いつかの僕らのために

水城雪見

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神界での一幕

女神の事情

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 神だというのに儘ならない、いや、神だからこそ儘ならない、そんな状況に嫌気が差していて、現実逃避のように他の神々の世界を眺めるようになって、どれほどの時間が過ぎただろうか。
 といっても、時間の流れは曖昧で不確かで、現地の神との契約の元、転生させた魂は順番に生まれるわけではなく、生前は数百年前の時代を生きていた魂が、現代の魂よりも未来に転生するということも珍しくはなかった。
 想像力や発想力という点で、古い時代の魂は劣り、文明の発展にあまり役に立たないとわかってからは、好んで現代の、しかも若いうちに亡くなった魂を転生させるようになった。
 かの地の書物では、転生のときに神に呼ばれ、能力を授けられるという場面がよく書かれているけれど、ほとんどの神はそんなことなどしない。
 ごく稀に、気まぐれに声をかけることもあるだけだ。
 私が、彼に声をかけた時のように。


 過去の経験で、気まぐれを起こしても疲れるだけでろくなことにならないと学んでいたけれど、彼、吉崎麗とは話をしてみたかった。
 彼は勇者候補として、私がずっと目を掛けていた人間だったから。
 数ある制限の中で地球の魂を転生させても、思うように世界が変わることはなく、変わることがあってもまた衰退していく中で、わかりやすく世界に楔を打つために、勇者の召喚をすることを考えていた。
 もちろん、召喚など簡単にできるものではなくて、神力を大きく削られることになる。
 世界に勇者として認めさせるためには、誰もが納得するような大きな力を与えなければならない。
 けれど、下手な人間に過ぎる力など与えれば、世界が滅んでしまう。
 だから選定は慎重にしていて、複数の候補の成長過程を見守っていた。

 吉崎麗は、勇者候補の中でもダントツの魅力と能力を兼ね備えていた。
 麗しいという名に相応しく、美しい容姿を持っていたけれど、それだけでなく、魂が美しかった。
 一番身近な存在である母親に憎まれても歪むことはなく、ずっと見ていたいと思わせるような魅力を備えていた。
 ただの美しいだけの子供だったなら、彼はあんなにも母に疎まれずに済んだだろう。
 皮肉なことに、一番彼を憎んでいた母親が、一番彼の魅力を知っていた。
 だから、夫を取られると怯えた。
 憎んでいる自分ですら魅了してしまう息子に、夫が骨抜きにされてしまうことを恐れた。
 その結果、勇者として召喚する前に、彼は殺されてしまった。

 実際に話をしてみた彼は、無邪気な普通の少年のように見えた。
 父親に対する愛情以外はという、注釈がついてしまうけれど。
 普通、生まれ変わっても一緒にいたいという存在は、親ではなく、恋人や伴侶だ。
 だけど、愛することを知っていても、恋を知らない彼の一番の心残りは父親のことで、彼が一番欲していたのは、父親とまた親子として過ごす時間だった。

 勇者として召喚することは叶わなくなったけれど、彼の望みを叶えることを餌に転移させてみようと思った。
 彼がどんな風に生きていくのか、見てみたかった。
 圧倒的な魅力や能力を持ちながら、17歳という若さで儚く命を散らしてしまった彼が、生き直して幸せになるのを見届けたかった。
 


「主様、お客様は無事、旅立たれました。事前準備の時間を十分程に頂いたこと、たくさんの報酬を用意してくださったことに、心から感謝しておられました」


 有能な執事であるルーベンスが戻り、一仕事終えた達成感を滲ませながら報告をする。
 地上とは切り離した空間に作られた別荘に招き、ルーベンスを派遣しただけで、たいしたことはしていないというのに、彼は心から感謝してくれていた。
 報告されずとも、その心は伝わってきていた。
 

「勤勉で真面目、しかも謙虚なのは、あの国の国民性なのかしらね? まさか、転移させる段階で設定しておいたクエストを、彼がすべてクリアするとは、思ってもみなかったわ」


 神界や異世界の物を持ち込むとなれば、その条件は厳しく、彼がクエストをすべてクリアする可能性は、限りなく低いと思っていた。
 けれど、この先、一人きりで生きていくことになる彼の真剣さは予想以上で、彼はほぼ休むことなく研鑽を続けた。
 元々持ち合わせていた能力値が高かった上に、更に努力が重なって、彼は想定外の成長を遂げた。
 ルーベンスも目を掛け、親身になって教育していたので、より成長することができたのだろう。


「主様は、彼ならばやり遂げるだろうと、心のどこかで信じていたのではありませんか? 報酬を口実に、念願の異世界の食べ物を手に入れようだなんて、本当に困ったお方ですね。食事など必要としない身でありながら、食い意地が張り過ぎではありませんか?」


 異世界のお菓子箱を報酬として用意したのはやり過ぎだと、ルーベンスは感じているようだ。
 咎めるような視線に気づいて、ふいっと横を向くと、今度は呆れたようなため息が返ってくる。


「あれはどうしても必要だったの! どうにかして、あの子に届けたいものがあったのよ。完全に彼のための報酬かと言われると、そうではないけど、でも、まさか上級ダンジョンまでクリアするとは思わなかったんだもの。いくら従魔がいるからって、普通は中級ダンジョンでさえ、単独踏破は無理でしょう? あの子もすごいけれど、あの子の従魔も規格外よね。成長速度が半端なかったわ」


 お菓子箱は、上級ダンジョンの単独踏破報酬として設定してあった。
 しかも、すべての敵を倒し、すべての宝箱を開け、尚且つ1日以内という制限時間まで設けられていたのだから、それを成し遂げてしまった彼が凄いのだと強く主張したい。
 異世界のお菓子に興味はあったけれど、安易に持ち込んでいいものでないことはちゃんとわかっていた。


「お顔が笑っておられます。どうやら感謝しなければならないのは、お客様ではなく主様のようですね」


 ため息交じりに指摘されて、初めて食べたチョコレートの味を思い出してうっとりと蕩けかけていた顔を、慌てて引き締めた。
 それにしても、あんなに美味しいものが簡単に手に入るなんて、地球の神が羨まし過ぎる。

 
「でも、ルーベンスだって、彼のことを気に入ったのでしょう? あなたが人に祝福を与えるなんて、滅多にないことだもの」


 私と違い、私の使者にもなるルーベンスは、稀に地上に降りることもあるので、地上で暮らす人々との関りが全くないわけではない。
 だから過去に数度、地上で生きるものに祝福を与えたこともあったはずだ。


「私の祝福など、たいした効果はありませんから。ほんの少し病気に罹りづらくなって、ほんの少し、怪我などが治るのが早くなるだけです。お客様は回復魔法も使えますから、私の自己満足です。あの方は、何かして差し上げたいと、そういう気持ちにさせるような健気さをお持ちでした」


 一緒に暮らすうちに、ルーベンスは彼を随分気に入ったようだ。
 祝福には、彼の魂に印をつける意味もあったの違いないから。
 この先彼がどこに行っても、たとえ生まれ変わっても、ルーベンスが彼を見失うことはない。


「ルーベンスも見ているのなら、彼はきっと長生きするわね。……ルーベンス、お茶をいれて。一仕事終えて帰ってきたのだから、お茶に付き合ってほしいの」


 テーブルに、悩みに悩んで選び抜いた最初の取り寄せ品であるチョコレートの箱を乗せて、ルーベンスにお茶をいれてもらう。
 仕事の合間に時々見てはいたけれど、ルーベンスの口から彼のことを聞きたい。
 そしてこれから彼が、どんな風に生きていくのか、ここから見守るのだ。


「帰ってきたばかりだというのに、人使いの荒い。既にご存知でしょうが、お菓子のレシピをたくさんいただきました。主様が頑張った時には、ご褒美として作って差し上げます。あの方のためにも、しっかりと働いてください」


 どうやらルーベンスは、私をうまく操縦するための切り札を増やして帰ってきたようだ。
 思惑通りに動くのはちょっと悔しいけれど、でも、お菓子を作ってもらえるのは嬉しいから頑張るしかないかしら?
 これからきっと、世界が大きく変わっていく予感がする。
 明るい兆しに心を弾ませながら、まずは一仕事終えた執事を労うことにするのだった。



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