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本編
雪華-4
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(side:春成)
物理層に戻った瞬間、視界が暗転した。
演算リンクを切断した反動で、頭の奥が痛む。
情報層での過剰な干渉は、脳神経にノイズを焼きつける。
だが、痛みを感じている暇は無い。
視界の隅で、琉香が情報層用のインターフェースを操作している。
モニターには地図データと、緯度経度が赤く点滅していた。
「ねえ、はる兄……さっきはアバターだったから分かんなかったけど」
琉香がインターフェースに向かいながらこちらに声を掛けてくる。
「ああ。言われなくても分かってる」
「はる兄のその幸ねえの匂い、ヤバいんだけど。何それ、惚気てんの~?」
「まあな」
「ふーん、今度ちゃんと正式に会わせてよね……っていうか、まさかさっきまでそういう事してたの?」
「ああ」
「はぁ!? 駄目じゃん、幸ねえ置いてきたら」
「大丈夫だ……今は“夢の中”にいる」
「そんな事言ってないで早く終わらせるよ! ……座標、照合完了。場所は旧亜耶武原高原域旧宮間第4研究所。データ上では、20年前の火山性地震で閉鎖したことになってるけど」
「だが今も内部は残っている。使えるかどうかは分からないが」
「うん。でも、残留熱量が……なんか変。衛星ログ見て。ここ数日で活動反応が出てる」
琉香が指で拡大する。
氷雪に覆われた山域の中央に、人工的な発熱源が脈打っていた。
まるで、地中に“生きた演算炉”が眠っているように。
「これは……不自然だな。奴の魔術か」
「そうだね。七方はまだ実験を続けている」
僕は僕のマンションのクローゼットに手を転移させ、黒いコートをひっ掴むとそれを羽織る。
この時期の平野部では正直言って暑すぎる服装だ。琉香には登山用のダウンジャケットを羽織らせる。
琉香にとってはかなり大きいが、ないよりましだろう。
「現地に行くつもり? 今から!?」
「当然だ。早く終わらせると言ったのはお前だろう」
「そういう意味じゃ……でも、あそこを乗っ取られてるなら何か罠が仕組まれてるかもよ。入った瞬間に保安用AIがトレースしてくるって、絶対」
「構わない。そんなもの次元構成の白炎で焼けばいい」
琉香が一瞬だけ黙り、ため息をついた。
「……ほんと、そういうところ“母様”に似てるね」
「そうかもしれない」
屋上へ出ると、風が強く吹き抜けた。
雲の隙間から都市の光が覗く。
遠くで、行き交う車両のテールランプが赤い軌跡を描いていた。
「行こう、琉香」
「了解。さっさと終わらせる。ルート開くよ、はる兄」
彼女が両手をかざすと、空中に青い環が展開した。
座標転送式。
物理転移ではなく、情報層を経由した“転写”──魔術と科学の融合技術だ。
長距離転移に加えて隠密行動をしなければならない今、多少の負担は覚悟の上身体の構成情報ごと、飛ぶ。
光の輪に飲み込まれる。
空気の温度が一瞬で変わり、次の瞬間──足元は雪の上だった。
僕はその足元の雪に嘔吐した。
幸い消化済みだった為固形物は出なかった。
数秒の干渉だけでこれか。
やはり、情報層とは折り合いが悪い。
「はる兄、大丈夫? やっぱり相変わらずだね」
「ああ」
辺り一面、黒い岩肌ににわかに雪が点在している。
遠くには雪原と思しきものも広がっている。氷河だ。
風が吹くたびに、冷気と砂埃が打ち付けられる。
人の気配などまるでない。
「って、寒っ!! さむううう!!! 何これ!? 今6月でしょ!? ここがっ……北域研究圏っ!!」
琉香が叫ぶ。
遠くの崖下、氷河の裂け目に、黒い建造物が埋まっていた。
雪に覆われた鉄扉。その周囲には、淡い青の魔術防壁が展開されている。
「防壁の式、結構古い……でも、上書きされてる。これ七方のやつだ。“母様”が昔使ってた構造と似てる……キモーい」
「そうか。なら、破れるな」
「うん。……時間はかかるけど」
僕は手袋を外し、指先で氷をなぞった。
冷たさが皮膚を貫く。
あの映像の声が、まだ耳の奥に残っている。
── “魔力なしを求めるほどお前は壊れていく”
意味を考えないようにしても、脳が勝手に再構築を始める。
血管の内側で、魔術演算が微かに上擦った。
「はる兄……? まだ具合い悪い?」
琉香の声が、遠くから聞こえる。
「平気だ。……ただ、少しノイズが走っただけだ」
琉香は僕の腕を掴み、まっすぐ見上げた。
その瞳の奥には、恐れと──信頼。
「お願い。もし、はる兄の中で“式”が暴走しそうになったら、止めるからね」
「……それでも構わない。だが七方に会うまでは、止まる気はない」
風が吹き抜けた。
空にオーロラのような演算光が広がる。
僕らは、凍てついた地に眠る禁忌の施設へと歩き出した。
氷に覆われた扉が、重低音を響かせて開いた。
琉香の指先から放たれた侵入コードが、七間式防壁の術式を無効化する。
淡い青光が弾け、静電気のような粒子が空中に散った。
「……解除成功。けど、反応が遅すぎる。中、妙だよ」
「罠の可能性が高いな。警戒を緩めるな」
中は異様なほど静かだった。
研究施設というより、冷凍庫の中の遺構。
壁の配管は凍りつき、どこからか冷却液の結晶が滴っている。
メイン照明が付かない。非常灯だけが赤く点滅していた。
琉香がタブレットを操作する。
「内部通信、死んでる。ローカルサーバーにも接続できない……これ、完全にオフグリッドだ」
僕は床に散らばる端末の残骸を踏み越えた。
焼け焦げた回路板、割れたホログラム投影機。
まるで誰かが意図的に“情報層を切り離した”ようだった。
「七方……何を隠してる」
奥の研究区画へと進むと、ガラス越しに巨大な演算炉が見えた。
氷の中で脈動する赤い光──生体演算機構。
人間の神経構造を模した、禁忌の装置。
「これ……有機演算炉……? この匂いって……」
「まさか、稼働中か」
琉香が顔を上げた瞬間、空間が軋んだ。
壁のセンサーが一斉に起動し、赤い光が走る。
《侵入者検知。認証コード、宮間系統──排除開始》
無機質な声が響き、次の瞬間、床が崩れた。
重力が反転するような衝撃。
僕は咄嗟に琉香の腕を掴み、防御式を展開する。
しかしそれは霞の糸のように淡く消え去り、素早く琉香の下敷きになり受身をとった。
「フィールドが反応しない……?」
「はる兄、演算妨害だ。情報層がねじ曲げられてる! 待って、今逆演算して──」
視界が歪み、音が消える。
神経回路に直接干渉してくるノイズが脳を焼いた。
意識が落ちかけた瞬間、胸の奥で何かが疼いた。
──認知していない魔術演算回路が目覚める。
呼吸が浅くなる。
制御していた魔術構造が、勝手に展開を始めた。
蝶の翅脈のような形の赤い光が、僕の目の前を覆い尽くす。
琉香の悲鳴が遠くに聞こえる。
「はる兄! ダメ、それ以上使ったら――!」
わかっている。けれど、抑えられない。
こういう罠か。
血のような演算光が手の甲を走り、空間が裂ける。
演算炉の警告音が爆発的に鳴り響いた。
眩い光が視界を焼き尽くしたその瞬間──
大きな2つの人影が僕らの間に飛び込んできた。
重い衝撃音。
轟音の中、青白い防御フィールドが展開される。
この色は。
この魔術式パターンは。
まさか───
爆風が収まり、煙が薄れていく。
「……間一髪だな。まったく、はる兄らしい無茶して……」
その声を聞いた瞬間、思考が止まった。
振り返ると、末の弟が立っていた。
黒のロングジャケットの裾を翻し、無表情で演算防壁を維持している。
「うーん、式反応が臨界寸前だったね。あと数秒遅かったら脳みそ焼き切れてたぞっ、はる兄♡」
その隣では、白いジャケットのもう1人の末の弟が爽やかな笑顔でホログラム端末を素早く操作していた。
「……純也、京也」
「なんで、あんた達が……」
琉香もあんぐりと口を開けて固まっている。
「お前たち、どうしてここに──ツアーファイナルはまだ先だろう」
「家のネットワークを追ってたら、こっちに干渉痕があった」
「なんか知らないけど、面白そうな事してるなーと思って♡」
「まさか直接突っ込んでくるとは思わなかったけど」
純也が鼻で笑いながら、手を差し伸べてくる。
その指先に触れた瞬間、視界が再び揺れた。
「退避するぞ。ここはもう七方の庭だ。奴はこの場所を本当に消滅させようとしている」
「でも、七方の居場所はまだ……!」
「奴の目的はだいたい掴んだ。また奴の方から接触があるだろう。今は生き延びることが先決だ」
光が包み込み、音が遠ざかる。
魔術演算をロックする術式がオート展開する。
──だが。
「康成の結界より……ぬるいな」
次に目を開けた時、冷たい風が頬を撫でた。
そこは山の中腹──亜耶武原岳山頂から遠く離れた避難用の仮設シェルターだった。
「……助かったの、かな」
琉香がほうと息をつきながら外の夜空を見上げた。
「ああ。命拾いだ」
「はる兄、さっきの何ー?」
「ちょっと目で追えなかったけど、術式構成のレイヤー数やばすぎたんだけど。人間辞めてない?」
「まだ辞めてない」
双子が目を輝かせてこちらを覗き込む。
空には、ゆっくりとオーロラが流れている。
光の揺らぎの中、ガラスに反射する自身の瞳がやたらと青白く滲んで見えた。
ヒーターの炎が、静かに揺れていた。
薄暗い避難シェルターの中で、コンクリート壁がときおり外の風を受けて鳴る。
僕は壁に背を持たれかけさせる。
琉香は黙ってタブレットを操作している。
純也と京真はヒーターのそばで肩を寄せ合い、まるで遠足の延長のように緩んだ空気を纏っていた。
「ていうかさ、はる兄」
京也が不意に言った。
「七方って誰?」
その瞬間、空気がわずかに張り詰める。
琉香が反射的に顔を上げ、純也が興味深そうに首を傾げた。
「……お前たちに今話すべき事じゃない」
「はる兄、隠しごと下手くそすぎ~」
純也が笑う。
「琉香ねえも知ってるのにオレ達だけ仲間はずれ……?」
京也がしゅんとしおらしく言った。
僕は奥歯を噛み締めた。
双子の上目遣いには昔から敵わない。
「僕達は、あるデータを探している。それの鍵を握っているのが七方という男だ」
「ふーん。詳しい事は内緒ってわけ~?」
「はる兄、双子に甘いんだから……」
琉香が小さくため息をつく。
僕は静かに目を伏せた。
琉香がタブレットの画面を切り替え、眉をひそめた。
「……あれ?」
「どうした」
「七方の演算ログを簡易再構成してたんだけど……変なのが混じってる」
彼女は指先でホログラムを拡大する。
黒い七方由来の演算痕とは別に、淡く、ほとんど消えかけた青白い層が重なっていた。
「これは……あいつか」
僕が聞くと、琉香は頷いた。
「七方のでもないし、国家系でもない。でも……宮間の系統反応はある。上手く消そうとはしてるけど……十中八九そう」
「宮間?」
京也がきょとんとした顔をする。
「親戚の誰かってこと?」
「そ。……親戚。遠い、親戚……」
「親戚って言ったって、何人いると思ってんだよ。親戚だけの集まりでホテル貸しきれちゃうだろ、宮間って」
シェルターの中で、ヒーターの音だけが鳴る。
僕は、背中に嫌な冷たさが走るのを感じた。
「奴は、何のためにここに来た」
「分かんない。でも……七方と何か企んでるのは間違いないよ。さっきの有機演算炉と七方の痕跡からして、ここから吉ねえがハックされたんだ」
ヒーターが室内の温度を上げるために炎を爆ぜる。
「はる兄」
純也が静かに言った。
「吉ねえがハックされたってどういうこと。その七方って奴も、親戚っていう奴も、ボク達家族の問題なんだろ。どうして何も教えてくれないの」
僕は目を瞑り、奥歯を噛み締める。
瞼の裏に、幸の笑顔が一瞬だけ浮かぶ。
「……もう遅いから、帰れ」
「はるに……!」
───座標転送式、展開。
「今日はもうお開きだな。子供はもう寝る時間だ」
マンションに降り立った瞬間、洗面所へ駆け込んで蛇口を全開にする。
何も吐き出すものはなかったが、唾液だけが流水に流れて行った。
咳き込んだ後も不快感が頭と胃を支配した。
口を拭い、寝室へと向かう。
幸の香りのする方へ。
泰雅と幸は、泰雅が幸を後ろから抱き締める形で眠りについていた。
肺の中を彼女の香りで満たすと、頭に血が再び巡る。
──家族の問題、か。
一部ではそうだ。
しかしこれは、幸と僕の問題でもある。
4年前から、今までずっと。
幸の唇にそっとキスを落として、音を立てないように隣で横になった。
物理層に戻った瞬間、視界が暗転した。
演算リンクを切断した反動で、頭の奥が痛む。
情報層での過剰な干渉は、脳神経にノイズを焼きつける。
だが、痛みを感じている暇は無い。
視界の隅で、琉香が情報層用のインターフェースを操作している。
モニターには地図データと、緯度経度が赤く点滅していた。
「ねえ、はる兄……さっきはアバターだったから分かんなかったけど」
琉香がインターフェースに向かいながらこちらに声を掛けてくる。
「ああ。言われなくても分かってる」
「はる兄のその幸ねえの匂い、ヤバいんだけど。何それ、惚気てんの~?」
「まあな」
「ふーん、今度ちゃんと正式に会わせてよね……っていうか、まさかさっきまでそういう事してたの?」
「ああ」
「はぁ!? 駄目じゃん、幸ねえ置いてきたら」
「大丈夫だ……今は“夢の中”にいる」
「そんな事言ってないで早く終わらせるよ! ……座標、照合完了。場所は旧亜耶武原高原域旧宮間第4研究所。データ上では、20年前の火山性地震で閉鎖したことになってるけど」
「だが今も内部は残っている。使えるかどうかは分からないが」
「うん。でも、残留熱量が……なんか変。衛星ログ見て。ここ数日で活動反応が出てる」
琉香が指で拡大する。
氷雪に覆われた山域の中央に、人工的な発熱源が脈打っていた。
まるで、地中に“生きた演算炉”が眠っているように。
「これは……不自然だな。奴の魔術か」
「そうだね。七方はまだ実験を続けている」
僕は僕のマンションのクローゼットに手を転移させ、黒いコートをひっ掴むとそれを羽織る。
この時期の平野部では正直言って暑すぎる服装だ。琉香には登山用のダウンジャケットを羽織らせる。
琉香にとってはかなり大きいが、ないよりましだろう。
「現地に行くつもり? 今から!?」
「当然だ。早く終わらせると言ったのはお前だろう」
「そういう意味じゃ……でも、あそこを乗っ取られてるなら何か罠が仕組まれてるかもよ。入った瞬間に保安用AIがトレースしてくるって、絶対」
「構わない。そんなもの次元構成の白炎で焼けばいい」
琉香が一瞬だけ黙り、ため息をついた。
「……ほんと、そういうところ“母様”に似てるね」
「そうかもしれない」
屋上へ出ると、風が強く吹き抜けた。
雲の隙間から都市の光が覗く。
遠くで、行き交う車両のテールランプが赤い軌跡を描いていた。
「行こう、琉香」
「了解。さっさと終わらせる。ルート開くよ、はる兄」
彼女が両手をかざすと、空中に青い環が展開した。
座標転送式。
物理転移ではなく、情報層を経由した“転写”──魔術と科学の融合技術だ。
長距離転移に加えて隠密行動をしなければならない今、多少の負担は覚悟の上身体の構成情報ごと、飛ぶ。
光の輪に飲み込まれる。
空気の温度が一瞬で変わり、次の瞬間──足元は雪の上だった。
僕はその足元の雪に嘔吐した。
幸い消化済みだった為固形物は出なかった。
数秒の干渉だけでこれか。
やはり、情報層とは折り合いが悪い。
「はる兄、大丈夫? やっぱり相変わらずだね」
「ああ」
辺り一面、黒い岩肌ににわかに雪が点在している。
遠くには雪原と思しきものも広がっている。氷河だ。
風が吹くたびに、冷気と砂埃が打ち付けられる。
人の気配などまるでない。
「って、寒っ!! さむううう!!! 何これ!? 今6月でしょ!? ここがっ……北域研究圏っ!!」
琉香が叫ぶ。
遠くの崖下、氷河の裂け目に、黒い建造物が埋まっていた。
雪に覆われた鉄扉。その周囲には、淡い青の魔術防壁が展開されている。
「防壁の式、結構古い……でも、上書きされてる。これ七方のやつだ。“母様”が昔使ってた構造と似てる……キモーい」
「そうか。なら、破れるな」
「うん。……時間はかかるけど」
僕は手袋を外し、指先で氷をなぞった。
冷たさが皮膚を貫く。
あの映像の声が、まだ耳の奥に残っている。
── “魔力なしを求めるほどお前は壊れていく”
意味を考えないようにしても、脳が勝手に再構築を始める。
血管の内側で、魔術演算が微かに上擦った。
「はる兄……? まだ具合い悪い?」
琉香の声が、遠くから聞こえる。
「平気だ。……ただ、少しノイズが走っただけだ」
琉香は僕の腕を掴み、まっすぐ見上げた。
その瞳の奥には、恐れと──信頼。
「お願い。もし、はる兄の中で“式”が暴走しそうになったら、止めるからね」
「……それでも構わない。だが七方に会うまでは、止まる気はない」
風が吹き抜けた。
空にオーロラのような演算光が広がる。
僕らは、凍てついた地に眠る禁忌の施設へと歩き出した。
氷に覆われた扉が、重低音を響かせて開いた。
琉香の指先から放たれた侵入コードが、七間式防壁の術式を無効化する。
淡い青光が弾け、静電気のような粒子が空中に散った。
「……解除成功。けど、反応が遅すぎる。中、妙だよ」
「罠の可能性が高いな。警戒を緩めるな」
中は異様なほど静かだった。
研究施設というより、冷凍庫の中の遺構。
壁の配管は凍りつき、どこからか冷却液の結晶が滴っている。
メイン照明が付かない。非常灯だけが赤く点滅していた。
琉香がタブレットを操作する。
「内部通信、死んでる。ローカルサーバーにも接続できない……これ、完全にオフグリッドだ」
僕は床に散らばる端末の残骸を踏み越えた。
焼け焦げた回路板、割れたホログラム投影機。
まるで誰かが意図的に“情報層を切り離した”ようだった。
「七方……何を隠してる」
奥の研究区画へと進むと、ガラス越しに巨大な演算炉が見えた。
氷の中で脈動する赤い光──生体演算機構。
人間の神経構造を模した、禁忌の装置。
「これ……有機演算炉……? この匂いって……」
「まさか、稼働中か」
琉香が顔を上げた瞬間、空間が軋んだ。
壁のセンサーが一斉に起動し、赤い光が走る。
《侵入者検知。認証コード、宮間系統──排除開始》
無機質な声が響き、次の瞬間、床が崩れた。
重力が反転するような衝撃。
僕は咄嗟に琉香の腕を掴み、防御式を展開する。
しかしそれは霞の糸のように淡く消え去り、素早く琉香の下敷きになり受身をとった。
「フィールドが反応しない……?」
「はる兄、演算妨害だ。情報層がねじ曲げられてる! 待って、今逆演算して──」
視界が歪み、音が消える。
神経回路に直接干渉してくるノイズが脳を焼いた。
意識が落ちかけた瞬間、胸の奥で何かが疼いた。
──認知していない魔術演算回路が目覚める。
呼吸が浅くなる。
制御していた魔術構造が、勝手に展開を始めた。
蝶の翅脈のような形の赤い光が、僕の目の前を覆い尽くす。
琉香の悲鳴が遠くに聞こえる。
「はる兄! ダメ、それ以上使ったら――!」
わかっている。けれど、抑えられない。
こういう罠か。
血のような演算光が手の甲を走り、空間が裂ける。
演算炉の警告音が爆発的に鳴り響いた。
眩い光が視界を焼き尽くしたその瞬間──
大きな2つの人影が僕らの間に飛び込んできた。
重い衝撃音。
轟音の中、青白い防御フィールドが展開される。
この色は。
この魔術式パターンは。
まさか───
爆風が収まり、煙が薄れていく。
「……間一髪だな。まったく、はる兄らしい無茶して……」
その声を聞いた瞬間、思考が止まった。
振り返ると、末の弟が立っていた。
黒のロングジャケットの裾を翻し、無表情で演算防壁を維持している。
「うーん、式反応が臨界寸前だったね。あと数秒遅かったら脳みそ焼き切れてたぞっ、はる兄♡」
その隣では、白いジャケットのもう1人の末の弟が爽やかな笑顔でホログラム端末を素早く操作していた。
「……純也、京也」
「なんで、あんた達が……」
琉香もあんぐりと口を開けて固まっている。
「お前たち、どうしてここに──ツアーファイナルはまだ先だろう」
「家のネットワークを追ってたら、こっちに干渉痕があった」
「なんか知らないけど、面白そうな事してるなーと思って♡」
「まさか直接突っ込んでくるとは思わなかったけど」
純也が鼻で笑いながら、手を差し伸べてくる。
その指先に触れた瞬間、視界が再び揺れた。
「退避するぞ。ここはもう七方の庭だ。奴はこの場所を本当に消滅させようとしている」
「でも、七方の居場所はまだ……!」
「奴の目的はだいたい掴んだ。また奴の方から接触があるだろう。今は生き延びることが先決だ」
光が包み込み、音が遠ざかる。
魔術演算をロックする術式がオート展開する。
──だが。
「康成の結界より……ぬるいな」
次に目を開けた時、冷たい風が頬を撫でた。
そこは山の中腹──亜耶武原岳山頂から遠く離れた避難用の仮設シェルターだった。
「……助かったの、かな」
琉香がほうと息をつきながら外の夜空を見上げた。
「ああ。命拾いだ」
「はる兄、さっきの何ー?」
「ちょっと目で追えなかったけど、術式構成のレイヤー数やばすぎたんだけど。人間辞めてない?」
「まだ辞めてない」
双子が目を輝かせてこちらを覗き込む。
空には、ゆっくりとオーロラが流れている。
光の揺らぎの中、ガラスに反射する自身の瞳がやたらと青白く滲んで見えた。
ヒーターの炎が、静かに揺れていた。
薄暗い避難シェルターの中で、コンクリート壁がときおり外の風を受けて鳴る。
僕は壁に背を持たれかけさせる。
琉香は黙ってタブレットを操作している。
純也と京真はヒーターのそばで肩を寄せ合い、まるで遠足の延長のように緩んだ空気を纏っていた。
「ていうかさ、はる兄」
京也が不意に言った。
「七方って誰?」
その瞬間、空気がわずかに張り詰める。
琉香が反射的に顔を上げ、純也が興味深そうに首を傾げた。
「……お前たちに今話すべき事じゃない」
「はる兄、隠しごと下手くそすぎ~」
純也が笑う。
「琉香ねえも知ってるのにオレ達だけ仲間はずれ……?」
京也がしゅんとしおらしく言った。
僕は奥歯を噛み締めた。
双子の上目遣いには昔から敵わない。
「僕達は、あるデータを探している。それの鍵を握っているのが七方という男だ」
「ふーん。詳しい事は内緒ってわけ~?」
「はる兄、双子に甘いんだから……」
琉香が小さくため息をつく。
僕は静かに目を伏せた。
琉香がタブレットの画面を切り替え、眉をひそめた。
「……あれ?」
「どうした」
「七方の演算ログを簡易再構成してたんだけど……変なのが混じってる」
彼女は指先でホログラムを拡大する。
黒い七方由来の演算痕とは別に、淡く、ほとんど消えかけた青白い層が重なっていた。
「これは……あいつか」
僕が聞くと、琉香は頷いた。
「七方のでもないし、国家系でもない。でも……宮間の系統反応はある。上手く消そうとはしてるけど……十中八九そう」
「宮間?」
京也がきょとんとした顔をする。
「親戚の誰かってこと?」
「そ。……親戚。遠い、親戚……」
「親戚って言ったって、何人いると思ってんだよ。親戚だけの集まりでホテル貸しきれちゃうだろ、宮間って」
シェルターの中で、ヒーターの音だけが鳴る。
僕は、背中に嫌な冷たさが走るのを感じた。
「奴は、何のためにここに来た」
「分かんない。でも……七方と何か企んでるのは間違いないよ。さっきの有機演算炉と七方の痕跡からして、ここから吉ねえがハックされたんだ」
ヒーターが室内の温度を上げるために炎を爆ぜる。
「はる兄」
純也が静かに言った。
「吉ねえがハックされたってどういうこと。その七方って奴も、親戚っていう奴も、ボク達家族の問題なんだろ。どうして何も教えてくれないの」
僕は目を瞑り、奥歯を噛み締める。
瞼の裏に、幸の笑顔が一瞬だけ浮かぶ。
「……もう遅いから、帰れ」
「はるに……!」
───座標転送式、展開。
「今日はもうお開きだな。子供はもう寝る時間だ」
マンションに降り立った瞬間、洗面所へ駆け込んで蛇口を全開にする。
何も吐き出すものはなかったが、唾液だけが流水に流れて行った。
咳き込んだ後も不快感が頭と胃を支配した。
口を拭い、寝室へと向かう。
幸の香りのする方へ。
泰雅と幸は、泰雅が幸を後ろから抱き締める形で眠りについていた。
肺の中を彼女の香りで満たすと、頭に血が再び巡る。
──家族の問題、か。
一部ではそうだ。
しかしこれは、幸と僕の問題でもある。
4年前から、今までずっと。
幸の唇にそっとキスを落として、音を立てないように隣で横になった。
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