鈴鳴りの森の魔女

カイリ

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新たな風を吹き込む人

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 ポンターギュ国の国境沿いにある森は、小規模ながら食材の宝庫であり、その中を流れる小川には魚が多く住まう。
 日差しが程よく差し込み、明るい森の印象が強いが、不思議と人が近づかない森でもある。
 その森の中にぽつんと、青い屋根の小さな家があった。
 

***
 
 早朝、いつものように森の小川で顔を洗い、顔を上げたリノは下流に変なものを見つけた。
なにやら薄汚れたものが水に半分浸かった状態で転がっている。

(あれ、なに?)

 濃い茶色の瞳を細めて見ていたが、ある時はっとして駆け寄る。

「あの、大丈夫ですか!?」

 薄汚れているが、確かにそれは人間の男の人のようだった。
 割れた丸い眼鏡をかけた、肩ほどの髪の長さをした髭もじゃのその人は、とりあえず生きているらしい。
 弱々しく瞼が上下した。

「た・・・・」
「はい?」
「食べ物を、下さいませんか・・・・」

 紡がれた言葉が終わらぬうちに、空腹の虫が大きな音を立てた。

 ***
 
 森の家から持ってきたバスケットに詰め込んだ果物と黒糖パン、新鮮なミルク、手作りベーコンをその人は、驚異的な速さで消費していく。

「あ、あの、そんなに急いで食べると、つかえちゃいますよ?」

 見かねて声をかけるも、その勢いは止まらない。
 がつがつと飢えを満たしていくその人の様子を、呆気に取られて見守っていると、足元に金茶色の猫がすり寄って来た。
 ふとそちらを見やると、猫は鳴き声を上げる。

「イェル」

 共に森の家で暮らすイェルは、いつもリノの傍にいる。
 見慣れない存在に対して警戒心を緩めず、目を眇めて様子を覗っているようだ。

「大丈夫。わたしは怪しいものじゃないですよ」
「・・・・え」
「その子、ただの猫じゃないでしょ?」

 丸い眼鏡の向こう、透けて見える瞳は笑みに眇められている。
 リノは心臓がどきどきし始めた。
 
(このひと・・・・もしかして、勘付いてる?)

 リノは喉をごくりと上下させる。
 手にした最後のベーコンを口に入れ十分に咀嚼すると、彼は深々と頭を下げた。

「ごちそうさまでした。大地の恵みに感謝を」
「・・・・」

 食後に告げられた感謝の言葉で、リノは彼がこの国の人間ではないのだと知った。
 それは以前、一度だけ森の家に訪れた客人がしていた祈りの言葉なのだ。

(あの時の人は、食前にもお祈りしてたけど、多分、間違いない)

 この人は隣国サージェスの人間だ。
 彼の国は昔、魔女討伐で随一を誇った魔導士の国として名高い。
 俄かにリノの中に期待が生まれた。

「あ、あの」
「!しっ。静かに」

 彼はリノの言葉を遮るように制止すると目を伏せ、行動を止めた。
 怪訝な顔で見ていると、彼は鬼気迫る表情で立ち上がる。

「来る!娘さん――――逃げてっ」
「え?」

 疑問符が頭に浮かんだ瞬間、風を切る音と共に、頭上に影が差す。
 振り仰いだリノの目に映ったのは、広がった巨大な網だった。
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