5 / 6
第五話 「やり直し」
しおりを挟む「本当に見たのか?」
「本当だって」
「見間違いじゃないのか?」
「うるさいなぁ、だから本当に見たんだって、夜ノ森冬花を」
大学からの帰り道で、僕は秋本かなでに何度も問いかけた。幼なじみを疑う気持ちはないが、どうしても信じがたい。
「そんなに気になるなら直接会いに行けばいいんじゃないの?」
「いや、それはそうなんだけど…」
秋本の言う通り、直接会いに行けばこの気持ちは晴れるのかもしれない。少なからず僕の人格の一部を作り上げた人物であり、現状の体たらくっぷりの原因は彼女である。でも、そんな理由で会いに行けるものか。夜ノ森さんにとってはとんだ迷惑だろう。相手は僕のことを知らないんだぞ。
「第一、何を話したらいいのか…」
「色々あるじゃない、めっちゃ好きです☆的な」
「お前もそれ言うのか!?」
「………あの見た目で見間違いなんてする筈ないじゃない。君も分かるでしょ」
「…まあ、な」
見た目。その人を認識するためには欠かすことのできない要素。活動休止前の記憶にある夜ノ森冬花の姿は誰の目にも留まるものだろう。月の光を照らしたような白の長髪、夜空を見つめる漆黒の眼。ピアノを弾くときに見せたどの感情にも似つかない表情は僕を魅了した。
憧れでもありトラウマでもある存在。
そんな相手とやり取りするなど、緊張して仕方がない。いい年(20)の大学二年生になっている人間が、人付き合いもできずろくに行動も起こせやしない。夏川の言っていたことが少し分かった気がした。
「そういや、大学内のどこで夜ノ森さんを見たんだよ?お前、なんか話したのか?」
「…ピアノ」
「え?」
「ピアノを弾いていたよ。『月光』の第三楽章を、誰もいない文化棟の音楽室で。私はその演奏を目の前で聞いていた」
夜ノ森冬花の『月光』。何回聞いたかすら覚えていない。あの演奏は僕の心を幾度となく震えさせた。
「でも、彼女はピアノを辞めたんじゃ…」
「公に活動休止を発表しただけだろう、個人的に弾いていてもおかしくはないよ。あれは夜ノ森冬花の音色そのものだ、嘘偽り無く…ね…っ」
秋本の肩が急に震え出した。彼女は右手でそれを押さえようとする。
「おい、どうしたんだ!?」
倒れそうになった彼女の肩を、僕はすぐに掴んだ。
「…たぶん、怖いんだよ」
「怖い?」
息を整えながら秋本は続ける。
「あの演奏、思い出すだけで身体の震えが止まらないんだ。恐怖に近いなにかに飲み込まれるような感じだ」
僕が小さい頃に味わった経験と似ている。あの秋本でさえ圧倒されるものなのか。彼女のピアノを聞いて音楽の道を諦めたという人間は大勢いるという話を聞く。
「…でも、私は君みたいにはならないよ、朝野春人」
姿勢を戻しながら秋本は俺の目をまっすぐに見て言う。少し瞳は潤んでいた。
「僕、みたいに?」
「もちろん、私も夜ノ森冬花に憧れている。あんな音楽を奏でたいと何度思ったか分からない。でも…、それでも、私はどんな演奏を聞かされようと、自分のヴァイオリンの音色を信じているよ。決して、折れない。負けたくない」
「………」
僕は、僕は本当に弱い。圧倒的なピアノを聞かされようと秋本は音楽を諦めていない。僕は、音楽だけでなく何もかも諦めてしまった。人との関わり。小さい頃に思い描いていたであろう将来の夢。全てを。
「まぁ、まず打楽器と弦楽器の時点で比較にならないさ」
皮肉たっぷりに秋本は言い放った。
「強いな、秋本は」
「君が弱すぎるんだよ。君がヴァイオリンを辞めるって言ったとき、私がどんな思いしたか…っ」
秋本からそんな言葉を聞くとは思わなかった。確かに練習を共にしていたが、技術も才能も秋本の方が格段に上だったはずだ。僕のこと、興味ないと思ってたけど…。
「…ごめんな」
「今更、謝るなよ」
「…秋本。僕、夜ノ森さんと、夜ノ森さんの音楽と向き合うよ。そして伝える。この気持ちを。誰とも知らない僕の思いを受け取ってくれるかは分からないけどね」
「…そ、まあ、頑張ってくれ」
秋本はポンと僕の背中を叩いてくれた。
今まで全てを諦めてきたけど。取り返しもつかないかもしれないけど。一応当分の目標は定まった。
「全部、やり直しだ」
今はただ、これしかない。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
女子ばっかりの中で孤軍奮闘のユウトくん
菊宮える
恋愛
高校生ユウトが始めたバイト、そこは女子ばかりの一見ハーレム?な店だったが、その中身は男子の思い描くモノとはぜ~んぜん違っていた?? その違いは読んで頂ければ、だんだん判ってきちゃうかもですよ~(*^-^*)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
俺にだけツンツンする学園一の美少女が、最近ちょっとデレてきた件。
甘酢ニノ
恋愛
彼女いない歴=年齢の高校生・相沢蓮。
平凡な日々を送る彼の前に立ちはだかるのは──
学園一の美少女・黒瀬葵。
なぜか彼女は、俺にだけやたらとツンツンしてくる。
冷たくて、意地っ張りで、でも時々見せるその“素”が、どうしようもなく気になる。
最初はただの勘違いだったはずの関係。
けれど、小さな出来事の積み重ねが、少しずつ2人の距離を変えていく。
ツンデレな彼女と、不器用な俺がすれ違いながら少しずつ近づく、
焦れったくて甘酸っぱい、青春ラブコメディ。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる