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第6章 死と絶望の果て
第89話 飛鳥とお母さん
しおりを挟む「お兄ちゃんのお母さんて、どんな人なの?」
キッチンに華の声が響いた。
だが、その後すぐまた沈黙が訪れると、そこには、火にかけた鍋のグツグツと煮える音だけが残った。
華の言葉を聞いて、横にいた兄の雰囲気が重くなったのを感じた。
それにつられて、部屋全体の空気も重くなる。
「……なんで?」
兄が口を開いた。
少し、ぶっきらぼうに。
だけど、どこか脅すような、冷たい声──
「だって、 私たちのお母さんの話はいっぱいしてくれるけど、飛鳥兄ぃ、自分のお母さんの話は全くしてくれないから、ちょっと、聞いてみたくなっちゃって!」
これ以上、空気を重くしないよう、華はあえて明るく話すと
「飛鳥兄ぃは……お母さん似なんでしょ?」
「……」
その言葉を聞いて、兄は更に黙り込んだ。
それは、ずっと避けてきた質問だった。
だけど、同時にずっと思っていた。
できるなら、自分たちも、ちゃんと知っておきたい。
お兄ちゃんの、子供の頃のこと──
「さぁ……小さい時のことだから、覚えてないや」
だが、そんな華の気持ちを知ってか知らずか、兄はまたニコリと笑ってそういった。
(……あぁ、まただ)
私、知ってるよ。
お兄ちゃんが、嘘つく時、いつも笑いながら、視線をそらすの。
覚えてないなんて嘘だよね?
なんで、話してくれないの?
昔からお兄ちゃんは、妙に大人っぽくて、考え方もしっかりしてて、全然子供らしくなかった。
家族にだって、友人にだって、弱いところなんて全然見せてくれない。
私たちが頼りないから?
守られてばっかりだったから?
私たちは、お兄ちゃんに甘えられた。
弱音もいっぱい吐けた。
でも、お兄ちゃんには、いるの?
甘えて弱音をはけるような、そんな人──
──バタン。
瞬間、玄関のドアが閉まる音がした。
それに気づき、ふと時計をみると、時間も進み、蓮が帰ってきたのだと理解する。
「ただいまー」
「お帰りー、部活どうだった?」
蓮の声が響くと、冷たくなった部屋の空気も同時に息を吹き返した。
さっきの今なのに、兄のその雰囲気は、また「いつもの兄」に戻り、帰宅した蓮に、にこやかに声をかける。
相変わらずのポーカーフェイス。
隠し事がうまい兄だから、悩んでいても、辛いことがあっても──気づけない。
「入部したばかりだし、いまはまだ基礎しかやってないよ」
蓮が兄の問いに答えた。
華はそれを見て、気づかれぬように小さくため息をつくと、気持ちを切り替え、いつものように明るく会話に加わる。
「試合とかあったら応援いくからね! 飛鳥兄ぃと一緒に♪」
「え? 俺も行くの?」
「来るな! 気が散るし迷惑」
蓮は、手にしていた鞄をソファーに置き、ネクタイを緩めると、キッチンから漂う美味しそうな匂いにつられて、カウンターテーブルから、キッチンの中を覗きこむ。
「それより、腹減った。今日の夕飯なに?」
「今日はお魚の煮付け! 私が作ったんだよ!」
「へー、不味そう」
「はぁ!? 食べてから言え!」
「俺が教えたんだから、大丈夫だよ」
わちゃわちゃと揉め始めた双子を見て、飛鳥が口を挟む。先生がいいのだから、味に問題はないだろう。
「魚の煮付けねー。華、家庭料理にも挑戦し始めたんだ」
「そうですよ~。いつかのために"花嫁修業"もしとかなきゃだし!」
「「…………」」
──花嫁修業。
その言葉に、蓮と飛鳥はおもむろに顔をしかめると
「旦那が可哀想……」
「このレベルで嫁にいったら、姑にいびられるね?」
「だから、なんで人のやる気を削ぐような事いうの!? もっと応援してよね!」
相変わらず、華の恋愛面に関しては手厳しい兄と弟。だが、そんな華をみて、蓮は何を思い立ったのか
「そういえば華、お前今、好きな人いるの?」
「ん?」
その珍しい質問に、華は蓮を見つめて、目を丸くした。
「えーなに、いきなり! 好きな人とかいないし!」
「じゃ、好みのタイプは?」
「タイプ?」
「やっぱり……兄貴みたいな人?」
「「え?」」
キッチンにいる二人が、声をあげたのは同時だった。蓮の意外な言葉に、華と飛鳥は、一瞬顔を見合わせると
「いや、ない! 飛鳥兄ぃはない! こんな人タイプにしてたら、結婚とかできないし! それに飛鳥兄ぃって、なんか独占欲強そう!」
「はぁ? 俺のどこが、独占欲強いんだよ!?」
「えー、だって飛鳥兄ぃって、 好きな子いじめたくなるタイプでしょ、絶対!」
「あーわかる。本当に好きな子の前じゃ素直になれなくて、ついつい意地悪するくせに、自分以外の人と仲良くしてるのは嫌とか、そんな感じのやつでしょ」
「そうそうー超迷惑なやつ!」
「……」
和気藹々と話す妹弟の姿に、飛鳥は複雑な心境になる。
なんで、そんな「超めんどくさい男」だと思われているのか。
「でも、兄貴がタイプじゃないなら、どんな人がタイプなの?」
すると、また蓮が話を戻して、華はうーんと腕を組み、考え込む。
「……タイプって言われても」
「なんか、芸能人でも身近な人でも、具体的になんかないの?」
「どうしたのよ、急に」
「いいから」
「うーん……」
すると華は、数秒考え込んだあと
「あ! 隆臣さんみたいな人!」
「「はぁ!?」」
瞬間、兄と弟が同時に声を上げた。一瞬にして場の空気が凍りつき、なにより酷く狼狽えたのは兄との飛鳥。
「ちょ……お前、嘘だろ!?」
「だって、隆臣さんて優しいし、すごく頼りになるんだもん! それに、運動できる男の人ってカッコいいな~って!」
「あいつは、やめとけよ」
「いや、別に隆臣さんが好きとはいってないでしょ! 好みのタイプの話でしょ?」
「あんな都大会で優勝するような空手バカ、そこら辺にいるわけないだろ」
「もう! 別に優勝するような人がいいって言ってる訳じゃないし!!」
「……」
キッチンの中で、もめはじめる飛鳥と華。
蓮は、そんな二人を見つめながら、学校での航太との会話を思いだすと、ほんの少しだけ、申し訳ない気持ちになる。
(榊ごめん、お前が目指すべきなの、うちの兄貴じゃなかった……!)
──トゥルルルル!
「!?」
するとそこに、一本の電話の音が鳴り響いた。
突如、響いたその音に三人は同時にリビングに備え付けられた固定電話に視線を向けると、その電話の相手が誰なのか察した飛鳥が、パタパタと移動し受話器を取ると、電話先の相手ににこやかに声をかける。
「もしもし、父さん?」
『あー飛鳥か? そっちはどうだ?』
かけてきたのは、ロサンゼルスにいる侑斗だった。だが、急にかかってきた電話に、飛鳥が何事かと首をひねると
「どうって? 特に変わりはないけど、どうしたの? なにかあった?」
『いや、別に何もないんだけどね~声聞きたくなったって言うか、今すぐお前達のこと抱き締めて、キスしたいなーって♪』
「…………」
大学生と高校生の子供たちを捕まえて、キスまでしたいと言う父。飛鳥はそんな父に向かって、にっこりと微笑むと
「そう……とりあえず、病院行ってこい」
と言って、ガチャリと電話をきった。
「え?! 今のお父さんでしょ!? なんで、切るの!?」
「大丈夫、いつもの病気。今度は抱き締めてキスしたいって」
「またかよ!? 毎度毎度、なんでそんなこと言うために、わざわざ海外から電話してきてんの!? ホームシックなの!? いい年して!!?」
とんでもない発言をしてきた父に対して、苦笑いを浮かべる三人。
そして、侑斗はと言うと──
「ちょっと、聞いて~。最近、子供達の塩対応がきつすぎるんだけどさ~なんでだと思う?」
突然切られた電話に虚しさを感じたのか、愛する妻の写真にむかって、一人愚痴をこぼすのであった。
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