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章1

幕間 【どこかの世界の誰かの話:記憶】 (2)

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 暗黒の塔地下最深部、扉の間。

 ガイアを扱えぬものには決してその口を開けようとしないという、塔の最終フロアを守る大きな扉があった。

 扉は、ヤクモが訪れたことを知ってゆっくりと開かれていく。

「あの扉の先に闇目のボスキャラがいるんだよな」

「ああ。だが」

「わかってるって。油断はしない。倒したら即撤退、だろ?」

 今回対策のしようがなかった代わり、ヤクモにはイグニス・ファトゥスとの融合で得た闇目に関する知識をすべて共有しておいた。

 俺たちが「闇目の創造主」として戦うことになる相手は、これまで闇目の創造主を”倒した人間たち”の成れの果てであること。

 倒した際にフロアの扉が閉まり、戦闘後の消耗した体のまま閉じ込められて「フロアに食われる」こと。

 食われると、次代の創造主の器として体を乗っ取られるであろうこと。

 それらを聞いたヤクモは、戦って勝って、飲み込まれた人たちを解放しなきゃ、とますます今回の決戦に意欲的になった。

 ……俺は、悪魔イグニス・ファトゥスそのものになったということを、ヤクモに告げられずにいた。

 彼を守るためなら、自分がヤクモにどう思われるかなんて二の次三の次だったはずだ。

 打ち明けても、きっとヤクモは笑って受け入れてくれただろう。
 ウィリーには変わりないから、とか言って。

 ただ、自分が彼のために人であることをやめたとなったら、そうはならない。
 それが恐ろしかった。

 今思えば、何もかも前もって話をつけておいて、無理にでも……彼を騙してでも、自分と「契約」させておくべきだった。




 創造主との戦いに二人とも五体満足で勝てたのは僥倖だった。
 この戦いは、倒して終わりではない。

 戦闘を終えて、息をつく暇もなく扉の向こう側へ駆け抜ける。

 閉まりつつあった扉の隙をすり抜けて、背後に響いた扉の重い音でようやく肩をなでおろす。
 ヤクモも自分の隣で荒い息を整えている。

 ようやく、終わりだ。
 勇者を失うことなく、俺たちは勝利を収めた。

「やったな、ヤクモ」

「ん! エナたちは大丈夫かな」

「あいつらはまあ、無事だろう。殺しても死なねえようなやつらだからな」

 ヤクモが立ち上がって、俺に手を差し伸べてきた。
 エスコートのつもりか、と軽口をたたきながら手を取る。

 ……取ろうとした。

「ウィリー!」

 触れようとした手は、彼自身の手によって振り払われた。
 何事かを把握する前に、勢いよく後方へ”引きずられていく”ヤクモの体を追う。

 間に合わない。
 とっさに短距離転移を使って、寸でのところでその手を掴んだ。

 一度閉じられたはずの扉が、再び開いている。

 見れば、ヤクモを扉の中へ引きずり込もうとしているのは闇色の触手、としか言いようのない物体だった。

「おいヤクモ! 俺と契約しろ! そうすれば、おまえを外に――」

 ああ、違う。
 対価を提示して、了承を得て、それで初めて契約になる。

 心臓が口から転がっていくかというほどの目まぐるしい動悸を抱えながら、ヤクモの左手を握りしめる。

 これを、離すわけにはいかない。
 契約するまでは、彼を救うまでは。

 咄嗟に言葉の出てこない自分に、ヤクモが首を振った。

「ウィリー、おれは行くよ」

「なに言って――」

「行って、皆を解放してくる。じゃないといつかまた、皆は人を食らうようになる」

 大丈夫だよ、おれは創造主になったりはしないから。

 どこからその自信が来るのか、普段ならなんとなく安心さえ覚える根拠のない宣言。
 今は自分に焦燥を募らせるだけだ。

「そんなこと俺が、許すか……!」

「……わかってたんだ。ウィリーは、おれのわがままに付き合ってくれてるだけだってこと」

 扉の縁に足をかけ、闇の触手に抗うように彼を引き上げようとしていた俺は、その言葉で凍り付いた。

「それでよかった。いくらでも利用してくれてよかった。それでウィリーが幸せになれるなら、おれのものになるなら、ぜんぜん構わなかった」

 知られていたのだ。
 ベッドの中で、幾度となく囁いた彼への愛が、睦言が、本心ではなかったことを。

 彼を利用するために、彼の求めに応じていたことを。

「ウィリーに、おれのこと好きになってほしかった」

 闇の中に飲まれつつあるヤクモと、その時、目が合う。

 彼は、いつもどおり笑っていた。

「頼ってほしかった。かっこいいって思ってほしかった。……愛してほしかった。おれもずっと、そういう打算で勇者やってたもん」

 ガイアによって生み出される神器。
 ヤクモの槍が、もう片方の手に現れる。

 それはごく短く持たれ、切っ先がヤクモ自身の手首に向けられた。

 何をするつもりなのか、その時、理解してしまった。

「馬鹿やめろ!」

「ね、ウィリーのこと、おれに守らせて。わがままは、これで最後にするからさ」

「ヤクモ!」

「じゃあ、またね」

 掴んだ手は、離さなかった。
 なのにそれきり手がぷつんと軽くなって、反動で俺はその場に転がるはめになった。

 慌てて身を起こす。

 追い縋ろうとした扉は、かたく閉じられた。




 閉じられた扉の向こうで何が起きているのか、俺には確かめることができなかった。

 契約などなくとも、自分一人の転移ならいつどこへでも可能なはずだ。

 だが、扉の向こうへだけはどうしても向かうことができず、戦いを終えたエナたちが最下層へ降りてくるまで、俺は何度も扉を叩き続けた。

 扉の向こうへ転移できなかった理由は、今なら想像がつく。

 たとえば、隙間も空洞も少しも存在しないような大岩の内部に転移しようとしても、うまくいかない。
 何かしらのオブジェクトが詰まっていて転移が発動しないのと、この時の状況はほとんど同じだった。

 つまり、扉が閉じられたあの時、扉の向こうは生き物が生存できない空間になっていたのだ。

 暗黒の塔地下最深部、扉の間にて。
 闇目の創造主とともに、勇者ヤクモは命を落とした。

 帰投後。
 レイアへの報告書には、そのように記載された。

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