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章1
幕間 【どこかの世界の誰かの話:転輪】 (1)
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「仕方ありません。
他国にヤクモを奪われたというわけではありませんし、救世主の仲間たち……エナ、オルグ、そしてウィリアム、あなたたちを召し抱えていれば、替えにはなるでしょう。
命を賭して戦い、世界を救ってくれた”我が国の英雄”ヤクモの記念碑でも用意させましょう」
勇者だけを失って国へ戻った俺たちに、レイアはさして表情を変えることなくそう告げた。
もともと勇者はこの国の人間ではない。
戦死したのがこの国の民ならばまだ彼女の心は動いたのかもしれないが、よその世界の子供ひとり程度、彼女が悼むわけがなかった。
形だけ、よりもたちのわるい記念碑だ。
勇者の活躍、命を賭けた戦いは、これからはすべてこの国のものとして伝えられていくのだろう。
「長い間お疲れさまでした。あなたたちにはしばし休暇を与えましょう。
勇者一行の帰還と創造主の討伐の祝賀会が終わったら、ですが」
エナもオルグも、勇者召喚から続いていた長い仕事を終えてやっと解放されたとばかりの態度である。
……俺も同じか。
ヤクモからすれば、彼の好意を利用していたぶん彼らよりも自分の方がよっぽど酷い男だったはずだ。
休暇ね。
俺たちは勇者の代わりだ。
どうせ他国へ引き抜かれないようこれまで通り監視がつくに決まっている。
――そこまで考えて、ふと気が付いた。
今の俺に監視など無意味だ。
意のままに空間を跳躍し、姿を消すことができる。
そしてそれを、レイアたちは知らない。
知っているのは……知っていたのはヤクモだけだ。
やめたやめた。
こんな世界、さっさと捨てちまえ。
彼が救った世界だ、まさか滅ぼしてやろうなどとは思いはしないが。
それでもこの世界に居続けること自体がもう、苦痛だった。
レイアへの報告を終え、久方ぶりの自室に戻ってベッドに腰かける。
あれだけ一緒に過ごしたのに、ヤクモの私物はないに等しい。
装備品をはじめとする彼の数少ない荷物は、すべてあの地の底で彼とともに朽ちてしまった。
「……いや、ある」
ヤクモがよく読んでいた、故郷から偶然持ち込んでしまった書物。
父親の持ち物を整理している時に召喚され、偶然持ってきてしまったものだったそうだ。
あの本も、彼とともに扉の向こうへ消えていった。
だが、全てのページは頭の中にある。
彼とベッドをともにした夜、手慰みにあの本に目を通していたことが幸いした。
確かあれは、ニホン語、と言ったか。
その言語を使っている世界を、探して回るのもいい。
そしていつか、彼の故郷にたどり着き、ニホン語を習得したら。
今はただの模様の羅列でしかない、形のないその本を、1ページずつ、一文字ずつ、大切に読んでいこう。
彼の名前を、ニホン語で書けるようになる日が来るかもしれない。
その夜、俺はイグニス・ファトゥスの力を使い、世界を跳躍した。
二度とあの場所には帰るまい。
彼のことを、自分も彼と同じ気持ちで見ていたのかどうかは、最後まで分からずじまいだったが。
……あの夜の、彼の熱だけが、忘れられずにいる。
-----
「ようウィリー、調子はどうだい?」
「良いか悪いかでいうなら悪い」
「ははは、良いやつはこんなところにはいねーよなあ」
いつもこの広場で顔をあわせる、名前すらうろおぼえの男が親しげに話しかけてきた。
普段は一本だけのよれた煙草をごく短くなるまで所持しているような男だが、今日の彼の手には黒一色でさまざまな絵の描かれた書物がある。
「それは?」
「んあ、ヤるだけヤって金は払えねーってやつがいてよ。代金がわりにいただいてきた」
まあ、それ自体はよくある話だ。
俺があちこちの世界を巡り、いま滞在しているこの世界――とくにこの国は、もといた世界よりも高度な文明と技術力を持っているにも関わらず貧富の差が著しい。
なんの職にもありつけなかったあぶれものが、ここらで観光客を引っかけて日銭を得ている。
たまに金品でも食料でもなく、なんのために使うのかすらよくわからないものをいただいてくるやつもいる。
ちょうど今日の彼がそれにあたるのだが――。
「……ちょっと見せろ」
絵の描かれたその本に、見覚えのある言語が記されている。
今の俺の、旅の理由。
……俺の探し求めていた言語だ。
「これを、旅行客が持っていたんだな?」
男の手から奪い取った本の内容を確認する。
間違いない。
ではやはり、この世界がヤクモのいた場所。
この国にいま、彼と同郷の人間が観光へ訪れているのだ。
「ああ。日本人はホラ、海外の言葉に苦手意識があるっていうの? ちょっとまくし立てるだけで丸め込まれてくれるから、狙い目っちゃ狙い目だな」
もちろん飯とホテル代はあっち持ちだ、と、俺の手から本を奪い返した男が笑う。
「日本……人……おい、その日本ってのはどこだ? この世界のどのあたりの国の人間だ?」
「どこっておまえ、知らねえの? あれだよ、我らが偉大なる冒険家マルコ・ポーロが伝えた黄金の国ジパング。
ずーっと東の海に囲まれた島、Japanだ。いやマジであいつら金持ってるわ」
どうやらこの世界において、日本というところは広く知られた国らしい。
ヤクモから聞いていた情報を、念のため男にも確認する。
「東の海……島国……確か、黒髪の人間が多く居るんだったか?」
「そりゃアジアだしな、ほぼ黒髪だろ。なんだ、ウィリーはオリエンタルな顔立ちが好みかい?」
なるほど、ほぼ確定と見ていいだろう。
あとはどうやってその国を見つけ出すか、だ。
転移は可能だが、位置情報が詳しく分からないことには手探りで東方面を洗っていくしかない。
「いや。それより、日本には目印になるような城や建造物はないのか」
「城お? 日本の城はヴェネツィアの城とは全然違うって話だぜ」
「建造物は? 特徴的な形状の山や観光名所でもいい」
「おいおい、そんなの生まれてこの方貧民の俺が知ってるわけねえだろ。
あー、フジサンってえなあ、山だったかな?」
フジサン? 妙な名前だ。
山の名称らしきものを男から聞き出すことができたが、こいつからはこれ以上情報を得られるとは思えない。
話をそこそこで切り上げて、広場を後にする。
「おおーい、どこ行く気だ」
「日本人が狙い目だって言ったのはおまえだろ。俺も引っかけてくる」
そう言えば、男も必要以上に追ってこようとはしない。
市場の特売に向かう友人を見送るかのような気安さで、男が付け足した。
「おう、それなら喫煙所がおすすめだ。頑張れよー」
日本人は、いちいち喫煙所なんかで吸っていくもんなのか。
アドバイスはありがたく受け取って、言われた通りに喫煙所に足を向ける。
この世界の文明レベルは、既に地図が軍事機密でもなんでもないところまで行きついている。
地図ひとつの金銭的価値までは知らんが、旅行客なら地図くらい持っているだろう。
譲ってもらえなくとも、一度でも見せてもらえりゃ俺なら暗記できる。
他国にヤクモを奪われたというわけではありませんし、救世主の仲間たち……エナ、オルグ、そしてウィリアム、あなたたちを召し抱えていれば、替えにはなるでしょう。
命を賭して戦い、世界を救ってくれた”我が国の英雄”ヤクモの記念碑でも用意させましょう」
勇者だけを失って国へ戻った俺たちに、レイアはさして表情を変えることなくそう告げた。
もともと勇者はこの国の人間ではない。
戦死したのがこの国の民ならばまだ彼女の心は動いたのかもしれないが、よその世界の子供ひとり程度、彼女が悼むわけがなかった。
形だけ、よりもたちのわるい記念碑だ。
勇者の活躍、命を賭けた戦いは、これからはすべてこの国のものとして伝えられていくのだろう。
「長い間お疲れさまでした。あなたたちにはしばし休暇を与えましょう。
勇者一行の帰還と創造主の討伐の祝賀会が終わったら、ですが」
エナもオルグも、勇者召喚から続いていた長い仕事を終えてやっと解放されたとばかりの態度である。
……俺も同じか。
ヤクモからすれば、彼の好意を利用していたぶん彼らよりも自分の方がよっぽど酷い男だったはずだ。
休暇ね。
俺たちは勇者の代わりだ。
どうせ他国へ引き抜かれないようこれまで通り監視がつくに決まっている。
――そこまで考えて、ふと気が付いた。
今の俺に監視など無意味だ。
意のままに空間を跳躍し、姿を消すことができる。
そしてそれを、レイアたちは知らない。
知っているのは……知っていたのはヤクモだけだ。
やめたやめた。
こんな世界、さっさと捨てちまえ。
彼が救った世界だ、まさか滅ぼしてやろうなどとは思いはしないが。
それでもこの世界に居続けること自体がもう、苦痛だった。
レイアへの報告を終え、久方ぶりの自室に戻ってベッドに腰かける。
あれだけ一緒に過ごしたのに、ヤクモの私物はないに等しい。
装備品をはじめとする彼の数少ない荷物は、すべてあの地の底で彼とともに朽ちてしまった。
「……いや、ある」
ヤクモがよく読んでいた、故郷から偶然持ち込んでしまった書物。
父親の持ち物を整理している時に召喚され、偶然持ってきてしまったものだったそうだ。
あの本も、彼とともに扉の向こうへ消えていった。
だが、全てのページは頭の中にある。
彼とベッドをともにした夜、手慰みにあの本に目を通していたことが幸いした。
確かあれは、ニホン語、と言ったか。
その言語を使っている世界を、探して回るのもいい。
そしていつか、彼の故郷にたどり着き、ニホン語を習得したら。
今はただの模様の羅列でしかない、形のないその本を、1ページずつ、一文字ずつ、大切に読んでいこう。
彼の名前を、ニホン語で書けるようになる日が来るかもしれない。
その夜、俺はイグニス・ファトゥスの力を使い、世界を跳躍した。
二度とあの場所には帰るまい。
彼のことを、自分も彼と同じ気持ちで見ていたのかどうかは、最後まで分からずじまいだったが。
……あの夜の、彼の熱だけが、忘れられずにいる。
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「ようウィリー、調子はどうだい?」
「良いか悪いかでいうなら悪い」
「ははは、良いやつはこんなところにはいねーよなあ」
いつもこの広場で顔をあわせる、名前すらうろおぼえの男が親しげに話しかけてきた。
普段は一本だけのよれた煙草をごく短くなるまで所持しているような男だが、今日の彼の手には黒一色でさまざまな絵の描かれた書物がある。
「それは?」
「んあ、ヤるだけヤって金は払えねーってやつがいてよ。代金がわりにいただいてきた」
まあ、それ自体はよくある話だ。
俺があちこちの世界を巡り、いま滞在しているこの世界――とくにこの国は、もといた世界よりも高度な文明と技術力を持っているにも関わらず貧富の差が著しい。
なんの職にもありつけなかったあぶれものが、ここらで観光客を引っかけて日銭を得ている。
たまに金品でも食料でもなく、なんのために使うのかすらよくわからないものをいただいてくるやつもいる。
ちょうど今日の彼がそれにあたるのだが――。
「……ちょっと見せろ」
絵の描かれたその本に、見覚えのある言語が記されている。
今の俺の、旅の理由。
……俺の探し求めていた言語だ。
「これを、旅行客が持っていたんだな?」
男の手から奪い取った本の内容を確認する。
間違いない。
ではやはり、この世界がヤクモのいた場所。
この国にいま、彼と同郷の人間が観光へ訪れているのだ。
「ああ。日本人はホラ、海外の言葉に苦手意識があるっていうの? ちょっとまくし立てるだけで丸め込まれてくれるから、狙い目っちゃ狙い目だな」
もちろん飯とホテル代はあっち持ちだ、と、俺の手から本を奪い返した男が笑う。
「日本……人……おい、その日本ってのはどこだ? この世界のどのあたりの国の人間だ?」
「どこっておまえ、知らねえの? あれだよ、我らが偉大なる冒険家マルコ・ポーロが伝えた黄金の国ジパング。
ずーっと東の海に囲まれた島、Japanだ。いやマジであいつら金持ってるわ」
どうやらこの世界において、日本というところは広く知られた国らしい。
ヤクモから聞いていた情報を、念のため男にも確認する。
「東の海……島国……確か、黒髪の人間が多く居るんだったか?」
「そりゃアジアだしな、ほぼ黒髪だろ。なんだ、ウィリーはオリエンタルな顔立ちが好みかい?」
なるほど、ほぼ確定と見ていいだろう。
あとはどうやってその国を見つけ出すか、だ。
転移は可能だが、位置情報が詳しく分からないことには手探りで東方面を洗っていくしかない。
「いや。それより、日本には目印になるような城や建造物はないのか」
「城お? 日本の城はヴェネツィアの城とは全然違うって話だぜ」
「建造物は? 特徴的な形状の山や観光名所でもいい」
「おいおい、そんなの生まれてこの方貧民の俺が知ってるわけねえだろ。
あー、フジサンってえなあ、山だったかな?」
フジサン? 妙な名前だ。
山の名称らしきものを男から聞き出すことができたが、こいつからはこれ以上情報を得られるとは思えない。
話をそこそこで切り上げて、広場を後にする。
「おおーい、どこ行く気だ」
「日本人が狙い目だって言ったのはおまえだろ。俺も引っかけてくる」
そう言えば、男も必要以上に追ってこようとはしない。
市場の特売に向かう友人を見送るかのような気安さで、男が付け足した。
「おう、それなら喫煙所がおすすめだ。頑張れよー」
日本人は、いちいち喫煙所なんかで吸っていくもんなのか。
アドバイスはありがたく受け取って、言われた通りに喫煙所に足を向ける。
この世界の文明レベルは、既に地図が軍事機密でもなんでもないところまで行きついている。
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