西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

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硝子の向こうの姉妹(2)

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 ノイズが晴れると、そこは灰色の世界だった。

  今と同じ、激しい雨の夜。 

 でも、空気の味が違う。 

 今の部屋には「安らぎ」があるけれど、記憶の中のこの部屋には、張り詰めたピアノ線のような「緊張」と、腐った水のような「諦め」が充満している。


 お兄様は、窓際で車椅子に乗っていた。 

 今よりも少し髪が短くて、頬の肉付きがいい。まだ、この家の毒気に完全に侵される前の姿だ。 

 彼は窓ガラスに映る稲光を、怯えた目で見つめている。

 その隣に、白い着物を着た少女が立っていた。


 ――『那美』だ。


 あたしがこの身体を作る時にコピーした、オリジナルの持ち主。 

 あたしの心臓が、ドクリと嫌な音を立てた。  鏡を見ているようだ。

  目鼻立ちも、髪の長さも、ホクロの位置さえも、今のあたしと寸分違わない。


 けれど、雰囲気がまるで違っていた。 

 あたしが色鮮やかな「造花」なら、彼女は今にも散りそうな、凍りついた「氷の花」だ。  

     色素の薄い肌は、陶器のように青白い。

  瞳には光がなく、深海のように静まり返っている。 

 彼女は、まるで自分の葬式に出るような顔をして、窓の外を見ていた。


『兄さんの方が幸せだよ』

 記憶の中の那美が、静かに言った。

  その声は、お兄様の記憶の中で美化されているせいか、銀の鈴を転がすように綺麗だった。  あたしの声帯と同じはずなのに、どうしてこんなに響きが違うの?


『どうして? 僕は足も悪いし、才能もない。  両親からは「出来損ない」だって言われて、家督も継げない役立たずだよ』 

『ううん。だって兄さんは、自分のままでいられるから』


 那美は、着物の袖を少しだけまくり上げた。  そこから覗いた細い腕を見て、あたしは息を呑んだ。

 痣。 赤黒い痣、紫色の痣、黄色く治りかけた痣。

  無数の斑点が、白磁のような肌を埋め尽くしている。

  それは暴力の跡ではない。

  両親が無理やり「おまねき」させた、下級たちが残した爪痕だ。 

 器としての許容量を超えて酷使された肉体が、悲鳴を上げている証拠。

『私ね、時々わからなくなるの。  朝起きて、鏡を見た時……そこに映っているのが本当に私なのか。  それとも、別の何かが私の皮を被って笑っているのか』

 那美はお兄様の車椅子にかがみ込み、悲しげに微笑んだ。

  その指先が、お兄様の膝に触れる。 

 やめて。触らないで。 

 それはあたしの場所よ。

  あたしは記憶の映像に向かって威嚇したけれど、幻影の二人は気づかない。


『次にパパたちが呼ぼうとしている「あの方」は、今までのものとは違うわ。  気配だけでわかる。……すごく強くて、すごく怒ってる。  契約で縛り付けて、願い事を叶えさせようだなんて……きっと、ただじゃ済まない』

 ――ええ、そうよ。 

 あたしは心の中で相槌を打った。 

 あたしは怒っていた。

  眠っていたのに無理やり起こされて、狭い人間の器に押し込められようとしていたから。


『那美……』 


『私、ずっと制御できる自信はないな。  もしも私が壊れて、中から「化け物」が出てきて、兄さんを傷つけるようなことがあったら……』


 そこで記憶の映像が、ザザッ、と激しく揺らいだ。 

 お兄様の心が、痛みに耐えきれずに拒絶したのだ。

  映像が途切れる直前、那美は何かを決意したような、凄絶な目でこちらを見ていた。

 その目は言っていた。 

 『守ってあげる』と。

  そして、『さようなら』と。
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