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魔王の優しい嘘と、裁判所の裏側
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「……なんだ、そのデカイ荷物は」
閻魔庁の裏門。
こっそりと様子を見に来た私を見つけ、休憩に出てきた波旬(はじゅん)様が目を丸くした。
「お弁当です。夜狐さんに『波旬様は忙しいと食事を抜くから』と聞きまして」
「チッ、余計なことを。……まあいい、入れ」
私は風呂敷包みを抱え、波旬様の仕事場である「第一法廷」の控え室へと通された。
壁の隙間から、法廷の様子が見える。
そこは、まさに地獄の最前線だった。
「次! 亡者番号4096番! 前へ!」
鬼の怒号が響く。引き立てられたのは、痩せこけた男の亡者だった。
「ひぃぃ! お助けください! 俺は、俺はただ、病気の娘に薬を買うために金を盗んだだけで……!」
「黙れ盗っ人風情が! 地獄の法典では『窃盗』は黒縄地獄(こくじょうじごく)で百年の刑と決まっておる!」
記録係の青鬼が事務的に告げる。
男は絶望し、泣き崩れた。 情状酌量の余地はあるかもしれないが、法の番人である鬼たちに感情はない。ルール通りに裁くのみだ。
その時。 玉座にふんぞり返っていた波旬様が、退屈そうに欠伸をした。
「あー、うるせえな。泣きわめくな鬱陶しい」
波旬様は男を一瞥した。
「おい、そいつの顔、気に食わねえ」
「は、波旬様?」
「貧相でムカつく顔だ。そんな奴を百年の刑になんかしたら、俺の目の毒だ。……『針山地獄』での強制労働三年に変更しろ」
「はぁぁ!? さ、三年!? 桁が違いますが!?」
「うるせえ! 俺がルールだ! その代わり、針山でのノルマは三倍だ。死ぬ気で働かせて、さっさと転生させちまえ。……俺の視界から消すためにな!」
ドン! と木槌が叩かれた。 法廷がざわめく。
「なんて理不尽な」
「気分で刑を変えるなんて」
「これだからうつけ皇子は……」と、鬼たちが呆れ混じりに囁き合う。
男だけが、呆然と、しかし救われた顔で連行されていった。百年が三年に縮まったのだ。ノルマがキツくても、希望がある。
(……ああ、やっぱり)
私はその光景を見て、確信した。 この人は、わざとやっている。
「情け」で減刑したと言えば、他の罪人への示しがつかない。
だから「気分屋の暴君」を演じることで、法の秩序を守りつつ、救える者を救っているのだ。
その代償として、周囲からの「悪評」と、行き場のない「怨嗟(瘴気)」を一身に浴びながら。
◆
「……ふぅ。腹減った」
昼休憩。控え室に戻ってきた波旬様は、ドサリと長椅子に座り込んだ。
その顔色は、朝よりも少し悪い。胸元の亀裂が、衣の下で微かに脈打っているのが分かる。
「お疲れ様でした。さあ、お弁当をどうぞ」
私は三段重を広げた。 中身は、地獄の根菜で作った筑前煮、巨大なオニギリ、そして彼好みの甘い卵焼きだ。
「……ん」
波旬様はオニギリを頬張り、少しだけ表情を緩めた。
「悪くねえ味だ。……だが、お前、さっきの裁判見てたろ」
「はい。拝見していました」
「呆れたか? 俺はああやって、気分次第で法をねじ曲げる最低の裁判官だ」
彼は自嘲気味に笑った。 私はお茶を差し出しながら、首を横に振った。
「いいえ。……計算が苦手なんですね、波旬様は」
「あ?」
「百年分の苦しみを、貴方一人で背負ってあげるなんて。割に合わない計算です」
波旬様の手が止まった。 金色の瞳が、驚きに揺れている。
「……気づいてたのか」
「私は職人ですから。表面の塗装(演技)の下にある、本質(ひび)を見るのが仕事です」
「……ケッ。可愛げのない女だ」
彼は顔を背け、卵焼きを乱暴に口に放り込んだ。 けれど、その口元は少しだけ嬉しそうに緩んでいる。
「……なあ、巴」 唐突に、尋ねた。
「お前、その『直し』の技……というか、物に魔力を込める力、どこで覚えた?」
「え?」
「さっきの包丁も、この飯もだ。普通の人間は、ここまで物に干渉できねえ。……お前の母親は、何者だ?」
ドキリとした。 鋭い。彼は私の「金継ぎ」の本質にも気づき始めている。
「……母ですか。私が幼い頃に亡くなりましたが」
私は遠い記憶を手繰り寄せた。
「そういえば、よく古い鏡や櫛に話しかけていました。『物はね、大切にすれば神様が宿るのよ』って」
「……なるほどな。親父(陶芸家)じゃなくて、母親譲りか」
波旬様は納得したように顎を撫でた。
「お前の親父は、見る目がねえな。……あるいは、お前のその目が『怖かった』のかもな」
「え? 怖い、ですか?」
「ああ。見えねえもんを見る目は、凡人にとっちゃ恐怖でしかねえからな」
波旬様はそれ以上語らず、最後の一口を飲み込むと、立ち上がった。
「ごちそうさん。……午後も仕事だ。帰ったらまた、俺の『ヒビ』を診ろよ」
「はい。いつでも」
彼はヒラヒラと手を振り、再び「暴君」の仮面を被って法廷へと戻っていった。
その背中は、以前よりも少しだけ軽やかに見えた。
閻魔庁の裏門。
こっそりと様子を見に来た私を見つけ、休憩に出てきた波旬(はじゅん)様が目を丸くした。
「お弁当です。夜狐さんに『波旬様は忙しいと食事を抜くから』と聞きまして」
「チッ、余計なことを。……まあいい、入れ」
私は風呂敷包みを抱え、波旬様の仕事場である「第一法廷」の控え室へと通された。
壁の隙間から、法廷の様子が見える。
そこは、まさに地獄の最前線だった。
「次! 亡者番号4096番! 前へ!」
鬼の怒号が響く。引き立てられたのは、痩せこけた男の亡者だった。
「ひぃぃ! お助けください! 俺は、俺はただ、病気の娘に薬を買うために金を盗んだだけで……!」
「黙れ盗っ人風情が! 地獄の法典では『窃盗』は黒縄地獄(こくじょうじごく)で百年の刑と決まっておる!」
記録係の青鬼が事務的に告げる。
男は絶望し、泣き崩れた。 情状酌量の余地はあるかもしれないが、法の番人である鬼たちに感情はない。ルール通りに裁くのみだ。
その時。 玉座にふんぞり返っていた波旬様が、退屈そうに欠伸をした。
「あー、うるせえな。泣きわめくな鬱陶しい」
波旬様は男を一瞥した。
「おい、そいつの顔、気に食わねえ」
「は、波旬様?」
「貧相でムカつく顔だ。そんな奴を百年の刑になんかしたら、俺の目の毒だ。……『針山地獄』での強制労働三年に変更しろ」
「はぁぁ!? さ、三年!? 桁が違いますが!?」
「うるせえ! 俺がルールだ! その代わり、針山でのノルマは三倍だ。死ぬ気で働かせて、さっさと転生させちまえ。……俺の視界から消すためにな!」
ドン! と木槌が叩かれた。 法廷がざわめく。
「なんて理不尽な」
「気分で刑を変えるなんて」
「これだからうつけ皇子は……」と、鬼たちが呆れ混じりに囁き合う。
男だけが、呆然と、しかし救われた顔で連行されていった。百年が三年に縮まったのだ。ノルマがキツくても、希望がある。
(……ああ、やっぱり)
私はその光景を見て、確信した。 この人は、わざとやっている。
「情け」で減刑したと言えば、他の罪人への示しがつかない。
だから「気分屋の暴君」を演じることで、法の秩序を守りつつ、救える者を救っているのだ。
その代償として、周囲からの「悪評」と、行き場のない「怨嗟(瘴気)」を一身に浴びながら。
◆
「……ふぅ。腹減った」
昼休憩。控え室に戻ってきた波旬様は、ドサリと長椅子に座り込んだ。
その顔色は、朝よりも少し悪い。胸元の亀裂が、衣の下で微かに脈打っているのが分かる。
「お疲れ様でした。さあ、お弁当をどうぞ」
私は三段重を広げた。 中身は、地獄の根菜で作った筑前煮、巨大なオニギリ、そして彼好みの甘い卵焼きだ。
「……ん」
波旬様はオニギリを頬張り、少しだけ表情を緩めた。
「悪くねえ味だ。……だが、お前、さっきの裁判見てたろ」
「はい。拝見していました」
「呆れたか? 俺はああやって、気分次第で法をねじ曲げる最低の裁判官だ」
彼は自嘲気味に笑った。 私はお茶を差し出しながら、首を横に振った。
「いいえ。……計算が苦手なんですね、波旬様は」
「あ?」
「百年分の苦しみを、貴方一人で背負ってあげるなんて。割に合わない計算です」
波旬様の手が止まった。 金色の瞳が、驚きに揺れている。
「……気づいてたのか」
「私は職人ですから。表面の塗装(演技)の下にある、本質(ひび)を見るのが仕事です」
「……ケッ。可愛げのない女だ」
彼は顔を背け、卵焼きを乱暴に口に放り込んだ。 けれど、その口元は少しだけ嬉しそうに緩んでいる。
「……なあ、巴」 唐突に、尋ねた。
「お前、その『直し』の技……というか、物に魔力を込める力、どこで覚えた?」
「え?」
「さっきの包丁も、この飯もだ。普通の人間は、ここまで物に干渉できねえ。……お前の母親は、何者だ?」
ドキリとした。 鋭い。彼は私の「金継ぎ」の本質にも気づき始めている。
「……母ですか。私が幼い頃に亡くなりましたが」
私は遠い記憶を手繰り寄せた。
「そういえば、よく古い鏡や櫛に話しかけていました。『物はね、大切にすれば神様が宿るのよ』って」
「……なるほどな。親父(陶芸家)じゃなくて、母親譲りか」
波旬様は納得したように顎を撫でた。
「お前の親父は、見る目がねえな。……あるいは、お前のその目が『怖かった』のかもな」
「え? 怖い、ですか?」
「ああ。見えねえもんを見る目は、凡人にとっちゃ恐怖でしかねえからな」
波旬様はそれ以上語らず、最後の一口を飲み込むと、立ち上がった。
「ごちそうさん。……午後も仕事だ。帰ったらまた、俺の『ヒビ』を診ろよ」
「はい。いつでも」
彼はヒラヒラと手を振り、再び「暴君」の仮面を被って法廷へと戻っていった。
その背中は、以前よりも少しだけ軽やかに見えた。
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