神木さんちのお兄ちゃん!

雪桜 あやめ

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第9章 【過去編】偏愛と崩壊のカタルシス

第129話 偏愛と崩壊のカタルシス⑫

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「ふぅ、こんなもんかなー」

 アメリカ ロサンゼルス──

 海外赴任中である侑斗は、社宅として借りているワンルームの掃除を終えると、視線を流し時計を確認した。

 日本とは16時間ほど時差がある、現在のアメリカの時刻は11時8分。

 お昼前に差し掛かったのを目にし「そろそろ、昼飯でも作るか?」と、手にしたモップを片付け、キッチンで軽く手を洗うと、侑斗は冷蔵庫の中を確認する。

(昼から、買い出しいかなきゃな)

 昼のメニューを考えながら、冷蔵庫の中が空になりはじめていることに気づくと、侑斗は誰もいない部屋で、ひとり呟いた。

 今日は、仕事が休みだ。

 だからこそ休みの日には、掃除に買い出しにと、何かと忙しかったりする。

 ──トゥルルルル!

 すると、その瞬間。部屋のチェストの上にある固定電話が、突然音を立てた。

 侑斗は、冷蔵庫をしめチェストの前まで移動すると、そのまま受話器をとる。

「Hello!」

 明るく英語で返事をし、相手先の声に耳を傾ける。すると

『……父さん』

 どうやら、電話をかけてきた相手は、息子の飛鳥だったようで、侑斗は久しぶりに聞く我が子の声に顔をほころばせると、いつものように日本語に戻し明るく声をかけた。

「あー俺の可愛い可愛い飛鳥くん♪ 珍しいな~お前からかけてくるなんてー。もしかして、パパの声が聞きたくなっちゃ……」

 ──と、そこまで言って、侑斗はあることに気づく。

「──て、お前そっち今、夜中の3時とか4時だろ!? 丑三つ時まっただ中に、なにしてんの? こんな時間まで起きてたの!? どうしたの!? 眠れないのか!?」

 こちらは昼前だが、日本は夜中。
 侑斗は、そのことに気づくと、電話先で声を上げる。

『…………』

 だが、侑斗の問いかけに、飛鳥はなかなか応えようとはせず、侑斗は、いつもと違う息子の雰囲気に、妙な胸騒ぎを感じると、神妙な面持ちで再度声をかける。

「飛鳥どうした? なにか、あったのか?」

 日頃はあまり、子供たちからはかけてこない。

 にも関わらず、あの飛鳥が、それもこんな夜中に、わざわざ電話をかけてきた。

 なら、きっとなにか──


『父さんに……話したいことがあるんだけど……聞いて、くれる?』

 電話先で小さく言葉を放った息子の声は

 とてもとても弱々しい声だった。

「……どうした?」

 侑斗は、そんなわが子を心配し、一段と柔らかい口調で、声をかける。

 すると、飛鳥は小さく息を飲んだあと


『父さんは……』

「……」

『父さんは、が、今どうしてるか? 
 なにか、しってる?』

「──え?」

 瞬間、侑斗は自分の耳を疑った。

 俺の……母親?

「それは………のことか?」

 受話器をきつく握りしめ、声を重くし応えた。

 すると、飛鳥が躊躇い気味に「……うん」と、一言だけ声を発した。

「いや、俺は何も……ミサアイツとはあれ以来あってないし……どうしたんだ、いきなり。お前、ミサのことは……あんなに───」

『あの人、今……俺たちと同じ街にいるよ』

「!?」

 あえて明るく発した声を、飛鳥が遮る。

 息子から発せられたその言葉に、みるみるうちに表情を硬くした侑斗は、焦り、声を上げる。

「な、なんでッ、お前まさか……っ!?」

『いや、大丈夫。見かけた……だけだから』

 侑斗が声を荒げると、飛鳥がまた言葉を返した。だが、電話ごしに聞こえたその声は、あまりにも沈痛な声色で、飛鳥が、辛そうに顔を歪めているのが、なんとなくだが、見えた気がした。

「……本当に、大丈夫だったのか?」

『……』

 心配し声をかければ、その言葉に飛鳥が再び押し黙る。

 すると──

『大丈夫じゃ、なかった……っ』

「ッ……」

 唇を噛み締めながら呟いた息子の声に、あの時の古い記憶が蘇る。

 ああ、この子は、まだ

 こんなにも──


『でも……俺、もう逃げないよ』

「……え?」

『まだ、大丈夫ではないし、どうすればいいかは分からないし、時間はかかるかもしれないけど……ちゃんと、向き合うから──』

 不意に放たれた言葉に、侑斗は目を見開いた。

 ずっと、ずっと避けてきた。

 飛鳥が思い出さないように──

 なぜなら、それは、飛鳥にとって「忘れたい過去」だったから。

 でも、この子は、今それを、忘れずにちゃんと受け入れて、乗り越えようとしてる。

 必死に、前に進もうとしている。


『あのさ、父さん……っ』

 すると、飛鳥がまた遠慮がちに声を発する。

 侑斗は、目を瞑り、その先の言葉にそっと耳を傾ける。

『もし……俺が、あの人の───』

 だが、その先の言葉が発せられることはなく

『ごめん……なんでも、ない』

「…………」

 飛鳥がその言葉を飲み込むのを、侑斗は砂を噛みつぶすような思いで聞いていた。

 飛鳥は、父親にすらあまり頼ろうとはしない。

 一番、理解してあげられる立場にありながら
 一番、助けてあげられる位置にいながら

 俺は、飛鳥を救えなかった。

 きっと、あの日──


 ──お前はもう、俺の子供じゃない──

 あの言葉を口にした瞬間、俺は失ってしまったのだろう。

 この人は裏切らない。

 この人は自分を見放さないという

 絶対的な「信頼」というものを──


 一度失った「信頼」は、そう簡単には取り戻せるものではなくて

 でも、それでも、長い長い時間をかけて、やっとの思いで取り戻してきた。

 だけど──

 それでも未だに
 素直に頼ることすら躊躇させてしまうほど

 俺が、幼い飛鳥に植え付けてしまった
 あの「絶望」と「悲しみ」は

 今もまだ、その心に残ってる。


 でも、それでも───


「飛鳥……」

 侑斗は、受話器を手にしたまま、空いた片方の手で、チェストの上に飾られた写真立てを手に取ると、その写真を見つめて、柔らかく笑みを浮かべた。

 それは、華と蓮の高校入学を記念して、家族4人で撮った真新しい写真だった。

「俺、ほんとダメな父親で……間違った選択ばかりしてきて……お前のことたくさん、傷つけてきた」

 それは、懺悔するような、だけど、とても優しく包むような声だった。

 飛鳥は、そんな父の声に黙って耳をすませると…

「でも……俺はもう絶対に、お前たちの手を離したりしない」

『……』

「だから、飛鳥が前に進めるようになれるなら、俺にもその手伝いをさせてほしい。我慢しないでいい。わがまま言って、困らせて、泣いてわめいてもいい……何があっても俺はもう、お前を見捨てたりしない」

 その言葉に、飛鳥は手にした受話器をきつく握りしめる。

「だから、悩んでいるなら、辛いことがあるなら、どんな些細なことでもいいから、いつでも連絡しておいで……俺は、この先何があっても、ずっとお前の"父親"で"家族"だから──」

 その優しい、いつもと変わらぬ父の声。

 飛鳥は、その声に、その言葉に、どこかほっとしたような笑みを浮かべると、続けて呆れたような声をあげる。

『はは……いいの? 夜中に電話して、安眠妨害しちゃうかもよ?』

「どんとこいよ! 超絶可愛い自慢の我が子たちのためなら、俺、寝なくても平気! あ。でも、コール音は長めにしてね~起きれなきゃ意味無いから」

『じゃあ、起きるまで、しぶとく鳴らしとかなきゃ♪』

 受話器から、聞こえた息子の笑い声に、侑斗は再び笑みを漏らす。

 すると、飛鳥がほんの少し間を開けたあと、またボソリと呟いた。

『それと俺、ちゃんと、わがまま言ってきたよ』

「え?」

『克服できたら、髪も切るから……俺のわがままに付き合わせて、ごめんね、父さん』

 その言葉を聞いて、侑斗は飛鳥が中学の頃の古い記憶を思い出す。

 ◇◇◇

 それは、飛鳥が中学2年の時。

 朝食の準備をしていたら、突然ガラスが激しく割る音が響いて、侑斗が慌ててかけつけると、飛鳥が、洗面台の鏡を素手で叩き割っていた。

『飛鳥!? お前、なにして……っ』

 日頃、暴力的な事は一切しない飛鳥の珍しい姿に、侑斗が慌てて駆け寄ると、飛鳥は自分の手から滴る血には目もくれず、まるで恐ろしいものをみたかのように、ひどく青ざめた顔をしていた。

 その頃の飛鳥は、成長期に入り、ますますミサの面影を宿すようになってきていて、侑斗は割れた鏡をみて、鏡に映った自分に母親の姿を見たのだと察すると、震えながら荒く息をする飛鳥を、抱き寄せようと手を伸ばす。

 だが──

『兄貴! なにしてんの?!』
『ちょ、お兄ちゃん、手怪我してる?!』

 手を差し出す前に、華と蓮がかけよってきて、侑斗はハッと我に返る。

 飛鳥にとって、母親のことは絶対に二人に知られたくないことだった。

 でも、こんな兄の姿を見たら、二人だってきっと──

『あぁ、ごめん……つまづいたら……つい、割っちゃった』

『いや、ついってレベルじゃないよ!!』

『どんな豪快なつまづき方したんだよ!?』

『あはは……』

 華と蓮に気取られないようにと、冷や汗をかきながらも、必死に笑顔を作るその飛鳥の姿に、侑斗は酷く胸を締め付けられた。

 そうまでしても、ミサのことを、この二人には、知られたくないのだと、深く深く実感した。

 そして、それから飛鳥は、まともに鏡を見なくなった。

 中性的で美しい母親似のこの容姿が、ここまで飛鳥を苦しめるなんて、考えもしなかった。

 だけど、それから、暫くたったころ──

『飛鳥、髪伸びたな。まだ、切らないのか?』
『……うん。伸ばしてみようと思って』

 飛鳥が髪を伸ばし始めた。

 伸ばしてしまうと、更に母親に似てしまうのに?

 一瞬、疑問に思った。

 だけど、飛鳥なりにそれを克服しようとしているのが伝わって来て

『そうか……』

 侑斗は何も言わず、そのまま飛鳥を見守ることにした。

 ◇◇◇


「髪伸ばしてたの、お前のワガママだったのか?」

『まぁ……似てたでしょ、俺すごく……父さんだって、見てるの辛かったんじゃないかなって』

「まー確かに、似てたな。お前女の子みたいだったし、高校のころとか一番似てたかもな。正直、骨格どうなってんのーって、マジでおもったけどねー」

『……』

「でもな飛鳥。たとえどんなに姿が似ていても、飛鳥は飛鳥だ。だから、お前を見てミサを重ねることはなかったよ……俺にとっては、どんな姿でも、可愛い息子だからな」

『……あはは、あいかわらず、親バカ』

「誰がこんな親にしたんだかなー」

 父の言葉に、飛鳥はクスクスと笑いだすと、いつものように言葉を返す。

 すると、侑斗は一瞬だけ間を開けたあと、手にした写真を見つめ、再び語りかけたはじめた。

「華と蓮、最近頑張ってるんだってな? あの子たちも、もう子供じゃない。お前の後ろで、隠れて泣いてたあの子達も、今じゃ、お前を助けて支えてあげられるほど、しっかり成長した。だからな飛鳥……もう、あの子達の"母親"でいる必要はないんだよ」

『……』

「だから、これからは、普通のお兄ちゃんとして、一人の男として、自分の幸せを考えて、生きていけばいい。お前が、今まで頑張ってきた分、今度は俺達がお前に返す番だ。だから、どうか俺達を信じて、安心して前に進め。俺は──俺たちは、飛鳥の幸せを誰よりも願ってるよ」

 父の言葉に、自然と目頭が熱くなる。

 胸を突き上げてくる感情が、まるで暗雲を晴らすように、涙となって溢れてくると

『っ……ぅん……ありがとう……父さん』

 飛鳥はただただそう言って、涙を流した。

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