冥界の金継ぎ花嫁 ~うつけな閻魔王子の「ヒビ」は、私が愛で直します~

秦江湖

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離宮の歪みと、職人の目は誤魔化せない

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「……おかしいですね」

 離宮の廊下を雑巾がけしていた私が呟くと、横でハタキをかけていた馬頭が首を傾げた。 


「へ? 何がおかしいんで?」

 「この花瓶です。昨日は廊下の縁から一寸(約3センチ)の場所に置いてあったのに、今は一寸二分になっています」 

「は、はぁ……? そんくらいのズレ、誰かがぶつかったんじゃないですか?」 

「いいえ。ぶつかったなら底の埃が乱れます。でも、これは一度持ち上げられて、慎重に戻された形跡がある」


私は目を細めた。  それだけではない。  


     波旬様の書斎にある書類の山も、上から三冊目の順番が入れ替わっていた。  

     台所の食材の減り方も、計算より僅かに早い。  決定的なのは――今朝、波旬様の脱ぎ捨てた着物を畳んだ時、微かに「嗅ぎ慣れない獣の臭い」がしたことだ。


「誰かいますね。この離宮に、私たち以外の『誰か』が」



 私が断言すると、馬頭は青ざめ、牛頭は「お、お化けか!?」と震え上がった。(自分たちも鬼のくせに)。 


「波旬様には?」 


「まだ言っていません。波旬様は細かい変化には無頓着ですから、言っても『気のせいだろ』と笑われるだけです」


     私は腕まくりをした。  私の管理する領域を、許可なく荒らす不届き者は許さない。  職人のプライドに懸けて、尻尾を出させてやりましょう。



   ◆



 その夜。  私は波旬様の寝室へ続く廊下に、一つだけ「仕掛け」をしておいた。

 深夜、丑三つ時。  シン……と静まり返った離宮に、微かな足音が響いた。  

     天井裏か? いや、床下だ。  姿は見えない。気配を完全に消している。相当な手練れのようだ。  


     侵入者は、波旬様の寝室の前で立ち止まった。


(……フフフ、今日も『うつけ王子』の寝顔を拝んで、情報を持ち帰るとするか)


 見えない何者かが、障子に手を掛けようとした、その瞬間。

 パキィィィィィン!!


 甲高い音が廊下に響き渡った。 「ギェッ!?」  何もない空間から、カエルのような潰れた悲鳴が上がる。


「――掛かりましたね」

 私は襖を勢いよく開け放ち、カンテラの光を浴びせた。  

     そこには、透明化が解けて尻餅をついている、猿のような、猫のような、奇妙な小妖怪がいた。  その足元には、私が仕掛けておいた「金継ぎされた平皿」が踏まれている。

「な、なんだこれ!? ただの皿じゃねえか! なんでこんな音が!」 

「ただの皿じゃありません」  


     私は仁王立ちで見下ろした。 「それは『鴬張り』の原理を応用して、踏むと音が鳴るようにヒビを金継ぎした、特製の防犯鳴皿です!」 


「はぁ!? なんだそりゃ!」


「騒々しいな……何事だ」  

     騒ぎを聞きつけて、寝室から波旬様が不機嫌そうに出てきた。  寝ぼけ眼だった彼は、廊下に転がる小妖怪を見た瞬間、目を覚ました。


「……あ? てめぇは、『潜り猿(もぐりざる)』か」 

「ヒィッ! は、波旬様!?」  

     小妖怪――潜り猿は、脱兎のごとく逃げ出そうとした。  壁を蹴り、天井へ飛び上がる。速い!

「逃がしません!」  私は懐から、修理用の「釘」を取り出し、投擲した。  

    シュッ!  

     釘は潜り猿の長い尻尾を貫き、天井の梁(はり)に縫い止めた。 

「ギャアアアッ!」 

「ナイスコントロールだ、巴」  

     波旬様がニヤリと笑い、ぶら下がった猿の首根っこを掴んで引きずり下ろした。



   ◆



 広間に拘束された潜り猿は、牛頭と馬頭に囲まれてガタガタと震えていた。 


「へへっ、観念しな。俺たちの目は誤魔化せても、巴様の目は誤魔化せねえんだよ」 


「花瓶のズレ数ミリを見抜くなんて、変態的な眼力だからな~」 

「誰が変態ですか」


私は咳払いをして、波旬様に向き直った。 


「波旬様。この者、数日前から離宮に出入りし、貴方の動向を探っていたようです」 

「ああ。気配を消すのが上手い種族だが……まさか俺の寝室まで入り込んでたとはな」  

     波旬様は冷たい目で猿を見下ろした。 

「で? 誰の差し金だ」 

「い、言えねえ! 言ったら俺が殺される!」

「ほう。俺に殺されるのと、そいつに殺されるの、どっちが怖いか試してみるか?」  

     波旬様の掌に、バリバリと黒い雷が走る。

「ヒィィッ! 言います! 言いますからぁ!」


 猿は涙目で、裏にいる主人の名前を叫んだ。


「れ、廉浄(れんじょう)様だ! 第二皇子、廉浄様のご命令で、兄上の……波旬様の『弱点』を探れと言われたんだぁ!」


 その名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。  波旬様の瞳から、ふっと感情が消える。


 「……廉浄、か。また性懲りもなく」


 やっぱり。  波旬様の「うつけ」の仮面の下にある真実――そして、身体の「ヒビ」という秘密。  それを暴こうとする執拗な影。  弟君の魔の手は、もうここまで伸びていたのだ。



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