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本編
残雪-4
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(side:幸)
まぶたの裏に朝日が差し込む。
夢の中から目を覚ますと、旦那様はいなかった。もちろん、夢の中の彼らも。
寝室のドアがノックされる。
「幸様。おはようございます。入ってもよろしいですか?」
吉野さんの声だ。
慌てて毛布をかぶる。見渡す限り、直ぐに着れそうな衣服は側に無かった。
「はい。大丈夫です」
ゆっくりと寝室のドアが開く。
吉野さんは寝室へ1歩踏み入ると、深く頭を下げた。
「昨日は、申し訳ありませんでした」
「?……何の事ですか?」
「春成様に、勝手に幸様の外出の希望をお伝えしたことです。その後、春成様に手荒な事をされませんでしたか?だいぶお怒りのようでしたので……」
「……暴力とかは、なかったです。でも……」
キスしろ、と言われた事をこの人に伝えてもいいのだろうか。と考えてふと言葉が詰まった。
もしかしたら私はただの愛人で、この人が本当の婚約者かもしれないのだ。
旦那様をひとりで独占するつもりは無い。
しかし、魔力なしが勝手に自分の婚約者と仲良くしているのをよく思わない人はいるかもしれない。
「私の伝え方が悪かったのです。ですが、私と常に一緒なら良いと先程許可が降りましたよ」
そう考えているうちに、吉野さんは続けて謝罪した。
それが申し訳なくて、頭をブンブンと振る。
「別に、もういいんです。……本当に大丈夫ですから」
「朝食の後、一緒に外へお散歩に出かけませんか?今日は天気も良いですし。ずっとマンションの中では気詰まりでしょう。少し日に当たれば気分も晴れますよ」
本当に心配しているような様子で吉野さんは私の顔を覗き込んだ。
吉野さんの事はとても優秀な人なんだろうなと思うけれども、友人のように振る舞えるかと言われれば難しいと思う。
魔力なしと魔力持ちとの間には歴然とした溝がある。
──本当は、私の方がご機嫌取りをするべき立場なのに。
「大丈夫です。テラスルームから見る景色でも、十分なので」
そうもう一度断ると、吉野さんはいつでもお申し付け下さいね、と念を押して部屋を後にした。
パタンと扉が閉まった後、不意に涙が出てきた。
なんだか最近、感情がぐちゃぐちゃだ。
吉野さんの言う通り、外に出たりしていないから精神的に弱くなっているのかもしれない。
わがままを言ったり、変な意地を張ったり。
今迄の人生の中で、1番良い環境で、良い待遇を受けている事は分かっている。
けれども1番苦しい。
──見間山に帰りたい。あの頃に戻りたい。
おじいちゃんは、色々な事を教えてくれた。
魔力なしも、生きていていいんだということ。
私にもできることがあること。
魔力なしは、沢山の人を愛しながら生きていくべきだということ。
けれどもここに来てからはずっと、いつ追い出されるかと怯えて、2人の顔色を伺っている。
おじいちゃんに会いたい。
たとえ話ができなくても。
嗚咽を堪えても漏れてくる。
涙を流していると、また吉野さんがドアをノックして扉を開けた。
「幸様、朝食を……幸様っ!?」
吉野さんがおぼんに朝食を載せて持ってきてくれたけれど、泣いている私を見てそれをひっくり返しそうになった。
しかしおぼんは床に落ちる直前で消え、ベッドサイドのテーブルの上に現れた。
その上にお茶碗とお味噌汁の入ったお椀とおかずの乗ったお皿がとんとんとんと後から現れて、綺麗に載った。
空間魔術。
旦那様がよく使っている魔術でもある。
鼻をすすりながらぽかんとその一部始終を見ていると、吉野さんがベッドの上に転移してきた。
「幸様!!やはり何処か痛いところが!?」
「いえ……あっ!」
吉野さんが毛布を剥ぎ取って私の身体を確認する。
慌てて旦那様から付けられた痕跡を手で隠そうとするけども、身体中に付けられているので覆いきれない。
目をぎゅっと瞑って何を言われるのか身構える。
「お怪我は、無いようですね。それにしても、あぁ……、はる兄ったら……」
降ってきたのは、安堵の溜息だった。
「え?」
「いえ、何でもありません。今は就業中なので」
ーーーーー
「あ……美味しそうな匂い……」
久しぶりに頬を風が撫でる。
それと同時に、美味しそうな香ばしい香りが鼻をくすぐる。
「そうですね、買っていきましょうか」
パン屋さんの前でぽつりと零した言葉に、すかさず吉野さんが食らいついた。
「いいえ、大丈夫です。吉野さんが作ってくれたご飯の方が美味しいです、きっと」
「幸様……!」
吉野さんがキラキラとした視線を向けてくる。
本当は、吉野さんの事が嫌いな訳じゃない。
表面上は私にとても好意的に接してくれるし、作ってくれるご飯もとても美味しい。
ただ、優秀な彼女が、ましてや旦那様の本当の婚約者かもしれない人が、魔力なしの世話をさせられている事をどう感じているのか。
それを考えると手を取るのを躊躇ってしまう。
でも結局、今日は吉野さんと外に出かける事になった。
私がグズグズと泣いてまた引きこもろうとしていたからだ。
吉野さんは魔法のように(正確には魔術だが)私を着替えさせてメイクアップし、お姫様抱っこで外へと繰り出そうとした。
流石に自分で歩くと主張してやめてもらった。
梅雨の時期ではあるけれども今日はじわじわと日が射している。
6月にしては暑い1日になりそうだと、吉野さんは言っていた。
私にとって10年振りの、平野での日差し。
全てが眩しくて、少しクラクラする。
パン屋さんで小さなあんパンとクリームパンを買い、公園のベンチに座って2人で肩を並べて食べる事にした。
外で買い食いなんて、生まれて初めてだ。
吉野さんがパンのビニールの袋を開けてて手渡してくれる。
はむ、と口に入れると、柔らかい生地に甘いあんこが包まれていて、頬が痛くなるくらい美味しい。
とぽとぽと音がするので振り向くと、吉野さんはどこからか取り出したコップに、水筒から冷たいハーブティーを注いでくれている。また空間魔術を使ったのだろうか。
私のような魔力なしに事細かい気遣いをしてくれる吉野さんに、申し訳なさを感じる。
吉野さんが紫外線を通さない防御壁を張ってくれているおかげで、日差しは柔らかい。
木の隙間から差し込む光が、ハーブティーの水面を輝かせていた。
毒は入っていないと思う。もし入っていたとしても、特に未練はないかな……。
「はい、どうぞ」
「あ……ありがとうございます」
ざああ、木陰をすり抜ける風が吹く。
甘いあんパンに、すっきりとしたハーブティーがよく合う。
ごくごくと飲み干してしまうと、吉野さんがすかさずおかわりを次いでくれた。
「吉野さんは……旦那様とのお付き合いは長いんですか?」
無言の時間が耐えられなくて、なんとなしに聞いてみる。
「ええ……生まれた時からではありますね。秘書として働いているのは5年程前からですが」
生まれた時から。これが俗に言う、幼なじみというものなのか。
やっぱりこの人が、本当の旦那様の恋人で、幼なじみで、もしかしたら、本当のお嫁さんになるかもしれない人。
旦那様が吉野さんと肩を並べて談笑して、間に小さな子供がいる所も想像してみる。
凄く、幸せな想像で心が暖かくなる。
でもそこに私は……私はいてもいいのかな?
私と旦那様が初めて会ったのは、4年前だ。
吉野さんは、それよりももっとずっと前から旦那様と……
2人が話している所はあまり見ないけれど、何となく信頼し合っている事は分かる。
2人の間に入れるような隙間はもう無いように感じられる。
私は、旦那様にとってむしろ、魔力なしという事を差し置いてもノイズでしかないのでは?
───どうしたらいい……?
どうしたら、私は2人の陰に置いていて貰えるんだろうか。
こうして2人でゆっくりお話する事もなかなか無いので、さらに聞いてみる事にした。
「小さい頃の旦那様は、どういう子でしたか?」
全く想像できない。だからこそ聞いてみる。
旦那様の、色んなことが知りたい。
どんな人生を歩んで、どんな人を好きになったのか。
「そうですね……今とそんなに変わらないと思いますよ。寡黙で優秀ですが、どことなく人を遠ざける感じというか。けれども、私どもには昔からお優しかった」
昔を懐かしむ様子の吉野さんを、率直に羨ましいと思った。
が、少し引っかかることがあった。
「……?わたし、ども?吉野さんの他にも、そういう方が居るんですか?」
「ええ、私を含めた5人の弟妹達全てに、毎年欠かさず誕生日会を開いてプレゼントもくれていたんですよ!しかも、成人しても今も変わらず。時間を割いて勉強も見てくれましたし、6人揃って旅行にも何回か連れて行って貰いました。運動会の時もいつも応援に来てくれましたし、あっ!弟の時はわざわざ自分の授業を抜け出して授業参観に来てくれた事も──」
てい、まい?──弟妹。
その言葉を頭の中でそう変換するのに、数秒かかった。
なおも旦那様の話を続ける吉野さんの言葉が途切れるのを待って、おずおずと聞いた。
「よ、吉野さんって……あの、下の、お名前なんですか?」
「え?ええ。よく苗字みたいって言われますが……」
「じ、じゃあ、苗字は……」
「あっ!もしかして、私、苗字を名乗っていませんでしたか!?」
吉野さんは、とてつもなくショックを受けたような表情になった。こんな彼女の表情は始めて見る。
すぐに、失礼しました、と咳払いをして私にお辞儀をした。
「改めまして、宮間です。宮間吉野と申します。春成様のすぐ下の妹です」
ーーーーー
しばらく呆然と、公園の中を歩きながら今迄の事を思い出していた。
2ヶ月も、毎日同じ部屋にいたのに。いや、旦那様がお休みの日は居なかったけど。
──私、なんて勘違いをしていたんだろう。妹さんだったらあんなに親しいのも、小さい頃の事を知ってるのも当たり前だ……。
それなのに、勝手に勝手な想像して……失礼な想像だったのかも……
ぐるぐると考えていると、吉野さんがふと立ち止まった。
何かを確かめるように聞いてくる。
「幸様は、春成様の事をどうお想いですか?」
「えっ?えっと……」
あの熱い指先も、スラリとした眼差しも。全部遠いはずなのに、いつも私の傍に居てくれる。
「私が想っても良いような方では無いと思うのですが……」
「そんな事はありませんよ」
以前までは何とも思わなかった。
でも、体を重ねるようになってからは……
低い声を聞けば身体の奥がきゅんとなるし、抱き寄せられると心臓がふわふわする。もっともっと触って欲しくて、身体が疼いてしまう。
「凄く、大好き……です」
ざああっと、風が吹き抜ける。
いざ言葉にしてしまうと、とても恥ずかしくて顔が熱くなる。吹き抜ける風も頬の温度を下げてくれない。
吉野さんがとても嬉しそうに微笑んでいる。
「是非とも、春成様にたくさん伝えてあげてください」
「でも……」
「春成様が、昨日珍しくお怒りだった理由は分かりますか?」
「うーん……私が、逃げようとしてると思ったから?」
「それも少しあるかもしれませんが。初めてのお願いが私にだったので、嫉妬していたようです」
「しっと……?」
初めて聞く言葉だった。
「しっとって、なんですか?」
「私と幸様が仲良くしているのを見て、春成様は羨ましかったみたいですよ」
その意味がよく分からなくて頭を傾げていると、吉野さんはまた笑った。
「春成様も、怖いんですよ。だからこそ、気持ちを伝えてあげてください」
ーーーーー
その晩も、旦那様は寝室で私を抱きしめてくれた。
吉野さんが用意してくれたベビードールを脱がされて、私も旦那様のバスローブを脱がせて、2人で裸になる。
裸の肌と肌を擦り合わせるだけで、ゾクゾクとした快感が身体を駆け巡る。
「旦那様、ぁっ♡♡旦那様……っ♡♡」
今、旦那様には私しか居ない。そう思うと、なぜかいつもより甘えるような響きが声に乗る。
「昼間は、外へ出たのか」
「はい……あの、許可を出してくださって、ありがとうございました……っ♡♡あっ♡♡」
お礼を伝えると、旦那様が私のお尻を撫でる。
「礼など要らない。僕が君を閉じ込めているだけだ。また外出したければ吉野を使うといい。10年振りの散歩はどうだった?」
「あっ♡♡あんっ♡♡あっ♡♡はいっ♡♡凄くっ♡♡眩しくてっ♡♡ああっ♡♡」
──本当は、旦那様とも──そう思うけれども。
お尻を撫でていた手がそのまま割れ目を伝って、湿り気を帯びてきた所を撫でるので、私はそう返事をするので精一杯だった。
「あっ♡……あ、のっ♡♡旦那様っ♡♡」
伝えなきゃ。昼間に吉野さんに言われた通り。
───でも。
伝えてもいいの?
魔力なしなんかが。
もしも伝えても、何も反応が無かったら。
旦那様に、気持ちが何も無いと分かってしまったら。
本当に、私は何処にも居られなくなってしまう。
あの冷たい手術台の上に戻るしかなくなってしまう。
「どうした、幸?痛かったか?」
「いえ……」
涙目になっている私を、旦那様は手を止めて優しく抱き締めた。
旦那様の胸に顔を埋めて、涙を隠す。
大好きな旦那様の匂いを大きく吸い込んで、気持ちを落ち着かせる。
「……いつか、旦那様とも一緒に、お出かけしたいです……」
はっと息を飲む旦那様へと顔を向ける。
私は、旦那様に口付けた。
言葉にする勇気は無いけれど。
いつか唐突に終わりが来るとしても。
今のこの幸せを、抱きしめていたい。
まぶたの裏に朝日が差し込む。
夢の中から目を覚ますと、旦那様はいなかった。もちろん、夢の中の彼らも。
寝室のドアがノックされる。
「幸様。おはようございます。入ってもよろしいですか?」
吉野さんの声だ。
慌てて毛布をかぶる。見渡す限り、直ぐに着れそうな衣服は側に無かった。
「はい。大丈夫です」
ゆっくりと寝室のドアが開く。
吉野さんは寝室へ1歩踏み入ると、深く頭を下げた。
「昨日は、申し訳ありませんでした」
「?……何の事ですか?」
「春成様に、勝手に幸様の外出の希望をお伝えしたことです。その後、春成様に手荒な事をされませんでしたか?だいぶお怒りのようでしたので……」
「……暴力とかは、なかったです。でも……」
キスしろ、と言われた事をこの人に伝えてもいいのだろうか。と考えてふと言葉が詰まった。
もしかしたら私はただの愛人で、この人が本当の婚約者かもしれないのだ。
旦那様をひとりで独占するつもりは無い。
しかし、魔力なしが勝手に自分の婚約者と仲良くしているのをよく思わない人はいるかもしれない。
「私の伝え方が悪かったのです。ですが、私と常に一緒なら良いと先程許可が降りましたよ」
そう考えているうちに、吉野さんは続けて謝罪した。
それが申し訳なくて、頭をブンブンと振る。
「別に、もういいんです。……本当に大丈夫ですから」
「朝食の後、一緒に外へお散歩に出かけませんか?今日は天気も良いですし。ずっとマンションの中では気詰まりでしょう。少し日に当たれば気分も晴れますよ」
本当に心配しているような様子で吉野さんは私の顔を覗き込んだ。
吉野さんの事はとても優秀な人なんだろうなと思うけれども、友人のように振る舞えるかと言われれば難しいと思う。
魔力なしと魔力持ちとの間には歴然とした溝がある。
──本当は、私の方がご機嫌取りをするべき立場なのに。
「大丈夫です。テラスルームから見る景色でも、十分なので」
そうもう一度断ると、吉野さんはいつでもお申し付け下さいね、と念を押して部屋を後にした。
パタンと扉が閉まった後、不意に涙が出てきた。
なんだか最近、感情がぐちゃぐちゃだ。
吉野さんの言う通り、外に出たりしていないから精神的に弱くなっているのかもしれない。
わがままを言ったり、変な意地を張ったり。
今迄の人生の中で、1番良い環境で、良い待遇を受けている事は分かっている。
けれども1番苦しい。
──見間山に帰りたい。あの頃に戻りたい。
おじいちゃんは、色々な事を教えてくれた。
魔力なしも、生きていていいんだということ。
私にもできることがあること。
魔力なしは、沢山の人を愛しながら生きていくべきだということ。
けれどもここに来てからはずっと、いつ追い出されるかと怯えて、2人の顔色を伺っている。
おじいちゃんに会いたい。
たとえ話ができなくても。
嗚咽を堪えても漏れてくる。
涙を流していると、また吉野さんがドアをノックして扉を開けた。
「幸様、朝食を……幸様っ!?」
吉野さんがおぼんに朝食を載せて持ってきてくれたけれど、泣いている私を見てそれをひっくり返しそうになった。
しかしおぼんは床に落ちる直前で消え、ベッドサイドのテーブルの上に現れた。
その上にお茶碗とお味噌汁の入ったお椀とおかずの乗ったお皿がとんとんとんと後から現れて、綺麗に載った。
空間魔術。
旦那様がよく使っている魔術でもある。
鼻をすすりながらぽかんとその一部始終を見ていると、吉野さんがベッドの上に転移してきた。
「幸様!!やはり何処か痛いところが!?」
「いえ……あっ!」
吉野さんが毛布を剥ぎ取って私の身体を確認する。
慌てて旦那様から付けられた痕跡を手で隠そうとするけども、身体中に付けられているので覆いきれない。
目をぎゅっと瞑って何を言われるのか身構える。
「お怪我は、無いようですね。それにしても、あぁ……、はる兄ったら……」
降ってきたのは、安堵の溜息だった。
「え?」
「いえ、何でもありません。今は就業中なので」
ーーーーー
「あ……美味しそうな匂い……」
久しぶりに頬を風が撫でる。
それと同時に、美味しそうな香ばしい香りが鼻をくすぐる。
「そうですね、買っていきましょうか」
パン屋さんの前でぽつりと零した言葉に、すかさず吉野さんが食らいついた。
「いいえ、大丈夫です。吉野さんが作ってくれたご飯の方が美味しいです、きっと」
「幸様……!」
吉野さんがキラキラとした視線を向けてくる。
本当は、吉野さんの事が嫌いな訳じゃない。
表面上は私にとても好意的に接してくれるし、作ってくれるご飯もとても美味しい。
ただ、優秀な彼女が、ましてや旦那様の本当の婚約者かもしれない人が、魔力なしの世話をさせられている事をどう感じているのか。
それを考えると手を取るのを躊躇ってしまう。
でも結局、今日は吉野さんと外に出かける事になった。
私がグズグズと泣いてまた引きこもろうとしていたからだ。
吉野さんは魔法のように(正確には魔術だが)私を着替えさせてメイクアップし、お姫様抱っこで外へと繰り出そうとした。
流石に自分で歩くと主張してやめてもらった。
梅雨の時期ではあるけれども今日はじわじわと日が射している。
6月にしては暑い1日になりそうだと、吉野さんは言っていた。
私にとって10年振りの、平野での日差し。
全てが眩しくて、少しクラクラする。
パン屋さんで小さなあんパンとクリームパンを買い、公園のベンチに座って2人で肩を並べて食べる事にした。
外で買い食いなんて、生まれて初めてだ。
吉野さんがパンのビニールの袋を開けてて手渡してくれる。
はむ、と口に入れると、柔らかい生地に甘いあんこが包まれていて、頬が痛くなるくらい美味しい。
とぽとぽと音がするので振り向くと、吉野さんはどこからか取り出したコップに、水筒から冷たいハーブティーを注いでくれている。また空間魔術を使ったのだろうか。
私のような魔力なしに事細かい気遣いをしてくれる吉野さんに、申し訳なさを感じる。
吉野さんが紫外線を通さない防御壁を張ってくれているおかげで、日差しは柔らかい。
木の隙間から差し込む光が、ハーブティーの水面を輝かせていた。
毒は入っていないと思う。もし入っていたとしても、特に未練はないかな……。
「はい、どうぞ」
「あ……ありがとうございます」
ざああ、木陰をすり抜ける風が吹く。
甘いあんパンに、すっきりとしたハーブティーがよく合う。
ごくごくと飲み干してしまうと、吉野さんがすかさずおかわりを次いでくれた。
「吉野さんは……旦那様とのお付き合いは長いんですか?」
無言の時間が耐えられなくて、なんとなしに聞いてみる。
「ええ……生まれた時からではありますね。秘書として働いているのは5年程前からですが」
生まれた時から。これが俗に言う、幼なじみというものなのか。
やっぱりこの人が、本当の旦那様の恋人で、幼なじみで、もしかしたら、本当のお嫁さんになるかもしれない人。
旦那様が吉野さんと肩を並べて談笑して、間に小さな子供がいる所も想像してみる。
凄く、幸せな想像で心が暖かくなる。
でもそこに私は……私はいてもいいのかな?
私と旦那様が初めて会ったのは、4年前だ。
吉野さんは、それよりももっとずっと前から旦那様と……
2人が話している所はあまり見ないけれど、何となく信頼し合っている事は分かる。
2人の間に入れるような隙間はもう無いように感じられる。
私は、旦那様にとってむしろ、魔力なしという事を差し置いてもノイズでしかないのでは?
───どうしたらいい……?
どうしたら、私は2人の陰に置いていて貰えるんだろうか。
こうして2人でゆっくりお話する事もなかなか無いので、さらに聞いてみる事にした。
「小さい頃の旦那様は、どういう子でしたか?」
全く想像できない。だからこそ聞いてみる。
旦那様の、色んなことが知りたい。
どんな人生を歩んで、どんな人を好きになったのか。
「そうですね……今とそんなに変わらないと思いますよ。寡黙で優秀ですが、どことなく人を遠ざける感じというか。けれども、私どもには昔からお優しかった」
昔を懐かしむ様子の吉野さんを、率直に羨ましいと思った。
が、少し引っかかることがあった。
「……?わたし、ども?吉野さんの他にも、そういう方が居るんですか?」
「ええ、私を含めた5人の弟妹達全てに、毎年欠かさず誕生日会を開いてプレゼントもくれていたんですよ!しかも、成人しても今も変わらず。時間を割いて勉強も見てくれましたし、6人揃って旅行にも何回か連れて行って貰いました。運動会の時もいつも応援に来てくれましたし、あっ!弟の時はわざわざ自分の授業を抜け出して授業参観に来てくれた事も──」
てい、まい?──弟妹。
その言葉を頭の中でそう変換するのに、数秒かかった。
なおも旦那様の話を続ける吉野さんの言葉が途切れるのを待って、おずおずと聞いた。
「よ、吉野さんって……あの、下の、お名前なんですか?」
「え?ええ。よく苗字みたいって言われますが……」
「じ、じゃあ、苗字は……」
「あっ!もしかして、私、苗字を名乗っていませんでしたか!?」
吉野さんは、とてつもなくショックを受けたような表情になった。こんな彼女の表情は始めて見る。
すぐに、失礼しました、と咳払いをして私にお辞儀をした。
「改めまして、宮間です。宮間吉野と申します。春成様のすぐ下の妹です」
ーーーーー
しばらく呆然と、公園の中を歩きながら今迄の事を思い出していた。
2ヶ月も、毎日同じ部屋にいたのに。いや、旦那様がお休みの日は居なかったけど。
──私、なんて勘違いをしていたんだろう。妹さんだったらあんなに親しいのも、小さい頃の事を知ってるのも当たり前だ……。
それなのに、勝手に勝手な想像して……失礼な想像だったのかも……
ぐるぐると考えていると、吉野さんがふと立ち止まった。
何かを確かめるように聞いてくる。
「幸様は、春成様の事をどうお想いですか?」
「えっ?えっと……」
あの熱い指先も、スラリとした眼差しも。全部遠いはずなのに、いつも私の傍に居てくれる。
「私が想っても良いような方では無いと思うのですが……」
「そんな事はありませんよ」
以前までは何とも思わなかった。
でも、体を重ねるようになってからは……
低い声を聞けば身体の奥がきゅんとなるし、抱き寄せられると心臓がふわふわする。もっともっと触って欲しくて、身体が疼いてしまう。
「凄く、大好き……です」
ざああっと、風が吹き抜ける。
いざ言葉にしてしまうと、とても恥ずかしくて顔が熱くなる。吹き抜ける風も頬の温度を下げてくれない。
吉野さんがとても嬉しそうに微笑んでいる。
「是非とも、春成様にたくさん伝えてあげてください」
「でも……」
「春成様が、昨日珍しくお怒りだった理由は分かりますか?」
「うーん……私が、逃げようとしてると思ったから?」
「それも少しあるかもしれませんが。初めてのお願いが私にだったので、嫉妬していたようです」
「しっと……?」
初めて聞く言葉だった。
「しっとって、なんですか?」
「私と幸様が仲良くしているのを見て、春成様は羨ましかったみたいですよ」
その意味がよく分からなくて頭を傾げていると、吉野さんはまた笑った。
「春成様も、怖いんですよ。だからこそ、気持ちを伝えてあげてください」
ーーーーー
その晩も、旦那様は寝室で私を抱きしめてくれた。
吉野さんが用意してくれたベビードールを脱がされて、私も旦那様のバスローブを脱がせて、2人で裸になる。
裸の肌と肌を擦り合わせるだけで、ゾクゾクとした快感が身体を駆け巡る。
「旦那様、ぁっ♡♡旦那様……っ♡♡」
今、旦那様には私しか居ない。そう思うと、なぜかいつもより甘えるような響きが声に乗る。
「昼間は、外へ出たのか」
「はい……あの、許可を出してくださって、ありがとうございました……っ♡♡あっ♡♡」
お礼を伝えると、旦那様が私のお尻を撫でる。
「礼など要らない。僕が君を閉じ込めているだけだ。また外出したければ吉野を使うといい。10年振りの散歩はどうだった?」
「あっ♡♡あんっ♡♡あっ♡♡はいっ♡♡凄くっ♡♡眩しくてっ♡♡ああっ♡♡」
──本当は、旦那様とも──そう思うけれども。
お尻を撫でていた手がそのまま割れ目を伝って、湿り気を帯びてきた所を撫でるので、私はそう返事をするので精一杯だった。
「あっ♡……あ、のっ♡♡旦那様っ♡♡」
伝えなきゃ。昼間に吉野さんに言われた通り。
───でも。
伝えてもいいの?
魔力なしなんかが。
もしも伝えても、何も反応が無かったら。
旦那様に、気持ちが何も無いと分かってしまったら。
本当に、私は何処にも居られなくなってしまう。
あの冷たい手術台の上に戻るしかなくなってしまう。
「どうした、幸?痛かったか?」
「いえ……」
涙目になっている私を、旦那様は手を止めて優しく抱き締めた。
旦那様の胸に顔を埋めて、涙を隠す。
大好きな旦那様の匂いを大きく吸い込んで、気持ちを落ち着かせる。
「……いつか、旦那様とも一緒に、お出かけしたいです……」
はっと息を飲む旦那様へと顔を向ける。
私は、旦那様に口付けた。
言葉にする勇気は無いけれど。
いつか唐突に終わりが来るとしても。
今のこの幸せを、抱きしめていたい。
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