上 下
306 / 377
竜の恩讐編

幕間 温泉の中の神々 その1

しおりを挟む
 預かり所クローク甲冑かっちゅう一式を預け、脱衣所のかごに衣類を収めたアテナは、長い金髪をアップにまとめ、手ぬぐいを持って露天風呂の扉をくぐった。
 少し冷たい外気と温泉から上がる湯気の熱に心地よさを感じながら、洗い場で体を流した後、待望の温泉へと身をひたす。
「ふぅ……」
 熱すぎない温度ながら、じんわりと芯まで暖かくなっていく湯加減に、アテナは思わず吐息を漏らした。
(ギリシャにも温泉はありますが、ニホンの温泉の心地よさもまた格別です)
 出雲大社の奥にあるやしろに設けられた温泉に、アテナはここまでの疲労が溶けていく気さえ感じていた。
 アテナの婿むこ取り試合が全てアテナの勝利で終わった後、休憩時間を挟んで八百万やおよろずの神々は次年度に向けた対策会議を開き、主だった議題について話し合った。
 昨今においても世界的に猛威を振るう疫病について。パワーバランスの不安定さから、日本にも戦火が飛び火する可能性について。経済の低迷や災害、人心の荒廃から来る犯罪率の増加について。
 日本ではありとあらゆる事柄に神がいるので、話し合われる範囲も相応に広かった。
 疫病については引き続き、八百万の神々が総がかりで事にあたって抑え込み、戦いに関する神々はいざという時のために備えを万全に保つという決定が下された。
 残りは担当を細かく区分けする必要があるとのことで、一次会議は終了。
 いまは二次会議が開かれるまで、二日間の休憩時間が与えられていた。
「私も一度、ギリシャに戻るべきでしょうか……」
 日本にはあらゆるものに神がつき、その数だけ神がいる。
 それだけの神がいても、日本という国の安定を保つにはこれほどの困難を極めている。
 ギリシャでは現代いまは力が落ちていても、オリュンポスの神々が国の建て直しのために奮闘している。
 その助力の一端を担うため、日本へ遠征に来ているアテナだが、日本ですら世界的な混迷にこれほど苦慮している中、なおのこと故郷ギリシャの現状には焦燥がつのるものだった。
「帰郷を考えているなら、送り迎えはわれが引き受けても良いぞ? 文字通りいかずちの速さで希臘ギリシャまで送り届けよう」
「っ!?」
 聴覚で『男』の声をとらえるや否や、アテナは反射的に二本の指を相手の眼孔がんこう突き入れようとした。
 が、その指は相手の眼に届く前に、左の指を絡められて止まってしまった。
すさまじい速さよ。並みの神では見切ることあたわぬな。だが、稲妻ほどではない」
 受け止めた指をゆっくりと下ろし、建御雷神タケミカヅチは不敵に微笑ほほんだ。
「……なぜあなたが温泉ここにいるのですか?」
「おや、この温泉は造られた時から混浴であったはずだが? アテナ殿はご存知なかったか?」
「私が入浴した際には男神女神どちらにも会ったことはありません」
みな其方そなたに遠慮していたのであろうな。強く美しくも、苛烈な戦女神いくさめがみと湯を共にするとなれば、恐れ多くて仕方なかろう」
「……ではあなたは恐れを知らない神ということになりますね」
 アテナは目に殺気をたぎらせながら、左手の人差し指と中指を構えた。
「雷神としての権能を持つ我と同等に速く動けるのは、この日の本では韋駄天いだてん殿くらいのものであろうな」
 アテナが突き入れようとしていた指には、いつの間にか建御雷神の右の指が添えられていた。これでアテナは両手を押さえられた形になってしまった。
「まぁ、そう恐い顔をするな、アテナ殿」
 しかし、建御雷神はあっさりとアテナの両手を解放した。
「何もこの場で狼藉に及ぼうというつもりではないのでな」
「では、どんなおつもりで――――――」
 アテナが問う前に、建御雷神は湯船に浮かせたぼんを前に差し出してきた。その上には小さな徳利とっくりと、二つのお猪口ちょこが乗せられている。
「なに、大したことではない。共に湯に浸かりながら酒をみ交わしたいと、先ほど廊下を歩いていたらふと思いついたのだ。さあ、まずは一献いっこん
 建御雷神にお猪口を手渡され、そこに徳利の酒を注がれると、アテナはそれまで持っていた殺気をあっさり抜かれた気になってしまった。呑気に思いつきを語り、酒をすすめてくる建御雷神の言葉に、あまりに裏表がなさ過ぎたせいかもしれない。
「読めない神ですね、あなたは」
「そんなにめたとて、裸身いまの我は酒をぐくらいしかできぬよ」
 二つのお猪口に注がれた日本酒を、それぞれ二柱の神は同時に飲み干した。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

花鈿の後宮妃 皇帝を守るため、お毒見係になりました

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:7,859pt お気に入り:395

聖女のひ孫~婚約破棄されたのなら自由に生きます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:108

荒雲勇男と英雄の娘たち

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:3

もうこれ以上妹も弟もいりません!!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:70

対世界樹決戦用人員教育機関学級日誌

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

いつも、ずっと君だけを

青春 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

名無しのチラ裏

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

処理中です...