西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

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吠える番犬、凍る鎖(2)

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 西伊豆の海岸線を走る覆面パトカー。  ワイパーが激しく往復し、叩きつける雨粒を弾き飛ばしている。  助手席に座る俺は、ダッシュボードに足を投げ出し、忌々しげに舌打ちをした。  

「……クソッ、よく降るな」

 運転席には、相棒の荒田(あらた)がいる。  県警から回されてきた、まだ30代の若造だ。真面目だけが取り柄で、融通が利かないタイプ。俺が一番苦手な手合いだ。

「犬飼さん。到着まであと5分です」 

「ああ」

 「ですが……本当に踏み込むんですか?  所轄の課長からは『周辺の聞き込みと、任意の事情聴取にとどめろ』と言われていますが」


 荒田が不安げにハンドルを握り直す。  俺は鼻で笑って、懐からタバコを取り出した。火はつけずに、ただフィルターを噛む。


「お前、真面目だな。  いいか荒田。行方不明になっているのは二人だ。  しかも一人は東京の探偵だぞ? プロが音信不通になるなんて、ただ事じゃない」

「それはわかりますが……令状がありません。  もし家宅捜索まがいのことをして、相手が弁護士でも立ててきたら、俺たちのクビが飛びますよ」

「誰が『捜索』するなんて言った?」

 俺はニヤリと笑ってみせた。

「俺たちは、心配して様子を見に行くだけだ。  『行方不明者の安否が気になって、居ても立ってもいられなかった』  『玄関先で声をかけたら、中から不審な物音がした』  『緊急避難的な措置として、やむを得ず足を踏み入れた』  ……理由はいくらでも後付けできる」

「そんな無茶な……」 

「相手は、精神を病んだ妹と、足の悪い兄貴の二人暮らしだ。  それに、後見人の叔父ってのは、怪しい金儲けをしてるって噂の俗物だぞ。  少しドスを効かせて脅せば、ビビって何でも喋るさ」


 俺は荒田を言いくるめながら、腹の中で別の算段をしていた。

 ――狙いは、その「叔父」だ。  最近、株で大儲けしているという噂。  もし、探偵や家庭教師の失踪に、この叔父が一枚噛んでいるとしたら?  死体でも見つかれば御の字だ。  逮捕するんじゃない。ネタにするんだ。  『このことを黙っていてやるから、分け前を寄越せ』と取引を持ちかける。  今の俺には、正義より現金が必要なんだ。


「着いたぞ」

 車が坂道を登りきり、錆びた鉄の門の前で停車した。  雨に煙る洋館。  まるで巨大な墓石のように、不気味にそびえ立っている。  窓にはカーテンが引かれ、中の様子は伺えない。

「……嫌な雰囲気ですね」  荒田が身震いをする。

 「地元じゃ『一家心中屋敷』なんて呼ばれてるらしいですが、納得です」

「お化け屋敷だろうが何だろうが、人間が住んでるなら叩けばホコリが出る」


 俺はドアを開け、雨の中へ飛び出した。  革靴が泥に沈む。  ズボンの裾が濡れる不快感を無視して、俺は門を乗り越えた。

「ちょ、犬飼さん! インターホンくらい押してください!」

 「壊れてるかもしれんだろ。行くぞ」


 俺は荒田を急かし、玄関ポーチへと向かった。  重厚な木の扉。  俺はノッカーを掴み、壊れるほどの勢いで叩きつけた。

 ガン! ガン! ガン!

「おい! 警察だ! 開けろ!」

 返事はない。  だが、中に気配があるのはわかる。  俺はさらに声を荒げた。

「中にいるのはわかってるんだぞ!  里見という女性がここに来ただろう! 彼女の家族が心配してるんだ!  開けないなら、公務執行妨害でこじ開けるぞ!」

 もちろん、そんな権限はない。ただのハッタリだ。  だが、世間知らずのガキと、後ろ暗い叔父なら、これで落ちるはずだ。

 ガチャリ。

 数秒後、内側から鍵が開く音がした。  扉が少しだけ開き、隙間から青白い顔をした青年が顔を覗かせた。  兄の静だ。  車椅子に座り、怯えた目で俺たちを見ている。

「……な、なんですか。こんな乱暴な……」

 「静くんだな? 入らせてもらうぞ」

 俺は返事を待たずに、ドアを蹴り開けた。  ドカドカと、泥だらけの靴のまま、磨き上げられた玄関ホールへ踏み込む。  荒田が「あ、失礼します……」と申し訳無さそうについてくる。


 ホールの中は、異様な臭いがした。  古いカビの臭いと、芳香剤の臭い。  そして、わずかに漂う……鉄錆のような、血の臭い。

 ――ビンゴだ。  俺の刑事としての勘が、けたたましく警鐘を鳴らした。  ここには「何か」がある。

「おい、手分けして探すぞ。叔父と、消えた女の痕跡を探せ」 

「は、はい!」


 俺たちは土足のまま、彼らの「城」を蹂躙し始めた。  それが、眠れる怪物の尾を踏む行為だとも知らずに。
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