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飯浦
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一益は視線を宙に向け、往事を思い出そうとしているのか口を閉ざす・・・
ややあってから、視線を一同に向けおもむろに語り始める・・・
「そこからわしと慶次郎は飯浦の渡しまで足を延ばし、そこで夕焼けの空を背景にした広陵たる琵琶湖の風情を味わいながらわしは見るともなく飯浦の渡しに停泊する船に目を向けて他愛もない考えを浮かべたのだ・・・」
一益は、クスッ っと一人笑いを浮かべ続ける。
「わしならば、湖北の水軍を率いて一挙に秀吉の本拠の長浜を衝く・・・それを知った秀吉の驚く顔を想像するだけでも可笑しいが、フフフ・・・。確かに敦賀から迂回し塩津を経由しここ飯浦から賤ケ岳を抜け木之本にまでに至る・・・まあ、策としてはあるが、よくよく考えればここの塩津街道は長浜の領土内であったわ。あの秀吉が無策でこの道を使用させる事はないと悟ったわい。奴は戦が始まるとなればこの道も封鎖するとな・・・。その後時間も押してきたので飯浦の渡しをあとにしようとした時であった。一艘の戦船が波止場に着こうとするのが視界に入ったのだ・・・その戦船の艦橋の先には所属を表す幟が琵琶湖から吹く西風に吹かれ、はためいておった。わしはその旗幟を目を凝らして注視すると・・・その旗幟には直違の紋所が刻まれておったのじゃ・・・うむ、そうじゃ、直違紋は五郎左殿の家紋じゃて・・・わしは、五郎左殿の家紋を掲げる戦船を凝視し、はっとさせられたわ・・・もっと言うと驚愕したのだよ・・・筑前と修理殿の戦の勝敗の鍵は丹羽五郎左長秀殿の手にあると・・・」
「勝敗の鍵が丹羽殿の手中にあると⁉ そ それは如何なる事であろうか?」
一益の言葉に驚きの色を隠せず少しどもりながら尋ねる義太夫益重に追従するように周りからも同じようにそれはどういったことであろうかと声があがる。
「改めて申すが、今一度目を閉じ北近江から若狭、敦賀、越前の位置関係を思い浮かべよ!」
騒がしくなる一座に向かって一益が命じる。
言われるがままに黙って目を閉じ、それぞれの位置関係を頭に思い浮かべようとする一同に向かって一益はゆっくりとした口調で語り始める・・・
「わしらが見た丹羽殿の戦船は、長浜から琵琶湖を挟んだ対岸側にある海津から寄港した船であったのだ・・・海津という地は、塩津と並んで湖北水運の要衝地であり丹羽殿が治める地である。丹羽殿の所領は、若狭一国と西近江の高島郡と志賀郡の二郡も丹羽殿の宰領地なのだ・・・そして前述の海津という地はその高島郡に含まれる・・・ここまではよいか?」
黙ったまま頷く一同を見て、一益は続ける
「高島郡は、若狭、敦賀と国境を接する広大な北近江の地なのじゃ、ここが肝要なので再度申すが、【敦賀】と国境を接しておる、よいな? 木之本に通じる塩津街道は海津から敦賀へと通ずる西近江路と敦賀国境前で合流に至るのだ。何が言いたいかというと、修理殿が筑前と木之本付近の北近江山岳地帯で戦となった場合、その最中に丹羽殿が筑前に付くと旗幟を明らかにし筑前に加勢したとなれば修理殿率いる北陸軍団は瓦解し敗走するであろうという事だ!! 何故ならば、若狭もしくは、高島郡から丹羽殿が敦賀へ向けて兵を出したらどうなる?・・・敦賀を抑えられ、そこから更に東にある北国街道の入り口近くまで抑えられたら修理殿の軍勢は北近江山岳地帯に閉じ込められた袋のネズミ状態に陥る恐れが生じる・・・。わしが言いたいのは、敦賀以東にそれぞれの所領を持つ前田殿、金森殿、不破殿、佐久間殿、佐々殿、もちろん修理殿も含めてであるが彼等は退路を断たれる事になるということぞ!そうなれば修理殿の北陸軍団の瓦解、敗走は予想でなく自明の理である・・・」
「⁉ !! なんとのぉ・・・、言われてみればその通りじゃ。・・・叔父御の言うよう、丹羽殿の動静で戦の帰趨ががらっと変わるのじゃな!! 丹羽殿の存在の大きさ・・・改めて気づかされるわい・・・」
義太夫益重は、カッ と目を見開くや嘆息するようにつぶやく・・・
「念のため申しておくが、修理殿はじめ、その与力衆である佐々、前田殿達はな丹羽殿と正面きって戦う意思はまず無いぞ。秀吉と戦うだけでも大変であるのに、敦賀方面で丹羽殿と戦うなどと二方面で戦う余力なんぞないわ!」
「のう、伯父御。やはり丹羽殿は筑前殿に加勢するのか?」
「うむ・・・、そこなんじゃが・・・」
一益は、鬢のあたりをコリコリと掻くと自分の考えを述べる
「わしはなぁ、丹羽殿は此度の戦においてはそこまで積極的に筑前に加勢することは無いと考えておるのだ・・・」
「うん? それは何故にござる」
「確かに、信孝様の居城である岐阜攻めにおいて丹羽殿が筑前に加勢して出兵したのは事実である。が、しかしその出兵理由はあくまでも三法師様をお迎えし安土へと御動座していただくという清洲会議にての決まり事を遵守するための出兵であったからだ。ところが此度の筑前と修理殿の戦はあくまでも二人の私闘である。筑前が修理殿の所領の一部であった長浜を奪ったことが原因であると、丹羽殿は断じておられるとな。池田殿もまた同じ考えであろうとわしは想像するぞ・・・されば丹羽殿、池田殿の宿老衆二人は此度の戦いには中立の立場であろうとわしは考える。それが丹羽殿が・・・五郎左殿が積極的に筑前に対し加勢出兵は無いと考える理由じゃ」
「・・・ふむ、伯父御がそう考えるならそうなんじゃろうな・・・」
ややあってから、視線を一同に向けおもむろに語り始める・・・
「そこからわしと慶次郎は飯浦の渡しまで足を延ばし、そこで夕焼けの空を背景にした広陵たる琵琶湖の風情を味わいながらわしは見るともなく飯浦の渡しに停泊する船に目を向けて他愛もない考えを浮かべたのだ・・・」
一益は、クスッ っと一人笑いを浮かべ続ける。
「わしならば、湖北の水軍を率いて一挙に秀吉の本拠の長浜を衝く・・・それを知った秀吉の驚く顔を想像するだけでも可笑しいが、フフフ・・・。確かに敦賀から迂回し塩津を経由しここ飯浦から賤ケ岳を抜け木之本にまでに至る・・・まあ、策としてはあるが、よくよく考えればここの塩津街道は長浜の領土内であったわ。あの秀吉が無策でこの道を使用させる事はないと悟ったわい。奴は戦が始まるとなればこの道も封鎖するとな・・・。その後時間も押してきたので飯浦の渡しをあとにしようとした時であった。一艘の戦船が波止場に着こうとするのが視界に入ったのだ・・・その戦船の艦橋の先には所属を表す幟が琵琶湖から吹く西風に吹かれ、はためいておった。わしはその旗幟を目を凝らして注視すると・・・その旗幟には直違の紋所が刻まれておったのじゃ・・・うむ、そうじゃ、直違紋は五郎左殿の家紋じゃて・・・わしは、五郎左殿の家紋を掲げる戦船を凝視し、はっとさせられたわ・・・もっと言うと驚愕したのだよ・・・筑前と修理殿の戦の勝敗の鍵は丹羽五郎左長秀殿の手にあると・・・」
「勝敗の鍵が丹羽殿の手中にあると⁉ そ それは如何なる事であろうか?」
一益の言葉に驚きの色を隠せず少しどもりながら尋ねる義太夫益重に追従するように周りからも同じようにそれはどういったことであろうかと声があがる。
「改めて申すが、今一度目を閉じ北近江から若狭、敦賀、越前の位置関係を思い浮かべよ!」
騒がしくなる一座に向かって一益が命じる。
言われるがままに黙って目を閉じ、それぞれの位置関係を頭に思い浮かべようとする一同に向かって一益はゆっくりとした口調で語り始める・・・
「わしらが見た丹羽殿の戦船は、長浜から琵琶湖を挟んだ対岸側にある海津から寄港した船であったのだ・・・海津という地は、塩津と並んで湖北水運の要衝地であり丹羽殿が治める地である。丹羽殿の所領は、若狭一国と西近江の高島郡と志賀郡の二郡も丹羽殿の宰領地なのだ・・・そして前述の海津という地はその高島郡に含まれる・・・ここまではよいか?」
黙ったまま頷く一同を見て、一益は続ける
「高島郡は、若狭、敦賀と国境を接する広大な北近江の地なのじゃ、ここが肝要なので再度申すが、【敦賀】と国境を接しておる、よいな? 木之本に通じる塩津街道は海津から敦賀へと通ずる西近江路と敦賀国境前で合流に至るのだ。何が言いたいかというと、修理殿が筑前と木之本付近の北近江山岳地帯で戦となった場合、その最中に丹羽殿が筑前に付くと旗幟を明らかにし筑前に加勢したとなれば修理殿率いる北陸軍団は瓦解し敗走するであろうという事だ!! 何故ならば、若狭もしくは、高島郡から丹羽殿が敦賀へ向けて兵を出したらどうなる?・・・敦賀を抑えられ、そこから更に東にある北国街道の入り口近くまで抑えられたら修理殿の軍勢は北近江山岳地帯に閉じ込められた袋のネズミ状態に陥る恐れが生じる・・・。わしが言いたいのは、敦賀以東にそれぞれの所領を持つ前田殿、金森殿、不破殿、佐久間殿、佐々殿、もちろん修理殿も含めてであるが彼等は退路を断たれる事になるということぞ!そうなれば修理殿の北陸軍団の瓦解、敗走は予想でなく自明の理である・・・」
「⁉ !! なんとのぉ・・・、言われてみればその通りじゃ。・・・叔父御の言うよう、丹羽殿の動静で戦の帰趨ががらっと変わるのじゃな!! 丹羽殿の存在の大きさ・・・改めて気づかされるわい・・・」
義太夫益重は、カッ と目を見開くや嘆息するようにつぶやく・・・
「念のため申しておくが、修理殿はじめ、その与力衆である佐々、前田殿達はな丹羽殿と正面きって戦う意思はまず無いぞ。秀吉と戦うだけでも大変であるのに、敦賀方面で丹羽殿と戦うなどと二方面で戦う余力なんぞないわ!」
「のう、伯父御。やはり丹羽殿は筑前殿に加勢するのか?」
「うむ・・・、そこなんじゃが・・・」
一益は、鬢のあたりをコリコリと掻くと自分の考えを述べる
「わしはなぁ、丹羽殿は此度の戦においてはそこまで積極的に筑前に加勢することは無いと考えておるのだ・・・」
「うん? それは何故にござる」
「確かに、信孝様の居城である岐阜攻めにおいて丹羽殿が筑前に加勢して出兵したのは事実である。が、しかしその出兵理由はあくまでも三法師様をお迎えし安土へと御動座していただくという清洲会議にての決まり事を遵守するための出兵であったからだ。ところが此度の筑前と修理殿の戦はあくまでも二人の私闘である。筑前が修理殿の所領の一部であった長浜を奪ったことが原因であると、丹羽殿は断じておられるとな。池田殿もまた同じ考えであろうとわしは想像するぞ・・・されば丹羽殿、池田殿の宿老衆二人は此度の戦いには中立の立場であろうとわしは考える。それが丹羽殿が・・・五郎左殿が積極的に筑前に対し加勢出兵は無いと考える理由じゃ」
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