寒暁

繚乱

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 九鬼

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 平右衛門や一益が棟梁と呼んでいる人物は志摩一国を領する九鬼嘉隆よしたかのことである。嘉隆が麾下きかの九鬼水軍は当時日ノ本最強と称せられており、その最強水軍が敵方になり北伊勢沖に姿を現すことを平右衛門は危惧していたのである。

 日頃、卓抜したお家芸とも呼ぶべき諜報力を生かした抜かりない一益が秀吉との大戦の前に北伊勢における制海権の鍵を握る嘉隆の存在を平右衛門に指摘されるまで失念していたには理由があった。その理由とは一益と嘉隆の関係にあったのだ・・・簡単に言うと二人の間には余人には分からぬほどの濃い信頼関係を基に成り立っていたのである。一益から見て一回り以上年下の嘉隆には、自分が頼めば否とは決して言うまいと断言できるほど一益は嘉隆に対し信を置いていたのである。

 一方で嘉隆からの目線で言えば、彼にとって一益は自身を含め一族の大恩人であり、今の自分があるのも全て一益のおかげと言っても過言ではないと言い切れるほどなのだ。その嘉隆にしてみれば一益が自分に信頼を置く以上に一益に対し信頼感を抱くのは当然であった・・・

 二人の関係を紐解くと一益、嘉隆の関係は古く二人の出会いはこの時期から二十年以上前の永禄三年(1560年)にまでさかのぼる・・・永禄三年といえばあの桶狭間の戦いがあった年だ。この年に嘉隆は自分の故郷である志摩を追われ尾張の国知多半島と東三河が接する尾張口に逃亡してきた一族と共にひっそりと身を寄せ合い、先の見えぬ自分達の将来を憂いながらもつつましく日々を送っていたのであった・・・。ところが、そのような状況下にあった嘉隆や九鬼一族に手を差し伸べた男がいたのだ・・・そう、滝川一益である。内乱のため故郷を追われた嘉隆をはじめ、九鬼一族にしてみれば一益の武骨な節くれだったその手がどんなにか頼もしく覚えた事であったろうか・・・

 一益はこの時期、桶狭間の合戦で織田家が辛うじて今川義元の軍勢を撃破した戦後処理にいそしむ日々を送っていた。主である信長から、『三河の元康(松平元康)との関係を、なんとかせい!』と、例の通り無茶振りされた一益は三河松平家との交渉の窓口になっていた刈谷城主水野信元のもとに足繁く通っていた時期だったのだ。因みに水野信元は松平元康(のちの徳川家康)の母、於大の方の兄であり元康にとっては伯父にあたる。そのような折に、信元の口から我が領内に伊勢志摩から難を逃れてきた一族がいると聞かされた一益は興を覚えて嘉隆が住まう場所に立ち寄ったのが二人の出会いの始まりであった・・・。

 一益は嘉隆の口から伊勢志摩における勢力争いの結果嘉隆の一族が離散し、一部の者達がここに逃げおおせてきた経緯を知るやそれからは日をおかず嘉隆のもとに立ち寄り生活に必要な物資を届けるようになると、嘉隆に信長様の配下にならぬかと提案したのであった。                                                       
                                                      『いずれ近いうちに信長様は伊勢方面にも勢力を伸ばし数年の内には志摩まで勢力下に置くことになるであろう。その時には必ずや水軍が必要となる。九鬼家といえば志摩で最も名の聞こえた水軍衆であろう。貴殿がその気があれば信長様の下で力を蓄え、武功を挙げれば信長様の後押しを受けて故郷である志摩の地を再び手に入れる事も可能だとわしは考えるが・・・』

 嘉隆にとって一益の言葉は暗澹とした気分に沈む自分や一族にとって一筋の光明にとなり己らが生きるための希望になったのだ・・・。

 その後嘉隆は、一益の紹介で信長に目通りが叶い、一益配下の与力衆として織田家に仕えることになる。織田家に仕えることになった嘉隆は離散した一族を呼び寄せ、九鬼水軍を再編し一益と協力しながら信長の北伊勢方面攻略戦に力を尽くす・・・。更には伊勢長島一向一揆衆との戦いや、天下の耳目を集めた毛利方についた村上水軍との二度にわたる木津川口の戦いなどを経て武功を挙げ、今や故郷である志摩一国を領する国持大名に至る。

 このような経緯があり、嘉隆にしてみれば今日の自分があるのは一益のおかげであると言い切るのも無理はないのだ・・・。

 また一益にとっても自分を慕ってくれる嘉隆の存在は自分よりはるか年齢が下の友人、更には僚友として共に水軍を率いて戦場に立つ事数え切れず・・・もはや莫逆の友と呼んでもおかしくない間柄であったのだ・・・。なればこそ、嘉隆が自分に対し刃を向ける行動を採るなどとは頭の片隅にもよぎることは無かったのである。



「平右衛門よ、よくぞ気づかせてくれた。礼を申す・・・」

「いえ・・・」

「まあ、なんじゃ・・・九鬼の棟梁の件はわしに任せてくれい。棟梁にも立場があろうでのう、最悪北伊勢沖に姿を現したとしてもその時は “”ハシカ“” にでもなってもらうわい、フフフ・・・」

「“”ハシカ“” ・・・? に、ござるか・・・フフフ、それはようございますな “”ハシカ“” はうつる病ですからなぁ、戦どころではなくなりますのう、ウフフフ・・・」

「ククク、棟梁には上手く病になるようわしからもよくお願いしておこうぞ。おっ、そうじゃ! 念のためもう一人熊野水軍のおさである堀内氏善うじよし殿にも当地に参らば、 “”ハシカ“” になるようお願いしておかねばなるまいて」

「フフフ、左様にございますな、良き考えかと存ずる」

「二人には戦の真似をしてくれればよいと頼んでおこうぞ。水軍には水軍の、海賊には海賊の、海には海の掟がある。おかの人間である信雄様や秀吉にわかるわけがないわ!」

「いかにも・・・」

 
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