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本編
淡雪-2
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(side:幸)
その人──宮間春成さんは、この研究所を運営する会社のとても偉い人なのだと後でおじいちゃんに聞いた。
「気に入ったかい?」
「えっ?」
「彼が──春成の事が、気になるのかい?」
おじいちゃんは、宮間さんを恋愛対象として見ているのか、という事を聞いているようだと察した。
研究所には他に若い男性もいたけれど、1度もそんな話はした事がなかった。
確かにあんなに綺麗で格好良い人は今まで見たことはないけれど、恋愛対象かどうかと聞かれると……
「うーん……ううん、全然。すごく格好いい人だとは思うけど……おじいちゃんの方が好き」
するとおじいちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「そりゃあ、当然だ。私以上の男前はそうそう居ないからな」
「うんっ!そうだよ!」
おじいちゃんは深くうんうんと頷きながら言うので、私もそれに同調した。
冗談ではなく、おじいちゃん以上に素敵な魔術師はいないと思う。
だって、おじいちゃんは私を助けてくれた白馬の王子様なのだから。
「でも……」
「でも?」
「……コーヒー、出さなくても良かったかな?」
宮間グループが大きな会社だということは、就職活動の時から知っていた。だから真っ先に候補から外したのだ。
せっかくコーヒーを入れたのに、それを差し出す前にすぐに帰ってしまったそうだ。
やっぱり、笑ったことを怒っていたのだろうか。
おじいちゃんの邪魔をしてしまったのだろうか……。
不安になっている私の頭を、おじいちゃんの節の立った手がそっと撫でた。
「いいんだよ。あの若造にはまだ──早い」
「早い……?」
「また今度来たら、その時は私が茶を出してやろう。まだ他所の魔力持ちと接するのは怖いだろう?」
「……うん……本当は……。でもあの人は、なんだか……他の人とは、違う感じがした……」
あの容姿だけじゃなくて、とても無駄がなくて綺麗な魔術。──結果はともかく。
あんなに若いのに大きな会社の偉い人だなんて、とても強い力を持っているのかもしれない。それに、ただ強いだけじゃなくて……なんだろう。
「……そうか。その感じを上手く言葉にできるようになるといい。もっと色んな魔術師と出会って、な。君は多くの人を幸せにできる存在だ」
「そうかなぁ。私、おじいちゃんがいないと何にもできないよ」
「そんな事はない。幸は、選ぶ側の人間だ。もっとたくさんの魔術師に会って、その中からいい魔術師を選ぶんだ。その魔術師に人を幸せにする魔術を使わせるのが、魔力なしの役割なんだ」
「……じゃあ、おじいちゃんを選ぶ」
「ホッホッ。そうかそうか、ありがとう」
それから何度か宮間さんを研究所で見かける事があった。
私は、宮間さんを見かける度に挨拶だけして逃げることにしていた。
なぜなら、おじいちゃんが私に教えてくれたのだ。
「魔力なしは、魔力の多い者にとっては特別な存在なんだ。特に、上級以上の魔術師には気を付けなさい」
「上級って?」
「魔術師の中でも、強力な魔力と魔力操作能力を当局が認めた特別な魔術師だ。この間のあの若造のような。彼らは魔力なしを匂いで嗅ぎ分けられ、常に魔力なしを本能的に探し求めている」
「探して……どうするの?」
おじいちゃんは少し躊躇ったあとに、粘膜接触についても教えてくれた。
私は、他人事のようにそれを聞いていた。
あんなに格好良くて地位もある人が、私が魔力なしだからというだけでそんな事をしたいと思うのだろうか。
「ふぅん。……おじいちゃんも上級魔術師なの?」
「私?私は、そんな階級はとうの昔に棄てたよ」
「じゃあ、魔力なしのことはどうとも思わない?」
「私には、心に決めた女性が居るからね。幸の誘惑にだって乗らないさ」
「えぇ~、ちぇっ」
「とにかく、あの若造に見つかったらこんなに可愛い私の孫が、何をされるか分からない。よーく気を付けなさい」
おじいちゃんは、私の事をよく孫扱いした。
どうやらおじいちゃんの奥さんは私によく似ていて、孫がいたらきっと私みたいな感じなんだろうな、と思って、私におじいちゃんと呼ばせているらしい。
孫だろうがなんだろうが、私はおじいちゃんの傍に居られるだけで毎日が楽しかった。
それだけで、良かったのに。
ある夜、ガンガンと非常用扉が打ち鳴らされるのを聞いて、咄嗟に開けた。
もしかしてこんな吹雪の夜なのに、外に研究員の人が居たのかもしれない、と思って。
しかし、姿を現したのは、息も絶え絶えになった宮間さんだった。
全身雪に覆われている。
体じゅうが冷たくなっていた。
──どうして?魔術を使って来たんじゃ……
私は宮間さんを研究棟の暖房室まで案内して、タオルを差し出した。
「少し……無茶をしたようだ」
彼は掠れた声で言った。
宮間さんは、上級魔術師で、すごい魔術師なのだろう。
けれどもどうしてこんな姿になっているのだろうか。
ぐったりとした彼の頬を、恐る恐る撫でてみた。
彼の手が伸びてきて、その手を握った。
でも握られた事よりも、その頬も手もとても冷たく、消えてしまいそうな温度が怖くなって、咄嗟におじいちゃんを呼びに行った。
窓の外を見ると、吹雪は止んでいた。
雲間から月が覗き、白い雪面が淡く光っていた。
「彼を、助けたいかい?」
おじいちゃんは、気を失った宮間さんの脈と呼吸を確かめてから言った。
「……分からない。でも、助けなきゃ。死んでしまうかもしれない」
「この若造がここに来る目的が、ここから君を連れ去る事だとしても?」
「えっ……?」
「前にも言っただろう。幸は、選ぶ側の人間だ。この若造は、君に選ばれたくてこんなにも足掻いているんだ。こいつの行動は、自業自得だ。こんな事で死ぬようなら幸の事も守れまい」
おじいちゃんの目は、こちらを見ているようでどこか遠くを険しく見つめていた。
「私は、ある事情から私を含めたこいつの一族が憎い。だが幸がこいつを救いたいのであれば、私は力を貸そう。しかし同時に、この若造は君に害を及ぼす可能性だってある。それでも、幸はこの若造を助けたいかい?」
私の知らない、おじいちゃんの過去。
それがどういったものなのか、分からない。
「……私には……分からない……。でも、おじいちゃんには、人を幸せにする魔術を使って欲しい……」
それはもしかしたら、憎しみに塗り固められているのかもしれない。でも、おじいちゃんのふとした時の表情は、憎しみというよりも悲しみに溢れていた。
そんなおじいちゃんを見る度に、私を救ってくれた人を、私も救ってあげたいとずっと思っていた。
「……この人は、会社の偉い人で、きっといなくなってしまったら色んな人が困ると思う。この人の家族も。……おじいちゃんが宮間さんの事を憎くて、見捨てる事がおじいちゃんの幸せでも……──そんな悲しい事、して欲しくない」
おじいちゃんの目が、少し見開かれた後に優しくなった。
「私が代わりにおじいちゃんの事、幸せにするから……おじいちゃんお願い、宮間さんを助けて……!」
「……可愛い孫には、敵わないな」
おじいちゃんが指をパチンと鳴らすと、部屋のヒーターがごうっと音を立てて、部屋の温度がぐんと上がった。
おじいちゃんは、私を部屋から出す直前にこう言った。
「明日の朝、春成にコーヒーを入れて差し上げなさい」
その出来事からしばらくして、おじいちゃんはよく床に伏せるようになった。
「幸、これが、私の最期の言葉だ。よく聞きなさい」
医務員の人が、おじいちゃんの呼吸が弱くなってきていると言った日。
おじいちゃんは、ベッドに横になったまま何かを悟ったように1点を見つめて小さい声で言った。
涙を堪えながら、私はおじいちゃんの手を握り締めた。
その手はもう殆ど骨と皮だけになって、少し冷たかった。
「身勝手かも知れないが、君がいつか悲しまないように……“魔法”をかけた。その魔法で宮間の魔術は、完全に君の力になるだろう……。どうか愛してやって欲しい。どこまでも愚かな、私たちの事を……」
「嫌……いやっ!!おじいちゃん、おじいちゃん!私、おじいちゃんの事、まだ……!」
「私は、じゅうぶん幸せだよ、幸。君の名前の通り、君は私の幸せだ。今度こそ……幸せに……ああ……春成を、呼んで来てくれ。あいつに渡したいものがある。許可を出すと伝えておくれ」
研究所の人に、宮間さんを直ぐに呼んで貰った。
転移してきた彼がおじいちゃんの部屋に入るのを見届ける。
扉を閉める直前、おじいちゃんが私に弱々しくウインクした。
それが、私のおじいちゃんについての最後の記憶だ。
──私が知っている中で、最高の魔術師。
けれどもおじいちゃんは、最後まで教えてくれなかった。
私が失ったもの。
そして、おじいちゃんが私にかけた魔法のこと。
ーーーーー
「泰雅さん……」
夜になって帰ってきてから、泰雅さんはうわ言のように「ただいま」とだけ言った。
それきりずっと、泰雅さんの意識は無い。
眠っているようにも見えるが、その顔色は旦那様に連れられて行く前よりも悪かった。
「大丈夫だ。魔力を使い過ぎたようだ。安静にしていればそのうち回復する」
「でも……」
心配でそわそわしている私の頭がそっと撫でられる。
旦那様の目を覗き込む。
私を安心させるように優しく目が細められた。
「幸が側に居てやれば、直ぐに回復するかもしれない」
「はい……。でも……泰雅さんの体調が悪くなったのは、私のせい、なんですか?」
確証はなかった。
ただ、ぐったりと旦那様にもたれて帰ってきた泰雅さんを見て、あの時、吹雪の中現れた日の旦那様と重なった。
── この若造は、君に選ばれたくてこんなにも足掻いている──
旦那様が何かに反応するように少しだけ瞳を見開いた。
そうした少しの変化が、肯定を物語っていた。
ソファに寝かせられた泰雅さんの頬にそっと手を添える。
「私が、魔力なしだから……?」
「それは違う」
「おじいちゃんが言っていたんです。私に魔法をかけたって……もしかしてそれが、泰雅さんを、旦那様たちを苦しめているんですか……?それなら私……っ!」
旦那様が、私を後ろからぎゅっと抱きしめる。
「君が心配する必要は無い。僕らは自分達のために行動している」
「でも、こんな風になるまで……どうして、そこまで……」
「君を悲しませたくないからだ」
「私は、旦那様達を苦しませたくないです。私は、悲しいのも、辛いのも平気です。旦那様達が苦しんでいるのを見るくらいなら……」
「泰雅の様態と康成の魔法に直接の関係は無い。康成が君にかけた……魔法は……」
いつも澱みなく喋る旦那様が、いつになく口篭った。
沈黙が数秒、駆け巡った。
「おじいちゃんの魔法のこと、教えてください。旦那様」
「……君の……婚姻に関する魔術契約だ」
「婚姻……?」
旦那様は、それから私に教えてくれた。
おじいちゃんが、私に最後に託したものを。
旦那様への願いを。
そして、旦那様は私を抱きすくめながら言った。
「僕は君と結婚したい。誰がなんと言おうと宮間の女にしたい。だから血反吐を吐いても死の淵に立たされても、突き進まなくてはならない。たとえ幸が他の男を選んだとしても、絶対に」
「旦那様……そんな……私は……そんな事……」
突然の告白に、頭に血が上る。
「たとえ、君が僕との結婚を望んでいなくても……」
その言葉を、頭を振って遮る。
「そんな事は!……私も……旦那様と……ずっと一緒にいたい……」
「幸……」
唇が重なる。
呼吸がだんだん荒くなっていく。
──旦那様と、みんなとずっと一緒に……ひとつになりたい。
ーーーーー
激しく体を繋げた後、珍しく私よりも旦那様の方が先に眠ってしまった。
余韻で疼く体を抑えながら、旦那様の顔を覗き込む。
眠っている旦那様の顔は、いつもよりあどけない。
唇にキスをしてみる。
それでも起きなかった。
喉の渇きを覚えて、寝室を抜け出してキッチンへ向かう。
吉野さんのお茶を飲むと、少しだけ体の火照りが鎮まった。
泰雅さんはまだソファで眠っている。
2週間前、彼が目の前に現れた時。
この人はもうひとりの旦那様だと、直感的に分かった。
彼が言う通り、旦那様と泰雅さんの顔はあまり似ていない。
顔の造りは同じように整っているけれども、その雰囲気が。
鋭いナイフのような眼光の旦那様と、柔和な印象でいつも柔らかい笑顔を浮かべている泰雅さん。
正反対のように見える2人だけれども、2人とも同じくらい長身で、同じ瞳の色、そして、同じ魔術を使っていた。
後ろ姿や、急に後ろに現れる気配だけでは間違えそうになってしまう事もあった。
ベッドの上で、やっぱり旦那様の姿にしか見えない泰雅さんは、いつも通り優しくて。
この魔術に気が付いてしまっていると知れたら、もしかして泰雅さんは私を抱いてくれなくなるんじゃ──そんな浅ましい事を考えている自分がいて。
私は、旦那様のものなのに。
旦那様にそんな事を考えていると知れたら。
怖くて、ずっと黙っていた。
───でも。
おじいちゃんがかけた魔法。旦那様への願い。
それは、私への願いでもあった。
この愛おしい人達を、愛して欲しいと───
膝をついて、泰雅さんの唇にもゆっくりとキスをする。
ずっと、この唇は旦那様のものだと思ってきた。
けれども今は、はっきりと泰雅さんへ想いを乗せる。
「泰雅さん……ありがとう。今までずっと私の事を守ってくれて。でも今度は、私が泰雅さんを助けるからね」
「ああ、そうだな」
目を覚ましてしまった旦那様が、ふわりと私の後ろに降り立つ。
そして、私と泰雅さんを一緒に抱きしめた。
「幸。泰雅を助けるために、僕を使え。僕達の魔術は、幸が使う為のものだ」
その人──宮間春成さんは、この研究所を運営する会社のとても偉い人なのだと後でおじいちゃんに聞いた。
「気に入ったかい?」
「えっ?」
「彼が──春成の事が、気になるのかい?」
おじいちゃんは、宮間さんを恋愛対象として見ているのか、という事を聞いているようだと察した。
研究所には他に若い男性もいたけれど、1度もそんな話はした事がなかった。
確かにあんなに綺麗で格好良い人は今まで見たことはないけれど、恋愛対象かどうかと聞かれると……
「うーん……ううん、全然。すごく格好いい人だとは思うけど……おじいちゃんの方が好き」
するとおじいちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「そりゃあ、当然だ。私以上の男前はそうそう居ないからな」
「うんっ!そうだよ!」
おじいちゃんは深くうんうんと頷きながら言うので、私もそれに同調した。
冗談ではなく、おじいちゃん以上に素敵な魔術師はいないと思う。
だって、おじいちゃんは私を助けてくれた白馬の王子様なのだから。
「でも……」
「でも?」
「……コーヒー、出さなくても良かったかな?」
宮間グループが大きな会社だということは、就職活動の時から知っていた。だから真っ先に候補から外したのだ。
せっかくコーヒーを入れたのに、それを差し出す前にすぐに帰ってしまったそうだ。
やっぱり、笑ったことを怒っていたのだろうか。
おじいちゃんの邪魔をしてしまったのだろうか……。
不安になっている私の頭を、おじいちゃんの節の立った手がそっと撫でた。
「いいんだよ。あの若造にはまだ──早い」
「早い……?」
「また今度来たら、その時は私が茶を出してやろう。まだ他所の魔力持ちと接するのは怖いだろう?」
「……うん……本当は……。でもあの人は、なんだか……他の人とは、違う感じがした……」
あの容姿だけじゃなくて、とても無駄がなくて綺麗な魔術。──結果はともかく。
あんなに若いのに大きな会社の偉い人だなんて、とても強い力を持っているのかもしれない。それに、ただ強いだけじゃなくて……なんだろう。
「……そうか。その感じを上手く言葉にできるようになるといい。もっと色んな魔術師と出会って、な。君は多くの人を幸せにできる存在だ」
「そうかなぁ。私、おじいちゃんがいないと何にもできないよ」
「そんな事はない。幸は、選ぶ側の人間だ。もっとたくさんの魔術師に会って、その中からいい魔術師を選ぶんだ。その魔術師に人を幸せにする魔術を使わせるのが、魔力なしの役割なんだ」
「……じゃあ、おじいちゃんを選ぶ」
「ホッホッ。そうかそうか、ありがとう」
それから何度か宮間さんを研究所で見かける事があった。
私は、宮間さんを見かける度に挨拶だけして逃げることにしていた。
なぜなら、おじいちゃんが私に教えてくれたのだ。
「魔力なしは、魔力の多い者にとっては特別な存在なんだ。特に、上級以上の魔術師には気を付けなさい」
「上級って?」
「魔術師の中でも、強力な魔力と魔力操作能力を当局が認めた特別な魔術師だ。この間のあの若造のような。彼らは魔力なしを匂いで嗅ぎ分けられ、常に魔力なしを本能的に探し求めている」
「探して……どうするの?」
おじいちゃんは少し躊躇ったあとに、粘膜接触についても教えてくれた。
私は、他人事のようにそれを聞いていた。
あんなに格好良くて地位もある人が、私が魔力なしだからというだけでそんな事をしたいと思うのだろうか。
「ふぅん。……おじいちゃんも上級魔術師なの?」
「私?私は、そんな階級はとうの昔に棄てたよ」
「じゃあ、魔力なしのことはどうとも思わない?」
「私には、心に決めた女性が居るからね。幸の誘惑にだって乗らないさ」
「えぇ~、ちぇっ」
「とにかく、あの若造に見つかったらこんなに可愛い私の孫が、何をされるか分からない。よーく気を付けなさい」
おじいちゃんは、私の事をよく孫扱いした。
どうやらおじいちゃんの奥さんは私によく似ていて、孫がいたらきっと私みたいな感じなんだろうな、と思って、私におじいちゃんと呼ばせているらしい。
孫だろうがなんだろうが、私はおじいちゃんの傍に居られるだけで毎日が楽しかった。
それだけで、良かったのに。
ある夜、ガンガンと非常用扉が打ち鳴らされるのを聞いて、咄嗟に開けた。
もしかしてこんな吹雪の夜なのに、外に研究員の人が居たのかもしれない、と思って。
しかし、姿を現したのは、息も絶え絶えになった宮間さんだった。
全身雪に覆われている。
体じゅうが冷たくなっていた。
──どうして?魔術を使って来たんじゃ……
私は宮間さんを研究棟の暖房室まで案内して、タオルを差し出した。
「少し……無茶をしたようだ」
彼は掠れた声で言った。
宮間さんは、上級魔術師で、すごい魔術師なのだろう。
けれどもどうしてこんな姿になっているのだろうか。
ぐったりとした彼の頬を、恐る恐る撫でてみた。
彼の手が伸びてきて、その手を握った。
でも握られた事よりも、その頬も手もとても冷たく、消えてしまいそうな温度が怖くなって、咄嗟におじいちゃんを呼びに行った。
窓の外を見ると、吹雪は止んでいた。
雲間から月が覗き、白い雪面が淡く光っていた。
「彼を、助けたいかい?」
おじいちゃんは、気を失った宮間さんの脈と呼吸を確かめてから言った。
「……分からない。でも、助けなきゃ。死んでしまうかもしれない」
「この若造がここに来る目的が、ここから君を連れ去る事だとしても?」
「えっ……?」
「前にも言っただろう。幸は、選ぶ側の人間だ。この若造は、君に選ばれたくてこんなにも足掻いているんだ。こいつの行動は、自業自得だ。こんな事で死ぬようなら幸の事も守れまい」
おじいちゃんの目は、こちらを見ているようでどこか遠くを険しく見つめていた。
「私は、ある事情から私を含めたこいつの一族が憎い。だが幸がこいつを救いたいのであれば、私は力を貸そう。しかし同時に、この若造は君に害を及ぼす可能性だってある。それでも、幸はこの若造を助けたいかい?」
私の知らない、おじいちゃんの過去。
それがどういったものなのか、分からない。
「……私には……分からない……。でも、おじいちゃんには、人を幸せにする魔術を使って欲しい……」
それはもしかしたら、憎しみに塗り固められているのかもしれない。でも、おじいちゃんのふとした時の表情は、憎しみというよりも悲しみに溢れていた。
そんなおじいちゃんを見る度に、私を救ってくれた人を、私も救ってあげたいとずっと思っていた。
「……この人は、会社の偉い人で、きっといなくなってしまったら色んな人が困ると思う。この人の家族も。……おじいちゃんが宮間さんの事を憎くて、見捨てる事がおじいちゃんの幸せでも……──そんな悲しい事、して欲しくない」
おじいちゃんの目が、少し見開かれた後に優しくなった。
「私が代わりにおじいちゃんの事、幸せにするから……おじいちゃんお願い、宮間さんを助けて……!」
「……可愛い孫には、敵わないな」
おじいちゃんが指をパチンと鳴らすと、部屋のヒーターがごうっと音を立てて、部屋の温度がぐんと上がった。
おじいちゃんは、私を部屋から出す直前にこう言った。
「明日の朝、春成にコーヒーを入れて差し上げなさい」
その出来事からしばらくして、おじいちゃんはよく床に伏せるようになった。
「幸、これが、私の最期の言葉だ。よく聞きなさい」
医務員の人が、おじいちゃんの呼吸が弱くなってきていると言った日。
おじいちゃんは、ベッドに横になったまま何かを悟ったように1点を見つめて小さい声で言った。
涙を堪えながら、私はおじいちゃんの手を握り締めた。
その手はもう殆ど骨と皮だけになって、少し冷たかった。
「身勝手かも知れないが、君がいつか悲しまないように……“魔法”をかけた。その魔法で宮間の魔術は、完全に君の力になるだろう……。どうか愛してやって欲しい。どこまでも愚かな、私たちの事を……」
「嫌……いやっ!!おじいちゃん、おじいちゃん!私、おじいちゃんの事、まだ……!」
「私は、じゅうぶん幸せだよ、幸。君の名前の通り、君は私の幸せだ。今度こそ……幸せに……ああ……春成を、呼んで来てくれ。あいつに渡したいものがある。許可を出すと伝えておくれ」
研究所の人に、宮間さんを直ぐに呼んで貰った。
転移してきた彼がおじいちゃんの部屋に入るのを見届ける。
扉を閉める直前、おじいちゃんが私に弱々しくウインクした。
それが、私のおじいちゃんについての最後の記憶だ。
──私が知っている中で、最高の魔術師。
けれどもおじいちゃんは、最後まで教えてくれなかった。
私が失ったもの。
そして、おじいちゃんが私にかけた魔法のこと。
ーーーーー
「泰雅さん……」
夜になって帰ってきてから、泰雅さんはうわ言のように「ただいま」とだけ言った。
それきりずっと、泰雅さんの意識は無い。
眠っているようにも見えるが、その顔色は旦那様に連れられて行く前よりも悪かった。
「大丈夫だ。魔力を使い過ぎたようだ。安静にしていればそのうち回復する」
「でも……」
心配でそわそわしている私の頭がそっと撫でられる。
旦那様の目を覗き込む。
私を安心させるように優しく目が細められた。
「幸が側に居てやれば、直ぐに回復するかもしれない」
「はい……。でも……泰雅さんの体調が悪くなったのは、私のせい、なんですか?」
確証はなかった。
ただ、ぐったりと旦那様にもたれて帰ってきた泰雅さんを見て、あの時、吹雪の中現れた日の旦那様と重なった。
── この若造は、君に選ばれたくてこんなにも足掻いている──
旦那様が何かに反応するように少しだけ瞳を見開いた。
そうした少しの変化が、肯定を物語っていた。
ソファに寝かせられた泰雅さんの頬にそっと手を添える。
「私が、魔力なしだから……?」
「それは違う」
「おじいちゃんが言っていたんです。私に魔法をかけたって……もしかしてそれが、泰雅さんを、旦那様たちを苦しめているんですか……?それなら私……っ!」
旦那様が、私を後ろからぎゅっと抱きしめる。
「君が心配する必要は無い。僕らは自分達のために行動している」
「でも、こんな風になるまで……どうして、そこまで……」
「君を悲しませたくないからだ」
「私は、旦那様達を苦しませたくないです。私は、悲しいのも、辛いのも平気です。旦那様達が苦しんでいるのを見るくらいなら……」
「泰雅の様態と康成の魔法に直接の関係は無い。康成が君にかけた……魔法は……」
いつも澱みなく喋る旦那様が、いつになく口篭った。
沈黙が数秒、駆け巡った。
「おじいちゃんの魔法のこと、教えてください。旦那様」
「……君の……婚姻に関する魔術契約だ」
「婚姻……?」
旦那様は、それから私に教えてくれた。
おじいちゃんが、私に最後に託したものを。
旦那様への願いを。
そして、旦那様は私を抱きすくめながら言った。
「僕は君と結婚したい。誰がなんと言おうと宮間の女にしたい。だから血反吐を吐いても死の淵に立たされても、突き進まなくてはならない。たとえ幸が他の男を選んだとしても、絶対に」
「旦那様……そんな……私は……そんな事……」
突然の告白に、頭に血が上る。
「たとえ、君が僕との結婚を望んでいなくても……」
その言葉を、頭を振って遮る。
「そんな事は!……私も……旦那様と……ずっと一緒にいたい……」
「幸……」
唇が重なる。
呼吸がだんだん荒くなっていく。
──旦那様と、みんなとずっと一緒に……ひとつになりたい。
ーーーーー
激しく体を繋げた後、珍しく私よりも旦那様の方が先に眠ってしまった。
余韻で疼く体を抑えながら、旦那様の顔を覗き込む。
眠っている旦那様の顔は、いつもよりあどけない。
唇にキスをしてみる。
それでも起きなかった。
喉の渇きを覚えて、寝室を抜け出してキッチンへ向かう。
吉野さんのお茶を飲むと、少しだけ体の火照りが鎮まった。
泰雅さんはまだソファで眠っている。
2週間前、彼が目の前に現れた時。
この人はもうひとりの旦那様だと、直感的に分かった。
彼が言う通り、旦那様と泰雅さんの顔はあまり似ていない。
顔の造りは同じように整っているけれども、その雰囲気が。
鋭いナイフのような眼光の旦那様と、柔和な印象でいつも柔らかい笑顔を浮かべている泰雅さん。
正反対のように見える2人だけれども、2人とも同じくらい長身で、同じ瞳の色、そして、同じ魔術を使っていた。
後ろ姿や、急に後ろに現れる気配だけでは間違えそうになってしまう事もあった。
ベッドの上で、やっぱり旦那様の姿にしか見えない泰雅さんは、いつも通り優しくて。
この魔術に気が付いてしまっていると知れたら、もしかして泰雅さんは私を抱いてくれなくなるんじゃ──そんな浅ましい事を考えている自分がいて。
私は、旦那様のものなのに。
旦那様にそんな事を考えていると知れたら。
怖くて、ずっと黙っていた。
───でも。
おじいちゃんがかけた魔法。旦那様への願い。
それは、私への願いでもあった。
この愛おしい人達を、愛して欲しいと───
膝をついて、泰雅さんの唇にもゆっくりとキスをする。
ずっと、この唇は旦那様のものだと思ってきた。
けれども今は、はっきりと泰雅さんへ想いを乗せる。
「泰雅さん……ありがとう。今までずっと私の事を守ってくれて。でも今度は、私が泰雅さんを助けるからね」
「ああ、そうだな」
目を覚ましてしまった旦那様が、ふわりと私の後ろに降り立つ。
そして、私と泰雅さんを一緒に抱きしめた。
「幸。泰雅を助けるために、僕を使え。僕達の魔術は、幸が使う為のものだ」
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