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51話 ただそれだけのこと
しおりを挟むシオンの魔力はごく僅かだった。
使える魔法は前世と同じであって、治癒と浄化、そして転移する能力。もしかしたら他にも何か使えるのかも知れないが、自分の能力がノアであった時からよく分かっていなかった。そしてそれは今も。
しかし現在はその魔法を使うことはほぼ出来ず、虐げられるジョエルの傷を癒やす事は出来なかった。
ただ少しだけ浄化の魔法を使う事ができた。だがそれは、辺りを少しだけ綺麗にするのみだけで全ての魔力を使い果たして倒れてしまう程の僅かな魔力で、前世からすれば無いに等しいとシオンは思っていた。
フィグネリアの娘として生まれてきたのだから、遺伝的にそうなったのかもとこれまでは思っていたし、魔力なんて無くても良いと思っていた。
只一つ気にしたのは、ジョエルの傷を癒せない事だった。それもあって、幼い頃虐げられていたジョエルを助ける為の行動を起こしたのだが。
魔法が使えなくてもいい。それは前世でノアが望んだ事だった。
魔力が多く、特殊で稀有な魔法を使えていたから利用された。だから今世では魔法は使えなくても良かったから、前世で亡くなる寸前に女神の前で話したのだ。
まさかそれまでも叶えてくれるとは思っていなかったが、シオンはその事を女神に感謝していた。
だから自分の魔力が微量であっても当然だと日々を過ごしていたのだが、なぜか自分の魔力を大聖堂に感じるのだ。
導かれるようにシオンは大聖堂へと歩いていく。
街の中心から西へ行った先にある大聖堂。そこは絶えず人々が参拝に訪れていて、司祭達も悩める人に説教したりと、穏やかながら厳かな空気が漂っていた。
シオンはその大聖堂に初めて足を踏み入れる。だが懐かしく心地いい空気がシオンを迎えてくれているように感じるから、躊躇う事なく足を進めていけた。
正面、奥にあるのはエルピスの女神像。
真ん前に立ち、下から女神像を見上げる。その表情は優しく慈愛に満ちているようで、知らず涙が零れ落ちる。
「女神様……貴女が預かってくれていたんですね?」
シオンはゆっくりと膝を折り、両手を合わせて握り締め、女神像に祈りを捧げるように目を閉じる。
それは何かをしようと考えてした行動ではなく、自然と体が動いたのだ。
この時ばかりは何故か、脚の不具合も左肩の傷みも感じず、何かに守られているような感覚でいて、その不思議な空間に委ねるように身を任せたシオン。
ジョエルもメリエルもその様子を見て何かを感じたのだが、それが何かは分からなかった。
ただ、邪魔はしてはいけない、自分達は傍観者だという認識がなぜかあって、シオンの行動を見守るしか出来なかったのだ。
気づくと誰もこの場からいなくなっていた。自然と出ていかなければならない、とでも感じたのか察したのか、参拝者も司祭達も皆がそこから姿を消していた。
今この場所にいるのは三人だけで、ジョエルもメリエルもシオンに近づけず動けずにいる。だけど危険は無いと分かっていて、ただシオンの様子を注意深く見つめるだけだった。
その時、女神像全体が緑に淡く光りだした。
その優しい光は女神像の胸の辺りで一つに集まり、ゆっくりと女神像から離れていく。
そして光は跪くシオンの体へと落ちていき、シオンをフワリと優しく光に包んでいったのだ。
淡い緑の光は浸透するようにシオンに馴染んでいき、やがてその身に収まっていった。
それはなんとも不思議な光景で、ジョエルとメリエルは何も言えず、ただ呆然と見ている事しか出来なかった。
シオンはゆっくりと目を開けて立ち上がり、女神像を見つめる。
そうなってようやく二人はシオンに近づく事が出来た。ジョエルとメリエルが駆け寄り、シオンの無事を確認する。
「お嬢様! 大丈夫ですか?!」
「何があったんですか?! なんですか! なんなんですか?! これ!」
「ジョエル……メリエル……あのね、わたくしの魔力がね、……帰って来ちゃったの……」
「魔力が帰ってきた……?」
シオンが何を言ってるのかメリエルには分からなかった。ジョエルはシオンの前世での出来事と、今起こった事を見て総合的に考えて、どういう事なのかを把握した。
「そうなんですね。しかしそれは良い事なんでしょうか……?」
「分からないわ……ただ魔力が戻っても、わたくしはこれからも魔法を使うつもりはないわ」
「そうですね。それが良いでしょうね」
「え? え? そうなんですか? なんでですか? 魔法は使えた方が絶対良いのに……」
メリエルは意味が分からなかったが、シオンは前世の事と今起きた事を理解して貰うのは難しいと思った。だから魔法を使えるようになった事は言わないようにと、ただそれだけをメリエルに告げるにとどまった。
メリエルは理解してはいないが、それを了承するしかなかった。
魔力が戻った。それはシオンが意図した事ではない。ただ導かれるがままに女神像から受け取ってしまったようなものだった。
女神像からシオンへ魔力が帰っていった。
ただそれだけのこと。
だがそれだけのことが後に大きな波乱へと導いていく事を、その時のシオンは知る良しもなかったのであった。
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