彼とのキスは、乾杯のあとで。

天海 時雨

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出会いは、ブルーでしたか?

涙色、ギムレット

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「じゃあ、杉本君」
「はい。今日もお疲れ様でした、社長」

 色とりどりのネオンが夜景にきらめくこの都市──東京で、杉本すぎもと さきは働いている。

「今日は確か結婚記念日でしたか」
「あぁ、よく覚えているね、そうなんだよ。今日ぐらいは早く帰ってやりたくてね」

 初老しょろうぐらいだろうか、白髪混じりの短くられた髪をかきながら苦笑した男。どうやらこの男は咲の上司のようだ。

「じゃあ、気をつけて帰れよ」
「はい、ありがとうございます」

 人のいい笑みを見せて、車に乗った上司を見送る咲。しかし車が発進したとたん──表情は自虐じぎゃく的なものに変わった。

「……いったい何を気をつけろってのよっ! 私に変な目向ける奴なんか一人もいないっつーのっ」

 肩甲骨けんこうこつあたりまで伸びたストレートの黒髪、両耳につけた水色のピアス、紺色のスカートタイプのスーツを着こなすこの女性が、咲だ。

「それに、結婚記念日だろうとなんだろうと早く帰ってんじゃねぇかっ」

 ぶつぶつと毒を吐きながら、会社に戻っていく咲。彼女の後ろ姿を見つめる不埒ふらちやからがいることを当の本人は知らず──気づいているのは、彼女の上司しかいないのだ。

「あー、咲。上がり?」

 デスクに置かれた大きなパソコンから茶髪がのぞく。

「仕事終わったからね。ちょっと今日はスッキリしたくて」
「私も終わったから、一緒に行ってもいい? いつものバーでしょ?」
「そうそう、でも梨紗りさ大丈夫? こないだから彼氏出張でしょ?」
「大丈夫だって、咲の家に泊まるし」

 咲と親しげに話す女性は、松野まつの 梨紗りさ。咲の同僚であり、親友と言える。軽くカールしている髪は染めているようには見えず、生まれつきということがうかがえる。

「もー……まぁ、梨紗の布団はあるけど」
「それに着替えもあるしね」
「ほぼあんたの家よ……ほら、着いたわよ」

 二人の勤めている会社からほど近いバー、『GAZEゲイズ』。日本語に訳すると『見つめる』という意味のこの言葉がつけられたこのバーは、付近にあるビルとは違った雰囲気をかもし出している。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 案内をする男の店員。片耳に微妙なグレーのピアスをつけており、少し軽そうに見える──そう考えた咲を、低めの声で現実に引き戻したのも、その店員だ。

「『GAZE』へようこそ」
「……どうも。『ブルー・ラグーン』」
「ありがとうございます。そちらの方は?」
「あー……私は、『スクリュー・ドライバー』かな」
「かしこまりました」



「……ったく、梨紗いつもそれだね」
「咲だって、最初はいつも『ブルー・ラグーン』じゃん」
「まぁ、好きだからね……」

 そう甘くなく、さっぱりとしたその『ブルー・ラグーン』が、咲は好きだ。鮮やかにける青い液体、浮かんでいるあかいチェリー。南国のようなイメージを受ける『青い湖』は、咲のいつものお気に入りになっている。

「お待たせしました、『ブルー・ラグーン』と、『スクリュー・ドライバー』です」
「ありがとうございます……乾杯」
「かんぱーい」

 カツーン、とグラスが鳴る。

「…………」
「ん、くっ……そういえばお兄さん、新人? 私は見たことないけど」
「梨紗……あんた早速酔ってんの? まぁ、スクリューなんて飲んだらそうなるか……」
「いえ、結構前からいますよ。お客様がいらっしゃってるの見たことあります」
「じゃあ梨紗が酔ってんの見られてたね。あははっ」

 『スクリュー・ドライバー』のアルコール度数は約十二パーセント──『ブルー・ラグーン』の約二十五パーセントよりは弱めなお酒だが、そのために易々やすやすと飲み続けてしまうので、酔いやすい。

「飲みやすくて酔いやすいですからね……あ、俺はナニモミテマセン」
「ふふっ、れんさん嫉妬しっとしちゃうかもね。梨紗。溺愛できあいされてるし」
「怖いこと言うな……ガチの方で、嫉妬されたらやばいからね?」

 マジでやばいから──その梨紗の話のネタはほぼ惚気のろけに近い、と咲は思う。幸せならそれでもいいんじゃないか、と思ってはいるものの────。

「咲はなんで彼氏作らないのよぉ」
「別に……いらないし」

 作る──モノのような言い方だが、咲は恋愛を求めていないのだ。

「またまた……もううちら二十一だよっ?」
「ははっ、まだ大丈夫ですよ。俺も二十一ですけど、この『GAZE』のオーナー、四十一ですから」
「四十一!? まさか独身じゃないよね……?」
「そのです。酒に恋したみたいですね──っと、次の御注文ですか?」

 頬杖ほおづえをつきながらメニューをながめる咲。まだ酔ってはいないようだ。

「んー……甘いのがいいな……『ズーム』、お願いできますか」
「かしこまりました」

 ブランデーに蜂蜜はちみつと生クリームを加えシェイクし、出来上がったカクテルは『ズーム』。『ブルー・ラグーン』や『スクリュー・ドライバー』よりも甘いカクテルである。

「……お客様、酒豪しゅごうですか?」
「そういうわけでもないけど……まぁ、強いのかもしれませんね」

 グラスを傾けながら言う咲。耳元の水色の丸いピアスが、バーの照明に反射して輝いている。

「えー、咲めっちゃ強いじゃーん。こないだあんっなに飲んだのに、二日酔いもそうでもなかったっぽいし」
「梨紗、あんたは飲みすぎ。彼氏に怒られるよ」
「うっ……」

 梨紗の彼氏の名前は竹内たけうち れん。梨紗と同じ会社の海外事業部に勤めている、いわゆるだ。

「だ、大丈夫だし。出張だもん」
「たかが中国でしょ……竹内なら早く終わりそう」
「……それは、それで嬉しいけどね? お兄さん、少し強いお酒くれないかな」

 へへっ、と苦笑しながらバーテンダーに注文した梨紗。なぜだろうか──目がうるんでいる。

「……どしたの? 梨紗らしくない」
「ちょ、っとね……ケンカ、しちゃって。意外と別れの危機なのかなって、自分でもって分かってるけど」
「どしたの」
「…………」

 黙り込んだまま、バーテンダーから受け取ったグラスを傾ける梨紗──カクテルの色は、透明に近い。『ギムレット』だ。

「……なんだろうね、不安になったのかな」
「何、あのおつぼねさんに何か言われた? あの人は婚期のがしてるからひがんでるだけだよ、大丈夫」

 二人の勤める秘書課には、よわい三十五の通称『おつぼねさん』がいる。小太り、つり上がった目がいつも何かを威嚇いかくしているように感じる──実際、性格もかなりきついが──そんな女性だ。

「……書類で失敗しちゃって。寝不足だったこともあるんだけど、『調子に乗るな』って言われちゃって。それで沈んでたら、空気悪くなってケンカしちゃって……ね? 私らしくないよね」

 また、笑う。その笑いは、誰に向けてのものなのだろう。

「……竹内なら、きっと大丈夫だよ。それに、社長が言ってたよ。そろそろお局も異動だなって」
「マジか……」
「だからほら、そんな顔しないの。帰る?」
「咲が帰りたいなら、帰ってていいよ。私はもうちょっといたいから」
「あんたを置いて帰れるかっつーの。飲みたいだけ飲みなよ、吐かない程度にね?」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ……『ファジー・ネーブル』二つくれますか?」
「かしこまりました」

 桃のやさしい味わいと新鮮なオレンジ──梨紗の好きなカクテル、『ファジー・ネーブル』。先ほどの涙色を吹き飛ばすような鮮やかなオレンジ色だ。

「元気だしなってば。ほら……ったく」
「……うん、ありがと」
「ツケでもいいですよ」
「ほら、ツケでもいいって! もうすぐ給料日だし、二人でどっか行こうよ!」
「それ、蓮にも言われた……ははっ」

 もはや、笑いは乾いている。

「あ……」
「元気出さないと、せっかくのお酒がぬるくなってしまいますよ。それに、男は彼女に何も言われない方が嫌ですから」
「あら……経験が豊富なようで」
「これでも高校時代はモテましたからね、俺」

 ふふんと笑い、自分で作ったのであろう酒が入ったグラスを傾けるバーテンダー。

「あ……一応職務中なんですよね?」
「俺、もうすぐ上がりなんです。家も近いので問題ないし」
「へぇ、そうな──あーぁ、寝ちゃってる」

 ふと咲が梨紗を見た時、既に梨紗はしまっていた。

「運べないしな……申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です──あ、いらっしゃいませ」
「どうも……あ、悪いな、杉本」
「ったく……やーっと迎えが来たよ」

 現れた長身の男性。どうやら、彼が梨紗の彼氏のようだ。

「ここにいると思ったのは外れてなかったか」
「まぁね……今日は梨紗も大変だったみたいだし」
「え……何かあったのか」

 バーチェアーに腰掛ける、蓮。目鼻立ちははっきりしているが、温厚そうな雰囲気だ。

「なんてね、今日は何もなかったけど……少し自爆しそうになってたからねー」
「…………」
「ケンカしたんだって?」
「あ、あぁ」
「少しは気持ちんでやらないと、すぐ溢れるからね、梨紗。今日の昼休み『残業しようかな……徹夜したい』なーんて、マジな顔で言ってたから、ここに連れてきたのよ」
「……俺がいなかったからか?」
「いてもいなくても、あんたには言わなかったかもね? 悩みの種に悩みを言う馬鹿じゃないわよ」
「あ、あの……御注文はありますか?」
「あ、いや、俺は車だから。水でいい」
「かしこまりました」

 ふぅ、とため息をつきながら、横の彼女の髪を撫でる蓮。表情には少しの呆れが混じっているが──その大半は、愛しさだろう。

「そんな顔するなら、さっさと連れて帰って仲直りすることね。秘書課のお局は知ってるでしょ?」
「あぁ、前に言い寄られたことがある」
「げっ……マジか。年下好みなの……? いい歳してるくせにね。で、まぁ、そいつに嫌味を言われたらしく。落ち込んでる時にさらに竹内と空気悪くなって、吐き出し口が狭まった訳──ほらほら、さっさと帰った帰った。お会計できますか?」
「はい、えっと──」

 ギムレット──涙色の透明な美酒は、飲み干された。
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