「無能」と捨てられた少女は、神の愛し子だった――。 凍てつく北の地で始まる、聖獣たちと冷徹公爵による「世界一過保護な」逆転生活。

秦江湖

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友情の誓いと、国境の火花

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 温室を包む魔導灯の光は、外の猛吹雪を忘れさせるほどに穏やかだった。


 アデリーンは、新しく用意された円形のテーブルを挟んで、マリエッタと向き合っていた。マリエッタは清潔な侍女服に着替えたものの、まだどこか落ち着かない様子で、借りてきた猫のように背筋を伸ばして座っている。

「マリエッタ、そんなに緊張しないで。お茶も冷めてしまうわ」

「は、はい。……申し訳ありません、アデリーン様。私のような者が、あなた様と同じテーブルを囲むなんて……ルミナリスでは考えられないことですから」

 マリエッタは、震える手でティーカップを持ち上げた。彼女の瞳には、自分を救い出してくれたアデリーンへの深い敬意と、同時に「自分は彼女にふさわしくない」という自責の念が混ざり合っている。

 アデリーンは、その様子をじっと見つめ、静かにティーカップを置いた。

「マリエッタ、お願い。私を『様』で呼ぶのは、もうやめてくれないかしら」

「えっ!? そ、そんな、滅相もございません! あなた様は今や公国の至宝、次期公爵夫人なのです。私のような侍女見習いが呼び捨てにするなんて……」

「いいえ、マリエッタ。私には、侍女はたくさんいるわ。けれど、ルミナリスの……私の辛かった時期を知っていて、それでもこうして私の元へ来てくれた『友人』は、あなた一人なの」

 アデリーンはテーブル越しに身を乗り出し、マリエッタの手を優しく包み込んだ。

「ここでは、誰の目も気にする必要はないわ。だから、昔みたいに名前で呼んでほしいの。対等な友人として、あなたの本当の声を聞かせて?……ねえ、マリエッタ」

 アデリーンの真摯な眼差しに、マリエッタの瞳が潤んだ。彼女は何度か言葉を飲み込み、震える唇を噛み締めながら、ようやく、絞り出すようにその名前を呼んだ。

「……アデリーン……。……いいの? 本当に、私なんかが……」

「ええ。ありがとう、マリエッタ」

 アデリーンは心からの笑顔を見せた。その瞬間、二人の間に漂っていた見えない壁が、霧が晴れるように消え去った。マリエッタもようやく肩の力を抜き、照れくさそうに微笑んだ。

「……ふふ、やっぱりアデリーンは、昔からお人好しすぎるわ。……でも、そんなあなただから、あの三人の兄様たちも、あんな『過激なこと』を始めたんでしょうね」

「過激なこと……? マリエッタ、何か知っているの?」

 アデリーンの問いに、マリエッタは少し顔を曇らせた。

「ええ。カスティアの商隊にいた時に聞いたわ。マクシミリアン様たちは、エリオット王子を追放した後、王国の宝物庫を完全に掌握したそうよ。……彼らは、アデリーンを蔑んだ貴族たちの全財産を没収して、それをすべて『アデリーンの持参金』として積み立てているの。……噂では、黄金の国の半分が、すでにあなたの個人資産になっているとか」

「な……国の半分……!?」

 アデリーンは絶句した。兄たちが自分のために動いていることは知っていたが、まさか一国の財政を傾けるほどの規模だとは思いもよらなかった。

「彼らの愛は、少し……いえ、かなり重すぎるわね。……でも、それだけじゃないわ。マクシミリアン様は、騎士団の精鋭を引き連れて、もうすぐここへ来る。……あなたを『女王』として迎え入れるためにね」

「……女王だなんて、私はそんな器じゃ……」

「そこが、あの人たちには関係ないのよ。彼らにとって、世界で一番尊いのは、ルミナリスの王でも神でもなく、妹であるあなたなんだから」

 マリエッタが苦笑いしたその時、温室の入り口から冷たい風が吹き込んだ。


「……随分と楽しそうだな、アデリーン」

 低い、威圧感のある声。

 ゼノスが、漆黒の外套をなびかせて現れた。彼はマリエッタを一瞥すると、少し不機嫌そうに眉をひそめた。アデリーンの関心が自分以外の誰か――たとえそれが女性の友人であっても――に向けられているのが、彼には面白くないらしい。

「ゼノス様! お仕事は終わったのですか?」

「……お前の声が聞きたくなっただけだ」

 ゼノスは当然のようにアデリーンの隣に座ると、彼女の肩を抱き寄せ、自分の領分を誇示するように彼女の髪に触れた。マリエッタは「これが噂の氷の公爵の独占欲……!」と圧倒され、顔を引きつらせながらも、親友の幸せそうな様子を微笑ましく見守っていた。

 だが、その平穏な時間は長くは続かなかった。
 息を切らした伝令兵が、温室へ駆け込んできたのだ。

「公爵閣下! 国境の砦より緊急の魔導通信です! 南の街道より、ルミナリス王国の軍旗を掲げた巨大な輸送隊が接近中! その数、馬車にして数百台、護衛の騎士は千を超えます!」

 ゼノスの瞳が、瞬時に鋭い剣のようになった。

「……輸送隊だと? それほどの規模、もはや侵略と変わらんぞ」

「報告によれば、先頭に立つのはベルグラード公爵家当主、マクシミリアン殿! 彼は『我が妹アデリーンに、王国の全財産を届けに来た。道を空けろ』と通告しております!」

 アデリーンは立ち上がった。ついに、兄たちが来てしまった。

「ゼノス様、お兄様たちが……!」

「……ふん。妹を迎えに来たという割には、ずいぶんな大軍だな。公国を丸ごと買い取るつもりか、あるいは……」

 ゼノスは腰の剣を佩き直し、アデリーンを背後に隠すように立った。

「アデリーン、お前は城で待っていろ。……マリエッタ、彼女を頼む」

「閣下、私も行きます! お兄様たちを止められるのは、私しか……」

「……いや。これは男の意地の問題だ」



 ゼノスのアイスブルーの瞳が、静かな闘志で燃え上がる。

 自分のものだと誓った愛しい女性を、かつて彼女を捨てた――たとえ理由があったにせよ――兄たちに、簡単に渡すつもりは毛頭なかった。



 国境の砦。

 白銀の雪原を、黄金の旗が埋め尽くしていた。

 その最前線、愛馬を止めて公国の門を睨みつけるのは、ルミナリス最強の騎士、マクシミリアン。

「……さあ、ノースガルの公爵。我が妹を返してもらおうか。今ならまだ、『対等な取引』で済ませてやる」



 マクシミリアンの冷徹な声が、凍てつく空気を震わせる。

 アデリーンを巡る、最強の「過保護」と、最強の「独占欲」。

 二つの巨大な愛が、ついに火花を散らし始めた。
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