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本編
霙雪-1
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(side-泰雅)
昼下がり、本部ビルの目の前に赤い回転灯の付いた護送車が停まる。
中からぞろぞろと出てくる黒服の集団を、カップコーヒー片手に上から見物する。
「ようやくお出ましか……けど、あんなんで捕まえられると思ってんのか……? まあ宮間だしな、はる兄も一応」
溜まった雑務は並列処理して今日の午前中の間に何とか終わらせた。
誰もいない非常階段に座る。
意識を集中させて、情報層へ完全転移する。
肉体を情報片へと細切れにする感覚。
「さて……はる兄が足止めされてる間に」
俺たちには見つけださなければならないものがある。
「逃げられると思うなよ」
C-13シリーズ───76個の幸ちゃんの卵子を。
ーーーーー
ヒトゲノム編集が原則禁止されているこの国でも、特定の研究機関でのみ遺伝子改変技術が行われている。
その1つが、宮間第1魔術研究所だ。
宮間家は医療魔術は元々専門外だった。
宮間家は空間転移魔術は得意としていている。
そしてその諜報能力を活かして元々は間諜を生業としていた家だ。
しかし現在、ゲノム編集技術にその魔術を応用し、宮間魔術研究所は遺伝子工学分野では他の追随を許さない。
様々なゲノム編集技術研究が行われる中、特に魔術回路に関する遺伝子研究に用いることを認可されているのは、魔力なしの卵子だった。
Cシリーズと呼ばれているそれらは、魔術回路に対する遺伝子を持たない事から、様々な魔術に対する遺伝子研究に用いられてきた。
その先駆けとして研究されてきたのが、C-0シリーズ──俺たちの、母さんの卵子だ。
今から27年前、吉ねえがC-0シリーズのゲノム編集の第1成功例として誕生した。
魔術回路に関する母様の遺伝子由来の配列を組み換えられた母さんの卵子から、俺たち5人の姉弟は生まれた。
俺たちは特殊な魔術回路と魔術耐性を持ち、情報層へほぼヒトそのものの情報のまま転移する事ができる。
宮間の空間転移魔術と、母様由来の遺伝子配列による魔力増強の為せる技だ。
俺たち姉弟は、宮間本家ではなく研究所で生まれ育った。
そして、“Cシリーズの完成品”として嫌になるほど周りの大人達に持て囃された。
しかしそんなもの俺たちにとってはどうでも良かった。
俺たちは、母さんの残り香を探しながら、毎日のように顔を見に来るはる兄に甘えて育っていった。
ゲノム編集技術研究対象として公的に認められた、13番目の卵子。
それは幸ちゃんの卵子だった。
しかし、その事を幸ちゃんは知らない。
彼女は自分がなぜ、何のために苦痛を受けているのかを知らないままに、卵巣と卵子を奪われ続けた。
幸ちゃんが小学校を卒業してからしばらく勤めていた研究所──エスアイ魔術生命システム研究所──通称エスアイ研究所は、研究対象への非人道的搾取が日常的に行われていた事を保護機関と宮間魔術研究所によって糾弾され、2年ほど前に解体された。
──そこには康成氏とはる兄も関わっていたらしい。
ところが研究所の解体後、C-13の行方は分からなくなっていた。
思い返せば──俺がまだ「幸ちゃん」という存在を知らなかった頃。
宮間家の裏仕事のひとつとして、エスアイ研究所解体後の残党を追う任務があった。
彼らが国外の魔術系企業に研究データを横流しする、その“橋渡し”を阻止するのが目的だったが──内容は事前情報以上に、ずっと危険で、ずっと妙だった。
俺は営業一課の出張を装い、東南の島国の魔術技術見本市に紛れ込んでいた。
裏で開かれる非合法オークション──そこで、エスアイ元研究員が何かのデータを売り渡すと宮間側は掴んでいた。
だが、実際に現れたデータは俺の予想を超えていた。
──魔力なし卵子のゲノムデータ。
しかも、ただのCシリーズじゃない。
Cシリーズの枠組みに属しながら、どこか未分類で、コード体系が妙に不完全だった。
それは、明らかに中途半端なデータだった。
編集履歴も削られ、構造式もかすれていて、卵子番号すら表示されていなかった。
ただ、ひとつだけ異様に目立つタグだけが残されていた。
──《Control_13》
コントロール……13番。
13番目に公的認可された研究対象。
母様の研究は、母様が行方不明になった後も未だに続いていたのだということを、その時は他人事のように受け流した。
あの時点の俺は、“はる兄のため”というよりも、宮間家に置かれた自分の役割を果たす事だけを考えていた。
不完全なデータとはいえ、Cシリーズが海外へ流れれば宮間の魔術系統は確実に解析される。
Cシリーズは、国内でのみ認可された宮間の特許魔術を用いて固定された卵子群だ。
売り手のエスアイの残党も、買い手の外国魔術企業も、全員その場で無力化してデータを回収し──宮間へ持ち帰った。
……だが。
後日。
宮間研究所の査定はこうだった。
──「元データが破損している。由来不明」
──「Cシリーズに近いが、配列の数パーセントが異常に削られている」
──「実体の卵子が存在しないと推定」
結局そのデータは“価値不明”として保留処分になった。
それが──
幸ちゃんの卵子データの断片だったと気付いたのは、あの子と出会ってからのことだ。
彼女が苦しんできた意味も、自分がなぜあの任務に駆り出されたのかも、全部後付けで繋がってしまった。
まるで最初から、俺だけ知らされていなかったみたいに。
俺がC-13の真実を知ったのは、はる兄に読ませて貰った幸ちゃんの身上報告書からだ。
そこで正式には “研究対象データ紛失” と報告されていたが、そんな言葉で終わる話ではない。
宮間のセキュリティに護られているはずのデータ保管庫から、あのデータは紛失していた。
誰かに、盗まれたのだとしか考えられない。
俺はいても立ってもいられなくなり、母様に貰ったこの力を使うことにした。
ある夜……はる兄が仕事で呼ばれる事も、C-13の捜索に行く事もなく、幸ちゃんを抱きしめて眠るのを確認した夜。
宮間研究所の旧アーカイブに残っていたログを、俺は独断で復元することを試みた。
俺は、はる兄とも琉香とも別ルートでC-13を探す事にしていた。
まず手をつけたのはエスアイ研究所が現存していた頃の転送記録だ。
魔術式が焼き切れた痕跡がいくつもある。
誰かが意図的にアクセス跡を消していたのだろう。
その中に、たった一度だけ“C-13”の識別子が跳ね上がった瞬間があった。
0.6秒。
ただそれだけの痕跡。
しかし俺にとっては、燃え残った灰の中の赤い火種そのものだった。
俺はそのログを手掛かりに転送経路の影を追いかけ、1晩中情報層を走り回った。
最終的に辿り着いた先は、宮間でもエスアイでもない、匿名化された“第3者ノード”。
所有者不明の、黒い箱のような空間。
違う。
所有者は──アイツしかいない。
あの、保留処分になったはずのデータは、はる兄や琉香の調査によって、ある男の手の中にある事が分かっている。
あの男が宮間のセキュリティを掻い潜り、C-13を盗んだのだ。
その数日後、宮間の中枢ノードで定期監査が行われる日。
俺は正式許可の無いまま、禁止領域に侵入した。
誰かが宮間側のログに不自然な保管記録を混入していたからだ。
もしその混入ログが本物として扱われれば、C-13が「宮間第1魔術研究所で消失した」という結論が公的に確定してしまう。
──幸ちゃんの存在が、完全に闇に沈む。
それだけは許せなかった。
情報層で、俺は追跡式を3重に展開してログの書き換え者を突き止めようとした。
しかし書き換え式は“誰かの癖”を巧妙に模していて、追跡するたびに偽装が自動的に変形する。
まるで“宮間の誰か”になりすましているようだった。
仕方なく、俺はその偽装ログそのものを“凍結”し、暫定的に排除した。
結果、宮間内部の監査者には俺が“破損ログの隔離”をしたように見えるだけになった。
はる兄には、まだ言っていない。
あの処置が正しかったのかどうか、今でも迷っているからだ。
そして、七方とのあの一件で、なりすまされていたのは正しく俺だったのだということに気が付いた。
情報層の中で、白炎が揺蕩う。
はる兄が、SIグループを掌握したその日のうちに、そいつは動いた。
逃亡する為に。
金でも、部下でもない。
データだけを抱えて。
俺は、情報層の周縁でそれを“見た”。
航空券の照会。
暗号化通信の立ち上がり。
自宅の空調制御が、異常な頻度で再起動している。
──ああ。
この人間はまだ、現実世界のデバイスが、自分を守ってくれると思っている。
それならば式を組む必要はないな。
家電。
通信端末。
街路のセンサー。
自動販売機。
監視カメラ。
電車の改札。
それらはすべて、情報層に“指”を突き出している。
俺は、そこをなぞるだけ。
魔術は使わないから、魔力痕跡はない。
最初に止めたのは、スマートフォンだった。
圏外。──ではない。
“常に接続されているのに、通信が成立しない”。
それはただの始まりだ。
次に、車。
魔力エンジンの出力制御権を奪う。
ナビが狂う。
目的地が、存在しない場所を示し続ける。
少しだけ腕をのばして管制制御権に侵入する。
赤信号が、異様に長い。
青になるたび、前の車が発進しない。
俺は、奴の生活圏を包囲する。
自宅の給湯器を停止する。
照明が、一定周期で明滅する。
テレビが勝手に点き、ニュースではなく、過去の研究映像が流れ始める。
C-13。
卵子保管庫。
凍結番号。
被験体ログ。
編集はせずただ、再生しただけ。
すべてが同時に起動し、同時に停止する。
情報層で、俺はささやいた。
「逃げ場は、もう無いぞ」
現実世界で、奴は膝をついた。
呼吸が荒れ、脂ぎった汗が落ちる。
俺が姿を見せることはない。
これは制裁じゃない。
処刑でもない。
情報を回収させる作業をするんだ。
然るべき場所の通信が、正確なタイミングで復旧するように。
監視カメラが、必要な角度だけを映すように。
通報が、適切な部署にだけ届くように。
すべてが“自然な流れ”として収束するように。
逃亡未遂。
証拠隠滅。
不正研究。
殺害関与。
──これだけ情報を与えておけば十分か。
俺は、白炎を消す。
情報層のざわめきが、静まっていく。
俺は、はる兄みたいにはなれない。
はる兄みたいに、前に立って世界を歪めることはできない。
──でも。
背後から、世界を閉じることならできる。
幸ちゃんの名前が、どこにも残らないように。
C-13がもう二度と“商品”にならないように。
情報層に潜る作業は、はる兄には向いていない。
はる兄の魔術回路は、前線で殴り込みをかけるためのものだ。
理不尽を力でねじ伏せるタイプ。
ああいう人間は、感情を抑えれば抑えるほど、判断が遅くなる。
遅れは死に直結する。
俺は逆だ。
情報層では、怒りも焦りもすぐにノイズとして切り捨てられる。
冷えるのが早い体質なんだと思う。
だから俺がやる方がいい。
はる兄は幸ちゃんや俺たち弟妹を前にすると、自分の限界を忘れる。
あの人の愛情の偏りは、姉弟の中で俺だけが正確に見抜けた部分だ。
その愛は強い。
けれど、強すぎる愛は狂気と紙一重だ。
はる兄も俺と同じように焦っているから、尚更。
なぜなら、康成翁が幸ちゃんにかけた魔術契約があるから。
康成翁は、どこまで見通していたのだろうか。
幸ちゃんの卵巣機能が回復する見込みがないことは分かっていたのだろう。
そして、俺たち兄弟が幸ちゃんを愛する事を見込んでいた。
すっかり骨抜きにされる事も。
この契約は、俺たちが幸ちゃんを愛し抜く事ができるかを試す為のものだ。
体だけの関係だけで終わらせないように。
幸ちゃんの卵子を、俺たち兄弟を使って全て取り戻させる為に。
昼下がり、本部ビルの目の前に赤い回転灯の付いた護送車が停まる。
中からぞろぞろと出てくる黒服の集団を、カップコーヒー片手に上から見物する。
「ようやくお出ましか……けど、あんなんで捕まえられると思ってんのか……? まあ宮間だしな、はる兄も一応」
溜まった雑務は並列処理して今日の午前中の間に何とか終わらせた。
誰もいない非常階段に座る。
意識を集中させて、情報層へ完全転移する。
肉体を情報片へと細切れにする感覚。
「さて……はる兄が足止めされてる間に」
俺たちには見つけださなければならないものがある。
「逃げられると思うなよ」
C-13シリーズ───76個の幸ちゃんの卵子を。
ーーーーー
ヒトゲノム編集が原則禁止されているこの国でも、特定の研究機関でのみ遺伝子改変技術が行われている。
その1つが、宮間第1魔術研究所だ。
宮間家は医療魔術は元々専門外だった。
宮間家は空間転移魔術は得意としていている。
そしてその諜報能力を活かして元々は間諜を生業としていた家だ。
しかし現在、ゲノム編集技術にその魔術を応用し、宮間魔術研究所は遺伝子工学分野では他の追随を許さない。
様々なゲノム編集技術研究が行われる中、特に魔術回路に関する遺伝子研究に用いることを認可されているのは、魔力なしの卵子だった。
Cシリーズと呼ばれているそれらは、魔術回路に対する遺伝子を持たない事から、様々な魔術に対する遺伝子研究に用いられてきた。
その先駆けとして研究されてきたのが、C-0シリーズ──俺たちの、母さんの卵子だ。
今から27年前、吉ねえがC-0シリーズのゲノム編集の第1成功例として誕生した。
魔術回路に関する母様の遺伝子由来の配列を組み換えられた母さんの卵子から、俺たち5人の姉弟は生まれた。
俺たちは特殊な魔術回路と魔術耐性を持ち、情報層へほぼヒトそのものの情報のまま転移する事ができる。
宮間の空間転移魔術と、母様由来の遺伝子配列による魔力増強の為せる技だ。
俺たち姉弟は、宮間本家ではなく研究所で生まれ育った。
そして、“Cシリーズの完成品”として嫌になるほど周りの大人達に持て囃された。
しかしそんなもの俺たちにとってはどうでも良かった。
俺たちは、母さんの残り香を探しながら、毎日のように顔を見に来るはる兄に甘えて育っていった。
ゲノム編集技術研究対象として公的に認められた、13番目の卵子。
それは幸ちゃんの卵子だった。
しかし、その事を幸ちゃんは知らない。
彼女は自分がなぜ、何のために苦痛を受けているのかを知らないままに、卵巣と卵子を奪われ続けた。
幸ちゃんが小学校を卒業してからしばらく勤めていた研究所──エスアイ魔術生命システム研究所──通称エスアイ研究所は、研究対象への非人道的搾取が日常的に行われていた事を保護機関と宮間魔術研究所によって糾弾され、2年ほど前に解体された。
──そこには康成氏とはる兄も関わっていたらしい。
ところが研究所の解体後、C-13の行方は分からなくなっていた。
思い返せば──俺がまだ「幸ちゃん」という存在を知らなかった頃。
宮間家の裏仕事のひとつとして、エスアイ研究所解体後の残党を追う任務があった。
彼らが国外の魔術系企業に研究データを横流しする、その“橋渡し”を阻止するのが目的だったが──内容は事前情報以上に、ずっと危険で、ずっと妙だった。
俺は営業一課の出張を装い、東南の島国の魔術技術見本市に紛れ込んでいた。
裏で開かれる非合法オークション──そこで、エスアイ元研究員が何かのデータを売り渡すと宮間側は掴んでいた。
だが、実際に現れたデータは俺の予想を超えていた。
──魔力なし卵子のゲノムデータ。
しかも、ただのCシリーズじゃない。
Cシリーズの枠組みに属しながら、どこか未分類で、コード体系が妙に不完全だった。
それは、明らかに中途半端なデータだった。
編集履歴も削られ、構造式もかすれていて、卵子番号すら表示されていなかった。
ただ、ひとつだけ異様に目立つタグだけが残されていた。
──《Control_13》
コントロール……13番。
13番目に公的認可された研究対象。
母様の研究は、母様が行方不明になった後も未だに続いていたのだということを、その時は他人事のように受け流した。
あの時点の俺は、“はる兄のため”というよりも、宮間家に置かれた自分の役割を果たす事だけを考えていた。
不完全なデータとはいえ、Cシリーズが海外へ流れれば宮間の魔術系統は確実に解析される。
Cシリーズは、国内でのみ認可された宮間の特許魔術を用いて固定された卵子群だ。
売り手のエスアイの残党も、買い手の外国魔術企業も、全員その場で無力化してデータを回収し──宮間へ持ち帰った。
……だが。
後日。
宮間研究所の査定はこうだった。
──「元データが破損している。由来不明」
──「Cシリーズに近いが、配列の数パーセントが異常に削られている」
──「実体の卵子が存在しないと推定」
結局そのデータは“価値不明”として保留処分になった。
それが──
幸ちゃんの卵子データの断片だったと気付いたのは、あの子と出会ってからのことだ。
彼女が苦しんできた意味も、自分がなぜあの任務に駆り出されたのかも、全部後付けで繋がってしまった。
まるで最初から、俺だけ知らされていなかったみたいに。
俺がC-13の真実を知ったのは、はる兄に読ませて貰った幸ちゃんの身上報告書からだ。
そこで正式には “研究対象データ紛失” と報告されていたが、そんな言葉で終わる話ではない。
宮間のセキュリティに護られているはずのデータ保管庫から、あのデータは紛失していた。
誰かに、盗まれたのだとしか考えられない。
俺はいても立ってもいられなくなり、母様に貰ったこの力を使うことにした。
ある夜……はる兄が仕事で呼ばれる事も、C-13の捜索に行く事もなく、幸ちゃんを抱きしめて眠るのを確認した夜。
宮間研究所の旧アーカイブに残っていたログを、俺は独断で復元することを試みた。
俺は、はる兄とも琉香とも別ルートでC-13を探す事にしていた。
まず手をつけたのはエスアイ研究所が現存していた頃の転送記録だ。
魔術式が焼き切れた痕跡がいくつもある。
誰かが意図的にアクセス跡を消していたのだろう。
その中に、たった一度だけ“C-13”の識別子が跳ね上がった瞬間があった。
0.6秒。
ただそれだけの痕跡。
しかし俺にとっては、燃え残った灰の中の赤い火種そのものだった。
俺はそのログを手掛かりに転送経路の影を追いかけ、1晩中情報層を走り回った。
最終的に辿り着いた先は、宮間でもエスアイでもない、匿名化された“第3者ノード”。
所有者不明の、黒い箱のような空間。
違う。
所有者は──アイツしかいない。
あの、保留処分になったはずのデータは、はる兄や琉香の調査によって、ある男の手の中にある事が分かっている。
あの男が宮間のセキュリティを掻い潜り、C-13を盗んだのだ。
その数日後、宮間の中枢ノードで定期監査が行われる日。
俺は正式許可の無いまま、禁止領域に侵入した。
誰かが宮間側のログに不自然な保管記録を混入していたからだ。
もしその混入ログが本物として扱われれば、C-13が「宮間第1魔術研究所で消失した」という結論が公的に確定してしまう。
──幸ちゃんの存在が、完全に闇に沈む。
それだけは許せなかった。
情報層で、俺は追跡式を3重に展開してログの書き換え者を突き止めようとした。
しかし書き換え式は“誰かの癖”を巧妙に模していて、追跡するたびに偽装が自動的に変形する。
まるで“宮間の誰か”になりすましているようだった。
仕方なく、俺はその偽装ログそのものを“凍結”し、暫定的に排除した。
結果、宮間内部の監査者には俺が“破損ログの隔離”をしたように見えるだけになった。
はる兄には、まだ言っていない。
あの処置が正しかったのかどうか、今でも迷っているからだ。
そして、七方とのあの一件で、なりすまされていたのは正しく俺だったのだということに気が付いた。
情報層の中で、白炎が揺蕩う。
はる兄が、SIグループを掌握したその日のうちに、そいつは動いた。
逃亡する為に。
金でも、部下でもない。
データだけを抱えて。
俺は、情報層の周縁でそれを“見た”。
航空券の照会。
暗号化通信の立ち上がり。
自宅の空調制御が、異常な頻度で再起動している。
──ああ。
この人間はまだ、現実世界のデバイスが、自分を守ってくれると思っている。
それならば式を組む必要はないな。
家電。
通信端末。
街路のセンサー。
自動販売機。
監視カメラ。
電車の改札。
それらはすべて、情報層に“指”を突き出している。
俺は、そこをなぞるだけ。
魔術は使わないから、魔力痕跡はない。
最初に止めたのは、スマートフォンだった。
圏外。──ではない。
“常に接続されているのに、通信が成立しない”。
それはただの始まりだ。
次に、車。
魔力エンジンの出力制御権を奪う。
ナビが狂う。
目的地が、存在しない場所を示し続ける。
少しだけ腕をのばして管制制御権に侵入する。
赤信号が、異様に長い。
青になるたび、前の車が発進しない。
俺は、奴の生活圏を包囲する。
自宅の給湯器を停止する。
照明が、一定周期で明滅する。
テレビが勝手に点き、ニュースではなく、過去の研究映像が流れ始める。
C-13。
卵子保管庫。
凍結番号。
被験体ログ。
編集はせずただ、再生しただけ。
すべてが同時に起動し、同時に停止する。
情報層で、俺はささやいた。
「逃げ場は、もう無いぞ」
現実世界で、奴は膝をついた。
呼吸が荒れ、脂ぎった汗が落ちる。
俺が姿を見せることはない。
これは制裁じゃない。
処刑でもない。
情報を回収させる作業をするんだ。
然るべき場所の通信が、正確なタイミングで復旧するように。
監視カメラが、必要な角度だけを映すように。
通報が、適切な部署にだけ届くように。
すべてが“自然な流れ”として収束するように。
逃亡未遂。
証拠隠滅。
不正研究。
殺害関与。
──これだけ情報を与えておけば十分か。
俺は、白炎を消す。
情報層のざわめきが、静まっていく。
俺は、はる兄みたいにはなれない。
はる兄みたいに、前に立って世界を歪めることはできない。
──でも。
背後から、世界を閉じることならできる。
幸ちゃんの名前が、どこにも残らないように。
C-13がもう二度と“商品”にならないように。
情報層に潜る作業は、はる兄には向いていない。
はる兄の魔術回路は、前線で殴り込みをかけるためのものだ。
理不尽を力でねじ伏せるタイプ。
ああいう人間は、感情を抑えれば抑えるほど、判断が遅くなる。
遅れは死に直結する。
俺は逆だ。
情報層では、怒りも焦りもすぐにノイズとして切り捨てられる。
冷えるのが早い体質なんだと思う。
だから俺がやる方がいい。
はる兄は幸ちゃんや俺たち弟妹を前にすると、自分の限界を忘れる。
あの人の愛情の偏りは、姉弟の中で俺だけが正確に見抜けた部分だ。
その愛は強い。
けれど、強すぎる愛は狂気と紙一重だ。
はる兄も俺と同じように焦っているから、尚更。
なぜなら、康成翁が幸ちゃんにかけた魔術契約があるから。
康成翁は、どこまで見通していたのだろうか。
幸ちゃんの卵巣機能が回復する見込みがないことは分かっていたのだろう。
そして、俺たち兄弟が幸ちゃんを愛する事を見込んでいた。
すっかり骨抜きにされる事も。
この契約は、俺たちが幸ちゃんを愛し抜く事ができるかを試す為のものだ。
体だけの関係だけで終わらせないように。
幸ちゃんの卵子を、俺たち兄弟を使って全て取り戻させる為に。
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