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「ほう・・・」
義太夫益重は、一益の言葉が意外だったのか次の言葉が出ずにいる・・・
「殿、そう見立てた理由を教えてくださらぬか・・・?」
筆頭家老である又左こと木俣忠澄が、口ごもる益重に代わり一同の意を酌み代表して一益に尋ねる。
「うむ。まずはその動員兵力差じゃて、これはどう見ても修理殿が動員できる兵力と筑前の兵力の差が違い過ぎる。筑前は自身の兵と畿内の傘下の諸大名を集めれば恐らくは七、八万の兵は動員できるであろう、更に信雄様の軍勢を合わせれば十万近くになるやもしれぬ。一方の修理殿は、せいぜい二万から三万・・・この差は大きい・・・」
「兵力の差が歴然としているのが、理由にござるか?」
「ああ、そのとおりだ。じゃが昨年のある時期まではそれでもわしは戦をすれば修理殿が必ず勝つと考えておったのだ又左よ、・・・そう長浜が取られるまではな・・・」
「ふむ 長浜を・・・お続けくだされ」
「平地での野戦となれば、いくら兵力差があろうと筑前は修理殿の敵ではない! これは今でもそう断言できる、鎧袖一触であろうな・・・」
「・・・」
「秀吉自身の軍勢は、弱い!!! ・・・これはどうにもならないほどの弱さじゃ・・・」
さも気の毒そうに語る一益の表情におかしみを感じた忠澄は相槌をうつ。
「それは、それは筑前殿もお気の毒にござるな・・・フフフ・・・」
「・・・奴の軍勢の弱さは筋金入りでのう・・・姉川の合戦、大坂本願寺門徒との合戦、はたまた越前での一向一揆衆との戦い、野戦において奴の軍勢はいつも分が悪いなると腰が砕けすぐに退却しようとする有様じゃ・・・だが、これは筑前が悪いわけではない。奴はわしのように一騎当千の物頭や一族の者達や強い兵士を配下に持っておらぬ。これは、奴のこれまでの成り立ちが原因であり所領が増えて急ごしらえに作った寄せ集めの集団であるからのう。そのような者達に集団での強さを求めるのは酷じゃ・・・。かわりにと言ってはなんだが、筑前傘下の与力大名達はまあまあ戦えれる面子ではあるがのう・・・細川、中川、高山、筒井あたりはもちろん、久太郎(堀秀政)や忠三郎殿(蒲生氏郷)もそこそこやれるではないか・・・。それに対し修理殿側の与力大名達は、佐々に前田 佐久間に不破 や金森か・・・」
「改めて耳にすると柴田様傘下の諸将は信長様の子飼いの人ばかりですな・・・」
「うむ、そうであるのう・・・まあ、それはよいとして筑前の凄みはそこからじゃ。自軍の弱さを認めつつそれを補いながら旗下の軍勢を常勝軍団と世間で噂されるまでにしたのは紛れもなく奴の手腕によるもの。播州三木城の戦い、因州鳥取城の戦い、備中高松城の戦いこれら世間の耳目を集める戦では常に勝利をつかみ取った・・・この三つの合戦には共通点がある・・・又左、わかるの?」
「・・・いずれも、対籠城戦にござるな」
「そのとおり、いずれの戦も相手方の籠城戦であるな。わしが特に着目したのは相手方が籠城戦を選ぶより仕方がない状況を筑前が作り上げたということだ! わしは久太郎に頼み奴の戦の仕方をつづうらうらまで聞き及んだ。そこで改めて気付かされたのよ、あ奴は自軍の弱点である野戦に持ち込まれぬよう十二分に準備しておったということをな・・・。筑前はのう、実際に戦場で敵と会い見える時には常に相手の兵力より倍以上の兵力をもってあたっておる・・・さすれば相手は籠城するするより手立てがなくなるのだ。自分の得てである戦いをするために筑前はその兵力を集めるために全力で準備したことに関し、正直わしはあ奴に畏敬の念をもったわい・・・。わしも大兵力の軍勢を指揮した事、一度や二度ではないのでよおく分かるが兵を集めるのも大変だが、その兵達を戦力として維持し続ける大変さは身に沁みておる。糧食や武器弾薬、銭の手配・・・これを全てなし終えて初めて戦える軍勢となるのじゃ・・・筑前はそれを見事やりとげておったわ・・・」
「殿は、筑前殿を嫌っておられるとばかり思っておりましたが、その実は、たいそうお認めになられ評価されておったのですな。以外にござった・・・」
「ふん! 嫌っておったのはあ奴のほうじゃよ! 何故か分からぬがあ奴はわしの事を嫌っておる」
(それは、筑前殿が叔父御のことを妬んでおるからではないかと思いますが、フフフ・・・)
慶次郎は、むきになって忠澄に反論する一益を見てひとり笑いを浮かべている・・・
「・・・まあ、筑前殿が殿を嫌っておるかどうかはさておいて、話しの続きでござる。柴田様の方が野戦では筑前殿より強い・・・にもかかわらず長浜の一件で殿は柴田様より筑前殿の勝ちと見立てたわけは・・・?」
「うん? おお、そうであった! その理由であるが・・・これ、慶次郎! 陰でクスクス笑おうてばかりおらず、ここに来てそちが佐和山から長浜、そして木之本、そこから先の北国街道沿いで見知った状況を説明せよ! そしてこれが肝要だが、お前が感じた事を全て皆に事細やかに話すのじゃ!!」
「えっ⁉ それがしがですか?」
義太夫益重は、一益の言葉が意外だったのか次の言葉が出ずにいる・・・
「殿、そう見立てた理由を教えてくださらぬか・・・?」
筆頭家老である又左こと木俣忠澄が、口ごもる益重に代わり一同の意を酌み代表して一益に尋ねる。
「うむ。まずはその動員兵力差じゃて、これはどう見ても修理殿が動員できる兵力と筑前の兵力の差が違い過ぎる。筑前は自身の兵と畿内の傘下の諸大名を集めれば恐らくは七、八万の兵は動員できるであろう、更に信雄様の軍勢を合わせれば十万近くになるやもしれぬ。一方の修理殿は、せいぜい二万から三万・・・この差は大きい・・・」
「兵力の差が歴然としているのが、理由にござるか?」
「ああ、そのとおりだ。じゃが昨年のある時期まではそれでもわしは戦をすれば修理殿が必ず勝つと考えておったのだ又左よ、・・・そう長浜が取られるまではな・・・」
「ふむ 長浜を・・・お続けくだされ」
「平地での野戦となれば、いくら兵力差があろうと筑前は修理殿の敵ではない! これは今でもそう断言できる、鎧袖一触であろうな・・・」
「・・・」
「秀吉自身の軍勢は、弱い!!! ・・・これはどうにもならないほどの弱さじゃ・・・」
さも気の毒そうに語る一益の表情におかしみを感じた忠澄は相槌をうつ。
「それは、それは筑前殿もお気の毒にござるな・・・フフフ・・・」
「・・・奴の軍勢の弱さは筋金入りでのう・・・姉川の合戦、大坂本願寺門徒との合戦、はたまた越前での一向一揆衆との戦い、野戦において奴の軍勢はいつも分が悪いなると腰が砕けすぐに退却しようとする有様じゃ・・・だが、これは筑前が悪いわけではない。奴はわしのように一騎当千の物頭や一族の者達や強い兵士を配下に持っておらぬ。これは、奴のこれまでの成り立ちが原因であり所領が増えて急ごしらえに作った寄せ集めの集団であるからのう。そのような者達に集団での強さを求めるのは酷じゃ・・・。かわりにと言ってはなんだが、筑前傘下の与力大名達はまあまあ戦えれる面子ではあるがのう・・・細川、中川、高山、筒井あたりはもちろん、久太郎(堀秀政)や忠三郎殿(蒲生氏郷)もそこそこやれるではないか・・・。それに対し修理殿側の与力大名達は、佐々に前田 佐久間に不破 や金森か・・・」
「改めて耳にすると柴田様傘下の諸将は信長様の子飼いの人ばかりですな・・・」
「うむ、そうであるのう・・・まあ、それはよいとして筑前の凄みはそこからじゃ。自軍の弱さを認めつつそれを補いながら旗下の軍勢を常勝軍団と世間で噂されるまでにしたのは紛れもなく奴の手腕によるもの。播州三木城の戦い、因州鳥取城の戦い、備中高松城の戦いこれら世間の耳目を集める戦では常に勝利をつかみ取った・・・この三つの合戦には共通点がある・・・又左、わかるの?」
「・・・いずれも、対籠城戦にござるな」
「そのとおり、いずれの戦も相手方の籠城戦であるな。わしが特に着目したのは相手方が籠城戦を選ぶより仕方がない状況を筑前が作り上げたということだ! わしは久太郎に頼み奴の戦の仕方をつづうらうらまで聞き及んだ。そこで改めて気付かされたのよ、あ奴は自軍の弱点である野戦に持ち込まれぬよう十二分に準備しておったということをな・・・。筑前はのう、実際に戦場で敵と会い見える時には常に相手の兵力より倍以上の兵力をもってあたっておる・・・さすれば相手は籠城するするより手立てがなくなるのだ。自分の得てである戦いをするために筑前はその兵力を集めるために全力で準備したことに関し、正直わしはあ奴に畏敬の念をもったわい・・・。わしも大兵力の軍勢を指揮した事、一度や二度ではないのでよおく分かるが兵を集めるのも大変だが、その兵達を戦力として維持し続ける大変さは身に沁みておる。糧食や武器弾薬、銭の手配・・・これを全てなし終えて初めて戦える軍勢となるのじゃ・・・筑前はそれを見事やりとげておったわ・・・」
「殿は、筑前殿を嫌っておられるとばかり思っておりましたが、その実は、たいそうお認めになられ評価されておったのですな。以外にござった・・・」
「ふん! 嫌っておったのはあ奴のほうじゃよ! 何故か分からぬがあ奴はわしの事を嫌っておる」
(それは、筑前殿が叔父御のことを妬んでおるからではないかと思いますが、フフフ・・・)
慶次郎は、むきになって忠澄に反論する一益を見てひとり笑いを浮かべている・・・
「・・・まあ、筑前殿が殿を嫌っておるかどうかはさておいて、話しの続きでござる。柴田様の方が野戦では筑前殿より強い・・・にもかかわらず長浜の一件で殿は柴田様より筑前殿の勝ちと見立てたわけは・・・?」
「うん? おお、そうであった! その理由であるが・・・これ、慶次郎! 陰でクスクス笑おうてばかりおらず、ここに来てそちが佐和山から長浜、そして木之本、そこから先の北国街道沿いで見知った状況を説明せよ! そしてこれが肝要だが、お前が感じた事を全て皆に事細やかに話すのじゃ!!」
「えっ⁉ それがしがですか?」
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