慈愛と復讐の間

レクフル

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伝わらない思い

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 生まれてすぐに王都に連れてこられたのは魔女エルヴィラの娘だ。しかしそれを知る者はエルヴィラしかおらず、フューリズ自身さえ自分がブルクハルトの娘で、慈愛の女神の生まれ変わりだと信じて疑わなかった。

 王城の一角に建てられたこの邸はフューリズの為だけに建設された。一流の職人達が作り上げた煌びやかで美しく、何処よりも価値のある建物と言われている程だった。

 そこに住まうフューリズは、なに不自由ない生活をおくっている。

 食事は一流の料理人が栄養バランスを考え、味、彩り、見栄え、鮮度も徹底して管理されている。

 衣服は一流のデザイナーが担当し、肌触りの良い最高級の布を使い、洗練されたデザインに仕上げている。
 
 各教科専門のスペシャリストを家庭教師とし、幼児教育を徹底し、同時に王族としての礼儀作法等も平行して行っている。

 庭園を管理する庭師は花使いと呼ばれる程の存在で、季節毎に美しく色とりどりの花を年中咲かせていた。

 侍女や執事達も、王に仕える事が出来るほどに教育されており、その仕事ぶりは徹底している。

 そんな中で大切に守られるようにフューリズは生活をしてきたのだが、それでもこの状況にいつも不満があった。

 とにかく自由がないのだ。

 何処に行くにも誰かが一緒にいる。一人になんかさせて貰えない。食事は勿論、読書や庭を散歩するにもそうだし、手洗い、風呂、睡眠時に関しても、決して一人にはさせて貰えないのだ。
 そして、フューリズは邸から出る事を禁じられていた。邸の中には音楽堂もあるし、ダンスフロアもある。だから演奏家を呼ぶ事も出来るし、観劇を開催させる事も出来る。勿論パーティーを開く事も可能だ。

 だけどそれだけだ。王都に行く事さえ禁じられている。たまに王城へ呼ばれるけれど、その時は凄く近いのに馬車に乗るし、周りは厳重な警備が成される。
 
 自分の言うことは皆が聞いてくれるけれど、何一つ得られる物は無いように感じる日々であり、狭い世界の中で囲われているのみに過ぎないのだ。

 これでは籠の中の鳥と一緒だ。

 何が慈愛の女神の生まれ変わりだ。それが何だというのか。まだ自分には何も出来ないし、何かしたいともしようとも思わない。
 ただ周りの皆に祭り上げられているだけで、どうすれば良いのかさえ分からない状態だ。

 産まれてすぐに親元から離され、この王城まで連れてこられた。望む物は何でも与えられた。けれど本当に望むものは……


「ねぇ、今日はお父様が来てくださる日よね? まだいらっしゃらないのかしら?」

「まだお昼までは時間がありますよ? フューリズ様」

「そうね……あ、お父様の好きな鹿肉は用意出来ているかしら?!」

「はい、問題ありません。数日前から料理長がメニュー作りに奮闘されておいででしたし、最高級の鹿肉が手に入ったと言っておりました」

「それは良かったわ。ねぇ、このドレスは派手じゃないかしら? もう少し落ち着いたドレスが良いかしら?」

「大丈夫ですよ。とてもお似合いですし、フューリズ様の黒髪にとても合う紺色です。白のレースがアクセントとなって、とてもよくお似合いですよ」

「それなら良いのだけど……髪型はどう? 可笑しくない?」

「はい。とても素敵です」


 朝から何度もそうやって侍女や執事に確認してしまうほど、フューリズは父親であるブルクハルトが来てくれる事を心待ちにしていた。

 辺境伯であるブルクハルトは国境警備に赴く事が多く、その軍事力、武力は高かった。指導者として高く評価されており、隣国を牽制するのに必要な存在だった為、その場を容易く離れる事は出来なかったのだ。
 だから娘であるフューリズが王城へ連れていかれるとなった時も、自分も一緒に王城へ移り住むと言うことが出来なかった。そしてそれは王の意向でもあった。

 その事から離れて暮らす事になったが、2、3ヵ月に一度は王城にあるフューリズの住む邸をブルクハルトは訪れてくれる。それがフューリズには楽しみで仕方がなかった。


「あ! お父様! お父様が来られたわ!」

「フューリズ様、走ってはいけません!」


 窓から外を眺めていたフューリズは、父親が乗っているであろう馬車を見付け、すぐに迎えに走った。

 
「お父様! お会いしたかったです!」

「フューリズ、良い子にしていたかい?」

「はい!」

「そうか」

「お父様、早くこちらにいらして! 今日はね、お父様がお好きな鹿肉をご用意したの!」


 フューリズに手を取られ、足早に食堂へ連れられて行く。いつ来てもここは素晴らしいな、とブルクハルトは思う。勿論部屋や廊下の作りは変わらないが、来る度に置かれている調度品や高名な画家が描いた絵画が変わっているのだ。そのどれもが高価な物だと手に取って見なくとも分かるほどの物だった。

 王はフューリズの為に金を使うことは惜しまない。慈愛の女神の加護を得る為ならば、どんな事でもしてみせるのだろう。

 ブルクハルトは国境の警備につきながらも、近隣の村や街へ赴く事も多い。この国はまだ貧困家庭が多く、兵士に志願するしか職を得られない者も多かった。領民の様子を確認するのもそうだが、平民出である兵士達の暮らしがどうだったのかを確認する為にも、積極的に訪れていた。
 
 彼らの暮らしぶりと王都の暮らしは比べられるモノではない。そもそも平民と貴族を比べる事自体が間違っているのだ。
 けれど貴族の中でも市民に近しい存在のブルクハルトは、この煌びやかさを素直に美しいと褒め称える事は出来なかった。

 案内された食堂にも、目を見張るものがある。調度品は勿論のこと、テーブル、椅子等の家具に加えて、食器類やナイフやフォークも全てが一級品だ。このフォーク一本で何人の平民達の食事が賄えるのか……ついそんな事を考えてしまう。

 目の前の娘はそんな事は分からないのだろう。知ろうともしないのだろう。それは仕方がない。ここではそんな事は教えられる事はないのだから。

 だが……


「ねぇ、お父様、お味はいかがかしら?」

「あぁ、美味しいよ。とても。この鹿肉は本当に美味しい」

「良かったですわ! 私、最高級の鹿肉を確保するように言いましたの!」

「それは私の為に……か?」

「勿論ですわ! 用意出来ない時は厳罰を与えると言ったら、皆が頑張ってくれましたの!」

「厳罰……それはいけないよ。罰などは必要ない」

「どうしてですか? 悪い事をしたら罰を与えるのは当然の事でしょう?」

「それはそうだが、人は恐怖で従わせるものではないよ。フューリズ、そうではないんだ」

「あら、恐怖でなんか従わせて等いませんわ。皆、私を思って動いてくださるのだもの」

「なら罰など必要ないだろう? フューリズ、お前は人とは違うかも知れない。けれど、だからこそお前の周りの人達を守らなければならないんだよ。そうでなければ……」

「どうしてですか? 私は守られる存在であって、私が守るのではないでしょう? 私は特別なのだから」

「そうだが……噂で聞くのだ。フューリズを怒らせて酷い目にあう者が後を絶たないと……本当にお前がそんな事を……」

「何がいけないんですか?」

「フューリズ……では本当に……? 陰口を言っていたメイドの声帯を切ったというのも……お前の話を聞き逃したという小間使いの耳を削いだのも……」

「ええ。今日は私のドレスにお茶を溢した給仕係の腕を切り捨てましたわ。でも、それは当然でしょう? 私は幸せでなければならないのでしょう? なのにお父様と離れて暮らすしかないのです。それだけでも悲しいのにもっと悲しい事が起こると、私は幸せなんか感じられなくなりますもの。だから罰を与えるのです。そうするとね、気分が晴れるのです。気持ちが軽くなっていくのです。だから必要なのですわ」

「フューリズ……!」

「どうしたんですか、お父様? そんな怖い顔をなさって……」


 あどけない顔をして、この娘はなんて事を言うのか……その事にブルクハルトは怖くなった。

 もとより、この娘を愛しいと思えない自分がいたのは事実だ。フューリズが生まれた時、初めて目にしたのは亡き妻の横で眠っていた時だったが、その時は嬉しさと悲しさが混ざった複雑な心境だった。
 だがそれでも自分の娘を初めて見た時は、なんて可愛らしいのだろうと……こんなに愛しいと感じるものなんだろうかと思った程だった。

 それが今はそうは思えない。黒髪や黒い瞳はもちろんの事、自分にも妻にも似ていないその容姿がそう思わせているのかどうなのか……

 それとも、私はまだ愛する妻の命と引き替えに生まれたこの子を許せないでいるのだろうか……

 ブルクハルトはそんな事を考えながらも、それでもこの子を、フューリズを愛そうとしてきた。けれどこんな残虐さを持つ娘を、どう愛して良いのか分からなくなってくる……


「フューリズ、良いかい? お前は特別かも知れない。だけど、誰もが誰かの特別なんだ。だから人を大切に思わなくてはいけないよ。人を傷付けてはいけない。人は慈しむものなんだ。分かるね?」

「…………」


 フューリズはキョトンとした顔をしながら、首をうーん……と言う感じで傾ける。
 まだ幼い。だから分からないのは仕方がないのかも知れない。だけど、知っていかなければならない。

 他とは違うと言うだけで人は特別な目で見る。良い事をしたのであれば過大評価をし、悪い事をしたのでたあれば必要以上に悪態をつく。人とはそういうものなのだ。

 だから親として言っておきたかった。分かって欲しかった。

 そんなブルクハルトの心など知るはずもなく、フューリズは悩む素振りを見せながら、理解したと言わんばかりに微笑んだ。
 だが、理解はしていなかった。理解した振りをして、ブルクハルトから難しい顔をなくしたかっただけなのだ。

 そんな事はブルクハルトも分かっている。だがそうされては、これ以上何も言えなかった。

 フューリズは容姿も性格も、自分にも妻のロシェルにも似たところは一切無かった。それは慈愛の女神の生まれ変わりだからだろうか。

 本当にフューリズは慈愛の女神の生まれ変わりなのだろうか。

 小さく心に芽生えた疑問にブルクハルトは気づかない振りをする。

 そうしてフューリズに、ブルクハルトもまた微笑むのだった。




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