西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

文字の大きさ
6 / 69

硝子の向こうの姉妹(3)

しおりを挟む
 プツン。  唐突に、映像が途切れた。  古い映写機のフィルムが焼き切れたみたいに、那美の姿がホワイトアウトして消える。

 あとには、ジジジ……という耳鳴りのようなノイズだけが残った。

  お兄様の心が、これ以上の回想を拒絶したのだ。  

     あの続きにあるのは、血と、絶叫と、那美の死だから。


「……世璃? どうしたんだい?」

 ハッとして意識を浮上させると、お兄様が心配そうにあたしを覗き込んでいた。

  灰色の記憶の世界から、暖色の現在へと戻ってくる。

  オイルヒーターの熱気。湿った雨の匂い。そして、目の前にあるお兄様の温かい瞳。

 お兄様の手が、あたしの頬を包み込んでいる。

  その指先は氷のように冷たく、微かに震えていた。

  あたしはその手のひらに、猫のように顔を擦り寄せた。


「ううん。お兄様がぼんやりしていたから、魔法をかけてあげてたの」

 「魔法?」

 「うん。『悲しいことは飛んでいけ』の魔法」


 あたしは無邪気に笑って、お兄様の手首の裏側――脈打つ血管の上に、ちゅっ、とキスをした。 

 お兄様は一瞬驚いた顔をして、それから氷が溶けるように、困ったように笑った。

「ありがとう。……効いたみたいだ」

 ――嘘つき。

 あたしは鼻をひくつかせた。

  お兄様の脳みその奥には、まだ那美の残像がこびりついている。

  焦げ付いた記憶の匂いが、まだプンプンしている。 

 お兄様は、あたしの顔を見ながら、この皮膚の下に眠る「死んだ那美」を探しているのだ。

 妬けるわね。  

 あたしは胸の奥で、黒いタールのようなものが沸き立つのを感じた。  

     これが「嫉妬」という感情なのだろうか。  人間が抱く、最も醜くて、最も強力なエネルギー。

 那美。可哀想なお姉ちゃん。 
 
 記憶の中のあなたは、悲劇のヒロインみたいに綺麗だったわ。  

     あなたは死ぬ気で怪物を解き放って、この人を守ろうとした。 

 「兄さんを自由にする」なんて、高尚な願いを抱いて。

 でも残念。

  その怪物(あたし)は、あなたの抜け殻をいただいて、こうしてお兄様に可愛がられている。  

 あなたの願いとは正反対に、お兄様をこの呪われた城に縛り付けている。

「ねえ、お兄様」

 あたしは上目遣いで、お兄様の瞳を捕らえた。

  その硝子玉に、あたしだけが映るように。

「あたし、どこにも行かないよ。『外の世界』なんていらない。ずっとお兄様のそばにいる」


 それは、那美への当てつけだった。

  那美がお兄様に与えようとした「自由という孤独」を否定し、あたしが与える「共犯という束縛」を選ぶように誘惑する言葉。

 お兄様の表情が揺らいだ。 

 一瞬、那美の言葉――『兄さんの方が幸せだよ』――が脳裏をよぎった気配がしたけれど、すぐに今のあたしの体温にかき消された。


「……ああ。知っているよ」

 お兄様は、あたしを抱きしめた。  
強い力だった。

  まるで、溺れる人が浮き輪にしがみつくような必死さで。

「僕もだ。僕も、君を離さない」

 お兄様は、あたしの背中を何度も撫でた。  その手つきは、壊れ物を扱うように優しく、そして逃走を許さない看守のように執拗だった。  

 お兄様もまた、那美の記憶と、目の前のあたしの間で引き裂かれているのだ。

  その葛藤が生み出す「絶望」の匂いが、今夜は一段と甘く、濃厚だった。

 勝った。  

 あたしは心の中で、死んだ那美に舌を出した。 幽霊には体温がない。抱きしめる腕もない。  

 どんなに綺麗な思い出も、生温かい肉の感触には勝てないのよ。


 窓の外では、雨が激しさを増していた。明日になれば、この雨がいろいろなものを洗い流してくれるだろう。でも、お城に染みついたこの腐った甘い匂いだけは、きっと永遠に消えない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

処理中です...