249 / 289
最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ⑦ ~ 息子 ~
しおりを挟む「お客様、大丈夫ですか?」
それからしばらくし、泣きはらした私は、ベッドの上に腰かけていた。
私の必死の頼みもあってか、男は、警察にとどけることはせず、その後も、私に付き添ってくれた。
だけど、涙は止まっても、身体の震えは一向に止まらず、そして、そんな私の姿を、男は心配そうに見つめていた。
「何か温かい飲み物でも、お持ちいたしましょうか?」
「いら、ない……だから、もう少し……ここにいて……っ」
私が首を振り、離れることを拒めば、男は素直に受け入れた。
それに、どうやら彼は、私が阿須加家の人間だとは、気づいていないようだった。
でも、知らないのは当然かもしれない。
女である私は、会社経営には全く関わらせては貰えなかったし、洋介がいるホテルに行くことはあっても、こちらのホテルに来ることは、全くなかった。
それに、長次郎のことですら、彼は阿須加家の人間だと気づいていないのだろう。部屋に駆け込んできた時、彼は義兄のことも『お客様』と言っていたから。
だけど、知らないなら、その方が良かった。
阿須加家で不祥事が起きたと思われるよりは、お客様同士のトラブルとして有耶無耶になった方が、ずっといい。
だから、決して名乗ることなく、あちらの名を聞くことすらせず、やり過ごしていた。
でも、仕事中に、いつまでも拘束してしまうことに関しては、多少なりと罪悪感を抱いた。
「ごめんなさい……いつまでも、付き合わせて……仕事は大丈夫なの?」
「はい。そこは、ご心配なさらずに……夜勤明けで、もう業務を終えたあとのことでしたので、貴女が、落ち着くまで、側にいますよ」
そう言って、優しく微笑んだ姿に、縮こまっていた心が、かすかに和らぐのを感じた。
なにより、今の時刻は、午前10時過ぎ。
こんなに時間に呼び出されて、あんなことがおこるなんて、夢にも思っていなかったけど、夜勤明けということは、夜中働いたあとに、今こうして付き合ってくれているということ。
きっと、疲れているだろうし、早く家に帰りたいだろうに、嫌な顔一つせず、寄り添ってくれる。
この世には、義兄のように酷いことをする男もいれば、彼のように、守ってくれる人もいる。
だからか、この時の私が、必要以上に男性に恐怖心を抱かずにすんだのも、きっと、彼のおかげだと思う。
「ありがとう……こんなに良くしてくれて。やっぱり、私が、あなたの奥さんに似てるから?」
落ち着くまでいてくれると聞いて、ほっとした私は、更に問いかけた。する男は、少し驚いた顔をして
「泣いている女性を置き去りにして帰る男は、そうはいないとは思いますが」
「そう、かしら?」
「そうですよ。でも、妻に似ているからと言われたら、それもあるかもしれませんね。あなたが泣いていると、どうにも落ち着きません」
少し困った顔をして、それでいて、どこか愛おしそうに見つめる姿に、私に、妻を重ねているのだとわかった。
そして、それと同時に、彼の妻を、羨ましく思った。
彼は、洋介や長次郎よりも遥かに若く、まだ20代なのは、話せばすぐにわかった。
肌もハリもあって、細いながらも逞しい体躯をしていて、その上、俳優のように整った顔立ちと、サラサラの黒髪。
その姿は、こんな辺鄙な場所のホテルマンにしておくには勿体ないほどの美青年で、こんなにも優しく眉目秀麗の男に愛された女は、きっと幸せだと思った。
なにより彼の妻は、この男の子供まで授かっている。
しかも、男の子を──…
「息子は……可愛い?」
「え?」
そして、なんの脈絡もなく言葉を発すれば、男が、間の抜けた声を発した。いきなり子供の話題をだされれば、困惑もするだろう。
だけど、私が話をふれば、その後、ま私の心を和らげようとでもするように、男は軽い口調で話し始める。
「可愛いですよ。妻が命をかけて、産んでくれた子ですから。家に帰れば、よちよち歩きながら抱きついてきて、本当に、目に入れても痛くないほど可愛くて……ずっと、守っていきたいと思う大切な宝物です」
そう言って、優しい目をした彼は、まさに父親だった。息子のことを、とても可愛がっているのが、よく伝わってきて、ますます、素敵な人だと思う。
「そう。その子は、奥さんに似てるの?」
「いいえ。それが、残念なことに、俺にそっくりで。でも、耳の形だけは、妻によく似てますね」
「耳?」
「はい。そこだけは、本当に妻にそっくりで──」
そう言って微笑んだ彼は、また、妻のことを思い出したのだろう。少し寂しそうだった。
いや、少しではない。
その愁いのある表情が、たまらなく寂しいと訴えているのように見えて、無性に胸が切なくなった。
我が子が生まれたことを喜ぶと同時に、愛しい人を亡くしたのだ。辛くないはずがない。
「それより、これから、どうしますか?」
すると、男が、静かに語りかけてきて、私は隣に座る、彼を見つめた。
「ご家族は? どなたか、迎えには来れますか?」
「…………」
0
あなたにおすすめの小説
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる