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家臣
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「皆の者、明けましておめでとう!!」
「「「 明けまして、おめでとうございまする!!! 」」」
一同が声を揃えて年賀の挨拶を伝える姿を眺めた一益は満足そうに頷く。
「旧年中は、信長様が御不慮の事もあり、まことに当家にとって激動の一年であった。・・・が、しかし今年もまた皆の元気そうな姿を目にし、わしはとても喜ばしく思う・・・」
そこで一益は言葉を区切り、改めて一同を見回すとゆっくりと語り出す・・・
「思えば、昨年武田家を滅ぼし亡き信長様より一時は上州一国はもとより信濃においても二郡を拝領致し、元からの北伊勢四郡を加えて広大な領国を任せられたのが夢、幻の如くであった・・・。今の我が身を顧みれば北伊勢長島の旧領のみ・・・この情けない現状の原因はひとえにわしが不徳の致すところにある・・・。高い場所からであるが、この通りじゃ、許せ、皆の者・・・」
一益は、その場で深々と頭を下げるのであった・・・
「何を仰せかと思えば・・・殿、お顔を上げられよ。殿がそのような殊勝な態度を見せると我等まで辛う感じますぞ・・・」
と、顔を伏せた一益に最初に応じたのが木俣忠澄である。
年の頃四十代に見えるこの痩身の男は、無頼武闘派の多い滝川家の中で筆頭家老を務めており、滝川家の柱石でもあった。忠澄は若年の頃から智謀に秀でており一益の信頼が厚いこの男には「木俣の槍」という異名があった。その所以となったのが尾張美濃境で起きた一揆勢千余人ほどをわずか百人程度の味方を率いて謀事を用い散々に一揆勢打ち破った逸話からきており、その槍捌きの凄まじさから「木俣の槍」と敬称されるほどの槍の名人であったのだ。
「又左衛門(木俣忠澄)か・・・おぬしはそう言うがのう・・・」
一益は忠澄の呼びかけに顔を上げて答えようとするが
「殿はな、そのようなしおらしい態度よりふてぶてしいぐらいの態度が似合うておりますのでな、フッフッフ・・・」
「・・・フッ、そうか?」
「左様でございますぞ、殿!! 親父殿が申すとおりじゃ!!!」
親父殿と追従し声を上げたのが忠澄が実子、忠征である。まだ二十歳そこらの若者ながら父忠澄と共に一益に仕え武勲を挙げ更には領国経営にも非凡な才を見せ始めたこの時期、滝川の姓を頂き滝川忠征と名乗っていた。補足ながらも付け加えるとこの若者は一益仕込みの領国経営の才を認められ、後年徳川御三家筆頭の尾張徳川家の家宰を司る家老職まで務めるまでに至る。
「又左殿親子の申すとおりにござる。殿が我らに頭を下げる必要はないとそれがしも思いまするが・・・」
「平右衛門・・・おぬしもか・・・」
一益に平右衛門と呼ばれた初老の男は潮風に当たり過ぎたためか、ちじれて白くなった両の鬢をほつれさせ幾分目を細めながら一益を見つめている・・・
この男もまた滝川家の家老職を務め、名だたる滝川水軍の総帥を任せられており名を篠岡平右衛門忠という。年の頃は一益とそう変わらないであろう・・・彼は半生以上を主である一益と共に歩んできたのだ・・・その平右衛門が自分に非は無いという・・・
一益は、不覚にもこみ上げるものを感じ、次の言葉が出ずにいる・・・
「こりゃあ~、御家老職の方々に先を越されてしまったわい!」
その時、野太いどすのきいた声が一益に近い最前席に座る男の口から発せられたのだ
「お二方が、そうまで言っておるのに一族の我らが申さぬわけにはいかぬな」
男は、顎を上げ一益をじっと見るや口を開く。
「殿! いやっ、ここはあえて言わせてもらうぞ叔父御と!! あの上州神流川の負け戦はけっして叔父御のせいではないぞ! その責めを一人で負うとするのはいかがなものかとわしは思うがな!!!」
「なんじゃい、義太夫?」
一益にこのようなぞんざいな口をきく男の名は滝川義太夫益重といい滝川一族に名を連ねている者である。益重は武闘派の多い滝川家においても家中きっての武闘派と目されており、戦場では常に先鋒を任せられてその武勇のほどは他家にも響き渡っている豪の者であった。
ここで注釈だがあの信長が一益に信を置き重用した理由として一益の調略能力を非常に買っていたのだが、この益重も豪放磊落な印象の影に隠れて一族の棟梁である一益に負けず劣らず武勇に秀で更に調略能力にも長けていたのである。これは他の滝川家の物頭級に言えることなのだが、滝川家の家風として潤沢な細作や乱波を用いての諜報活動を行いそれをもとにして戦略、戦術を考えるという思考が家中全体に行き届いており情報戦において織田家中において他の追随を許すことはなく、これが「進も、退くも、滝川」と称された一益率いる滝川家の強みであった。
その益重が続ける
「あの戦は、誰が大将をやっても負け戦じゃて。上州という地にも明るくなく兵力差も倍以上、いや三倍以上か?更には当家が得意とする諜報活動も緒に就いたばかりで準備も何もできぬ状態であの北条の大軍相手に思うような戦ができるわけがない。それでも一度は退け、新しく与力衆になった上州勢のほとんどが寝返らず当家と共に北条勢と戦ったという事実や敵地となった上州厩橋から信濃、美濃を経てここ長島まで無事戻れたのは叔父御の器量だとわしは思うがな、益氏はどう思う?」
「・・・それがしも、そう思う・・・」
義太夫益重に問われた益氏という男も同意する。この益氏こと滝川益氏もまた滝川一族であり義太夫益重と並び武勇に秀でており調略能力にも長け、戦場においては益重と相反する殿を受け持つ役を担っていたのであった。益重と違って口数の少ない寡黙な益氏は戦場においては最も困難とされる殿を一益から命じられたことからも分かるように、この男が常に冷静沈着にその場での対応を間違えないという一益からの信頼の証であったのであろう。
「それにしてもじゃ、あれほど清々しいぐらいに負けた戦はいつ以来だ???」
義太夫益重が周りの者に問うと、あちらこちらから声が上がり始める。
あれは、ここの長島一向一揆での負け戦以来だとか、ある者は、いやっ、信長様がお怪我をされた本願寺との戦いであろう・・・とか・・・
にわかに騒々しくなった一座の中で益氏は静かに立ち上がると、上座に座る一益に近づきそっと耳打ちする・・・
(叔父上、先ほど細作より知らせがあり伊勢亀山城主関盛信殿、並びに関一政殿、姫路に出立したとの事にございます・・・)
(関親子が・・・心得た、益氏ご苦労。わしの方にも姫路に放った乱波より知らせが参ったところじゃ。秀吉は今、姫路にいるとな・・・)
益氏は一益の言葉を聞くと、目礼し元の場所に戻る・・・
二人の様子を義太夫益重はさりげなく見ていたが、益氏が腰を下ろすのを見届けると一同に向けて声を上げる。
「静まれ、皆の者や静まれ!!」
周りの喧噪が、次第に静かになり一同の視線が自分に集中するのを確認してから益重は一益にじっと視線を飛ばし宣言する。
「叔父御! いや、ここは改めて言うべきか? 殿!! 一同になり代わり言上申し上げる。殿、一度や二度の負け戦で我らに頭を下げる必要はないと存ずる。ここに居る一同全て滝川一益という男に男惚れして仕えておりまする故にな!!!」
「むっ⁉」
「そうだな、皆の者?」
「「「 おうさ!!! そのとおりじゃ!!! 」」」
(・・・お前たちは・・・)
「・・・故に、殿。今後一切我らに頭を下げることなど不要にお願い申し上げる。今までどおり、ふてぶてしく我らに命じればよい・・・よろしいですかな?」
「・・・」
「「「 明けまして、おめでとうございまする!!! 」」」
一同が声を揃えて年賀の挨拶を伝える姿を眺めた一益は満足そうに頷く。
「旧年中は、信長様が御不慮の事もあり、まことに当家にとって激動の一年であった。・・・が、しかし今年もまた皆の元気そうな姿を目にし、わしはとても喜ばしく思う・・・」
そこで一益は言葉を区切り、改めて一同を見回すとゆっくりと語り出す・・・
「思えば、昨年武田家を滅ぼし亡き信長様より一時は上州一国はもとより信濃においても二郡を拝領致し、元からの北伊勢四郡を加えて広大な領国を任せられたのが夢、幻の如くであった・・・。今の我が身を顧みれば北伊勢長島の旧領のみ・・・この情けない現状の原因はひとえにわしが不徳の致すところにある・・・。高い場所からであるが、この通りじゃ、許せ、皆の者・・・」
一益は、その場で深々と頭を下げるのであった・・・
「何を仰せかと思えば・・・殿、お顔を上げられよ。殿がそのような殊勝な態度を見せると我等まで辛う感じますぞ・・・」
と、顔を伏せた一益に最初に応じたのが木俣忠澄である。
年の頃四十代に見えるこの痩身の男は、無頼武闘派の多い滝川家の中で筆頭家老を務めており、滝川家の柱石でもあった。忠澄は若年の頃から智謀に秀でており一益の信頼が厚いこの男には「木俣の槍」という異名があった。その所以となったのが尾張美濃境で起きた一揆勢千余人ほどをわずか百人程度の味方を率いて謀事を用い散々に一揆勢打ち破った逸話からきており、その槍捌きの凄まじさから「木俣の槍」と敬称されるほどの槍の名人であったのだ。
「又左衛門(木俣忠澄)か・・・おぬしはそう言うがのう・・・」
一益は忠澄の呼びかけに顔を上げて答えようとするが
「殿はな、そのようなしおらしい態度よりふてぶてしいぐらいの態度が似合うておりますのでな、フッフッフ・・・」
「・・・フッ、そうか?」
「左様でございますぞ、殿!! 親父殿が申すとおりじゃ!!!」
親父殿と追従し声を上げたのが忠澄が実子、忠征である。まだ二十歳そこらの若者ながら父忠澄と共に一益に仕え武勲を挙げ更には領国経営にも非凡な才を見せ始めたこの時期、滝川の姓を頂き滝川忠征と名乗っていた。補足ながらも付け加えるとこの若者は一益仕込みの領国経営の才を認められ、後年徳川御三家筆頭の尾張徳川家の家宰を司る家老職まで務めるまでに至る。
「又左殿親子の申すとおりにござる。殿が我らに頭を下げる必要はないとそれがしも思いまするが・・・」
「平右衛門・・・おぬしもか・・・」
一益に平右衛門と呼ばれた初老の男は潮風に当たり過ぎたためか、ちじれて白くなった両の鬢をほつれさせ幾分目を細めながら一益を見つめている・・・
この男もまた滝川家の家老職を務め、名だたる滝川水軍の総帥を任せられており名を篠岡平右衛門忠という。年の頃は一益とそう変わらないであろう・・・彼は半生以上を主である一益と共に歩んできたのだ・・・その平右衛門が自分に非は無いという・・・
一益は、不覚にもこみ上げるものを感じ、次の言葉が出ずにいる・・・
「こりゃあ~、御家老職の方々に先を越されてしまったわい!」
その時、野太いどすのきいた声が一益に近い最前席に座る男の口から発せられたのだ
「お二方が、そうまで言っておるのに一族の我らが申さぬわけにはいかぬな」
男は、顎を上げ一益をじっと見るや口を開く。
「殿! いやっ、ここはあえて言わせてもらうぞ叔父御と!! あの上州神流川の負け戦はけっして叔父御のせいではないぞ! その責めを一人で負うとするのはいかがなものかとわしは思うがな!!!」
「なんじゃい、義太夫?」
一益にこのようなぞんざいな口をきく男の名は滝川義太夫益重といい滝川一族に名を連ねている者である。益重は武闘派の多い滝川家においても家中きっての武闘派と目されており、戦場では常に先鋒を任せられてその武勇のほどは他家にも響き渡っている豪の者であった。
ここで注釈だがあの信長が一益に信を置き重用した理由として一益の調略能力を非常に買っていたのだが、この益重も豪放磊落な印象の影に隠れて一族の棟梁である一益に負けず劣らず武勇に秀で更に調略能力にも長けていたのである。これは他の滝川家の物頭級に言えることなのだが、滝川家の家風として潤沢な細作や乱波を用いての諜報活動を行いそれをもとにして戦略、戦術を考えるという思考が家中全体に行き届いており情報戦において織田家中において他の追随を許すことはなく、これが「進も、退くも、滝川」と称された一益率いる滝川家の強みであった。
その益重が続ける
「あの戦は、誰が大将をやっても負け戦じゃて。上州という地にも明るくなく兵力差も倍以上、いや三倍以上か?更には当家が得意とする諜報活動も緒に就いたばかりで準備も何もできぬ状態であの北条の大軍相手に思うような戦ができるわけがない。それでも一度は退け、新しく与力衆になった上州勢のほとんどが寝返らず当家と共に北条勢と戦ったという事実や敵地となった上州厩橋から信濃、美濃を経てここ長島まで無事戻れたのは叔父御の器量だとわしは思うがな、益氏はどう思う?」
「・・・それがしも、そう思う・・・」
義太夫益重に問われた益氏という男も同意する。この益氏こと滝川益氏もまた滝川一族であり義太夫益重と並び武勇に秀でており調略能力にも長け、戦場においては益重と相反する殿を受け持つ役を担っていたのであった。益重と違って口数の少ない寡黙な益氏は戦場においては最も困難とされる殿を一益から命じられたことからも分かるように、この男が常に冷静沈着にその場での対応を間違えないという一益からの信頼の証であったのであろう。
「それにしてもじゃ、あれほど清々しいぐらいに負けた戦はいつ以来だ???」
義太夫益重が周りの者に問うと、あちらこちらから声が上がり始める。
あれは、ここの長島一向一揆での負け戦以来だとか、ある者は、いやっ、信長様がお怪我をされた本願寺との戦いであろう・・・とか・・・
にわかに騒々しくなった一座の中で益氏は静かに立ち上がると、上座に座る一益に近づきそっと耳打ちする・・・
(叔父上、先ほど細作より知らせがあり伊勢亀山城主関盛信殿、並びに関一政殿、姫路に出立したとの事にございます・・・)
(関親子が・・・心得た、益氏ご苦労。わしの方にも姫路に放った乱波より知らせが参ったところじゃ。秀吉は今、姫路にいるとな・・・)
益氏は一益の言葉を聞くと、目礼し元の場所に戻る・・・
二人の様子を義太夫益重はさりげなく見ていたが、益氏が腰を下ろすのを見届けると一同に向けて声を上げる。
「静まれ、皆の者や静まれ!!」
周りの喧噪が、次第に静かになり一同の視線が自分に集中するのを確認してから益重は一益にじっと視線を飛ばし宣言する。
「叔父御! いや、ここは改めて言うべきか? 殿!! 一同になり代わり言上申し上げる。殿、一度や二度の負け戦で我らに頭を下げる必要はないと存ずる。ここに居る一同全て滝川一益という男に男惚れして仕えておりまする故にな!!!」
「むっ⁉」
「そうだな、皆の者?」
「「「 おうさ!!! そのとおりじゃ!!! 」」」
(・・・お前たちは・・・)
「・・・故に、殿。今後一切我らに頭を下げることなど不要にお願い申し上げる。今までどおり、ふてぶてしく我らに命じればよい・・・よろしいですかな?」
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