聖女ではないので、王太子との婚約はお断りします

カシナシ

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ジェラルドはそう言うと、カパ、と口元だけを見えるようにずらした。

黒く禍々しい煙のようなものがぐるぐると巻き付いて、ほぼ唇も見えない。薄っすらと顎が見えるくらいだった。

ジェラルドが言うには、魔物を討伐すると、その瘴気は倒した者の力の一部になるらしい。
少しだけならばさほど問題はないのだそう。

調子が悪くなる前に身体を休め、何日か放っておけば、自然と瘴気は抜けて『強さ』のみ残る。

……筋肉痛のようなものだろうか?休ませないと筋肉はつかない、とはよく聞く。


「魔物の強化が進んでいて、休む暇もなく狩り続けた結果、こうだ。瘴気が溜まりすぎて魔物になりかけている。はは、流石にまだ人の形は保っているが……爪の先が染まってきた。あと数年で魔物になると思う」

「そんな……」

「俺の母親は然程地位も高くない。特別高貴な血筋ではないんだ。だから死ぬとしても……王国に貢献出来るならそれでいい。瘴気の代わりに、強さで言えば王国一を自負している。魔物になるまでは狩り続けるさ」


そういうジェラルドの顔は、本当に闇に沈んだように何も見えなかった。本心から王国に殉じているようにも、何か諦めているようにも見えた。

何とか、瘴気だけ抜ければいいのに。
そもそもちゃんと休みをとって身体を労っていたら、自然に綺麗になっていたのに。
自殺願望でもあるんじゃないか?

綾人は少しの苛立ちを感じていた。魔物の討伐も、分散しておけば良かったはずだ。今からでも遅くないのでは?


「ルド。それなのに、何故休もうとしないのです?長めに休めば、瘴気も……」

「ここまで溜まってしまうと、五年は寝たきり生活になるだろう。瘴気の抜けるペースは早くない。その間に、おそらく王国は飲み込まれる……聖女様がいなければな」

「はぁ。もう……『今すぐ抜ければいいのに』」


フワッ。

くるくると優しい光がジェラルドを包み込み、瘴気を伴って浮かび……消えた。




「は……」



鎧から見えるジェラルドの口元は、綺麗さっぱり、瘴気は無くなっていた。



「えっ……え?」



困惑する綾人の前で、ジェラルドは慌てて鎧を脱いでいく。
見事な筋肉美と共に、麗俐な美貌が現れた。

伸びっぱなしだが見事な銀髪に、切れ長で深い星空の瞳。思ったより若く、歳の頃は綾人と同じくらいか、2、3つ上か。
精悍な顔立ちと、鍛え抜かれた体躯がよく似合う。


「わぉ……」


ジェラルドの全身、どこもかしこも瘴気は無くなっていた。綾人はそんなことよりも、ジェラルドの顔と身体に釘付けだった。


(どっっっタイプなんですが……!鼻血出そう……)

「こ、これは……!アヤト、お前は……っ」


身体を隅々まで確認するジェラルドは、綾人にガン見されているのに気付かない。
漸く顔を上げたジェラルドに気付かれぬよう、そっと視線を引き剥がす。


「もしや、アヤトが聖女……?いや、しかしアヤトは男だ……?」

「そうです。男です。間違いなく。」

「だ、よな……アヤト、これは厄介な事になる……この事は他言無用だ。分かったか?」

「ぜひそうしてください。王子と結婚なんて勘弁なので」


はは、と軽口を叩くと、ジェラルドは顔を歪める。くっ、そんな顔もいい。
ぽけっと見惚れている綾人に、ジェラルドはとんでもない事実を言うのだった。


「本当に冗談じゃないぞ?男だろうが可能性はある。異世界人とて、妊娠薬を飲めば子供を授かれるだろう」

「……なんですって?」












ぽす。
しばらく一人になり、綾人は寝台に沈み込む。

まさかの男同士で婚姻が可能な上、子供も持てるなんて、聞いていない。



綾人はゲイだった。それもネコ。つまり受け入れる側。と言ってもまだ経験は無い。


親が神職だった影響で、綾人も小さい頃からそれにまつわる様々な訓練をこなしていた。弓道を学び、仕来たりや所作を学び、精神統一の修行も。山を駆け上ったり駆け降りたりもした。

綾人自身は跡継ぎにはなる予定はなかった。恐らく性的嗜好が同性なのだ。つまり結婚もできないし、まして子供も作れない。

しかし親は後継にはならなくとも、そういった知識や精神を身につけて欲しかったらしい。だからせめて、と文句も言わず、親の言うことには従ってきた。


その結果、清廉潔白の中性的な男が出来上がった。




綾人の見た目は、涼やかに見えるらしい。泣きぼくろがエロいと言われたことはあるけれど、あまり性を感じるようには見られないようだった。

だからそんなイメージを壊したくなくて、八方美人を貫いていた。
ゲイならハッテン場とかもあるらしいがネットで調べただけで、とても、とてもじゃないが行けやしない。知人に見られたら、という危惧もあるけれど、羞恥の方が強かった。


同じ理由で、お尻用のオモチャも勇気が出なくて買えなかった。だから、あまり届かない自分の指で少し弄るだけ。

それでもやはりお尻の方が快感を得られやすくなってきて、滝行をした前日なんかは、長い事それに耽ってしまっていたのだ。
その熱は朝も治らず、滝行で無理やり鎮めたところだった。


それが、この世界では、男同士も普通だなんて。

帰らなくていいかもしれない。イケメンをナンパするのも、同性が好きだと言う事も、この世界じゃギョッとするような事じゃ無いだろうし。


それから。


綾人は手のひらを翳す。

水。炎。風。土。光。闇。

全ての属性が、その手のひらの上にあった。
乾いて、と呟けば、綾人の濡れた行衣は瞬く間に乾き。

空間収納、と呟けば、空間に裂け目が開く。適当な紙を入れて無事を確かめて、行衣を仕舞った。

味噌汁が飲みたい、と呟くと、綾人の使っていた茶碗と味噌汁が出てきた。どんな原理かわからないが、飲んでみるとなんて事はない、自分の作った素朴な味噌汁そのものだった。

飲み終わった茶碗はまた魔術で綺麗にした。使っていた時に出来た塗料の剥がれなんかも同じなのだが、よくよく見ると文字が刻まれている。

『非売品(謝礼)』。

この文字には見覚えが無い。
また、もう一つ同じものを出そうとしてもダメだった。


それならと、日本で使っていた愛着のある物を具現化していく。毛布などの寝具も欠かせない。茶碗の他にも食器や、愛弓、着流しや浴衣などの和装も。

出しては空間収納に入れていく。
どれも『非売品(謝礼)』と書かれて、所有していた数以上には出す事は叶わなかった。

願うこと全部が叶えられる訳ではないらしい。

あれこれと試していると、プツン、と糸が切れたような音がして、意識を失った。








ぱち。
起き上がる前に、何度か瞬く。
窓から差し込む光だけは変わらない。けれどその他のものはすっかり、綾人の今まで生きていた世界とは変わってしまった。

陽の暖かさから、もう昼頃のようだ。朝に強い綾人にしては珍しい大寝坊だった。

ふと、窓の外の騒がしさに気付く。そっ、と近づくと、派手なドレスの女性が中庭を歩き、その周囲が持て囃すように声をかけているようだった。

(なにを言っているか聞きたい)

そう念じると、グンッ!と騒々しい音の中に投げ込まれたような錯覚。
慌てて調整し、ちょうど良い音量で盗み聞きをする。

「なんて可愛らしいのか。カンナ。さぁ、私の手を取って」

「ありがと、ギティル!お姫さまみたい!」

「カンナは細いな。しかし、まるで女神のように美しい」

「えへへっ!照れちゃうなぁ」


その声に何となく聴き覚えがある気がして、『カンナ』と呼ばれる女性の顔を見た。

やはり知り合いでは無さそうだが、誰かに似ているような気もした。


「……?」


10代後半くらいの美人。
くりっとした目元で、肌は白く艶やか。やや仕草は子供っぽいような気もするが、小柄な割に出るところは出た女性らしいスタイルだ。

あの金髪はギティル王子。

ジェラルドから聞いた所によるとこの国の第一王子であり、このままいけばほぼ確実に立太子する王子なのだとか。
ジェラルドの異母兄にあたる。

でれでれと頬を緩めているところを見ると、聖女様に弱そうだ。
驚くべき事に、ギティル王子の他にも眉目秀麗な男性が数人、カンナに跪くようにして囲っている。


「おはよう、アヤト……ノックしたが……」

「おはようございます、ルド。……あれは?」


急に音が遠ざかる。
集中しすぎてジェラルドが入ってきた事に気づかなかったようだ。

ジェラルドは綾人の見ていた窓の外をチラリと見る。相変わらず鉄仮面を被っているのに、顔を顰めたのが伝わってくるようだった。


「あれは聖女様の取り巻きだ。聖女様は王子以外にも『いけめん』を見つけると側に置きたがるらしい。昨日の今日で、もうあれほど……」

「それは王子様的にはマズイ展開では?」


王子を差し置いて、臣下とくっ付いてしまうのは良いのだろうか?


「あそこにいるのは王子と陛下にも認められた高位貴族の令息だ。主君の未来の妻を寝とるような真似はしないし、させないだろう」

「なる程……、では、聖女のご機嫌取り、といったところでしょうか。臣下との信頼関係がなければ成り立たないですが」

「本当にアヤトは、一を聞いて十を知る、だな。ここまで話の合う人も初めてかもしれない」

「そう言って頂けると嬉しいです」


ジェラルドは満足そうに笑っているが、綾人とて自身に降りかかりそうな火の粉は払うしか無い。

冷静に状況を把握し最善の選択肢を見つけなければならない。


カンナと呼ばれる聖女はこの世界を満喫していそうだし、立場も違うし、一緒に脱出をするという選択はなくなった。
綾人はさっさとこの城から出て、イケメンをナンパしに……いや、自由に生活をしたい。


せっかく難関の大学に入ったというのに卒業出来なかったし、就職もこれからだった。
これまで積み上げてきた学歴というアドバンテージがゼロとなった以上、悠長にしていられないのだ。


「ルド、僕の処遇は決まりましたか?」

「ああ。今後神気を宿す『かもしれない』異世界人として持て成す。頭の回転が速い為に聖女様に色々と吹き込み逃げられるとマズイとか何とか言いくるめ、取り敢えず騎士団の宿舎に居を移すことにした。速い方が良いと思い、もう馬車を手配した。しかし気になる事が」

「言いくるめ……。気になる事とは?」

「あの聖女様が、アヤトに会いたいと言っているらしい。同郷の者だからかと思ったが、こう……言動から判断するに、それだけじゃない可能性が高い。何となく危険だと俺の勘がいっている。だからこうして迎えにきたんだ」


ひぇ、と口から悲鳴が出そうなのを、喉で押し殺した。
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