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90 長期休暇 開始
しおりを挟むレイ様は学年で第三位という好成績を収めて、長期休暇に入った。
長期休暇とはいえ高位貴族にあたるレイ様は、ダニエル様の家に呼ばれたり、殿下と離宮へ行く予定がある。避暑地へ行く富裕層みたいなものだろうか。
ただ、僕はついて行かない。レイ様の長期休暇は僕の長期休暇でもあるので、レイ様と一緒に迷宮に行くことはあっても、基本的にはぶらぶらする予定だ。本当に破格の待遇!
レイ様はまだ王都で用があるため、パーシーさんに護衛役を交代して、僕は一足先に帰ることになった。
フォルナルクへ帰って、社員寮へ向かう。
町並みの確認も兼ねて、フォルナルク内を移動する時は転移ではなく徒歩が多い。自分のお店が繁盛しているところを見ると、嬉しいしね。
社員寮は商店通りから少し離れた、静かな住宅地の中にある。ドンと大きな屋敷だけど、もう従業員で一杯みたい。近い将来2個目を買う必要があるかもしれない。
社員寮が見えてきた。
けれど……大きな門の前に何人か出待ちしている。何だこの人たち。身なりは平民というより、貧民に近い。ツギハギも追いつかないほどボロボロで、皮脂や何かの混ざったキツイ臭いも漂ってくる。
「あっ、アンタ、関係者か?!お願いだ、入れてくれ!雇ってくれ!!」
白髪の中年男性にガッと掴まれそうになって、さっと避けた。男性はよろめいて転がる。
「あたいも、あたいも良く働くよ!ああ、天使様、どうか!」
こちらも白髪だらけの中年女性だ。あれ、なんか見たことあるような……?
うん?と思って良く見ると、……ああ!
この顔。どこかで他人を馬鹿にしている目つき。
僕の養い親の旦那様、『ナサニエル』と、その奥様『パドマ』だった。原型が分からない程、老いて汚れているため全然気付かなかった。
僕の冒険者の両親がいなくなった後、散々コキ使い、鞭打ちし、殺しかけた人たち。
お願いしますと殊勝な態度で、背中を丸め、僕の足元に身体を投げ出す二人の姿は、あの頃と比べて随分と小さくなっていた。
栄養状態も悪いのだろう、恰幅の良かった体は萎み、肌はくすみ、髪もパサパサで白髪だらけ。
そんな彼らを目の前にして、一切復讐心など湧かないことに気付いた。全くもって、凪いでいる。
恨みも怒りも……少しはあるけれど、彼らのこの汚らしい姿や、情けない姿を見れば、もういいかと思う。わざわざ僕が手を汚すまでもない。
言葉は悪いけれど、ゴミがゴミ箱の側に居るなぁ、という感想だった。
「確かに私は責任者の一人です。しかし、あなた方は面接試験で落とされたのでしょう?うちで雇うことはありませんから、どうぞお引き取りを」
今の僕は、一応商会長らしく、オーダーメイドで作ってもらったジャケットを着ていた。レイ様も僕に贈りたがっていたけどなんとなく違う気がして、サンとシガールさん、ククリの見立てで作られたこの服は、上品な黒地に銀色の刺繍が施され、僅かに紫色も入る。どこからどう見ても良いところの坊ちゃんだ。
だからか、『責任者の一人』という言葉に違和感を抱かなかったらしい。それどころか、この二人以外にもわらわらと人が集まってきた。皆、貧民に近いガリガリの身体に、何日も水浴びすらしていないような、饐えた臭いがする。
そこで活躍するのがクッション結界。
接触令嬢向けに開発していて良かった。ふわりと跳ね除けられた人々の間に道が出来、悠々と門番の元へ。
「ロキ様、お疲れ様です。お待ちしておりました」
「少しだけ門を開けますから、今のうちに」
「分かりました。ありがとう」
薄く開いた門に身体を滑り込ませ、一瞬で門が閉まる。喧騒から逃れられてほっと息を吐くと、閉じた門にしがみ付くようにガタガタ鳴らす、ナサニエル。
いつかの籠に入れた走り茸を思い出すなぁ。あの茸の方がよほどかわいい。
そう、ほっこりしていると。
「ろ、ロキ!ロキだと!まさか、お前、ロキなのか!年の頃も、髪色も間違いない!俺だ!助けてくれぇ!養ってやっただろぉ!!」
うわ、面倒くさい。門番は小声だったのによく聞こえたな。後で僕の名前は迂闊に呼ばないようにお願いしておこう。
「何だって?!そうだ、ロキだ!なんて立派になったんだい!今こそ恩を返す時だ!さあ!お前の家に入れておくれ!」
門番は困惑の顔つきで僕と彼らを交互に見る。全く似てないからね。
はぁとため息をついて向き直る間にも、彼らの主張は止まらない。血走った目で門の柵を握りしめ、周りにも聴こえるような大声で叫ぶ。
「俺ぁあいつを育ててやったんだ!それなのに開封の儀の日に逃げやがった!いいか、あいつは綺麗なナリをしているが、俺が拾ってやった貧民なんだ!俺が一声かけりゃ、奴隷商もすぐに飛んでくるんだぞ!」
「そうだよ!親なし!あたいらを綺麗な家に住まわせ、食事を出しな!もう歳なんだ、高級ベッドに高級な服も!」
「何を言っているのか分かりませんが……」
せっかく穏やかだった胸の中が、彼らの言葉によってムカムカするのを抑えきれない。
少しだけ魔力を解放して威圧する。その標的は二人だけ。それでも周囲にいる人たちにも多少影響して、軒並みへたり込んだ。
「なっ、なっ、なっ、」
「貴方達の無能さは僕がいちばーん、よく、知っていますよ。大方、経営がうまく行かなくなって、社員に手厚いうちの噂を聞いてやってきたのでしょうが……いいですか、給与が高い所には、それに見合った有能な人材が我先にとやってくるのです。貴方達はお呼びではありません」
「そん……な……恩は……」
脂汗は滲み出て、涎も垂らして、ナサニエルは何とか声を絞り出した。恩って何?ひどく鞭打ちしておいて、恩とは。
「僕の扱いは違法だったのを、知っていましたか?血縁関係なし、食事も寝床も満足に与えず、給与もない。奴隷だってもっと良い待遇。今からでも訴えられるんですよ。その方がよろしいですか?」
「ヒッ……」
本当は証拠も無いから、訴える事は出来ないしする気も無い。面倒だもの。ただの脅しだった。
すると、パドマは震え出してナサニエルを突き出した!
「あ、あたいは知らない!この男が先にやった!あたいは、少ししかしてない……!」
「は、ハァ?パドマっ!お前……!」
「はぁ……どこまでも見苦しい。僕にとってはお二人とも僕の敵であることに変わりありません。ですので、二度と顔を現さないで下さい。この商会に迷惑をかけるのもやめて下さい。いいですか、僕と関係のあるブランドン侯爵家にひとこと言えば、チリも残さず始末されますので、それよりは優しいでしょう?」
「……は、はひっ……」
ここぞとばかりに侯爵家の名前も借りる。全方位から圧をかけられると知った二人から、簡単に言質を取れた。僕は二人に向かって魔法を発動する。
「『言霊』――この者は、今後私、ロキに話しかけられない。顔を見せられない。間接的にも不利益を齎せない」
淡い光が、二人に向かって吸い込まれていく。威圧を仕舞うと、二人は虚な目でくるりとどこかへと去っていった。
それを見て、周りの人たちも恐々としつつも離れていく。これ以上迷惑をかければどうなるのか、目の当たりにしたのだ。しばらくは収まるだろう。
「見事です、会長。先程は、お名前をお呼びしすみません……」
「さすが会長です!助かりました。アイツらしつこいし、そのくせ荒っぽくはないから手が出せなくて困ってたんです」
「いえいえ、ご苦労様です。もっと早く対処すれば良かったですね。ありがとう、これ、飲んでください」
二人には、最近作った炭酸ジュースを差し入れした。味はグレープ。パチパチするのに驚く顔を見るのは、なかなか楽しい。
ひとしきり彼らの反応を楽しむことで、先ほどの二人による、嫌な記憶が蘇るのを防いだ。
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