彼とのキスは、乾杯のあとで。

天海 時雨

文字の大きさ
4 / 21
出会いは、ブルーでしたか?

悲しみ色、オールド・クロック 翔、咲side

しおりを挟む
「あの大きなビルで仕事をしてる、秘書さんらしい。いつもは同僚ときてるのにねぇ……それに、『エメラルド・ミスト』なんて強い酒……あの子、あんまり強くなかった気がするんだよな、こういう時に限って」

 あの時も、透明な青いカクテルを飲んでいた。甘口の青い、でも強めの酒。あの時目ににじんでいた透明の液体さえも、彼女のオーラに染められて青になりそうだった。

「……めちゃくちゃ綺麗な人っすね」

 悪企わるだくらみをする顔で言った俺の同僚。明らかに口説くどこうとしているのが見え見えだった。

「まぁな。彼氏はいないらしいけど、お前はやめとけよ。あの子人嫌いっぽいから、他人に話しかけられるとすぐいなくなっちゃうし」
「嫌いなんすかね?」
「なんかまぁ……いろいろあったんだよ、昔な」
「オーナー知ってるんですか? 話してくださいよ」
「お前、アホか。お得意さんの秘密、ずばずば話すわけねぇっつーの。お前にゃ無理だよ」
「無理って何がっすか」

 単純に唇を尖らせる、不満げな男の顔。何も知らないあの人は、優雅に『エメラルド・ミスト』を飲み続ける。

「お前、話しかけるつもりでいたろ? ばっさり切られてしまいだぞ、あの子の同僚に。下手したら慰謝料いしゃりょうだ」
「はぁっ? なんでですか」
「『外見だけで判断するようなクソ男に任せるわけないでしょ、カス。オーナー、クビにして? うちらが来なくなってもいいっつーなら別だけど』ってな」
「……や、やめとくっす」
「おう、やめとけ」

 ドン引きした同僚に、オーナーはけらけらと笑っていた。高校時代女には困らなかった俺は、そんな話どうでもいいと気にも留めず、グラスを磨いていたが──彼女、杉本咲を目に留めたらそうもいかなくなったんだ。

「っ……」
「その同僚オトシても無理っすか」
「お前、とことんアホだな。同僚さん──あー、松野さんには彼氏がいるよ。溺愛されてる」
「うーっ、やっぱり無理っす──」

 同僚の悔しげな言葉を遮った──甘い甘い声。

「……オーナー、頼める?」
「ん? なんだい」
「……『ミント・ジュレップ』」
「はいよ。今日はお友達は?」
「……足腰立たなくて一日中ベッドの中って呟いてた。また嫉妬されたってさ」
「うわ……彼氏さんもすごいねぇ」

 声さえも、耳に心地よく入ってくる。話している内容は──まぁ、アレだが。

「はい、ミント。今日はよく飲むね」
「元彼と会っただけ……少し酔いたい」
「咲ちゃん強いからねぇ、もう少しはいけそうだけど無理しないで」
「大丈夫」

 私事で帰った同僚を見送ったあとも、咲さんはいた。

「あの子はそれなりに強いよ……もう『エメラルド・ミスト』が終わったんだ。あれは二十五度以上ある、結構強い酒なんだよ」
「へぇ」
「珍しい。翔は興味ないか? 咲ちゃんに」
「まぁ、綺麗な人とは思いますけど……高嶺たかねの花かなって」
「ふーん、高嶺の花か……話してみるとそうでもないんだけどね」
「そうなんですか。……あ、呼んでますよ。どうかしましたか?」
「……今日は帰るね。だいぶ酔ったから」
「ほい、じゃあ会計だね」

 左肩に流している長い黒髪を揺らしてあの人が出て行ったそのすぐあと、俺は帰った。追いつけるかもしれないって、心の奥底では思っていたのかもしれない。
 数年って同僚が辞めても、俺はあの人に話しかけることはなかった。今日が初めてだった。

「……高嶺の花か」

 偏見だったかもな、と思う。冷たくて何も言わない氷でもないのに──『おやすみなさい』の声は、とても甘かったのに。

「うあーっ、もう!」

 分かってる、あの時から惚れてた。好きだったことは認めるけど、外見だけに恋をしたような気がして、気持ちに嫌悪感があったんだ。

「性格までいいって、なんなんだよっ……!」

 もう、どうにもできない。そう翔が覚悟した頃、咲はというと────。

「……はぁ、疲れた」

 入浴し、ベッドの上で落ちかけていた。

「……そろそろ、染め直さなきゃな」

 彼女の髪は、蜂蜜はちみつ色から黒髪に染められている。それだけではない、ブランデー色の瞳はカラーコンタクトでカバーされており、ゆるい螺旋らせん状のはずの髪はコテによって強制的にまっすぐにさせられていた──高校時代からの、咲の日常だ。
 日本へ移住してきた時のを、咲は絶対に忘れない。
 中学校に編入してきた途端に、見ただけでそれと分かる外国人の血でからかわれ、気を抜けば出てしまう英語でものを考え、口に出してしまう。もちろんそれを素直に『すごい』などと言う人間は、思春期ただなかの生徒たちの中にはいなかった。
 気づけば、いじめに発展していた。ぐちゃぐちゃのマーブリングのようになった絵の具の中に、画鋲がびょうがいくつも入っている。そんなモノが上履きに入っていることは日常茶飯事、ロッカーや筆箱に入っているものをご丁寧にばらばらに隠されたこともある。暴力も、ないと言ったら嘘になった。
 そんな地元から離れるために受験した高校に合格できたと知った、直後──両親の離婚。
 理由は、父親の不倫だった。
 献身的に父親の世話をしていた母親がみるみる憔悴しょうすいしていくのを、指をくわえて見ていることしかできなかった咲は、負担をかけないためにと第一志望校ではなく全寮制ぜんりょうせいの第二志望校に入学した。
「…………」

 その母親も、数年前に死んだけれど。

「……独り身か」

 私には、ある意味で良かったのかもしれない。そう思った時、咲のスマートフォンが音楽を奏でた。

「ぅわっ……え、梨紗?」

 『起きたなう。あのお兄さんに声かけられてない? ないならいいんだけど』

「ったく、どんだけ過保護……そんな物好きいないってば」

 暴力を振るう人も、裏切る人も、見分けられるようにはなった──そう思ってもいいとは思う。

「『そこまで自過剰じかじょうじゃない』っと……んぁ?」

 すぐに来た返信。

「『あんたはそろそろ自覚しろ』って、何をよ……」

 くるくると髪をもてあそびながら、ほろ酔い加減の頭で考える──もちろん、正常な思考とは言いがたいが。

「ふーぅっ、寝よっ……」

 明日も、『GAZE』に行こうかな。そんなことを考えたのち、咲の意識は消えていった──だがそれは、そのうちに遮られる。

「んう、いっ……!」

 はぁっ、はっ。激しい呼吸が落ち着いた後、脱力してベッドに倒れこんだ。その顔色はもともと色白い咲をさらに病的に見せ、いつの間にかまなじりからは涙がこぼれていた。

「っ、なんだ、夢かっ……!」

 あの日──違う。日、なんかじゃない。あの、地獄のを、やっとの思いでくぐり抜けた、そう思ったのに──襲ってきたのは、悪夢だった。
 あの日々の記憶が、冷たい吹雪のように舞い戻ってくる。あの真っ赤な絵の具、鈍色にびいろの画鋲、上履きの薄く汚れた白、閉じ込められた暗闇。
 脳の激烈げきれつな痛みをともなって、それのまた繰り返し。

「…………」

 こうやって手に握る睡眠導入剤も、もう会社用のバッグに入れてそのままだ。

「いっ、つー……」

 ずっと、ずっと昔から、時計は止まったまま。
 もう慣れたようになってしまったけれど、痛みはいつも激しくて耐えられない。痛みに慣れるなんて、無理だった。

「ふ、うぅーっ……!」

 ピリリリッと、また着信音が響いた。梨紗からのものとは違う、無機質な音。その瞬間、また咲の表情が歪んだ。
 『来月の十二日、おいで願えますか』。
 そう画面に表示された記号の羅列られつは、咲の睡眠導入剤の過剰服用かじょうふくようを促してしまった事がある。

「う、あぁぁっ!」

 苦しさに叫んだ咲のく声を、誰も聞いた者はいなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。

クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。 3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。 ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。 「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?

Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。 簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。 一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。 ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。 そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。 オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。 オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。 「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」 「はい?」 ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。 *--*--* 覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾ ★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。 ★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓ このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。 第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」 第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」 第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」 どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ もしよかったら宜しくお願いしますね!

貴方だけが私に優しくしてくれた

バンブー竹田
恋愛
人質として隣国の皇帝に嫁がされた王女フィリアは宮殿の端っこの部屋をあてがわれ、お飾りの側妃として空虚な日々をやり過ごすことになった。 そんなフィリアを気遣い、優しくしてくれたのは年下の少年騎士アベルだけだった。 いつの間にかアベルに想いを寄せるようになっていくフィリア。 しかし、ある時、皇帝とアベルの会話を漏れ聞いたフィリアはアベルの優しさの裏の真実を知ってしまってーーー

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...