥か天空にあるという伝説の種族は、天上神に次ぐ貴人とされる。
その背には純白の翼があるというが――――……。
傍らに避けたリノの前で、ゆっくりと半身を起こす青年の背にそれはない。
代わりに緩やかに結ばれた長い金髪がさらりと流れた。
「あ、あの、上にのってしまって、すみません!転んでしまって。で、でも、決してわざとではなくて!」
天罰を与えられはしないかとびくつきながら、頭を下げる。
だが、何も起こらず、おずおずと顔を上げたリノは感情の希薄な顔でこちらを見たまま動かない青年の様子に怯んだ。
(下賤の者とは口もきかない、とか?)
ぐきゅるるる
突如、二人の間に鳴り響いた音。
リノからする音ではない。
表情を変えずにいる青年から、きゅるきゅると続けて音がしている。
「え、えーと……お腹空いてます?」
彼のお腹がぐうっと肯定した。
「じゃあ、良かったら、これ」
リノは斜め掛けの鞄から白い紙包みを取り出すと、彼に差し出した。
手の平に乗る大きさのそれをじっと見下ろす青年。
「え、えっと、これはクコルの実のパンです。あ、お口に合うかどうかわからないですけど」
クコルの実は、ポンターギュでは一般的な食材の木の実だ。
つるりとした硬い殻の中にある実は、栄養価が高く、パンに混ぜ込んで焼く事が多い。
青年は包みの中でパンを半分にした。片方を取ると、残りを包みごとリノへ渡す。
「え?……半分こ、ですか?」
こく、と彼は頷いた。
口を利かないのではなく、話せないのかもしれない。
全部譲るつもりだったが、彼は受け取ろうとせず、二人並んでパンを食む。
果たして天人の口に合うだろうかと、様子を窺えば、パンを口にした青年は、目を大きくし、手元を見つめている。
「!お、お口に合いませんでしたか?」
慌てるリノだったが、はぐはぐと食べ進めていく様子を見ると、気に入ってくれたようだ。
(良かった)
傍らにいるイェルにも小さくちぎって分ける。
変化し始めた空の色を見上げてリノは小さく息をつく。
(……夕暮れまであと少し……)
もしかすると、潜在能力を試されているのかもしれない。
(魔法の才能ないと見えない、とか)
「・・・何を探しているの?」
「え」
現実に引き戻された先に真っ青な切れ長の目を認め、リノは瞬いた。
(今の・・・天人が喋った?それに探し物をしてるって何で知ってるの?)
もしや天人には心の内が筒抜けなのだろうか?
疑問が顔に出ていたらしく、彼は僅かに首を傾け、続けた。
「何処にあるのかと言ったから」
独り言を言っていたらしい。
考え事に耽るとつい出てしまう癖に思い至り、思い違いにリノは恥じる。
(そっか、独り言聞かれちゃっただけか。・・・えっと、どうしよう。これがジュダさんの試験だとしたら、自力で見つけ出さないと駄目なんじゃ?)
人にーーーというか天人に在り処を聞いていいものだろうか?
「礼をさせて欲しい。もし手伝えるのなら、手伝うから」
「礼なんて、そんな」
首を振ると彼は遠い目をして辺りを見回す。
「日暮れが近づくーーーー魔の気配が濃くなる時間、こんな場所にいたら危ない。だから、手伝わせて」
「・・・・」
逡巡の末、リノは彼に尋ねた。
「鈴鳴り草って知ってますか?」
彼は僅かに眉を顰めた。
「あ、ご存じないならいいんです!何だか珍しい花らしくて、なかなか見つけられなくて」
「・・・・それが必要なの?」
「はい。その、お使いで頼まれたんですけど、私見た事がなくて」
彼は少し黙り込み、すくっと立ち上がる。
「・・・彼らに聞けば見つけだせるかもしれない」
(彼らって?)
「・・・ついて来て。ここだと呼べない」
「え、呼ぶ?ちょ、待ってください!」
すたすたと歩きだす青年の後を追ってリノは森へと向かった。
「はい」
ギルの説明に、使用人姿のリノは神妙に頷いた。
黒いお仕着せに白いエプロン、長い髪を丸めた上に指定の白いキャップを被っている彼女は緊張の面持ちだ。
先刻対面したばかりの公爵家の子息は、外見の繊細さからは予想もつかない、気位の高い少年だった。
色々と駄目だしを受けそうな予感が早くもしている。
そんなリノにギルは更に告げた。
「その際、注意点がある。まず一つ、ルース様にお前から話しかけてはならない。口を利かず、ただ命に従うだけに徹すること」
対面する前に聞いた事だと思い、頷く。
「二つ、ルース様の事について一切他言無用。どれほど親しい間柄であっても、同じ使用人同士であっても、あの方について口外することを固く禁じる。守れぬ場合、贖うのはその命であってもおかしくないと承知しておくこと」
決して言いませんと力強く頷く。
「三つ、邸の東棟にある白薔薇の間には決して近づいてはならない。万が一足を踏み入れた場合は、無事に国へ帰れぬと考えてくれていい」
与えられた場所以外行動しませんとより固く心に誓い、頷いた。
「そ、それで、あのう・・・・ジュダ様は何か仰ってませんでしたか?適正を見ることについて」
リノの本来の目的はこちらだ。
ルースとの対面が終わるとジュダは、「それでは、頑張ってくださいネ」と言いながら素早く姿を消した。移動中の馬車で質問しても、邸についてからと言われてしまい、何も聞いていないのだ。
「いや。ジュダ殿からは何も聞いていない。ただ、あの方のことだ。お前が気づかなくとも何処かで様子を見ているだろう。ルース様付きの使用人に推薦されたことにも何か理由があるはずだ。お前は目の前にある役目に集中し、誠意をもってあの方にお仕えすればいい」
「・・・・は、はい。頑張ります」
貴族の令息に誠心誠意を込めてお仕えすることが、魔法の適正とどんな関係があるのか、リノには皆目見当もつかない。
が、やるしかない。
魔法使いの弟子になる目下最短の方法は、ジュダから認められる事だ。その彼が望むことだというのなら、命一杯働くつもりだ。
足元でイェルがこちらを見上げて鳴いた。
心配しないで、と微笑みかけて、リノは早速仕事に取り掛かかった。
炊事洗濯は嫌いではない。
森の家と違って、一部屋が何部屋分かと思うような広さで、調度品が見るからに高級で、拭き掃除が緊張感あふれるものであったとしても、苦ではないのだ。
――――ただ。
リリリリン。
涼やかで澄んだ音色に、リノは、はっとして掃き掃除の手を止めた。
慌てて箒と塵取りを片づける。
間を置かずして、呼び鈴の音が急かせるように鳴らされた。
慌てて三部屋先の書斎へ向かう。
扉を開くなり、向けられた第一声が、これだ。
「遅い。――――おまえは一体どれほど遠い部屋で仕事をしていた?」
「す、すみません」
たった三部屋先とはいえ、この邸の広さであればこれくらいの時間はかかってしまうのは仕方がないと思うのだが、眉を寄せた御子息は不機嫌そうにため息を落とす。
「呼んだらすぐに来るよう言っているだろ。のろまだな」
「申し訳ありません・・・・」
彼に不興を買ってはならない。
目的の為にはどんな理不尽な扱いにも耐えなければ。
「まったく。ジュダの勧めがなければ、おまえなど、とうの昔に解雇しているぞ?」
ひたすら恐縮するリノの様子に、彼はつまらなさそうな顔になると、片手で犬を追い払うようなしぐさをした。
「?」
「用は済んだ。さっさと出て行け」
怪訝に首を傾げるリノにぞんざいに言い捨てると、ルースは部屋から彼女を追い出したのだ。
入室したばかりだというのに、すぐさま退室する羽目になったリノは、重厚な扉を唖然として見つめた。
(な……何?)
呼びつけられた理由は一体なんだったのか。
すぐに来なかった事で気分を害し、用件を言いつける気がなくなったということ?
色んな可能性を模索し、リノは気を取り直して持ち場へと戻った。
(次は、もっと早く動こう!うんっ)
だが、そうではないのだとリノはこの数日後に気づいた。
日に何度も呼びつけられては、「遅い」、「愚図」、「のろま」と繰り返され、言いつけ通りに用意した本が違うと言われては、幾度も書庫と書斎を行き来させられ、「もういい」と叱りつけられる。
食事の内容が気に入らないと言われ、料理長に作り直しを頼みに行き、ようやく戻れば「もういらない」と言う。
一週間もたったぬうちに、リノはすっかり気疲れしていた。
慣れない場所、慣れない生活でクタクタになり、食事もそこそこ寝台に倒れ込む。
床から飛び乗って来たイェルが「にゃーお……」と鳴きながら、リノの腕にたしっと前足を置いた。
のろのろと顔を上げ、リノは力なく笑んだ。
「大丈夫だよ、イェル。頑張るって決めたんだもん。これくらいで凹んだりしないよ」
イェルはリノの頬にスリスリと頬づりをする。
言葉は通じないが、イェルが励ましてくれているのはわかる。
「ありがと。あのね、イェル。もう少しでわたしのお休みの日がくるってギルさんが言ってた。そうしたら、街に出てラルの情報を探そうと思うんだ」
旅人が多く集う場所を重点的に探さないと……。
思う傍から欠伸が漏れ、引きずり込まれるようにリノは眠りに落ちた。
すぅすぅと静かな寝息をたてるリノを見つめ双眸を細めると、イェルは窓の外に見える月に視線を転じる。
何者かに齧られたような輪郭の月。その柔らかな光の中でイェルは誰かを呼ぶように一鳴きした。
:::::
「手に入れて貰いたいものがあるんです」
机上に手を組み、にこりとジュダは笑んだ。
待ちに待った休日。
イェルを連れて邸の外へ出ようとしたリノは、黒梟に呼び止められた。
ジュダの使い魔である梟に案内されて訪れた、公爵家の離れがジュダの研究室らしい。
「街を越えた先に、平原があるんです。そこに咲く花を摘んで来て下さい」
「花、ですか?」
公爵家の敷地内にも華やかな花々が咲き乱れているが、それは珍しい花なのだろうか?
「鈴の音を響かせるといわれる花なんです。その澄んだ音色は、浄化と癒しを齎すといわれています」
花から鈴の音がするとは驚きだ。
「サージェスにはそんな花があるんですね」
隣国とはいえ、やはりポンターギュとは違う。
感心しきりのリノに、ジュダは、リノに紙片を手渡した。そこには、簡単に描かれた街と平原があり、花があると思しき部分に赤丸が書かれている。
「遅くなると外は物騒なので夕刻までには戻って下さいね」
「は、はい!」
休日返上――――しかし、これも試練だ。
回廊に面した窓から見える青空を見つめ、リノは気合を入れた。
(この地図を見たところだと、そんなに遠くもないみたいだし。うん、頑張ろう!)
「イェル。行こう」
イェルがひと鳴きし、リノと共に歩き出した。
エンディハイン公爵邸の敷地が広いのは勿論、知っていた。やって来た時と違い、徒歩で行くからには時間がかかることは想定済みだ。
だが、街を越え平原に辿り着くまでの距離は、手渡された地図のように近くはなかった。
土地勘のない場所では方向感覚も狂う。
歩き周り、道行く人に地図を見せ道を教えて貰い、ようやく平原に着いた頃、お昼を既に過ぎていた。
(や、やっと着いた)
思うよりもずっと遠かった。
後は、白くて鈴の音がする花を探すだけだ。
吹く風が、草を波立たせる。
リノはだだっ広い平原の中をきょろきょろ見回しながら探し始めた。
(風に揺れれば鈴の音がしそうなものだけど。う~ん)
所々に咲く野の花はあれど、ジュダ所望のその花は一向に見つからない。
丈の長い草の間、雑木の傍、小川の流れる脇――――やがて空の中央に浮かんでいた太陽の位置が下がり暫くして、リノは深く息をつき、足を止めた。
(ない……。この付近じゃないのかな?)
白い花もいくつか見つけたけれど、揺らしても音の立つものは一つとしてなかった。
夕刻までには戻らねばならない。
じわりと焦りが胸中に浮かぶ。
(もしかすると、魔法使いの適性を見るたもの試験とかかもなのに)
このまま見つけられなかったら、と考えてリノはぶんぶん首を左右に振った。
(時間はまだあるんだし、諦めるにはまだ早い)
気を引き締め再び探し始めた直後、何かに足を取られた。
「う、あ!?」
手を突くこともできず前につんのめったリノは、地面にあった何かの上にまともに倒れ込んだ。
固い地面ではない。
適度な弾力と柔らかさ。
「ぅっ……!」
怪訝に思った直後に聞こえたのは、低いうめき声。
(ひ、人!?)
はっとして上体を起こしたリノは、自分の下に横たわっている金髪の青年を見つけ、飛び上がった。
「すっ、すみません!」
躓いた何かは、どうやらこの青年のようだ。
なぜ、こんな所に人が横たわっているのか。
(行き倒れ?はっ……!具合悪くて倒れてたとか! )
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて尋ねると、固く目を閉じていた青年の目がうっすらと開く。
空の青を映しているような、真っ青な瞳がぼんやりとリノの姿を捉える。
瞬間、リノは息を呑んだ。
(!こっ、この人。とんでもなく綺麗なお顔してる)
同じ人とは思えないほど目鼻立ちが整ったその人物は、けれど冷たい印象は受けない。優しげな面差しは、神殿の壁画に見る聖人のような清廉ささえ感じさせた。
(て……天人?)
遥か天空にあるという伝説の種族は、天上神に次ぐ貴人とされる。
その背には純白の翼があるというが――――……。
傍らに避けたリノの前で、ゆっくりと半身を起こす青年の背にそれはない。
代わりに緩やかに結ばれた長い金髪がさらりと流れた。
「あ、あの、上にのってしまって、すみません!転んでしまって。で、でも、決してわざとではなくて!」
天罰を与えられはしないかとびくつきながら、頭を下げる。
だが、何も起こらず、おずおずと顔を上げたリノは感情の希薄な顔でこちらを見たまま動かない青年の様子に怯んだ。
(下賤の者とは口もきかない、とか?)
ぐきゅるるる
突如、二人の間に鳴り響いた音。
リノからする音ではない。
表情を変えずにいる青年から、きゅるきゅると続けて音がしている。
「え、えーと……お腹空いてます?」
彼のお腹がぐうっと肯定した。
「じゃあ、良かったら、これ」
リノは斜め掛けの鞄から白い紙包みを取り出すと、彼に差し出した。
手の平に乗る大きさのそれをじっと見下ろす青年。
「え、えっと、これはクコルの実のパンです。あ、お口に合うかどうかわからないですけど」
クコルの実は、ポンターギュでは一般的な食材の木の実だ。
つるりとした硬い殻の中にある実は、栄養価が高く、パンに混ぜ込んで焼く事が多い。
青年は包みの中でパンを半分にした。片方を取ると、残りを包みごとリノへ渡す。
「え?……半分こ、ですか?」
こく、と彼は頷いた。
口を利かないのではなく、話せないのかもしれない。
全部譲るつもりだったが、彼は受け取ろうとせず、二人並んでパンを食む。
果たして天人の口に合うだろうかと、様子を窺えば、パンを口にした青年は、目を大きくし、手元を見つめている。
「!お、お口に合いませんでしたか?」
慌てるリノだったが、はぐはぐと食べ進めていく様子を見ると、気に入ってくれたようだ。
(良かった)
傍らにいるイェルにも小さくちぎって分ける。
変化し始めた空の色を見上げてリノは小さく息をつく。
(……夕暮れまであと少し……)
もしかすると、潜在能力を試されているのかもしれない。
(魔法の才能ないと見えない、とか)
「・・・何を探しているの?」
「え」
現実に引き戻された先に真っ青な切れ長の目を認め、リノは瞬いた。
(今の・・・天人が喋った?それに探し物をしてるって何で知ってるの?)
もしや天人には心の内が筒抜けなのだろうか?
疑問が顔に出ていたらしく、彼は僅かに首を傾け、続けた。
「何処にあるのかと言ったから」
独り言を言っていたらしい。
考え事に耽るとつい出てしまう癖に思い至り、思い違いにリノは恥じる。
(そっか、独り言聞かれちゃっただけか。・・・えっと、どうしよう。これがジュダさんの試験だとしたら、自力で見つけ出さないと駄目なんじゃ?)
人にーーーというか天人に在り処を聞いていいものだろうか?
「礼をさせて欲しい。もし手伝えるのなら、手伝うから」
「礼なんて、そんな」
首を振ると彼は遠い目をして辺りを見回す。
「日暮れが近づくーーーー魔の気配が濃くなる時間、こんな場所にいたら危ない。だから、手伝わせて」
「・・・・」
逡巡の末、リノは彼に尋ねた。
「鈴鳴り草って知ってますか?」
彼は僅かに眉を顰めた。
「あ、ご存じないならいいんです!何だか珍しい花らしくて、なかなか見つけられなくて」
「・・・・それが必要なの?」
「はい。その、お使いで頼まれたんですけど、私見た事がなくて」
彼は少し黙り込み、すくっと立ち上がる。
「・・・彼らに聞けば見つけだせるかもしれない」
(彼らって?)
「・・・ついて来て。ここだと呼べない」
「え、呼ぶ?ちょ、待ってください!」
すたすたと歩きだす青年の後を追ってリノは森へと向かった。
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