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本編
8.彼と悪魔
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イルサが目覚めた時、小鳥の鳴く声が聞こえていた。
「朝……」
つぶやいてから気づく。今、ベッドには自分一人しかいない。
がばりと起き上がり、部屋を見渡す。
いつも通りの自分の部屋だ。シーツも新しいものだし、ベッドも乱れていない。
――いや。
イルサは自分の体を見下ろした。寝衣を少しはだけると、胸元にいくつもの赤いあざがあった。そして何より動くと身体中が痛い。
(身体、拭いてもらったんだっけ)
あんまりしっかり覚えていないが、そうだった気がする。
レイモンドはいた。それは夢じゃない。
イルサがそのことにホッと嘆息する。人心地つくと、イルサは甘いいい匂いが漂ってくることに気づいた。
不意におなかがなった。
「――おはようイルサ。体大丈夫?」
ドアが開いて、レイモンドが顔を出した。
「ええ、大丈夫」
「よかった。ごはん作ったから食べよう」
「ありがとう」
ベッドから起き上がろうとしたイルサだったが、身体の痛みに思わず動きを止める。
「いいって。あとできれいにするから、そのままベッドで食べよう」
レイモンドはそんなイルサを見て、笑いながら言った。
◇◇◇
食事を終えてから、イルサは改めてレイモンドに説明を求めた。
彼は少しためらった後、「そうだね、でも、長い話になるから、準備しないと」といった。
そして、紅茶を用意してから二人で居間の長椅子に向かう。
レイモンドは自分が座ってからイルサを横に座らせ、肩に手を回した。
「――何から説明したらいいかな」
レイモンドはつぶやいた。
「スーベの王弟と対峙した時の話はリチャードかグレンが君に伝えたよね。――そうあのとき、とても嫌な感じがした。このまま彼の好きにさせると、きっとまずいことになる。そう思ったんだ」
レイモンドは思わず走った。
王弟ごと、崖から落ちた時、男が悔しそうな顔をしたのを見て、「これでよかったのか」と思った。
そして、滝つぼに落ちた。
「最初は死んだのかと思った。でも、まだ死んでなかった。そのとき、昏い意識の中で、悪魔に会ったんだ」
レイモンドは眼帯で隠したままの左目を押さえた。
「――彼女はただの“魔”だっていうけどね。悪は人の基準、自分はただの形の定まらない力だって」
悪魔はもともとスーベ王族にとらわれていた。王家の宝に封じられ、必要があれば王家のものの魂と引き換えに、力を貸す。
今世、彼女は王弟の魂と引き換えに力を貸していた。
「でもそれは本意ではない、と彼女は言った。もうスーベにとらわれているのは気に食わないと。だから、僕の魂をくれれば死んだ体の代わりに生かそうと」
滔々と語られるレイモンドの話にイルサは既視感を覚えた。
(それは、あのときの)
アレは彼の中の悪魔がイルサに見せたものだったのだろうか。
「僕は魂は渡せないといった。そうしたら彼女は左目でもいいって。ただし、僕の体は普通とはもう違うものになるとね」
レイモンドが目覚めたとき、外見が何故か王弟のものになっていた。レイモンドの体は半分ばかり死んでいて、悪魔は同じく半分ばかり死んでいた王弟の体を利用したと笑っていた。
すぐに国に戻ろうにも外見が全く違う。これでは誰にも気づいてもらうことができない。むしろ、戦争の原因が生きていたのかと追われてしまうかもしれない。
焦るレイモンドに悪魔は言った。
――わすれているみたいだけど、あなたはもう私の仲間。つまり、かたちにとらわれないで。
レイモンドは自分で自分の外見を替えることができることを知った。
しかし、それは簡単なことではなかった。
レイモンドは森をさまよい、古びて使われていない猟師小屋を見つけた。
そこで彼は生活しながら少しずつ自分の変化を受け入れていった。
「王弟の顔は写真で出回っていたからね、顔だけでも変えないといけなかった」
顔を隠して、近くの村に行き、猟で得た獲物や野草を売る。
そして、悪魔の左目の使い方も学んでいった。
「姿を変えるのも一つの力だけど、悪魔の目はなんというか人を操るというかだますような力もあってね」
二つを組み合わせることでレイモンドは様々なことができるようになった。
そのころにはもう、終戦から1年が経っていた。
「正直、そのときもう国に帰ろうと思ったんだ。体も治って、むしろ以前よりも色々出来るようになった。でもそんな時に今度は悪魔が頼みごとを言い出した」
――わたしの半身はまだスーベの王宮にいるの。たすけてあげて
悪魔の言葉にレイモンドは嫌だといった。しかし、悪魔は笑うように脅すように続けた。
――また、せんそうが起きるわよ
レイモンドはその言葉に愕然とした。
結局レイモンドは悪魔のいうことを聞いた。魂は取られていないが、左目には悪魔が住み着いたままだ。
悪魔は外にいること自体が楽しいらしく反抗的ではないし、レイモンドの体を勝手に動かす力もない。
しかし、レイモンドが自分の体を知るためには悪魔の知恵が必要だった。
そうして、レイモンドが陰で動き、悪魔の半身とやらを助け出している間にさらに一年と少し経った。
「このころには自分一人ではなくて、あちらの国の反乱分子ともつるむようになってて。そこからのつながりで、この国に戻ってこれたんだ」
反乱分子の中にはトルトニアのスパイもいた。それを見つけ出したレイモンドは彼を通じてリチャードとグレンと連絡をとり、やっと、生存を伝えることができた。
「あの国は外で見る以上に中身がゆがんでいるんだ。色々やることがあってね。思ったより時間がかかってしまったよ。結局悪魔の半身も自由にしちゃったから新しい火種になってしまったし……いやあれはもう僕のせいじゃないけどね」
笑いながら嘯いたレイモンドを、イルサは下からねめつける。
「――私のところに来たのは1か月前じゃない。半年前にはもうこっちにきてたの?」
レイモンドは苦笑した。
「許してよ。――いや、本当は君の所に戻ってすぐ顔を出したんだ」
「え?」
イルサは目を丸くした。
「いつのはなし?」
「半年くらい、それこそ戻ってすぐ。王宮に顔を出す前だよ。でもね、イルサ。さっき話したように僕はもとの姿には戻れなかったんだよ。どう頑張ってもね」
久々に戻って、レイモンドはこの国がだいぶ回復したことを知った。
安堵し、まず、イルサを探した。
手紙は書いていなかった。何を書いて良いかわからなかったし……悪魔の言うことも気になった。
また、変に手紙が漏れたとき、イルサが狙われる可能性もあった。
スーベの王家の悪魔は、レイモンドが思うよりも広く知られていたらしい。スーベ国内で活動するようになると彼の噂はどこであるともなく、知るものがいた。悪魔の言う半身なるもう一体の悪魔を解放したことで更にそれは知られてしまった。
知るもののなかには悪魔を狙うモノ達もいた。
そんなものたちにイルサの存在を、レイモンドの致命的な弱点を知らしめるわけにはいかなかった。
だから、会いに行くのは突発的なことだった。
街についたときは外見は目立たない黒髪に茶色の目の姿に固定しており、顔も少し変えていた。――要するに“レイ”の姿だ。
そして、悪魔の左目は眼帯で隠した。どうしても力を使いたくないときはコントロールするよりもよっぽど隠した方が楽だからだ。
――悪魔のいうように、レイモンドは悪魔のいう魂の正しい姿であるもともとの外見にはどうしても戻すことができなかった。
赤毛に碧眼の見慣れた顔立ちにはどう頑張っても成れないのだ。
――いったじゃない。あなたが魂をささげた人が魂にきづかないかぎり、そのままよ
くすくすと悪魔が笑う。
レイモンドはそれでも、イルサに会いたかった。
結局それだけの願望だった。
その日の夕方、彼女が仕事から帰宅する時間。
レイモンドは不審がられないよう回りを観察し、すぐにイルサのことを見つけた。
「あの」
「――?私ですか?」
話しかけて振り返ったイルサにレイモンドが息を飲んだ。
「――すみません、人違いです」
「はぁ」
慌てて手を振り、イルサから離れる。
――どうしたのよ?あんなにいき込んでたくせに。
左目の悪魔がささやく。
「いや」
レイモンドが笑った。
彼は気づいたのだ。
イルサがとても憔悴していることに。
数年前よりも大人びた彼女は少し疲れた顔をしていた。しかし、それ以上に目に輝きがない。
それはどう考えてもレイモンドの死が原因なのだ。
イルサのことはこの国に戻れるようになる前から出来るかぎり情報を集めていた。
彼女自身は取りざたされずとも、従兄のリチャードや彼女の父である伯爵はそれぞれ国外でも注意を払えば噂位は耳にできる。
そこから得た情報を合わせても自分が消えてから数年、彼女の身の回りにあった不幸はレイモンドの死以外なかった。
「うれしいだなんて悪魔に毒されたみたいだ」
――わたしのせいにしないでよ。あなたたちにんげんはわたしたちのことを悪と呼ぶけど、よっぽどあんたたちのほうが悪みたいだわ
ぼやく悪魔にレイモンドがつぶやいた。
「そんなんじゃないよ」
うれしい気持ちもあった、しかし、あのまま言っても彼女を傷つけるだけだと思ったのだ。
あれだけ未だに背負っているのであれば。
「順番を考えたほうがいいな」
あきれたような悪魔のボヤキを無視して、レイモンドは独り言ちた。
――と、そこまではイルサにレイモンドは伝えない。ただ、「会いに行ったけど、何を言っていいかわからなくなっただけだよ」とだけ言った。
素直なイルサは「そう」とだけつぶやいて、レイモンドの胸に頭を置く。
「僕の話を聞いて、納得できた?」
「……どうかしら。リチャードやグレンはすぐにあなただってわかったの?」
「わからせた、が正しいかも。でも、リチャードは頭がいいし、スーベの悪魔の噂も元々知ってた。それにとうの昔からスーベで動いてた僕のことを耳にしていて、もしかして、と思っていたらしい。グレンは単純だし二人しか知らない昔話をしたらすぐにわかってくれたよ」
レイモンドの言葉にイルサは首を傾げた。揺れる金髪にレイモンドは指を絡める。
「……今ここで、姿を変えることはできるの?」
イルサの問いかけに、レイモンドはうなずいた。そして、イルサが瞬きする間に、“レイ”の姿になった。
視界の端から赤毛が消え、黒髪に代わる。目も青から茶色に代わっているだろう。
ただ、眼帯に覆われた左目の色だけは金から変えることが出来ない。
「レイは一番目立たなくてなりやすい形にしたんだ。正直赤毛は目立つしね。身体を変えるときは具体的に誰かをモデルにする方が楽なんだけど、あえてレイはそうしてない。だから、完全にもう一人の僕として作った。身体つきも変えてないから、動くときに違和感がないんだ。身長を伸ばしたり、逆に縮めたりっていうのも出来るけど慣れるまで時間がかかってしまうし。――その、性別を変えるのも出来るしやったことはあるけど、とても大変だった。あんまりやりたくないね」
「そう」
レイモンドはイルサが体を固くしたことに気づいて、ほくそ笑む。
「イルサ様」
耳元でささやくと、瞬間的に彼女の首が赤く染まった。レイも声はレイモンド自身にはいまいちわからないが、たぶんレイモンドのものよりも少し高い。
――信頼しきった“レイモンド”で彼女とくつろぐのも良いが、慣れていない“レイ”でも楽しめそうだな。
「どうせだから、こっちでもあなたに触れていいですか?イルサ様」
「その口調、やめて……!」
「愛してます、イルサ様」
「レイ……!」
身をよじったイルサを逃がさないように抱き込み、レイモンドは彼女に口づけた。
何度も彼の胸元をたたいて抵抗していたイルサだったが、舌を差し込み、深く口づけると徐々に動きを鈍くする。
口を離すと、目元を真っ赤にしたイルサににらまれた。
こういうのもいいな、と少し思いつつ、レイモンドが文句を言われる前に、彼女をソファーに押し倒した。
3年前の別れ際。レイモンドはイルサに愛を告白しようと思っていた。
しかし、結局言えなかった。
彼女はレイモンドが愛を囁く前に、彼を押しのけたからだ。
イルサのことは出会ってからずっと好きだ。
小賢しいと他の子どもに殴られ、逃げた先の牧場。
そこは“伯爵さま”の家だからいってはいけないと大人から何度も言われていた。
だからこそ、他の子どもから逃げるのに最適だった。大人は少なくともレイモンドが口を達者に説明すれば折れることが多い。
子どもは気に食わなければ、レイモンドを殴る。だから嫌だった。
――あなた何してるの?
牧場の馬小屋の陰で、ボーっと座り込んでいると一人の女の子がやってきた。同い年くらいの可愛い金髪の少女。
彼女にレイモンドは今まであったことを説明した。多分二度と会うことはないだろうと思ったのだ。
話し終わってすぐ、彼女は「私と一緒に遊べばいいよ」といった。
レイモンドは嬉しかったが、きっと彼女は他の子のようにいつか自分を気に食わないといってたたき出すと思った。でもそんなことはなかった。
彼女はレイモンドが小賢しいといわれるようなことをいっても、それを受け入れ、「レイモンドは頭がいいのね」と笑った。
レイモンドはそんな彼女をどんどん好きになっていった。
そして、ある日気づいた。
彼女の心には傷があった。幸せになってはいけないと思う、そんな気持ちだ。
彼女の生い立ちは彼女自身には聞いたことはなかった。ただ、彼女が“お父様”に特別な気持ちを持っていることはわかっていた。
田舎で噂されるものから王立学校で聞くもの、レイモンドはそれらから確信していった。
王立学校では卒業式に宰相であるジェスタッド公爵とその妻であるイルサの伯母が出席する。そして、成績優秀な卒業生に数名に今後の活躍を願う声をかけることになっていた。しかし、その年、次席であった彼女は宰相夫婦に声をかけられなかった。
主席のレイモンドの横にいたのに、だ。
わかりやすく無視された彼女がどれだけ傷ついたのか。
働き出してすぐ、彼女の従兄であるリチャードとも関わりが出来るようになった。
リチャード自身は優秀な善人で、彼であればイルサとも仲良くなれるだろうと間を取り持った。
一番彼女のそばにいて、一番彼女を理解して、彼女の一番は自分であることは確実だ。
しかし、彼女はそれをどうしたいのか持て余し、今のままでは受け入れられないことはレイモンドにはよくわかっていた。
だから、愛の言葉をいう前に押しのけられたのは想定内だった。
でも悲しくなかったとは言えない。
彼女は正直だが、嘘つきでもある。
帰ってくるといったのに、帰ってこなかったし、愛してるくせに愛してると言わない。
――だからかな。
レイモンドは思う。
自分は性根が悪いことくらい自覚している。イルサのためだけに行動してきたことばかりだ。
そして、愛する彼女すら、自分の希望通りに動いて欲しいと外から誘導してしまう。
結局、彼女から愛してるといってほしかった。それだけだろう。きっと。
今の自分は人間ではないのかもしれない。
正直、レイモンドは自分自身に不信感を持っている。
悪魔に身体を乗っ取られたことはない。ただ、自分自身が変質しているのではないかという不安がある。
姿を変えられ、ある程度人を操ることが出来る。万能ではないが、人を越えた存在になりはてた。おまけに左目の悪魔は気ままにレイモンドの中で話しかけてくるのだ。
しかし。
「レイ……」
まなじりを赤らめ、とろけきったイルサは悪魔と取引した自分と接して、この魂は“レイモンド・フォルード”だといった。そして、愛しているとまで。
それでいい。
レイモンドが自分自身をはかるよりも、イルサの言葉を信じよう。
彼女がそう思うのならば、自分は“レイモンド・フォルード”であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
「朝……」
つぶやいてから気づく。今、ベッドには自分一人しかいない。
がばりと起き上がり、部屋を見渡す。
いつも通りの自分の部屋だ。シーツも新しいものだし、ベッドも乱れていない。
――いや。
イルサは自分の体を見下ろした。寝衣を少しはだけると、胸元にいくつもの赤いあざがあった。そして何より動くと身体中が痛い。
(身体、拭いてもらったんだっけ)
あんまりしっかり覚えていないが、そうだった気がする。
レイモンドはいた。それは夢じゃない。
イルサがそのことにホッと嘆息する。人心地つくと、イルサは甘いいい匂いが漂ってくることに気づいた。
不意におなかがなった。
「――おはようイルサ。体大丈夫?」
ドアが開いて、レイモンドが顔を出した。
「ええ、大丈夫」
「よかった。ごはん作ったから食べよう」
「ありがとう」
ベッドから起き上がろうとしたイルサだったが、身体の痛みに思わず動きを止める。
「いいって。あとできれいにするから、そのままベッドで食べよう」
レイモンドはそんなイルサを見て、笑いながら言った。
◇◇◇
食事を終えてから、イルサは改めてレイモンドに説明を求めた。
彼は少しためらった後、「そうだね、でも、長い話になるから、準備しないと」といった。
そして、紅茶を用意してから二人で居間の長椅子に向かう。
レイモンドは自分が座ってからイルサを横に座らせ、肩に手を回した。
「――何から説明したらいいかな」
レイモンドはつぶやいた。
「スーベの王弟と対峙した時の話はリチャードかグレンが君に伝えたよね。――そうあのとき、とても嫌な感じがした。このまま彼の好きにさせると、きっとまずいことになる。そう思ったんだ」
レイモンドは思わず走った。
王弟ごと、崖から落ちた時、男が悔しそうな顔をしたのを見て、「これでよかったのか」と思った。
そして、滝つぼに落ちた。
「最初は死んだのかと思った。でも、まだ死んでなかった。そのとき、昏い意識の中で、悪魔に会ったんだ」
レイモンドは眼帯で隠したままの左目を押さえた。
「――彼女はただの“魔”だっていうけどね。悪は人の基準、自分はただの形の定まらない力だって」
悪魔はもともとスーベ王族にとらわれていた。王家の宝に封じられ、必要があれば王家のものの魂と引き換えに、力を貸す。
今世、彼女は王弟の魂と引き換えに力を貸していた。
「でもそれは本意ではない、と彼女は言った。もうスーベにとらわれているのは気に食わないと。だから、僕の魂をくれれば死んだ体の代わりに生かそうと」
滔々と語られるレイモンドの話にイルサは既視感を覚えた。
(それは、あのときの)
アレは彼の中の悪魔がイルサに見せたものだったのだろうか。
「僕は魂は渡せないといった。そうしたら彼女は左目でもいいって。ただし、僕の体は普通とはもう違うものになるとね」
レイモンドが目覚めたとき、外見が何故か王弟のものになっていた。レイモンドの体は半分ばかり死んでいて、悪魔は同じく半分ばかり死んでいた王弟の体を利用したと笑っていた。
すぐに国に戻ろうにも外見が全く違う。これでは誰にも気づいてもらうことができない。むしろ、戦争の原因が生きていたのかと追われてしまうかもしれない。
焦るレイモンドに悪魔は言った。
――わすれているみたいだけど、あなたはもう私の仲間。つまり、かたちにとらわれないで。
レイモンドは自分で自分の外見を替えることができることを知った。
しかし、それは簡単なことではなかった。
レイモンドは森をさまよい、古びて使われていない猟師小屋を見つけた。
そこで彼は生活しながら少しずつ自分の変化を受け入れていった。
「王弟の顔は写真で出回っていたからね、顔だけでも変えないといけなかった」
顔を隠して、近くの村に行き、猟で得た獲物や野草を売る。
そして、悪魔の左目の使い方も学んでいった。
「姿を変えるのも一つの力だけど、悪魔の目はなんというか人を操るというかだますような力もあってね」
二つを組み合わせることでレイモンドは様々なことができるようになった。
そのころにはもう、終戦から1年が経っていた。
「正直、そのときもう国に帰ろうと思ったんだ。体も治って、むしろ以前よりも色々出来るようになった。でもそんな時に今度は悪魔が頼みごとを言い出した」
――わたしの半身はまだスーベの王宮にいるの。たすけてあげて
悪魔の言葉にレイモンドは嫌だといった。しかし、悪魔は笑うように脅すように続けた。
――また、せんそうが起きるわよ
レイモンドはその言葉に愕然とした。
結局レイモンドは悪魔のいうことを聞いた。魂は取られていないが、左目には悪魔が住み着いたままだ。
悪魔は外にいること自体が楽しいらしく反抗的ではないし、レイモンドの体を勝手に動かす力もない。
しかし、レイモンドが自分の体を知るためには悪魔の知恵が必要だった。
そうして、レイモンドが陰で動き、悪魔の半身とやらを助け出している間にさらに一年と少し経った。
「このころには自分一人ではなくて、あちらの国の反乱分子ともつるむようになってて。そこからのつながりで、この国に戻ってこれたんだ」
反乱分子の中にはトルトニアのスパイもいた。それを見つけ出したレイモンドは彼を通じてリチャードとグレンと連絡をとり、やっと、生存を伝えることができた。
「あの国は外で見る以上に中身がゆがんでいるんだ。色々やることがあってね。思ったより時間がかかってしまったよ。結局悪魔の半身も自由にしちゃったから新しい火種になってしまったし……いやあれはもう僕のせいじゃないけどね」
笑いながら嘯いたレイモンドを、イルサは下からねめつける。
「――私のところに来たのは1か月前じゃない。半年前にはもうこっちにきてたの?」
レイモンドは苦笑した。
「許してよ。――いや、本当は君の所に戻ってすぐ顔を出したんだ」
「え?」
イルサは目を丸くした。
「いつのはなし?」
「半年くらい、それこそ戻ってすぐ。王宮に顔を出す前だよ。でもね、イルサ。さっき話したように僕はもとの姿には戻れなかったんだよ。どう頑張ってもね」
久々に戻って、レイモンドはこの国がだいぶ回復したことを知った。
安堵し、まず、イルサを探した。
手紙は書いていなかった。何を書いて良いかわからなかったし……悪魔の言うことも気になった。
また、変に手紙が漏れたとき、イルサが狙われる可能性もあった。
スーベの王家の悪魔は、レイモンドが思うよりも広く知られていたらしい。スーベ国内で活動するようになると彼の噂はどこであるともなく、知るものがいた。悪魔の言う半身なるもう一体の悪魔を解放したことで更にそれは知られてしまった。
知るもののなかには悪魔を狙うモノ達もいた。
そんなものたちにイルサの存在を、レイモンドの致命的な弱点を知らしめるわけにはいかなかった。
だから、会いに行くのは突発的なことだった。
街についたときは外見は目立たない黒髪に茶色の目の姿に固定しており、顔も少し変えていた。――要するに“レイ”の姿だ。
そして、悪魔の左目は眼帯で隠した。どうしても力を使いたくないときはコントロールするよりもよっぽど隠した方が楽だからだ。
――悪魔のいうように、レイモンドは悪魔のいう魂の正しい姿であるもともとの外見にはどうしても戻すことができなかった。
赤毛に碧眼の見慣れた顔立ちにはどう頑張っても成れないのだ。
――いったじゃない。あなたが魂をささげた人が魂にきづかないかぎり、そのままよ
くすくすと悪魔が笑う。
レイモンドはそれでも、イルサに会いたかった。
結局それだけの願望だった。
その日の夕方、彼女が仕事から帰宅する時間。
レイモンドは不審がられないよう回りを観察し、すぐにイルサのことを見つけた。
「あの」
「――?私ですか?」
話しかけて振り返ったイルサにレイモンドが息を飲んだ。
「――すみません、人違いです」
「はぁ」
慌てて手を振り、イルサから離れる。
――どうしたのよ?あんなにいき込んでたくせに。
左目の悪魔がささやく。
「いや」
レイモンドが笑った。
彼は気づいたのだ。
イルサがとても憔悴していることに。
数年前よりも大人びた彼女は少し疲れた顔をしていた。しかし、それ以上に目に輝きがない。
それはどう考えてもレイモンドの死が原因なのだ。
イルサのことはこの国に戻れるようになる前から出来るかぎり情報を集めていた。
彼女自身は取りざたされずとも、従兄のリチャードや彼女の父である伯爵はそれぞれ国外でも注意を払えば噂位は耳にできる。
そこから得た情報を合わせても自分が消えてから数年、彼女の身の回りにあった不幸はレイモンドの死以外なかった。
「うれしいだなんて悪魔に毒されたみたいだ」
――わたしのせいにしないでよ。あなたたちにんげんはわたしたちのことを悪と呼ぶけど、よっぽどあんたたちのほうが悪みたいだわ
ぼやく悪魔にレイモンドがつぶやいた。
「そんなんじゃないよ」
うれしい気持ちもあった、しかし、あのまま言っても彼女を傷つけるだけだと思ったのだ。
あれだけ未だに背負っているのであれば。
「順番を考えたほうがいいな」
あきれたような悪魔のボヤキを無視して、レイモンドは独り言ちた。
――と、そこまではイルサにレイモンドは伝えない。ただ、「会いに行ったけど、何を言っていいかわからなくなっただけだよ」とだけ言った。
素直なイルサは「そう」とだけつぶやいて、レイモンドの胸に頭を置く。
「僕の話を聞いて、納得できた?」
「……どうかしら。リチャードやグレンはすぐにあなただってわかったの?」
「わからせた、が正しいかも。でも、リチャードは頭がいいし、スーベの悪魔の噂も元々知ってた。それにとうの昔からスーベで動いてた僕のことを耳にしていて、もしかして、と思っていたらしい。グレンは単純だし二人しか知らない昔話をしたらすぐにわかってくれたよ」
レイモンドの言葉にイルサは首を傾げた。揺れる金髪にレイモンドは指を絡める。
「……今ここで、姿を変えることはできるの?」
イルサの問いかけに、レイモンドはうなずいた。そして、イルサが瞬きする間に、“レイ”の姿になった。
視界の端から赤毛が消え、黒髪に代わる。目も青から茶色に代わっているだろう。
ただ、眼帯に覆われた左目の色だけは金から変えることが出来ない。
「レイは一番目立たなくてなりやすい形にしたんだ。正直赤毛は目立つしね。身体を変えるときは具体的に誰かをモデルにする方が楽なんだけど、あえてレイはそうしてない。だから、完全にもう一人の僕として作った。身体つきも変えてないから、動くときに違和感がないんだ。身長を伸ばしたり、逆に縮めたりっていうのも出来るけど慣れるまで時間がかかってしまうし。――その、性別を変えるのも出来るしやったことはあるけど、とても大変だった。あんまりやりたくないね」
「そう」
レイモンドはイルサが体を固くしたことに気づいて、ほくそ笑む。
「イルサ様」
耳元でささやくと、瞬間的に彼女の首が赤く染まった。レイも声はレイモンド自身にはいまいちわからないが、たぶんレイモンドのものよりも少し高い。
――信頼しきった“レイモンド”で彼女とくつろぐのも良いが、慣れていない“レイ”でも楽しめそうだな。
「どうせだから、こっちでもあなたに触れていいですか?イルサ様」
「その口調、やめて……!」
「愛してます、イルサ様」
「レイ……!」
身をよじったイルサを逃がさないように抱き込み、レイモンドは彼女に口づけた。
何度も彼の胸元をたたいて抵抗していたイルサだったが、舌を差し込み、深く口づけると徐々に動きを鈍くする。
口を離すと、目元を真っ赤にしたイルサににらまれた。
こういうのもいいな、と少し思いつつ、レイモンドが文句を言われる前に、彼女をソファーに押し倒した。
3年前の別れ際。レイモンドはイルサに愛を告白しようと思っていた。
しかし、結局言えなかった。
彼女はレイモンドが愛を囁く前に、彼を押しのけたからだ。
イルサのことは出会ってからずっと好きだ。
小賢しいと他の子どもに殴られ、逃げた先の牧場。
そこは“伯爵さま”の家だからいってはいけないと大人から何度も言われていた。
だからこそ、他の子どもから逃げるのに最適だった。大人は少なくともレイモンドが口を達者に説明すれば折れることが多い。
子どもは気に食わなければ、レイモンドを殴る。だから嫌だった。
――あなた何してるの?
牧場の馬小屋の陰で、ボーっと座り込んでいると一人の女の子がやってきた。同い年くらいの可愛い金髪の少女。
彼女にレイモンドは今まであったことを説明した。多分二度と会うことはないだろうと思ったのだ。
話し終わってすぐ、彼女は「私と一緒に遊べばいいよ」といった。
レイモンドは嬉しかったが、きっと彼女は他の子のようにいつか自分を気に食わないといってたたき出すと思った。でもそんなことはなかった。
彼女はレイモンドが小賢しいといわれるようなことをいっても、それを受け入れ、「レイモンドは頭がいいのね」と笑った。
レイモンドはそんな彼女をどんどん好きになっていった。
そして、ある日気づいた。
彼女の心には傷があった。幸せになってはいけないと思う、そんな気持ちだ。
彼女の生い立ちは彼女自身には聞いたことはなかった。ただ、彼女が“お父様”に特別な気持ちを持っていることはわかっていた。
田舎で噂されるものから王立学校で聞くもの、レイモンドはそれらから確信していった。
王立学校では卒業式に宰相であるジェスタッド公爵とその妻であるイルサの伯母が出席する。そして、成績優秀な卒業生に数名に今後の活躍を願う声をかけることになっていた。しかし、その年、次席であった彼女は宰相夫婦に声をかけられなかった。
主席のレイモンドの横にいたのに、だ。
わかりやすく無視された彼女がどれだけ傷ついたのか。
働き出してすぐ、彼女の従兄であるリチャードとも関わりが出来るようになった。
リチャード自身は優秀な善人で、彼であればイルサとも仲良くなれるだろうと間を取り持った。
一番彼女のそばにいて、一番彼女を理解して、彼女の一番は自分であることは確実だ。
しかし、彼女はそれをどうしたいのか持て余し、今のままでは受け入れられないことはレイモンドにはよくわかっていた。
だから、愛の言葉をいう前に押しのけられたのは想定内だった。
でも悲しくなかったとは言えない。
彼女は正直だが、嘘つきでもある。
帰ってくるといったのに、帰ってこなかったし、愛してるくせに愛してると言わない。
――だからかな。
レイモンドは思う。
自分は性根が悪いことくらい自覚している。イルサのためだけに行動してきたことばかりだ。
そして、愛する彼女すら、自分の希望通りに動いて欲しいと外から誘導してしまう。
結局、彼女から愛してるといってほしかった。それだけだろう。きっと。
今の自分は人間ではないのかもしれない。
正直、レイモンドは自分自身に不信感を持っている。
悪魔に身体を乗っ取られたことはない。ただ、自分自身が変質しているのではないかという不安がある。
姿を変えられ、ある程度人を操ることが出来る。万能ではないが、人を越えた存在になりはてた。おまけに左目の悪魔は気ままにレイモンドの中で話しかけてくるのだ。
しかし。
「レイ……」
まなじりを赤らめ、とろけきったイルサは悪魔と取引した自分と接して、この魂は“レイモンド・フォルード”だといった。そして、愛しているとまで。
それでいい。
レイモンドが自分自身をはかるよりも、イルサの言葉を信じよう。
彼女がそう思うのならば、自分は“レイモンド・フォルード”であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
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⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
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