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第10話
しおりを挟む夜。約束していた夜が来た。
今日はシャワーの順番が早かったため、髪を濡らしたまま来てしまった。一応まとめ髪にしている。
扉を開けたジルベルトの表情が一瞬固まった。
「何か、ありましたか?」
「あ、いや、大丈夫」
戸惑いながらも、入りなさいという言葉に入室する。
「先程買ったんだが、食べるかい」
いつもの棚から紙袋が出てくる。
「わあ、いいんですか?有難くいただきます」
随分図々しくなってきたものである。紙袋の中にはメレンゲのクッキーが入っていた。
「美味しそう!」
「召し上がれ」
いつもの席に座る。真正面に座るジルベルトが酒の入ったグラスを傾けている。それだけで絵画のように様になる。
クッキーを口に入れる。サクサクとした食感がしたかと思うとしゅわりと溶けていく。
「美味しいです。しゅわりと溶けちゃうからすぐ無くなっちゃいそう」
ジルベルトが満足そうに目尻に小皺が浮かぶ。
「食べたことがないな」
「あ、お一つどうぞ」
いけない、独占するところだった。一つ摘んで渡そうとすると、口を開けた。恐れ多いが口元に運ぶと、ぱくりと食べた。
「ああ、本当だ。すぐに溶けてしまった」
なんとも言えない甘い雰囲気だ。そう思っているのは私だけかもしれないけどと、浮かれる自分を落ち着かせようとする。
ジルベルトを見つめると、こちらを見つめ返してくれる。エマが見つめ続けると、ジルベルトの方が目を逸らした。
「……なんとも、言い難いが、とても魅力的で困っているよ」
「……え?」
「こんな歳も離れた男に言われても気味が悪いと思うが」
「そんなこと、ないです。嬉しいです」
「……口説かれて嬉しいなんて、軽々しく言ってはいけないよ?」
ジルベルトが少しきりっとした表情でエマを見つめる。
「口説かれて……?」
ジルベルトが困った顔で、髪をかきあけだ。
「ふー、どうしようか……単刀直入に言うと、エマに惹かれてるよ。とても」
ジルベルトの言葉に上手く頭が働かない。
「え、え?」
「遠征でまさか、こんなことになるとは思っていなかったんだ。こんなことを言われて困ると思うが、考えてくれると嬉しい」
「え?……え?とてもじゃないけど、信じられません……!」
「なぜだ?エマをこうして呼ぶのも、気があるからだよ。どうとも思わない女性をわざわざ呼んだりしない」
信じられない。頭が追いつかない。
突然、ノックが鳴った。
「団長、少し話が」
副団長の声だ。
「タイミングが悪いな。まだ話し足りないが……すまないが遅かったら部屋に戻っていてもいい」
ジルベルトが部屋を出ると、二人分の足音が遠ざかっていく。
何が起こった。信じられない。聞き間違いだろうか。一秒一秒、時間が過ぎていく度に幻聴だったのではないかという気になる。
喉がカラカラだ。頭を冷やしたい。居ても立っても居られず、調理室に飲み水を取りに行くことにした。
調理室で飲み水を口に含み、ぼんやりとする。
「夢の中にいるみたい」
上手く頭が働かない。何年も一方的に慕っているジルベルトに、考えてほしいと言われた。夢だったのではないかと混乱していると、複数の話し声が聞こえガラガラと音を立てて食堂の扉が開いた。エマはなんとなくしゃがんでしまい、カウンター越しに調理室に身を隠した。
「順位つけようぜ」
なんとなく出そこなってしまった。調理室でうずくまったままじっとする。
「やっぱり、マリーンさんが一位じゃね?」
「分かる」
「ソフィアさんもいいよなー」
「それも分かりすぎるー!美人だよな」
どうやら好きなメイドの順位をつけているようだ。恐らく新人騎士だろう。盛り上がっている様子に、時間がかかりそうだと溜息をついた。
「エマさんは?」
「エマさんは手ぇだしちゃ駄目って言われてるじゃん」
「あー団長ね」
「俺挨拶したのを見られて、この遠征の前も一度釘さされたぜ?」
(邪魔してたのって、もしかしてジルベルト様……?)
「結構本気なんじゃね?団長」
「んなわけねーだろ、公爵家のご子息だぞ」
「所詮、遊びだろ」
「遊びだったら別にいいじゃんね、俺エマちゃんがいっちゃん可愛いと思うー」
「わかる、結構おれもエマさんタイプ……」
「聞き捨てならないな、勝手に推測した話を広められては困る」
開けっ放しの入口からいきなり食堂に入ってきたジルベルトに、騎士達がガタガタと立ち上がり、お疲れ様です!と挨拶をしている。直立している姿が目に浮かぶ。
「エマがタイプだと言ったのは……」
「はいぃっ」
二人が返事をした。
「ふむ、本気であるならば」
一呼吸空く。
「私に勝てると思うなら、話しかけるといい」
騎士としても男としても、ほとんどの男が勝てる訳がない。騎士達は絶対的な強者の圧に震え上がったが、エマには見えていない。
「遊びであるならば、やめておいた方が身のためだ」
ジルベルトが出ていくと、息を止めていたように何人もの大きな溜息が聞こえてきた。
「ほら~~だから言っただろ?団長のお気に入りなんだって」
「つかあの感じ、付き合ってんじゃね」
「えー結構エマちゃん好きだったのに……」
「無理だろ、団長に勝てるわけないんだから」
「そうだぞ、止めとけ。温厚派って言われてるけど実力は過激派の第一騎士団長と互角らしいぜ」
「ええ!?国内最強と言われる第一の団長と互角!?」
もはやバケモンじゃん、と落胆するような声が聞こえると、興が醒めたらしい騎士達は食堂を出ていった。
少し時間を置いてエマはふらふらと食堂を出て、自室に向かう。先程の話は本当だろうか。騎士達に声を掛けられなかったのはジルベルトが牽制していたから?
それに今さっきも、怒りを孕んだ口調で騎士達に自分に勝てると思うなら、と言っていた。都合良く考えてもいいのだろうか。うーん、うーんと悩んでいると、自室の前に腕組みをしたジルベルトが立っていた。
「すまない、部屋の前で待つのは良くないとは思ったんだが、もう少し話せればと思って」
「はい、あ……入りますか?」
「いいのかい?」
「?はい」
部屋に入る。
「すぐ終わらせるよ、はっきりと言えていなかったから、それだけ伝えにきた」
「はい……」
「好きだから、私の恋人になってほしい」
はっきりとした言葉に、心がザワつく。
「信じられなかったんです、さっきまで。けど」
「けど?」
「さっきの、騎士達への言葉で、信じたくなっちゃいました……」
「やはりあの場にいたのか、自室にいなかったから、調理室にいると思っていた」
熱に浮かされるようだ。ジルベルトがエマの手を握る。ジルベルトを見上げた。
「騎士に声を掛けられたりしていないかい」
「えっと……アベルさんくらいですかね」
「あいつか……」
「本当に、私のこと、その……」
「ああ、好きだよ」
「とても、釣り合うとは思えない、です」
「それは公爵家のことかい?」
「そうです」
「何も問題ないよ。安心して私の手を取って欲しい。……エマの気持ちは?周りの環境など気にしないで、エマの気持ちが知りたい。夜中に、男を部屋に入れた理由を」
鋭い視線に縫い付けられたように目が離せない。
お遊びでも、それでもいいと思った。
この手を握り返せるのであれば、なんだっていいと思った。
「好き……もう、ずっと大好きです」
「嬉しい」
繋がれた手に少し力を入ったかと思うと、引き寄せられて、ぎゅうと抱きしめられた。あれほど憧れたジルベルトが自分を抱きしめている。
顔を見合わせると、顎に手をかけて上を向かされる。
「キスしてもいいかい」
ぼんやりとした頭で頷くと、優しい口付けが降ってきた。少しかさついた、柔らかな弾力に、現実のものとは思えない。クラクラする。触れるだけのキスは、想像していたよりもずっと、気持ちがいい。
「あの、えっと、騎士の皆様には内緒にしてほしいです……」
「なぜ?」
「恥ずかしいのと、士気に関わると思うので……」
「そうか?まあ、エマがそういうなら、遠征が終わるまでは秘密にしよう。ソフィアさんやマリーンさんには私達の関係を言ってもらって、もちろん構わないよ」
「ありがとうございます」
「明日も早い、離れるのは惜しいが、またゆっくり話そう」
「はい」
「あと、……私のことはジルベルトと、呼ぶこと」
もう一度優しいキスが降ってきた。反射的に瞑ってしまった目を開くと、色っぽいジルベルトの顔が離れていった。
「分かったね」
「はい……」
ジルベルトは満足そうに微笑むと、エマの頭を撫でて部屋を出ていった。
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