5 / 69
硝子の向こうの姉妹(2)
しおりを挟む
ノイズが晴れると、そこは灰色の世界だった。
今と同じ、激しい雨の夜。
でも、空気の味が違う。
今の部屋には「安らぎ」があるけれど、記憶の中のこの部屋には、張り詰めたピアノ線のような「緊張」と、腐った水のような「諦め」が充満している。
お兄様は、窓際で車椅子に乗っていた。
今よりも少し髪が短くて、頬の肉付きがいい。まだ、この家の毒気に完全に侵される前の姿だ。
彼は窓ガラスに映る稲光を、怯えた目で見つめている。
その隣に、白い着物を着た少女が立っていた。
――『那美』だ。
あたしがこの身体を作る時にコピーした、オリジナルの持ち主。
あたしの心臓が、ドクリと嫌な音を立てた。 鏡を見ているようだ。
目鼻立ちも、髪の長さも、ホクロの位置さえも、今のあたしと寸分違わない。
けれど、雰囲気がまるで違っていた。
あたしが色鮮やかな「造花」なら、彼女は今にも散りそうな、凍りついた「氷の花」だ。
色素の薄い肌は、陶器のように青白い。
瞳には光がなく、深海のように静まり返っている。
彼女は、まるで自分の葬式に出るような顔をして、窓の外を見ていた。
『兄さんの方が幸せだよ』
記憶の中の那美が、静かに言った。
その声は、お兄様の記憶の中で美化されているせいか、銀の鈴を転がすように綺麗だった。 あたしの声帯と同じはずなのに、どうしてこんなに響きが違うの?
『どうして? 僕は足も悪いし、才能もない。 両親からは「出来損ない」だって言われて、家督も継げない役立たずだよ』
『ううん。だって兄さんは、自分のままでいられるから』
那美は、着物の袖を少しだけまくり上げた。 そこから覗いた細い腕を見て、あたしは息を呑んだ。
痣。 赤黒い痣、紫色の痣、黄色く治りかけた痣。
無数の斑点が、白磁のような肌を埋め尽くしている。
それは暴力の跡ではない。
両親が無理やり「おまねき」させた、下級たちが残した爪痕だ。
器としての許容量を超えて酷使された肉体が、悲鳴を上げている証拠。
『私ね、時々わからなくなるの。 朝起きて、鏡を見た時……そこに映っているのが本当に私なのか。 それとも、別の何かが私の皮を被って笑っているのか』
那美はお兄様の車椅子にかがみ込み、悲しげに微笑んだ。
その指先が、お兄様の膝に触れる。
やめて。触らないで。
それはあたしの場所よ。
あたしは記憶の映像に向かって威嚇したけれど、幻影の二人は気づかない。
『次にパパたちが呼ぼうとしている「あの方」は、今までのものとは違うわ。 気配だけでわかる。……すごく強くて、すごく怒ってる。 契約で縛り付けて、願い事を叶えさせようだなんて……きっと、ただじゃ済まない』
――ええ、そうよ。
あたしは心の中で相槌を打った。
あたしは怒っていた。
眠っていたのに無理やり起こされて、狭い人間の器に押し込められようとしていたから。
『那美……』
『私、ずっと制御できる自信はないな。 もしも私が壊れて、中から「化け物」が出てきて、兄さんを傷つけるようなことがあったら……』
そこで記憶の映像が、ザザッ、と激しく揺らいだ。
お兄様の心が、痛みに耐えきれずに拒絶したのだ。
映像が途切れる直前、那美は何かを決意したような、凄絶な目でこちらを見ていた。
その目は言っていた。
『守ってあげる』と。
そして、『さようなら』と。
今と同じ、激しい雨の夜。
でも、空気の味が違う。
今の部屋には「安らぎ」があるけれど、記憶の中のこの部屋には、張り詰めたピアノ線のような「緊張」と、腐った水のような「諦め」が充満している。
お兄様は、窓際で車椅子に乗っていた。
今よりも少し髪が短くて、頬の肉付きがいい。まだ、この家の毒気に完全に侵される前の姿だ。
彼は窓ガラスに映る稲光を、怯えた目で見つめている。
その隣に、白い着物を着た少女が立っていた。
――『那美』だ。
あたしがこの身体を作る時にコピーした、オリジナルの持ち主。
あたしの心臓が、ドクリと嫌な音を立てた。 鏡を見ているようだ。
目鼻立ちも、髪の長さも、ホクロの位置さえも、今のあたしと寸分違わない。
けれど、雰囲気がまるで違っていた。
あたしが色鮮やかな「造花」なら、彼女は今にも散りそうな、凍りついた「氷の花」だ。
色素の薄い肌は、陶器のように青白い。
瞳には光がなく、深海のように静まり返っている。
彼女は、まるで自分の葬式に出るような顔をして、窓の外を見ていた。
『兄さんの方が幸せだよ』
記憶の中の那美が、静かに言った。
その声は、お兄様の記憶の中で美化されているせいか、銀の鈴を転がすように綺麗だった。 あたしの声帯と同じはずなのに、どうしてこんなに響きが違うの?
『どうして? 僕は足も悪いし、才能もない。 両親からは「出来損ない」だって言われて、家督も継げない役立たずだよ』
『ううん。だって兄さんは、自分のままでいられるから』
那美は、着物の袖を少しだけまくり上げた。 そこから覗いた細い腕を見て、あたしは息を呑んだ。
痣。 赤黒い痣、紫色の痣、黄色く治りかけた痣。
無数の斑点が、白磁のような肌を埋め尽くしている。
それは暴力の跡ではない。
両親が無理やり「おまねき」させた、下級たちが残した爪痕だ。
器としての許容量を超えて酷使された肉体が、悲鳴を上げている証拠。
『私ね、時々わからなくなるの。 朝起きて、鏡を見た時……そこに映っているのが本当に私なのか。 それとも、別の何かが私の皮を被って笑っているのか』
那美はお兄様の車椅子にかがみ込み、悲しげに微笑んだ。
その指先が、お兄様の膝に触れる。
やめて。触らないで。
それはあたしの場所よ。
あたしは記憶の映像に向かって威嚇したけれど、幻影の二人は気づかない。
『次にパパたちが呼ぼうとしている「あの方」は、今までのものとは違うわ。 気配だけでわかる。……すごく強くて、すごく怒ってる。 契約で縛り付けて、願い事を叶えさせようだなんて……きっと、ただじゃ済まない』
――ええ、そうよ。
あたしは心の中で相槌を打った。
あたしは怒っていた。
眠っていたのに無理やり起こされて、狭い人間の器に押し込められようとしていたから。
『那美……』
『私、ずっと制御できる自信はないな。 もしも私が壊れて、中から「化け物」が出てきて、兄さんを傷つけるようなことがあったら……』
そこで記憶の映像が、ザザッ、と激しく揺らいだ。
お兄様の心が、痛みに耐えきれずに拒絶したのだ。
映像が途切れる直前、那美は何かを決意したような、凄絶な目でこちらを見ていた。
その目は言っていた。
『守ってあげる』と。
そして、『さようなら』と。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる