お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ

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第13章 誰もいない屋敷の中で

無防備な君に

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冬弥とうや様、そろそろ阿須加家に向かう、お時間です」

 部屋の奥でくつろいでいた冬弥に、メイドが声をかけた。
 キレイめの服装で、印象良くまとめた冬弥は、吸っていたタバコを灰皿に押し付け、深く息をつく。

(……よりによって、あの屋敷に呼ばれるなんて)

 今日、阿須加家の令嬢・結月と会う。あれから、少しほとぼりが冷め、あちらも婚約することに多少の諦めがついた頃だろうと、こちらからしかけた。

 だが、まさか会う場所が、あの屋敷とは思わず……

(あの女、思い出したりしないよな?)

 微かな、不安がよぎった。昔一度だけ、あの阿須加の屋敷に訪れたことがあった。

 好きな男がいると拒絶された、あの日だ。

 もし、あの時のことを、結月が思い出してしまったら

(……俺たちの計画も、全部水の泡だ)




 ✣

 ✣

 ✣




「お嬢様。昨日は、突然お休みを頂き、申し訳ありませんでした」

 冬弥を招く直前、部屋の中で身支度をする結月に、メイドの恵美めぐみが声をかけた。

 昨日は、恵美も愛理あいりも休んでいて、執事と二人きり。昨夜のことを思い出すと、自然と体が熱くなってくる。

 だが結月は、それを気取られぬように、恵美にいつもどおり返事を返す。

「大丈夫よ。ご親戚が亡くなったのでしょう。恵美さんこそ、大丈夫なの? もうしばらく休んで、ご実家でゆっくりしてきてもよかったのよ」

「大丈夫です。親戚と言っても、あまり接点のない叔母ですし……それに私、今は両親と喧嘩中なので、あまり長居したくはなかったので」

「え?」

 恵美の話に、結月は瞠目する。
 まさか、両親と喧嘩中だったなんて──

「だから、うちで住み込みで働いてるの?」

「はい、そうなんです。家出した時に、たまたまメイド募集してるって話を聞いて……でも、この屋敷につとめるメイドや執事は、みんな優秀な方ばかりなので、ダメだろうとは思ったんですけが、斎藤さんと矢野さんが、行くところがないなら、うちで働きなさいって」

「……そうだったの」

「はい。申し訳ありません。本当なら、もっと優秀なメイドが来ていたはずなのに……」

 しゅんとする恵美をみて、結月は「そんなことないわ」と、そっと恵美の手を握りしめた。

「私ね、恵美さんが来てくれてよかったって思ってりわ。歳が近くて、こんなに気さくに話してくれるメイドさん、今までいなかったから」

「お嬢様……っ、実は私の親もすごく理不尽で、だから、お嬢様の気持ちは、凄くよくわかるんです! もし困ったことや悩んでいることがあったら、遠慮なく相談してくださいね!」

「……ありがとう、恵美さん」

 その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなる。親には恵まれなかったけど、使用人には恵まれた。それを、改めて実感するから……

 だけど、もしここで、恵美さんに五十嵐のことを相談したら、彼女は、どう思うのだろう。

 さすがに、それだけは相談出来ない。

「お嬢様、失礼致します」
「……!」

 すると、その瞬間、執事がやってきた。扉が開けと同時に目が合えば、結月は無意識に視線をそらす。

「相原さん、お嬢様の身支度は整いましたか?」

「はい、バッチリです! 今日は、一段と可愛らしいですよ!」

「そのようですね。冬弥様も、さぞかしお喜びになるでしょう」

 ニコニコと、いつもの笑顔で、いつもと変わらない丁寧な返事をかえす執事。だが、冬弥が喜ぶといったその言葉が、どことなくトゲトゲしい。

 まぁ、それに気づいたのは、結月だけだが……

「もうすぐですね、冬弥様がくるの」

「そうですね。相原さん、お嬢様のことは、あとは私がいたしますので、冬弥様をお出迎えする準備を、お願いできますか?」

「はい、かしこまりました。では、お嬢様、失礼します」

「え、えぇ……」

 すると、恵美はそそくさと部屋から出ていって、部屋には、結月と執事の二人だけが残った。

 空気が重い。 

 そして、二人きりになると、また昨夜のことを思い出してしまう。

(どうしよう。こんな状態で、冬弥さんに、会うことになるなんて……っ)

「お嬢様」

「はぃ、──んッ」

 すると、執事が目の前まで来たかと思えば、また唇を奪われた。

 頬に手を添え、同時にきつく抱きよせられれば、昨夜と同じように求められる。

「ん、……は、ぁッ」

 熱い舌が口内に入り込めば、深く深く絡めとるような口付けに、結月は翻弄されていく。

 屋敷の中で、それも鍵すらかかっていない部屋の中で。だが、それから暫くして、唇が離された。

 結月が、涙目のままレオを見上げれば、悩ましげな表情を浮かべる結月を見て、レオが一笑する。

「一晩で、大分上達しましたね。呼吸の仕方くらいは覚えましたか?」

「っ……」

 意地悪くそう言われ、顔が真っ赤になった。
 昨晩、あんなにされたのだ。さすがに息の仕方くらいは覚えた。

「何考えてるのッ……今は、恵美さん達も屋敷にいるのよ……っ」

「分かっておりますよ。ですが、お嬢様があまりに無防備なので、忠告しておこうと思いまして」

「……忠告?」

「はい。そのように隙を見せるのは、私の前だけにしてください。特に、餅津木 冬弥の前では、もっと気を引き締めて頂かないと……ね?」

「ひゃ……ッ!」

 すると、今度は耳元で遊びように囁きかけられた。まるで、聞き逃すなとでも言うように、甘い忠告の言葉が、鼓膜を伝って中に入り込む。

「す、隙なんて、見せてな……っ」

「そうでしょうか? 俺にあっさり唇を奪われて、今もこうして抱きしめられていて、隙だらけではありませんか」

「ッ……それは」

「それは?」

 それは、きっと──五十嵐だから。でも

「と、冬弥さんの前では……こんなことにはならないわ!」

「……どうでしょうね? では、一つだけをしてください」

「や、くそく?」

「はい。今日はあの男に、指一本ふれさせないようにしてください」

「え? 指、一本も?」

「はい」

「で、でも……んッ、」

 そう言うと、また口付けられた。

 まるで、反論すらさせないように、優しく優しく言葉を奪われて、呼吸の合間に、また愛の言葉を囁かれる。

「約束ですよ。お嬢様は、俺だけのものですから」

 それはまるで、誰にも渡さないと、そう訴えかけるように。だが、不思議とそれを、心地よいと思っている自分に、結月は罪悪感を抱く。

(なんで……っ)

 無理やりキスされているのに、それを受け入れしまう自分がいる。

 突き放さなきゃいけないのに、縋り付くように、しがみつく自分がいる。

 強引すぎるほどのその愛の言葉に、満たされてしまっている自分がいる。

(っ……最低)

 自分はなんて、最低な女なんだろう。

 選ぶべき相手は他にいるのに、冬弥さんのことを好きにならないといけないのに

 その冬弥さんと会う前に
 執事と、こんなことをしてるなんて──


「……来たみたいですね」
「……!」

 瞬間、唇が離れたと同時にそう言われ、結月はハッと我に返った。

 ふと外を見れば、屋敷の中に車が一台入って来るのが見えた。──餅津木家の車だ。

「約束、忘れないでくださいね」

 すると、再び念押しするように、執事に囁かれた。
 指一本触れさせるな──だが、婚約者が相手となると、それは、かなり難易度が高い。

「っ……で、でも」

「もし破ったら、次は、もっと酷いことをしてしまうかもしれませんよ」

「え……? もっと、酷いこと?」

 その言葉に、キスより先のことを想像して、結月は混迷する。穏やかに笑いながらも、その声はとても低く、それが冗談でないことが伝わってくる。

 だけど、それだけは、絶対に超えてはいけない。

「わ、わかったわ……必ず……守ります」

 意を決して、そういうと、執事は満足そうに微笑んだ。

「では、私は冬弥様を、お出迎えして参りますので、お嬢様は、そのリンゴのように赤い顔を何とかしてから、下におりてきてくださいね」

「なっ!?」

 誰のせいで、こうなっていると思っているのか!?
 だが、また、楽しそうに笑った執事は、結月を置いて部屋から出ていって、結月は、まだ熱いその唇にそっと手を伸ばす。

「どうしよう……っ」

 忘れようと思っていたのに、頭の中も、体の中も、なにもかもが、五十嵐のことばかりになってしまっている。

「これじゃぁ、忘れたくても……忘れられないじゃない……っ」
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