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宣戦布告と、守るべき日常
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「……『浄化』だと?」
離宮の正門前。 波旬様の低い声が、地を這うように響いた。 彼の全身から立ち昇る黒い瘴気が、夜空を焦がすように渦巻いている。
対峙するのは、数千の兵を従えた第二皇子、廉浄。 彼は優雅に扇子を閉じ、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「ええ、そうです兄上。これは『閻魔庁』からの正式な許可状ですよ」
廉浄様は、わざとらしいほど朗らかに告げた。
「近頃、この離宮から異常な濃度の瘴気が観測されています。兄上の魔力が暴走し、周囲に害を及ぼす恐れがある……とね」
「ハッ、俺が暴走? 笑わせるな」
「事実、先ほど私の放った花火程度で、門が吹き飛んだではありませんか。結界が脆くなっている証拠です」
……マッチポンプだ。 自分で爆破しておいて、「脆いから危険だ」と難癖をつけている。 なんて白々しい。けれど、後ろに控える兵士たちは「そうだそうだ!」「危険分子を排除せよ!」と声を上げている。完全に廉浄様に掌握されているのだ。
「よって、『冥界保安法』に基づき、この危険な離宮を強制撤去いたします。……中に入り込んだネズミ一匹残さず、綺麗サッパリ焼き尽くして差し上げましょう」
廉浄様の視線が、私に向けられた。
「ネズミ」とは、私のことだ。
「……テメェ」
ブチィッ、と波旬様の理性が切れる音がした。
「俺をナメんのも大概にしとけよ、クソガキが……!!」
ドォォォッ! 波旬様の背後から、巨大な黒竜のような魔力が噴出した。 空気がビリビリと震え、地面に亀裂が走る。本気の殺気だ。 廉浄様はビクリともせず、むしろニヤリと口角を上げた。
(……まずい!) 私は直感した。これは罠だ。
「おや、抵抗なさるのですか? 公務執行妨害ですよ」 廉浄様が煽る。
「手を出せば、兄上は『暴走した反逆者』として、私がこの場で処刑する大義名分が立ちます。……さあ、どうぞ? その汚い暴力で、私を殴ってみなさい」
波旬様が拳を振り上げた。
「上等だッ! その減らず口、二度と利けなくしてやる!」
「波旬様! ダメです!」
私はとっさに飛び出し、波旬様の腰に抱きついた。
「離せ巴! こいつを殺さなきゃ収まらねえ!」
「相手の思う壺です! 今手を出せば、貴方は本当に『悪者』にされてしまいます!」
私は必死に彼を押さえつけた。
彼の身体は岩のように硬く、熱い。怒りで震えているのが伝わってくる。
「波旬様、落ち着いてください。貴方は次期閻魔大王でしょう? こんな安い挑発に乗って、王の資格を捨ててどうするんですか!」
「うるせえ! 俺はどう思われてもいい! だがな、こいつは俺の庭、おまえたちを焼くと言ったんだぞ!?」
――ッ。 私の胸が締め付けられた。 彼は自分の地位なんてどうでもいいのだ。ただ、私たちが暮らすこの場所と、私を守るために、怒っている。
不器用で、単細胞で、どうしようもなく優しい魔王。 だからこそ、私が守らなきゃいけない。この人の「未来」を、こんなところで砕けさせてはいけない。
「……大丈夫です。焼かせません」
私は波旬様の胸の「金継ぎ」に手を当て、真っ直ぐに彼の目を見上げた。
「私がいます。私が直した貴方は、こんな安っぽい罠で壊れるほど脆くありません。……信じてください」
波旬様の金色の瞳が揺れた。 私の手から伝わる体温で、少しずつ、荒れ狂う魔力が鎮まっていく。 「……チッ」 彼は大きく舌打ちをして、拳を下ろした。
「……興が削がれた。命拾いしたな、廉浄」
「ほう。飼い犬の躾は良いようですね」
廉浄様はつまらなそうに扇子を開いた。
「まあいいでしょう。慈悲深い私です。……夜明けまで待ちましょう」
「何だと?」
「明日の日の出と共に、総攻撃を開始します。それまでに泣いて謝り、その離宮を明け渡すなら……兄上の命だけは助けてあげますよ」
彼はくるりと背を向けた。
「精々、最後の晩餐を楽しむことですね。……行くぞ!」
軍勢がざっと音を立てて後退し、離宮を包囲するように陣を敷き始めた。
◆
離宮の大広間。 重苦しい空気が漂っていた。
「……すまねえ、巴」 上座に座った波旬様が、悔しそうに拳を握りしめている。
「俺が短気なせいで、お前らにまで迷惑をかけた。……あいつは本気だ。夜が明けたら、ここを更地にする気だ」
「どうするんですかぁ、波旬様ぁ!」
牛頭と馬頭が泣きついてくる。夜狐さんも厳しい表情で腕を組んでいる。
「戦力差は歴然よ。向こうは三千、こっちは五人。まともにぶつかれば、ひとたまりもないわ」
誰もが絶望していた。 波旬様が一人で突っ込めば勝てるかもしれないが、それでは彼が「反逆者」になり、彼の身体も限界を迎える。 詰んでいる。誰が見てもそう思う状況だ。
でも。 私は、部屋の隅からガラクタ置き場を見つめていた。 壊れた鎧、使い古された大砲、そして修理待ちの農具たち。 ……使える。 私の頭の中で、カチリとパズルのピースが嵌まった。
「……勝ちましょう」
私が顔を上げると、全員の視線が集まった。
「は? 勝つって……どうやってだよ」
「真正面からぶつかるから負けるんです。相手は『波旬様は猪突猛進だ』と思い込んでいます。そこが隙です」
私はテーブルに地図を広げた。 かつて父の書斎で読んだ、人間界の古戦場の記録が蘇る。
「波旬様。『桶狭間(おけはざま)』をご存知ですか?」
「オケ……なんだそりゃ。風呂桶か?」
「いいえ。少数で大軍を食い破る、大逆転の奇策です」
私はニヤリと笑った。職人の顔で。
「夜明けまで時間があります。……この離宮全体を、巨大な『罠』に改造しますよ。手伝ってください、旦那様?」
離宮の正門前。 波旬様の低い声が、地を這うように響いた。 彼の全身から立ち昇る黒い瘴気が、夜空を焦がすように渦巻いている。
対峙するのは、数千の兵を従えた第二皇子、廉浄。 彼は優雅に扇子を閉じ、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「ええ、そうです兄上。これは『閻魔庁』からの正式な許可状ですよ」
廉浄様は、わざとらしいほど朗らかに告げた。
「近頃、この離宮から異常な濃度の瘴気が観測されています。兄上の魔力が暴走し、周囲に害を及ぼす恐れがある……とね」
「ハッ、俺が暴走? 笑わせるな」
「事実、先ほど私の放った花火程度で、門が吹き飛んだではありませんか。結界が脆くなっている証拠です」
……マッチポンプだ。 自分で爆破しておいて、「脆いから危険だ」と難癖をつけている。 なんて白々しい。けれど、後ろに控える兵士たちは「そうだそうだ!」「危険分子を排除せよ!」と声を上げている。完全に廉浄様に掌握されているのだ。
「よって、『冥界保安法』に基づき、この危険な離宮を強制撤去いたします。……中に入り込んだネズミ一匹残さず、綺麗サッパリ焼き尽くして差し上げましょう」
廉浄様の視線が、私に向けられた。
「ネズミ」とは、私のことだ。
「……テメェ」
ブチィッ、と波旬様の理性が切れる音がした。
「俺をナメんのも大概にしとけよ、クソガキが……!!」
ドォォォッ! 波旬様の背後から、巨大な黒竜のような魔力が噴出した。 空気がビリビリと震え、地面に亀裂が走る。本気の殺気だ。 廉浄様はビクリともせず、むしろニヤリと口角を上げた。
(……まずい!) 私は直感した。これは罠だ。
「おや、抵抗なさるのですか? 公務執行妨害ですよ」 廉浄様が煽る。
「手を出せば、兄上は『暴走した反逆者』として、私がこの場で処刑する大義名分が立ちます。……さあ、どうぞ? その汚い暴力で、私を殴ってみなさい」
波旬様が拳を振り上げた。
「上等だッ! その減らず口、二度と利けなくしてやる!」
「波旬様! ダメです!」
私はとっさに飛び出し、波旬様の腰に抱きついた。
「離せ巴! こいつを殺さなきゃ収まらねえ!」
「相手の思う壺です! 今手を出せば、貴方は本当に『悪者』にされてしまいます!」
私は必死に彼を押さえつけた。
彼の身体は岩のように硬く、熱い。怒りで震えているのが伝わってくる。
「波旬様、落ち着いてください。貴方は次期閻魔大王でしょう? こんな安い挑発に乗って、王の資格を捨ててどうするんですか!」
「うるせえ! 俺はどう思われてもいい! だがな、こいつは俺の庭、おまえたちを焼くと言ったんだぞ!?」
――ッ。 私の胸が締め付けられた。 彼は自分の地位なんてどうでもいいのだ。ただ、私たちが暮らすこの場所と、私を守るために、怒っている。
不器用で、単細胞で、どうしようもなく優しい魔王。 だからこそ、私が守らなきゃいけない。この人の「未来」を、こんなところで砕けさせてはいけない。
「……大丈夫です。焼かせません」
私は波旬様の胸の「金継ぎ」に手を当て、真っ直ぐに彼の目を見上げた。
「私がいます。私が直した貴方は、こんな安っぽい罠で壊れるほど脆くありません。……信じてください」
波旬様の金色の瞳が揺れた。 私の手から伝わる体温で、少しずつ、荒れ狂う魔力が鎮まっていく。 「……チッ」 彼は大きく舌打ちをして、拳を下ろした。
「……興が削がれた。命拾いしたな、廉浄」
「ほう。飼い犬の躾は良いようですね」
廉浄様はつまらなそうに扇子を開いた。
「まあいいでしょう。慈悲深い私です。……夜明けまで待ちましょう」
「何だと?」
「明日の日の出と共に、総攻撃を開始します。それまでに泣いて謝り、その離宮を明け渡すなら……兄上の命だけは助けてあげますよ」
彼はくるりと背を向けた。
「精々、最後の晩餐を楽しむことですね。……行くぞ!」
軍勢がざっと音を立てて後退し、離宮を包囲するように陣を敷き始めた。
◆
離宮の大広間。 重苦しい空気が漂っていた。
「……すまねえ、巴」 上座に座った波旬様が、悔しそうに拳を握りしめている。
「俺が短気なせいで、お前らにまで迷惑をかけた。……あいつは本気だ。夜が明けたら、ここを更地にする気だ」
「どうするんですかぁ、波旬様ぁ!」
牛頭と馬頭が泣きついてくる。夜狐さんも厳しい表情で腕を組んでいる。
「戦力差は歴然よ。向こうは三千、こっちは五人。まともにぶつかれば、ひとたまりもないわ」
誰もが絶望していた。 波旬様が一人で突っ込めば勝てるかもしれないが、それでは彼が「反逆者」になり、彼の身体も限界を迎える。 詰んでいる。誰が見てもそう思う状況だ。
でも。 私は、部屋の隅からガラクタ置き場を見つめていた。 壊れた鎧、使い古された大砲、そして修理待ちの農具たち。 ……使える。 私の頭の中で、カチリとパズルのピースが嵌まった。
「……勝ちましょう」
私が顔を上げると、全員の視線が集まった。
「は? 勝つって……どうやってだよ」
「真正面からぶつかるから負けるんです。相手は『波旬様は猪突猛進だ』と思い込んでいます。そこが隙です」
私はテーブルに地図を広げた。 かつて父の書斎で読んだ、人間界の古戦場の記録が蘇る。
「波旬様。『桶狭間(おけはざま)』をご存知ですか?」
「オケ……なんだそりゃ。風呂桶か?」
「いいえ。少数で大軍を食い破る、大逆転の奇策です」
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