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硝子の向こうの姉妹(1)
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西伊豆の崖を叩く雨は、都会のそれとは違う。
もっと暴力的で、重たい質量を持っている。 ババラ、ババラ、と屋根を打ち据える音は、まるで無数の小さな手でノックされているようだ。
その音が、あたしたちの城を外界から完全に切り離すカーテンになってくれるから、あたしは雨の日が好きだ。
リビングの暖炉には火が入っていないけれど、お兄様の部屋はオイルヒーターの熱で満たされている。
湿った空気と、暖かい油の匂い。
お兄様はベッドに腰掛け、分厚い革表紙の本を読んでくれている。
あたしは、その足元のカーペットに寝転がり、お兄様の膝に頭を乗せていた。
「……こうして、王子は呪いを解くために、西の果てへと旅立ちました」
お兄様の声は、チェロの音色に似ている。 胸の空洞に深く響いて、あたしの頭蓋骨を直接撫でてくれるような、甘い振動。
あたしは目を閉じて、その振動を味わう。 物語の内容なんてどうでもいい。王子がどうなろうと、姫が死のうと知ったことではない。 重要なのは、お兄様が今、「あたしのために時間を割いている」という事実だけだ。
お兄様の細い指が、時折あたしの髪を梳く。 その体温。脈打つ指先の血管。
すべてがあたしのものだ。
この幸福な時間が永遠に続けばいいのに。
ふと、お兄様の声が止まった。
ページをめくる音もしない。
ただ、お兄様の呼吸の音が、少しだけ乱れたのが聞こえた。
「……お兄様?」
あたしは目を開けて、下からお兄様の顔を見上げた。
お兄様は、あたしを見ていなかった。
あたしの顔の輪郭をなぞるように見つめているけれど、その焦点は、ここではない「どこか」で結ばれている。
硝子玉のような瞳。 そこに映っているのは、今のあたしじゃない。
匂いが、変わった。
さっきまでの清潔な石鹸の匂いが消えて、もっと湿っぽい、古い灰のような匂いが立ち昇る。
これは「追憶」の匂いだ。
お兄様の脳みその中で、海馬と呼ばれる記憶の貯蔵庫が、激しくスパークして、焦げついている匂いだ。
――何を見ているの?
あたしは興味をそそられた。
そして同時に、胸の奥がチリチリと焼けるような不快感を覚えた。
お兄様がいま見ている景色の中に、あたしはいない。
お兄様は、あたしの身体越しに、別の誰かを見ている。
ゆるさない。 お兄様の脳細胞のひとつひとつまで、全部あたしで満たしてあげなきゃ。
あたしはお兄様の膝に頬を強く押し付けたまま、神経を集中させた。
お兄様の太腿の血管から伝わる、微弱な電気信号。
あたしのアンテナが、それを貪欲に受信する。
ジジッ、ジジジ……。 ノイズの向こう側に、映像が浮かび上がった。
それは、色彩を持った記憶の断片。
お兄様がいま、脳内で再生している「愛しい過去」の映画だ。
もっと暴力的で、重たい質量を持っている。 ババラ、ババラ、と屋根を打ち据える音は、まるで無数の小さな手でノックされているようだ。
その音が、あたしたちの城を外界から完全に切り離すカーテンになってくれるから、あたしは雨の日が好きだ。
リビングの暖炉には火が入っていないけれど、お兄様の部屋はオイルヒーターの熱で満たされている。
湿った空気と、暖かい油の匂い。
お兄様はベッドに腰掛け、分厚い革表紙の本を読んでくれている。
あたしは、その足元のカーペットに寝転がり、お兄様の膝に頭を乗せていた。
「……こうして、王子は呪いを解くために、西の果てへと旅立ちました」
お兄様の声は、チェロの音色に似ている。 胸の空洞に深く響いて、あたしの頭蓋骨を直接撫でてくれるような、甘い振動。
あたしは目を閉じて、その振動を味わう。 物語の内容なんてどうでもいい。王子がどうなろうと、姫が死のうと知ったことではない。 重要なのは、お兄様が今、「あたしのために時間を割いている」という事実だけだ。
お兄様の細い指が、時折あたしの髪を梳く。 その体温。脈打つ指先の血管。
すべてがあたしのものだ。
この幸福な時間が永遠に続けばいいのに。
ふと、お兄様の声が止まった。
ページをめくる音もしない。
ただ、お兄様の呼吸の音が、少しだけ乱れたのが聞こえた。
「……お兄様?」
あたしは目を開けて、下からお兄様の顔を見上げた。
お兄様は、あたしを見ていなかった。
あたしの顔の輪郭をなぞるように見つめているけれど、その焦点は、ここではない「どこか」で結ばれている。
硝子玉のような瞳。 そこに映っているのは、今のあたしじゃない。
匂いが、変わった。
さっきまでの清潔な石鹸の匂いが消えて、もっと湿っぽい、古い灰のような匂いが立ち昇る。
これは「追憶」の匂いだ。
お兄様の脳みその中で、海馬と呼ばれる記憶の貯蔵庫が、激しくスパークして、焦げついている匂いだ。
――何を見ているの?
あたしは興味をそそられた。
そして同時に、胸の奥がチリチリと焼けるような不快感を覚えた。
お兄様がいま見ている景色の中に、あたしはいない。
お兄様は、あたしの身体越しに、別の誰かを見ている。
ゆるさない。 お兄様の脳細胞のひとつひとつまで、全部あたしで満たしてあげなきゃ。
あたしはお兄様の膝に頬を強く押し付けたまま、神経を集中させた。
お兄様の太腿の血管から伝わる、微弱な電気信号。
あたしのアンテナが、それを貪欲に受信する。
ジジッ、ジジジ……。 ノイズの向こう側に、映像が浮かび上がった。
それは、色彩を持った記憶の断片。
お兄様がいま、脳内で再生している「愛しい過去」の映画だ。
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