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prologue
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【線の雨】。
そう呼ばれる雨がある。いつ頃からだろう。線の雨が世界に降り始めたのは。誰かがそれを遠くから見た。それはまるで、いやまったく、その名の通り天から地まで線として降り注いでいる雨だった。その雨が行った後、雨が降ったところが、消えた。そこにあったのは、ただ、白い影。家だったものも、木だったものも、その町に住んでいた人も、皆消えた。おそらく、あまたの白い影のなかのどれかが、そこに住む人々の誰かだったのだとしても今は、その白い影はもともと家だったものか、木だったものか、それとも人だったものか、わかりはしない。
それから暫くして、雨と一緒に、怪物が現れた。
物憂い表情をたたえた、大きな黒い影の怪物。怪物は、雨が去った後に白い影を食べる。どこへともなく去っていき、また雨の降るところに現れるのだ。その後には、ただ白い平らな土地に、静かに雨が降るばかり。……
*
どんよりと暗い雲が立ち込める空の下、街道を数騎の騎士が行く。
街道沿いには影絵のような木立が並んでいる。
「レクイカ様! こいつは、いつまでついてくるんですかね?」
小柄な騎士が馬をゆっくり駆りながら、後ろを見て言う。
「ぼろぼろのマントに、帯剣すらしていない……元騎士とも、思えませんよ」
「くっ……」
ミートには、言い返す言葉もない。
――おれは、騎士の身分なんてものは捨てたんだ(捨てて好き気ままに旅をしていた……)。しかしまたこうして騎士の一隊の端くれに加わることになっているけど……自分がその身分を捨てた、騎士の助けにすがることになるなんて。しかも、この小生意気な女……。
「えっと……ミート? ごめんなさい。この子、優秀な騎士なんだけど、警戒心が強くてね」
その更に前を行くレクイカも振り向いてそうフォローを入れてくれる。
――レクイカは、優しい……前に騎士学校で一緒だった頃とほとんど変わらない、少し大人びた、目立たないけど可愛げのある笑顔。と言ってもまともに口をきいたことはないけど、その笑顔をおれに対し向けられた……ってことも、たった一度二度だけど、そう、演習で剣を交わしたその後に……おれが落としてしまった剣を拾ってくれた時の、あの笑顔。おれはその時には聖騎士になる決意をしていたわけで、よこしまな思いを抱くことなかれと思いつつも、惹かれそうになったんだったな。結局、聖騎士になることも途中で辞めてしまったのなら、あの時、もっとこの子と……
「ほら! レクイカ様、この男なにかブツブツ呟いて、レクイカ様のことをなんかおかしな目で……」
「……はっ、な、何も、そんなこと本当には思ってないっ、て……!」
「何を言っているんです。会話がかみ合ってない! コミュ障元騎士。よくわからないことを……レクイカ様麾下の私には、我らが隊長レクイカ様に変な虫がつかないよう見張る義務があるんだ。ほら下がれ、虫!」
「む、虫…………」
「あ、あはは……」
レクイカも苦笑している。
「ほらあまり後ろばかり振り返っていては……しんがりはシトエがしっかり務めてくれているんですから、私達は前に注意しないと。また、怪物が出るかもしれないから……」
「腐っても元騎士なら、こいつしんがりの方につけましょうよ。いっちょ前に馬にだけ乗って、剣も持たずに私達と先頭にいたって邪魔なだけです。というより、レクイカ様から離しておきたいです」
「な、なんでそこまで言われなきゃ」
「こいつなんか、怪しいんですよね……」
小柄な女騎士は馬の速度をもっと緩めてミートに並ぶと、目を細めて睨みつける。
「な、おれが怪物かなにかの手先とでも言うのか?」
「そうじゃなく、レクイカ様を見る目が……」
「な、だから、おれは、昔だって、そんなふうに見ないよう、よこしまな思いを抱くことなかれと、おれは、聖騎士になろうと……っ」
「何をごちゃごちゃこのコミュ障自称元騎士が……って、なに、聖騎士に?」
「そうだったの? ミートは」
前方をしっかり見据え馬を進めていたレクイカももう一度振り向く。
「あ、ああ。……それで成人の儀を前に、皆の宿舎からは離れて、修養棟へ……」
「そうだったのか。それで、ああ……あの人っていつの間にかいなくなったよね、って当時の同クラスの子達と、言っていたなあそういえば。その時に騎士学校辞めたのかなって。そっか、修養棟に」
「えっ。そ、そう……なのか。気にしてくれては……いたんだ」
「ああ、うん……それは、知らない顔じゃないし。だって、訓練の時とかにだってさ、」
「あ、あの時のこと、――」
「ええ、ええ、それで何ですって、聖騎士に…… ……なれるわけないでしょう?」
その間に、小柄な騎士が割って入る。
「あれ? でも、聖騎士になろうとってことは……聖騎士、ってことは、つまりこいつはその時童貞で……今も?」
「そういう話は今はいいだろう!」
「聖騎士になろうとしてなれずに、騎士も辞めて、今はただの童貞……そういうことか。頷けます」
「おい、勝手にそう決めるな……! なんでおまえ、そうおれに……」
レクイカは前方を向きながら、苦笑しているようだ。
他に二騎、レクイカの横に付けている護衛の影騎士は無言でただ前を向いている。外套に身を覆ったこの者達は、国直属の訓練された騎士だが素顔を見せず、言葉を発することもない。聖騎士とはまた別の、護衛に徹することに選ばれた騎士達……。
レクイカ以下先頭を行くこの数騎は、後方のための斥候の役割もあって少し先を進んでいる。
幾らか離れて後方には、徒歩で続々とつけてきている民達がいるのだ。雨を逃れて休息所に退避してきていた人達……三十か四十くらいには上るだろうか。皆が、不安げな表情だ。子供や老人の姿も見え、何騎かの騎士が足の悪い者や怪我のある者を交代で後ろに乗せて歩んでいる。
列の最後尾にはレクイカの部下の女騎士一人と影騎士数名がしんがりとして付けている。
――そうだ。この小柄な女騎士はこんな冗談みたいなやり取りをしてくるけど、いつ雨が来るかわからない……雨に降られたら、全てが終わりなんだ。おれも、レクイカも、冗談を言っているこいつだって、民だって皆、ただの白い影になって地面に張り付いてしまう。それを、怪物が喰らうんだ。
怪物は、雨の気配を察してどこからともなく現れてくる。休息所を出て、何度か怪物が木立の影でうずくまっていたり、眠っているのを見かけた。怪物達がまだ活発に動かない内は、雨もまだそこまで近くには来ていない。だけど、怪物は危険だ。もしばったり出くわしでもしてしまえば、怪物は影だけではなくそのまま人を食ってしまうこともある。
「皆、待って……」
先頭でレクイカが手を挙げて制す。
「後ろに、ゆっくり停止するよう、伝えて……この先に、怪物らしい影があります。おそらく、寝ていると思うけれど……」
「な……ああ、道のど真ん中か。しかも、でかいな」
「出やがりましたか。おいコミュ障童貞元騎士の、ニートいやミート、でしたか。びびってんじゃないです、早く民達に伝令を」
「お、おう」
「早く行け! こんな時くらい役に立ちやがれですよ」
「わかっている。おまえこそ、レクイカをしっかり守れ」
「馬鹿か! レクイカ様、と呼べ! それに、あたりまえのことを私に言うんじゃないです!
それに、この隊では私が上司でしょう!」
「ああ、はい、わかった……わかりましたよ」
ミートはふてくされたように、馬を駆って民の元へ走る。
「はー童貞虫を追っ払ってせいせいした」
「ミカー、あの怪物……起きているかもしれない」
「何と。やってしまうしかないですか」
「それは、避けたい。……動きが鈍い。まだ雨は遠いのでしょう。刺激しないよう、怪物を迂回しましょう。森の方にも、入り込みすぎないよう。おそらく森の中も見えないけど怪物達が集まってきているはず」
「厄介ですねあいつら、あんなのろまな顔をしながら、人をおもちゃみたいに掴んで喰うんですから」
そう呼ばれる雨がある。いつ頃からだろう。線の雨が世界に降り始めたのは。誰かがそれを遠くから見た。それはまるで、いやまったく、その名の通り天から地まで線として降り注いでいる雨だった。その雨が行った後、雨が降ったところが、消えた。そこにあったのは、ただ、白い影。家だったものも、木だったものも、その町に住んでいた人も、皆消えた。おそらく、あまたの白い影のなかのどれかが、そこに住む人々の誰かだったのだとしても今は、その白い影はもともと家だったものか、木だったものか、それとも人だったものか、わかりはしない。
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どんよりと暗い雲が立ち込める空の下、街道を数騎の騎士が行く。
街道沿いには影絵のような木立が並んでいる。
「レクイカ様! こいつは、いつまでついてくるんですかね?」
小柄な騎士が馬をゆっくり駆りながら、後ろを見て言う。
「ぼろぼろのマントに、帯剣すらしていない……元騎士とも、思えませんよ」
「くっ……」
ミートには、言い返す言葉もない。
――おれは、騎士の身分なんてものは捨てたんだ(捨てて好き気ままに旅をしていた……)。しかしまたこうして騎士の一隊の端くれに加わることになっているけど……自分がその身分を捨てた、騎士の助けにすがることになるなんて。しかも、この小生意気な女……。
「えっと……ミート? ごめんなさい。この子、優秀な騎士なんだけど、警戒心が強くてね」
その更に前を行くレクイカも振り向いてそうフォローを入れてくれる。
――レクイカは、優しい……前に騎士学校で一緒だった頃とほとんど変わらない、少し大人びた、目立たないけど可愛げのある笑顔。と言ってもまともに口をきいたことはないけど、その笑顔をおれに対し向けられた……ってことも、たった一度二度だけど、そう、演習で剣を交わしたその後に……おれが落としてしまった剣を拾ってくれた時の、あの笑顔。おれはその時には聖騎士になる決意をしていたわけで、よこしまな思いを抱くことなかれと思いつつも、惹かれそうになったんだったな。結局、聖騎士になることも途中で辞めてしまったのなら、あの時、もっとこの子と……
「ほら! レクイカ様、この男なにかブツブツ呟いて、レクイカ様のことをなんかおかしな目で……」
「……はっ、な、何も、そんなこと本当には思ってないっ、て……!」
「何を言っているんです。会話がかみ合ってない! コミュ障元騎士。よくわからないことを……レクイカ様麾下の私には、我らが隊長レクイカ様に変な虫がつかないよう見張る義務があるんだ。ほら下がれ、虫!」
「む、虫…………」
「あ、あはは……」
レクイカも苦笑している。
「ほらあまり後ろばかり振り返っていては……しんがりはシトエがしっかり務めてくれているんですから、私達は前に注意しないと。また、怪物が出るかもしれないから……」
「腐っても元騎士なら、こいつしんがりの方につけましょうよ。いっちょ前に馬にだけ乗って、剣も持たずに私達と先頭にいたって邪魔なだけです。というより、レクイカ様から離しておきたいです」
「な、なんでそこまで言われなきゃ」
「こいつなんか、怪しいんですよね……」
小柄な女騎士は馬の速度をもっと緩めてミートに並ぶと、目を細めて睨みつける。
「な、おれが怪物かなにかの手先とでも言うのか?」
「そうじゃなく、レクイカ様を見る目が……」
「な、だから、おれは、昔だって、そんなふうに見ないよう、よこしまな思いを抱くことなかれと、おれは、聖騎士になろうと……っ」
「何をごちゃごちゃこのコミュ障自称元騎士が……って、なに、聖騎士に?」
「そうだったの? ミートは」
前方をしっかり見据え馬を進めていたレクイカももう一度振り向く。
「あ、ああ。……それで成人の儀を前に、皆の宿舎からは離れて、修養棟へ……」
「そうだったのか。それで、ああ……あの人っていつの間にかいなくなったよね、って当時の同クラスの子達と、言っていたなあそういえば。その時に騎士学校辞めたのかなって。そっか、修養棟に」
「えっ。そ、そう……なのか。気にしてくれては……いたんだ」
「ああ、うん……それは、知らない顔じゃないし。だって、訓練の時とかにだってさ、」
「あ、あの時のこと、――」
「ええ、ええ、それで何ですって、聖騎士に…… ……なれるわけないでしょう?」
その間に、小柄な騎士が割って入る。
「あれ? でも、聖騎士になろうとってことは……聖騎士、ってことは、つまりこいつはその時童貞で……今も?」
「そういう話は今はいいだろう!」
「聖騎士になろうとしてなれずに、騎士も辞めて、今はただの童貞……そういうことか。頷けます」
「おい、勝手にそう決めるな……! なんでおまえ、そうおれに……」
レクイカは前方を向きながら、苦笑しているようだ。
他に二騎、レクイカの横に付けている護衛の影騎士は無言でただ前を向いている。外套に身を覆ったこの者達は、国直属の訓練された騎士だが素顔を見せず、言葉を発することもない。聖騎士とはまた別の、護衛に徹することに選ばれた騎士達……。
レクイカ以下先頭を行くこの数騎は、後方のための斥候の役割もあって少し先を進んでいる。
幾らか離れて後方には、徒歩で続々とつけてきている民達がいるのだ。雨を逃れて休息所に退避してきていた人達……三十か四十くらいには上るだろうか。皆が、不安げな表情だ。子供や老人の姿も見え、何騎かの騎士が足の悪い者や怪我のある者を交代で後ろに乗せて歩んでいる。
列の最後尾にはレクイカの部下の女騎士一人と影騎士数名がしんがりとして付けている。
――そうだ。この小柄な女騎士はこんな冗談みたいなやり取りをしてくるけど、いつ雨が来るかわからない……雨に降られたら、全てが終わりなんだ。おれも、レクイカも、冗談を言っているこいつだって、民だって皆、ただの白い影になって地面に張り付いてしまう。それを、怪物が喰らうんだ。
怪物は、雨の気配を察してどこからともなく現れてくる。休息所を出て、何度か怪物が木立の影でうずくまっていたり、眠っているのを見かけた。怪物達がまだ活発に動かない内は、雨もまだそこまで近くには来ていない。だけど、怪物は危険だ。もしばったり出くわしでもしてしまえば、怪物は影だけではなくそのまま人を食ってしまうこともある。
「皆、待って……」
先頭でレクイカが手を挙げて制す。
「後ろに、ゆっくり停止するよう、伝えて……この先に、怪物らしい影があります。おそらく、寝ていると思うけれど……」
「な……ああ、道のど真ん中か。しかも、でかいな」
「出やがりましたか。おいコミュ障童貞元騎士の、ニートいやミート、でしたか。びびってんじゃないです、早く民達に伝令を」
「お、おう」
「早く行け! こんな時くらい役に立ちやがれですよ」
「わかっている。おまえこそ、レクイカをしっかり守れ」
「馬鹿か! レクイカ様、と呼べ! それに、あたりまえのことを私に言うんじゃないです!
それに、この隊では私が上司でしょう!」
「ああ、はい、わかった……わかりましたよ」
ミートはふてくされたように、馬を駆って民の元へ走る。
「はー童貞虫を追っ払ってせいせいした」
「ミカー、あの怪物……起きているかもしれない」
「何と。やってしまうしかないですか」
「それは、避けたい。……動きが鈍い。まだ雨は遠いのでしょう。刺激しないよう、怪物を迂回しましょう。森の方にも、入り込みすぎないよう。おそらく森の中も見えないけど怪物達が集まってきているはず」
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