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竜の恩讐編
幕間 温泉の中の神々 その1
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預かり所に甲冑一式を預け、脱衣所の籠に衣類を収めたアテナは、長い金髪をアップにまとめ、手ぬぐいを持って露天風呂の扉をくぐった。
少し冷たい外気と温泉から上がる湯気の熱に心地よさを感じながら、洗い場で体を流した後、待望の温泉へと身を浸す。
「ふぅ……」
熱すぎない温度ながら、じんわりと芯まで暖かくなっていく湯加減に、アテナは思わず吐息を漏らした。
(ギリシャにも温泉はありますが、ニホンの温泉の心地よさもまた格別です)
出雲大社の奥にある社に設けられた温泉に、アテナはここまでの疲労が溶けていく気さえ感じていた。
アテナの婿取り試合が全てアテナの勝利で終わった後、休憩時間を挟んで八百万の神々は次年度に向けた対策会議を開き、主だった議題について話し合った。
昨今においても世界的に猛威を振るう疫病について。パワーバランスの不安定さから、日本にも戦火が飛び火する可能性について。経済の低迷や災害、人心の荒廃から来る犯罪率の増加について。
日本ではありとあらゆる事柄に神がいるので、話し合われる範囲も相応に広かった。
疫病については引き続き、八百万の神々が総がかりで事にあたって抑え込み、戦いに関する神々はいざという時のために備えを万全に保つという決定が下された。
残りは担当を細かく区分けする必要があるとのことで、一次会議は終了。
いまは二次会議が開かれるまで、二日間の休憩時間が与えられていた。
「私も一度、ギリシャに戻るべきでしょうか……」
日本にはあらゆるものに神がつき、その数だけ神がいる。
それだけの神がいても、日本という国の安定を保つにはこれほどの困難を極めている。
ギリシャでは現代は力が落ちていても、オリュンポスの神々が国の建て直しのために奮闘している。
その助力の一端を担うため、日本へ遠征に来ているアテナだが、日本ですら世界的な混迷にこれほど苦慮している中、なおのこと故郷ギリシャの現状には焦燥が募るものだった。
「帰郷を考えているなら、送り迎えは我が引き受けても良いぞ? 文字通り雷の速さで希臘まで送り届けよう」
「っ!?」
聴覚で『男』の声を捉えるや否や、アテナは反射的に二本の指を相手の眼孔突き入れようとした。
が、その指は相手の眼に届く前に、左の指を絡められて止まってしまった。
「凄まじい速さよ。並みの神では見切ること能わぬな。だが、稲妻ほどではない」
受け止めた指をゆっくりと下ろし、建御雷神は不敵に微笑んだ。
「……なぜあなたが温泉にいるのですか?」
「おや、この温泉は造られた時から混浴であったはずだが? アテナ殿はご存知なかったか?」
「私が入浴した際には男神女神どちらにも会ったことはありません」
「皆、其方に遠慮していたのであろうな。強く美しくも、苛烈な戦女神と湯を共にするとなれば、恐れ多くて仕方なかろう」
「……ではあなたは恐れを知らない神ということになりますね」
アテナは目に殺気を滾らせながら、左手の人差し指と中指を構えた。
「雷神としての権能を持つ我と同等に速く動けるのは、この日の本では韋駄天殿くらいのものであろうな」
アテナが突き入れようとしていた指には、いつの間にか建御雷神の右の指が添えられていた。これでアテナは両手を押さえられた形になってしまった。
「まぁ、そう恐い顔をするな、アテナ殿」
しかし、建御雷神はあっさりとアテナの両手を解放した。
「何もこの場で狼藉に及ぼうというつもりではないのでな」
「では、どんなおつもりで――――――」
アテナが問う前に、建御雷神は湯船に浮かせた盆を前に差し出してきた。その上には小さな徳利と、二つのお猪口が乗せられている。
「なに、大したことではない。共に湯に浸かりながら酒を酌み交わしたいと、先ほど廊下を歩いていたらふと思いついたのだ。さあ、まずは一献」
建御雷神にお猪口を手渡され、そこに徳利の酒を注がれると、アテナはそれまで持っていた殺気をあっさり抜かれた気になってしまった。呑気に思いつきを語り、酒を勧めてくる建御雷神の言葉に、あまりに裏表がなさ過ぎたせいかもしれない。
「読めない神ですね、あなたは」
「そんなに褒めたとて、裸身の我は酒を注ぐくらいしかできぬよ」
二つのお猪口に注がれた日本酒を、それぞれ二柱の神は同時に飲み干した。
少し冷たい外気と温泉から上がる湯気の熱に心地よさを感じながら、洗い場で体を流した後、待望の温泉へと身を浸す。
「ふぅ……」
熱すぎない温度ながら、じんわりと芯まで暖かくなっていく湯加減に、アテナは思わず吐息を漏らした。
(ギリシャにも温泉はありますが、ニホンの温泉の心地よさもまた格別です)
出雲大社の奥にある社に設けられた温泉に、アテナはここまでの疲労が溶けていく気さえ感じていた。
アテナの婿取り試合が全てアテナの勝利で終わった後、休憩時間を挟んで八百万の神々は次年度に向けた対策会議を開き、主だった議題について話し合った。
昨今においても世界的に猛威を振るう疫病について。パワーバランスの不安定さから、日本にも戦火が飛び火する可能性について。経済の低迷や災害、人心の荒廃から来る犯罪率の増加について。
日本ではありとあらゆる事柄に神がいるので、話し合われる範囲も相応に広かった。
疫病については引き続き、八百万の神々が総がかりで事にあたって抑え込み、戦いに関する神々はいざという時のために備えを万全に保つという決定が下された。
残りは担当を細かく区分けする必要があるとのことで、一次会議は終了。
いまは二次会議が開かれるまで、二日間の休憩時間が与えられていた。
「私も一度、ギリシャに戻るべきでしょうか……」
日本にはあらゆるものに神がつき、その数だけ神がいる。
それだけの神がいても、日本という国の安定を保つにはこれほどの困難を極めている。
ギリシャでは現代は力が落ちていても、オリュンポスの神々が国の建て直しのために奮闘している。
その助力の一端を担うため、日本へ遠征に来ているアテナだが、日本ですら世界的な混迷にこれほど苦慮している中、なおのこと故郷ギリシャの現状には焦燥が募るものだった。
「帰郷を考えているなら、送り迎えは我が引き受けても良いぞ? 文字通り雷の速さで希臘まで送り届けよう」
「っ!?」
聴覚で『男』の声を捉えるや否や、アテナは反射的に二本の指を相手の眼孔突き入れようとした。
が、その指は相手の眼に届く前に、左の指を絡められて止まってしまった。
「凄まじい速さよ。並みの神では見切ること能わぬな。だが、稲妻ほどではない」
受け止めた指をゆっくりと下ろし、建御雷神は不敵に微笑んだ。
「……なぜあなたが温泉にいるのですか?」
「おや、この温泉は造られた時から混浴であったはずだが? アテナ殿はご存知なかったか?」
「私が入浴した際には男神女神どちらにも会ったことはありません」
「皆、其方に遠慮していたのであろうな。強く美しくも、苛烈な戦女神と湯を共にするとなれば、恐れ多くて仕方なかろう」
「……ではあなたは恐れを知らない神ということになりますね」
アテナは目に殺気を滾らせながら、左手の人差し指と中指を構えた。
「雷神としての権能を持つ我と同等に速く動けるのは、この日の本では韋駄天殿くらいのものであろうな」
アテナが突き入れようとしていた指には、いつの間にか建御雷神の右の指が添えられていた。これでアテナは両手を押さえられた形になってしまった。
「まぁ、そう恐い顔をするな、アテナ殿」
しかし、建御雷神はあっさりとアテナの両手を解放した。
「何もこの場で狼藉に及ぼうというつもりではないのでな」
「では、どんなおつもりで――――――」
アテナが問う前に、建御雷神は湯船に浮かせた盆を前に差し出してきた。その上には小さな徳利と、二つのお猪口が乗せられている。
「なに、大したことではない。共に湯に浸かりながら酒を酌み交わしたいと、先ほど廊下を歩いていたらふと思いついたのだ。さあ、まずは一献」
建御雷神にお猪口を手渡され、そこに徳利の酒を注がれると、アテナはそれまで持っていた殺気をあっさり抜かれた気になってしまった。呑気に思いつきを語り、酒を勧めてくる建御雷神の言葉に、あまりに裏表がなさ過ぎたせいかもしれない。
「読めない神ですね、あなたは」
「そんなに褒めたとて、裸身の我は酒を注ぐくらいしかできぬよ」
二つのお猪口に注がれた日本酒を、それぞれ二柱の神は同時に飲み干した。
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