小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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豪宴客船編

原木本楠二郎

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 クイーン・アグリッピーナ号の船体中心にあるセントラルパーク。そのさらに中心からは、強い衝撃が断続的に発生していた。
 非情な格闘大会のために用意されたコンクリート製のリングはもはや無い。無数の瓦礫がれきと化し、リングだった面影もなく散らばるのみだ。
 セントラルパークに面した部屋のガラスも、残さず全て割れていた。リングが一撃の下に砕かれた際、衝撃の余波を受けてしまったためだ。
 ついでに大会の審判はといえば、パークの端に植えられた木に正面からぶつかり、その根元で未だに目を回している。
 すでに格闘大会としてのていなど、周囲の状況同様に崩壊してしまっているが、それを気にかけることなく闘い続けている二人がいる。
 大会の『特別枠』として招待された、ミネルヴァ・カピトリーノこと戦女神アテナと、『シード枠』として参戦した鬼の末裔、原木本楠二郎ばらきもとくすじろうの二人だ。
 砕けたリングの中心、その一円の瓦礫を払い、そこで強力な拳撃の応酬が続く。
 拳が受け止められる度に、地響きのような衝撃が生まれ、パーク全体を揺らした。
 観客席にいる者も、パークに面した部屋から観戦する者も、はたして自分が何を見ているのか、理解できている者はほとんどいない。血で血を洗う殺し合いも、常人なら目を覆いたくなる残酷ショーも観てきたクイーン・アグリッピーナ号の乗客たちですら、目の前で繰り広げられているものを信じられない目で見つめていた。
 人智を超えた、神代の力比べそのままの戦いを。

 決勝戦が本格的に始まったものの、アテナと楠二郎の闘いは非常にシンプルな形で続いていた。
 片方が拳を繰り出せば、もう片方がそれを防ぎ、さらに返すように拳を繰り出し、また防ぐ。多少、位置取りは変えたりもするが、双方は『殴る』と『防ぐ』を交互に繰り返すようにしていた。
 ただ、それが普通の打ち合いに見えないのは、二人とも尋常ではない膂力りょりょくを拳に乗せているため、相手の拳を受け止める度に地響きのような衝撃が起こっているからだった。
 それだけでも確かに凄まじい闘いなのだが、実際に打ち合っている二人にとっては、より苛烈なせめぎ合いが続けられていた。
 互いに膂力も武技も卓越していることを認めている二人は、相手の決定的なすきを常に狙っているのだ。
 観客たちには二人が激闘を繰り広げているように見えているが、二人にとってはまだ探り合いの軽い小手調べに過ぎない。
 一撃一撃に隙を見せそうな点を選び、しかして隙を見せないよう巧みに防ぐ。
 二人が単に拳のみで打ち合っているのは、蹴りなどの足技を使って隙を見せないよう、最小限の攻撃で相手の隙を作るためであった。
(この男、やはり相当な武練。これほど打ち合って一向に隙をさらさないとは)
 アテナもまた、過去に武技に優れた相手と闘ったことは幾度となくあった。その際に、隙の探り合いをすることもままあったが、それでもアテナと打ち合いを続けられる者は数えるほどしかいなかった。
 楠二郎はアテナとの拳の応酬を、ゆうに五分は継続し、さらには隙を一切見せていない。
(パラスとの槍の修練を思い出しますね。手強い)
 アテナの拳には、これまでの対戦相手を沈めてきた以上の力が込められている。が、楠二郎はその拳を的確にいなし、防御し、アテナに打ち返すという武威まで見せつけていた。
 楠二郎の宣言はともかくとして、戦女神を相手に放言するに足る実力は、アテナも賞賛に値すると考えていた。
(しかし、このまま探り合いを続けるつもりもない!)
 楠二郎が放った右正拳に、アテナは左掌をそっと添えて受け流す。そこで一歩間合いを詰め、楠二郎の右腕に交差させるように右ストレートを撃つアテナ。
 当然、楠二郎も真っ正直に受けるつもりはない。体を反転させ、アテナの拳が向かう先に左腕を差し挟む。
 そのままのコースで進めば、アテナの右拳は楠二郎の肘付近の前腕で防がれる―――はずだった。
 アテナは楠二郎がその防御体勢を取ることを見越していた。拳が当たる直前、アテナは右拳にねじり込む回転を加えた。ただ衝突させるのではなく、皮膚と筋肉を巻き込み捻るという一手を加えたのだ。
「ぐお!」
 予想しなかった痛みにうめく楠二郎。その体がわずかに硬直する瞬間を、アテナは見逃さなかった。
「はっ!」
 楠二郎の右の肋骨を狙い、アテナは左フックを打ち込んだ。
「がはっ!」
 肋骨が三本まとめて折れ、楠二郎はよろめく。とどめのフィニッシュブローを額に見舞うべく、アテナは右拳を引いた。
「!?」
 だが、その右拳は放たれることはなかった。楠二郎の歯を剥きだした笑みに、アテナは拳を出すことを躊躇ちゅうちょした。
(! しまった!)
 楠二郎への攻撃がきまったアテナは、間合いに入り込みすぎていた。楠二郎が肋骨を折られることも読んでいたなら、間合いに入りすぎたアテナの方が不利になる。
「くっ!」
 反撃を受ける前に間合いを取ろうとするが、アテナが踏み出していた左足は、楠二郎が右足を絡め、退がれないようにしてしまっていた。
「けぁ!」
 アテナの止めた足を起点に、楠二郎の左正拳がアテナの鳩尾みぞおちに入った。
「ぐっ!」
 少し前かがみになったアテナに対し、楠二郎は手刀を振りかぶる。アテナの頭頂に剛剣の如き唐竹割りを落とすつもりだった。
「は!」
「うぉ!?」
 楠二郎の唐竹割りを察知したアテナは、絡められていた足を強引に引いた。バランスを崩された楠二郎は、背中から倒れて隙だらけの状態にされてしまった。
「はっ!」
 倒れた楠二郎に対し、今度はアテナが鳩尾に拳を打ち下ろす。
「ぐぼあ!」
 鳩尾の肉がひしゃげ、胃がつぶれ、楠二郎は口から血を吹いた。
 アテナは打ち込んだ拳を引こうとしたが、その手首を楠二郎の左手が掴んだ。
「!?」
 吐血で汚れた口元を歪め、楠二郎は凄惨な笑みを浮かべる。空いた右手で手刀を作り、アテナの喉元のどもと目がけてを放った。
「くっ!」
 右手首を掴まれているアテナは、回避する方法が限られてしまっている。
 貫き手が喉に到達するより速く、アテナは体を後ろに反らせた。
 鋭い手刀がアテナの額をかすめ、数本の前髪が宙に舞う。
 不安定な体勢になりながらも、アテナは右手首を掴んでいる楠二郎の左腕を蹴りにかかる。威力は期待できないが、把握をゆるめさせるには充分な足がかりになるはずだった。
 しかし、それも読んでいたのか、楠二郎はあっさりとアテナの手首を離した。
(なっ!)
 空振りに終わった蹴りによって、アテナはさらに不安定な体勢に追い込まれた。そこを楠二郎は見逃さなかった。
「っしゃあ!」
 即座に立ち上がり、ガラ空きになったアテナの背部に蹴り込みを入れようとする。
「ぬっ!」
 楠二郎の動きに気付いたアテナは、さらに体をひねり、楠二郎の蹴り込みに対してひじ打ちで返した。これも威力はほとんどないが、背に直接蹴りを受けるよりはずっと軽く済む。
「くっ!」
 完璧な型の蹴り込みと、苦し紛れの肘打ちでは、やはりアテナの方が押し負けた。楠二郎の蹴りの威力に、体もろともはじき飛ばされた。
 それでも空中で姿勢を戻し、第二撃に残心ざんしんしながら着地する。
 楠二郎も間合いを取られた上に構え直されたのでは、それ以上の追撃を行うことはできなかった。蹴り足を戻し、自然体になってゆっくり息を吹いた。
(武術の冴えにのみ気を取られては、逆に飲み込まれてしまう。侮れません。あの再生力……いえ、復元力は)
 息を吹き終わった楠二郎の身体からは、右脇腹のあざも、鳩尾の打撃痕も、すでに何事もなかったように消え失せていた。アテナが間合いを取るまでの時間で、折れた肋骨も、えぐれた鳩尾も、即時復元してしまったのだ。
 逆にアテナの額からは、細い一筋の血が流れていた。楠二郎の貫き手の鋭さは、かわしてなおアテナの額に傷を作ってみせたのだ。
多頭蛇ヒュドラほどではなくとも、傷を負った直後には細胞が活性化するようですね。単純な打撃では通用しない。まるで『培養ハザード』の『ネーメジス』を相手取っているような気分です)
「けっこう効くなぁ。俺じゃなけりゃ肋骨アバラをやられた時点でアウトだったぜ」
 楠二郎は両肩と首を回し、殊更ことさらダメージがないことをアピールした。
「いや、裏拳をくらった時点で、だな。あれもなかなかのモンだった」
 自身の左頬を撫でながら、楠二郎はアテナをちらりと見た。
「そんな細腕でこれだけの力と技を持ってるとは。大したモンだぜ、女神サマ」
「……お褒めに預かり……」
 楠二郎が純粋に会話を試みているだけだとわかったので、アテナも簡潔に応えた。それでも構えを一切崩すことはしない。
「……なぁ、俺が勝ったらあんたをるって言ったと思うが……」
「それは叶わないと言ったと思いますが」
「気が変わった。俺があんたをぶっ倒したら―――」
 楠二郎は右の親指を立て、それを自身の首元に向けた。
「俺の女になる、ってのはどうだ?」
「……」
「あんたが本気で欲しくなった。一期一会じゃなく、な。中途半端な負けじゃねぇ。心の底から負けたと言わせてやる。それでどう―――」
「良いでしょう」
 全て言い終わる前に応じてきたアテナに、楠二郎は少し驚いた表情をした。言ったことは本気ではあるが、アテナがこれ程あっさり了承するとは思ってなかったからだ。
「完膚なきまでに私を倒すことができたあかつきには、バラキモト・クスジロウ、あなたの妻となりましょう。ただし―――」
 言葉を切ったアテナの目が変わった。その目に宿るのは、怒りでも、殺気でも、闘志でもない。それら全てをも合わせた、女神の誇りも、魂さえも束ねた、文字通り全てを賭けることを覚悟した目だった。
 並みの相手であるならば、その目で射抜かれただけで気を失っている。
 だが、楠二郎はむしろ歓喜した。その目こそ、アテナが条件に応じた何よりのサインだと確信したからだ。
「それは『十二の難業』を成し遂げるより困難であると心得なさい!」
「嬉しいぜ! 最強の女神サマを嫁に取れるってんだからな! じゃあこっからは、俺の本当の武術を見せてやる!」
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