お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ

文字の大きさ
123 / 289
第13章 誰もいない屋敷の中で

二つの未来

しおりを挟む

 次の日の朝──結月が目を覚ますと、そこには、いつもより明るい日の光が射し込んでいた。

 気持ちよく晴れた朝。だが、日の高さからすれば、普段起きる時間より、少しだけ遅いのがわかる。

「う……っ」

 軽く身じろぐと、結月は気だるい体をムクリと起き上がらせた。

 いつもの部屋の、いつものベッドの上。そこから、うつらうつら辺りを見回せば、ふと机の上に目が向いた。

 そこに置かれえいるのは、大切にしている、あの"空っぽの箱"と、"ルナ"と名付けた猫のぬいぐるみと、有栖川からかりた文庫本。
 だが、その文庫本を目にした瞬間、結月は、昨夜のことを思い出した。

「……ッ」

 顔は、無意識に赤くなって、それと同時に体が熱を持ちはじめた。

(あ……私、昨日……五十嵐と……っ)

 ──コンコンコン。

「!?」

 瞬間、扉をノックする音が響いた。
 びくりと肩を弾ませ、反射的に返事をすれば、その後、一礼して入ってきたのは──執事の、五十嵐 レオ。

「おはようございます。お嬢様」
「……っ」

 いつもと変わらず、平然と挨拶をする執事を見て、結月は信じられないとばかりに目を見開いた。
 昨晩、あんなことをしたばかりなのに、どうして、こんなにも普通に振る舞えるのだろう。

「お加減は、いかがですか?」

「……い、いかがって」

「昨晩は、少々無理をさせてしまいましたから、お疲れなのではないかと」

「……っ」

 ベッドの側まで歩み寄った執事は、その後、結月の頬に触れ、また微笑みかけてきた。

 その手には、昨夜とは違い、しっかりと白い手袋をしている。それなのに、頬に触れたその仕草が、昨夜のそれと同じで、熱く求めるあの姿を鮮明に思い出してしまう。

「ッ……それは、あなたが、あんなことするから」

「そう、怒らないでください。私はですよ」

「っ……だけって」

「むしろ、キスだけで我慢したことを褒めていただきたいくらいです。まぁ、それだけでも十分、熱い夜にはなりましたが」

「ッ……」

 その言葉に、結月はより一層頬を赤らめた。ベッドの上に二人でいるせいか、昨夜されたことを、今の自分たちに照らし合わせてしまう。

 昨夜、結月は、このベッドの上で、五十嵐に幾度となく口付けられた。

 始めは、触れるだけの優しいもの。だけど、それは次第に激しくなって、唇だけでなく、頬や額、首筋など、いたる所に口付けられた。

 それは、まるで、身体中に刻みこもうとでもするように……

(ダメ、思い出しちゃ……っ)

 距離が近づけば、キスをされた場所が、まるで反応でもするかのように熱くなってくる。

 恥ずかしすぎて、どうにかなってしまいそう。

 だが、何よりも恥ずかしいのは、執事にキスをされて、いけないことをしていると分かっていたはずなのに、拒絶するどころか『やめないで欲しい』と思ってしまったこと──

「お嬢様」
「……っ」

 すると、また執事が話しかけてきて

「そんなに可愛らしい顔をなさらないでください。また、押し倒してしまいそうです。それとも、今からまた続きを致しますか? まだ、しばらく相原たちも戻ってこないでしょうし」

「ッ……続き」

 ドン──!!

 その後、結月は反射的に執事を突き放すと、慌ててベッドから抜け出した。
 窓際まで駆け出し、できる限り距離を取ると、結月は、涙目になりながら、激しく執事を威嚇する。

「五十嵐、あなた、自分が何をしているか分かってるの!? こんなこと、お父様たちに知られたら……!」

「知られたら、なんですか?」

「なんですかってッ……解雇されるに決まってるじゃない! 私は、あなたの主人よ! それに婚約者だっているの! 大体、五十嵐だって、ルイさんという大切な」

「あー、ルイは彼女ではありませんよ」

「──え?」

 瞬間、結月は目を見開いた。

「な……なに、言ってるの?」

「ですから、ルイは私の彼女ではありません」

「か、彼女じゃないって……でも、先日」

「あれは、お嬢様が私の彼女に会いたいとおっしゃったので、をたのんだだけです」

「だ……代役?」

 あまりの出来事に、結月は小さく肩を震わせた。
 言葉の意味が、上手くのみ込めない。

「どういう、こと……だって、言ってたじゃない。とても大切な人がいるって……自分を救ってくれた、世界で一番愛しい人だって言ってた相手は、ルイさんじゃないっていうの!」

「違いますよ」

「……っ」

 だが、それは、あまりにもハッキリと。
 それどころか、寸分の迷いすらなく吐き捨てられたその言葉に、結月は息を詰めた。

 ルイさんは、五十嵐の──彼女じゃない?

「……じゃぁ、五十嵐に、彼女はいないの? どうして、そんな……嘘をつくの?」

「…………」

 疑心や不安が押し寄せると、目尻に軽く涙が浮かんだ。今まで信じていた人が、まるで別人のように見えた。

 あんなにも、彼女のことを愛おしそうに語っていた五十嵐は、何だったのだろう。

 五十嵐とルイさんの幸せを、本気で願った自分はなんだったのだろう。

「彼女ならいますよ」
「……え?」

 だが、その後、執事はいっそう柔らかな声を放つと、再び、結月の側まで歩み寄る。

「ですが、の名前をいってしまったら、私はこの屋敷に居られなくなりますから」

「本当の……彼女?」

「はい。昨日もお伝えしましたよね。お嬢様とキスをするのは初めてではないと。私の彼女は──お嬢様、ですよ」

「え……?」

 目線を合わせ微笑む執事は、とても愛おしそうに自分を見つめていて、結月はただ立ち尽くした。

「私が……彼女?」

「はい」

「……あ、頭、大丈夫?」

「ふふ、別に狂ってなどおりませんよ?」

 だが、そのあまりにもな回答に、結月が疑惑ありげな視線を向ければ、執事は、これまたにっこりと微笑んだ。

「まぁ……今は、なにを言っても信じて頂けないかもしれませんが、私のこの言葉に、嘘や偽りは、一切ありません。ただ、お嬢様がです。それに、旦那様たちにはバレませんよ」

「え?」

「昨夜のことを知っているのは、私とお嬢様だけです。お嬢様が話さない限り、誰にもバレることはありません」

「……それは、そうだけど」

「お嬢様、私はです。私を、この屋敷に残すのもクビにするのも、全ては、お嬢様の手の内にあります。強引に唇を奪った執事の顔など、二度と見たくないと仰るなら、すぐにでも切り捨てて構いませんよ。お嬢様が、もう会いたくないと仰るなら、私は二度と、お嬢様の前には現れません」

「……え?」

 もう、二度と──?

「……では、私は、朝食の準備をしてきますので。お嬢様も身支度を整えてください」

 そう言うと、執事はあっさりと踵《きびす》を返し、結月の元をさっていく。だが、その姿をみて、不思議と焦りのようなものを感じた結月は、とっさに執事の腕にしがみついた。

「ま、待って! ねぇ、私は何を忘れているの!?」

 確かに自分の中には、まだ分からない時間がある。思い出せない──何か。

 だが、その質問に、執事は表情を変えぬまま

「話せば、私を選んでくださいますか?」

「……え?」

「全て話したあと、お嬢様は、餅津木 冬弥ではなく、私を愛してくださいますか?」

「それは……っ」

「……どうやら、お嬢様に、まだそのようなはないようですね。ならば、私も話せません」

「……どうして? あなたは、私に思い出して欲しいのでしょう?」

「思い出して欲しいですよ。この屋敷に来て、お嬢様が記憶をなくしているとわかった時から、ずっと、そう願っておりました。ですが、話した上で、お嬢様が、私を選んでくださらなかったら……もう、立ち直れそうにありませんから」

 悲しげに囁けば、執事は、また結月の頬に触れ、柔らかく微笑む。

「ですから、どうしても気になるというなら、自力で思い出してください」

「……っ」

 優しく触れた手が、また離れていく。それが、何故か無性に寂しく感じてしまうのは、何故だろう。

 自分はもっと、警戒しなくてはいけないはずなのだ。この男を──

 それなのに……っ

「……もし、私が思い出せなかったら、あなたはどうするの?」

 再び、背を向け歩き出した執事に向けて、結月は、再度問いかけた。すると

「……どうもしませんよ。選ぶのは、お嬢様です。この先、餅津木 冬弥と結婚して、好きでもない男の子供を産む人生を選ぶか。はたまた、素性も知れない執事と駆け落ちして、一生束縛された人生を選ぶか──ですよ」

「…………」

 そう告げた執事は、今度こそ部屋から出ていって、結月は一人残された部屋の中で、ぼそりと呟いた。

「私の、人生……」

 駆け落ち──それは、結月だって知っていた。
 親も家もなにもかも捨てて、好きな人と逃げる。

 まるで夢物語のような、現実離れした提案。

「そんなこと……私に、出来るわけ……っ」

 頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
 だけど、これだけはわかった。

 きっと自分は、これまで五十嵐のことを、たくさん、傷つけていたのだと──

(夕べ……泣いてた)

 口付けの合間に目にした、執事の悲しげな表情。

 昨夜、五十嵐は、泣きながら自分にキスをしていた。狂おしいくらいの口付けと同時に、涙が頬を伝って、彼の切ないくらいの感情が、キスを通じて流れ込んで来るようだった。
 
 思い出して──と。
 もう、忘れないで──と。

(でも……どうして?)

 わからなかった。自分が昔、好きだったのはモチヅキ君で、そして、そのモチヅキ君は、あの餅津木 冬弥で──

「っ……何が、どうなってるの?」

 上手く、記憶が繋がらない。
 分からない。思い出せない。

 ねぇ……五十嵐、あなたは誰?

 私は、本当に────あなたの恋人だったの?

しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

処理中です...