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第四部
クリームを舐め取って
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再びラウンジに戻る頃には、来た時よりもさらに多くの人が集まっていた。エレベーターから降りたユーリに、なんだか偉そうな人たちが次々に声をかけてくる。
それに笑顔で受け答えしながら、時に僕を「恋人」とちゃっかり紹介しながら笑うユーリ。普段の僕なら恥ずかしさで顔をぶん殴ってやるところだけど、今の僕にはそんな余裕がこれっぽっちもない。
背中に嫌な汗がだらだらと流れ落ちるのを感じながら、僕もまた、薄っぺらい笑顔を向けるしかなかった。
一番奥のテーブルに着く。広めのテーブルに、広めのソファがふたつ。二人で向き直って座るには少し大きいけれど、やっとこれで少しだけ肩の荷が落ちたと安堵した。
そうして運ばれてきたのは紅茶と、テレビでよく見るような三段のケーキやお菓子が乗った容器。僕は思わず「何これ」と疲れが入り混じった声を出した。
「何って、アフタヌーンティー」
さらりと言ってのけるユーリとは反対に、僕は、何度でも言うが、こういうのを見たことがない。さっきまでの疲れもあって、正直食欲もあったもんじゃないし。
「はぁ……。ごめん、あんまり食欲がない。どこから食べればいいかもわかんないし」
「そう? んー」
ユーリが自然な動きで隣へと座る。それから適当なケーキを取り皿へと移すと、それを小さく切って「あーん」とフォークをずいと差し出してきた。
「え? えぇ?」
「美味しいよ、たぶん」
「そういう問題じゃ……んぐっ」
半ば無理やりケーキを突っ込まれて、僕は仕方なく口を動かした。満足げなユーリが「はい」と次のケーキを口へと入れる。
「ん、ん……、ま、って」
「ふふ、クリームついてる」
ユーリが顔を近づけ、口の端についたクリームをぺろりと舐め取った。やけに甘いのは、クリームのせいだと思いたい。
と、視界の端に何人かこちらを見ていることに気づいて、僕は小さな悲鳴を上げて咄嗟にユーリから離れた。
「み、みみみ見られて」
「まぁ、俺が他人にこんなことするなんてないしね。こんな表情も見せたことないよ」
ユーリは取り皿をテーブルに戻してから、手を伸ばして僕の指を絡め取る。指を撫でる動きがやけに煽情的で、僕の口からも自然と甘い息が零れてしまう。なのに、ユーリは空いた手で優雅にカップに口をつけるものだから、まるで僕だけが変なのかと耳まで真っ赤になる。
もういっそ、誰か話しかけてでもしてくれないかな、なんて思いながらテーブルに乗った食べかけのケーキを見つめていると。
「ユーリ、そこらでやめておきなさい」
落ち着きのあるテノールの効いた声に、僕は顔を上げた。ユーリと同じ金の髪を撫でつけ、空色の透き通るような目をしたその人は、ひと目でわかる。ユーリのお兄さんだ。
「はいはい、わかりましたよっと」
ユーリは渋々絡めていた指を離して、僕から少しだけ距離を取った。
僕は慌てて「こんにちは!」と立ち上がろうとして、ゴンッと膝をテーブルにぶつけてしまった。反動でカップから紅茶が溢れ、綺麗に盛りつけてあったお菓子が崩れた。
「あっ」
しまった。まさかこんな場所でこんなことをしてしまうなんて。慌てて倒れたカップを戻そうとして、予想外に熱かった紅茶に「あっつ!」と手を引っ込めてしまう。
あぁもう本当に最悪だ。だからこんなとこ来たくなかったのに。
情けなさで涙が出てくる。ユーリが何か言ってるけど、周囲からの視線のが痛くて何も聞こえやしない。けれどその中で「ふふ」と笑うお兄さんの声が聞こえて、僕は目に涙を浮かべたままで視線を上げた。
「いや、すまない。ちょっと、思ってたより、その、そそっかしい方だなと……」
「それは、その」
「安心してください。そちらはすぐに片付けさせますので」
お兄さんが言った通り、すぐにホテルの人が来て違う席へと案内され、新しいものが運ばれてきた。僕とユーリが並んで座り、反対側にお兄さんが座る。ユーリの顔が渋そうだけど、お兄さんは慣れているのか嫌そうな顔ひとつしない。
「改めて、始めまして。わたしは有志家嫡男、有志琉乃と申します。四天リヒトくん、でしたね」
「は、はい……」
さっきのこともあって、僕は背中を丸めて縮こまるしか出来ない。それを見たお兄さん、ルノさんがまた軽く笑う。
「そんなに畏まらないでください。なんというか、記憶の中の貴方と違いすぎて、その、笑いが……ふふっ」
「それは、その、大変申し訳なく……」
「あぁ、違うのです。貴方は覚えておりますか? わたしが幼い頃に、貴方と会ったあの日を」
隣のユーリが「初耳だけど」と言うのを宥めて、僕は記憶を手繰り寄せる。ユーリ以外に金髪の子供と会ったことなんて……。
「あ。もしかして、愛犬の……?」
「えぇ、そうです。どうですか? あの時の答えを、今の貴方ならお持ちではないのですか?」
ルノさんの言葉に、僕はちらりとユーリを見上げる。変わらず不貞腐れているユーリを見て、僕は少しだけ頬が緩んだ。それから今度は、こちらから手を絡めて「はい」とルノさんに微笑む。
ユーリが「何が」と言うのを「後で」と口に人差し指を当てて悪戯っ子みたいに笑ってやる。いつもやられているのだ、これくらいいいだろう。
「それはよかった。ではまたディナーでお会いしましょう」
そう席を立ったルノさんを見送る。ユーリが終始ぶすっとしていたのが、少しだけ可笑しかった。
それに笑顔で受け答えしながら、時に僕を「恋人」とちゃっかり紹介しながら笑うユーリ。普段の僕なら恥ずかしさで顔をぶん殴ってやるところだけど、今の僕にはそんな余裕がこれっぽっちもない。
背中に嫌な汗がだらだらと流れ落ちるのを感じながら、僕もまた、薄っぺらい笑顔を向けるしかなかった。
一番奥のテーブルに着く。広めのテーブルに、広めのソファがふたつ。二人で向き直って座るには少し大きいけれど、やっとこれで少しだけ肩の荷が落ちたと安堵した。
そうして運ばれてきたのは紅茶と、テレビでよく見るような三段のケーキやお菓子が乗った容器。僕は思わず「何これ」と疲れが入り混じった声を出した。
「何って、アフタヌーンティー」
さらりと言ってのけるユーリとは反対に、僕は、何度でも言うが、こういうのを見たことがない。さっきまでの疲れもあって、正直食欲もあったもんじゃないし。
「はぁ……。ごめん、あんまり食欲がない。どこから食べればいいかもわかんないし」
「そう? んー」
ユーリが自然な動きで隣へと座る。それから適当なケーキを取り皿へと移すと、それを小さく切って「あーん」とフォークをずいと差し出してきた。
「え? えぇ?」
「美味しいよ、たぶん」
「そういう問題じゃ……んぐっ」
半ば無理やりケーキを突っ込まれて、僕は仕方なく口を動かした。満足げなユーリが「はい」と次のケーキを口へと入れる。
「ん、ん……、ま、って」
「ふふ、クリームついてる」
ユーリが顔を近づけ、口の端についたクリームをぺろりと舐め取った。やけに甘いのは、クリームのせいだと思いたい。
と、視界の端に何人かこちらを見ていることに気づいて、僕は小さな悲鳴を上げて咄嗟にユーリから離れた。
「み、みみみ見られて」
「まぁ、俺が他人にこんなことするなんてないしね。こんな表情も見せたことないよ」
ユーリは取り皿をテーブルに戻してから、手を伸ばして僕の指を絡め取る。指を撫でる動きがやけに煽情的で、僕の口からも自然と甘い息が零れてしまう。なのに、ユーリは空いた手で優雅にカップに口をつけるものだから、まるで僕だけが変なのかと耳まで真っ赤になる。
もういっそ、誰か話しかけてでもしてくれないかな、なんて思いながらテーブルに乗った食べかけのケーキを見つめていると。
「ユーリ、そこらでやめておきなさい」
落ち着きのあるテノールの効いた声に、僕は顔を上げた。ユーリと同じ金の髪を撫でつけ、空色の透き通るような目をしたその人は、ひと目でわかる。ユーリのお兄さんだ。
「はいはい、わかりましたよっと」
ユーリは渋々絡めていた指を離して、僕から少しだけ距離を取った。
僕は慌てて「こんにちは!」と立ち上がろうとして、ゴンッと膝をテーブルにぶつけてしまった。反動でカップから紅茶が溢れ、綺麗に盛りつけてあったお菓子が崩れた。
「あっ」
しまった。まさかこんな場所でこんなことをしてしまうなんて。慌てて倒れたカップを戻そうとして、予想外に熱かった紅茶に「あっつ!」と手を引っ込めてしまう。
あぁもう本当に最悪だ。だからこんなとこ来たくなかったのに。
情けなさで涙が出てくる。ユーリが何か言ってるけど、周囲からの視線のが痛くて何も聞こえやしない。けれどその中で「ふふ」と笑うお兄さんの声が聞こえて、僕は目に涙を浮かべたままで視線を上げた。
「いや、すまない。ちょっと、思ってたより、その、そそっかしい方だなと……」
「それは、その」
「安心してください。そちらはすぐに片付けさせますので」
お兄さんが言った通り、すぐにホテルの人が来て違う席へと案内され、新しいものが運ばれてきた。僕とユーリが並んで座り、反対側にお兄さんが座る。ユーリの顔が渋そうだけど、お兄さんは慣れているのか嫌そうな顔ひとつしない。
「改めて、始めまして。わたしは有志家嫡男、有志琉乃と申します。四天リヒトくん、でしたね」
「は、はい……」
さっきのこともあって、僕は背中を丸めて縮こまるしか出来ない。それを見たお兄さん、ルノさんがまた軽く笑う。
「そんなに畏まらないでください。なんというか、記憶の中の貴方と違いすぎて、その、笑いが……ふふっ」
「それは、その、大変申し訳なく……」
「あぁ、違うのです。貴方は覚えておりますか? わたしが幼い頃に、貴方と会ったあの日を」
隣のユーリが「初耳だけど」と言うのを宥めて、僕は記憶を手繰り寄せる。ユーリ以外に金髪の子供と会ったことなんて……。
「あ。もしかして、愛犬の……?」
「えぇ、そうです。どうですか? あの時の答えを、今の貴方ならお持ちではないのですか?」
ルノさんの言葉に、僕はちらりとユーリを見上げる。変わらず不貞腐れているユーリを見て、僕は少しだけ頬が緩んだ。それから今度は、こちらから手を絡めて「はい」とルノさんに微笑む。
ユーリが「何が」と言うのを「後で」と口に人差し指を当てて悪戯っ子みたいに笑ってやる。いつもやられているのだ、これくらいいいだろう。
「それはよかった。ではまたディナーでお会いしましょう」
そう席を立ったルノさんを見送る。ユーリが終始ぶすっとしていたのが、少しだけ可笑しかった。
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