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「彼の怪我はどうですか?先生」
「はっ……そうですね、残念ながら歯だけは【治癒】でも再建は難しいのです……頬の腫れと流血は、二週間ほどで治ると思いますが」
「そうかそうか。レイヴンも酷いことをする。ファントム侯爵令息、安心すると良い。王城のとびっきり上級の治癒士に聞いてきてあげるよ。元通りに治せるか」
「いえ、申し訳ありませんので大丈夫です。って…………」
医務室で手当を受けたディディアは、アレクサンダーがパチンと指を弾き、消えていくのを見送るしかなかった。あの指パチンの一瞬で、魔術士が駆け寄っていた。
おそらくあれが【転移】だろう。神出鬼没の謎が少し解けた。
腫れた頬はガーゼで覆われ、氷のシートで冷やされて、それもまた固定されているものだから、顔中ぐるぐる巻きとなっている。
その悲惨な顔をこれでもかと見せつけながら教室へ戻れば、小さな悲鳴が上がった。しかし、ディディアには治癒の心得がある。
(ふっふっふ。治癒士に依頼する必要は無いくらい、【治癒】が使えて良かった。僕のレベルなら、歯すら生えてくるもの。奴のせいですきっ歯になるなんて、許しがたいし)
もしスキルが使えないままであったら、ディディアは何をするか分からなかった。レイヴンの歯をひとつやふたつ頂いても割に合わないが、ひとまずよしとしよう。治せる手段があるため余裕綽々である。
気まずげなクラスメイトと、怯えるラシェル。そしてラシェルを慰めながらも、ディディアを心配げに見つめてくるレイヴン。
殴ったのはレイヴンであるのに。
アレクサンダーに『犯人ではない』と断言されて、罪悪感でも芽生えたのだろうか。
「やあ」
放課後になって突然現れたアレクサンダーは、ディディアを早速連れ出した。
かと思えば、『部屋見せて』と、ディディアの寮室へずかずかと上がりこみ、寛ぎ出したのだ。
「あ、そうだ。非常に残念なことに、歯の方は治らないらしい……………………ただ、偽物で良ければ、あとちょっと怪しい医師に頼むことになるけど、植え込むことは可能だそうだけど、どうする?」
「お気を遣って頂き光栄ですが、僕は大丈夫です。一本無くなったところで咀嚼に影響はありませんし……僕などのために殿下がそのようなことに手を染める必要はありません」
「ああ、手はもうとっくに染まってるから安心して?」
「ええっ……?」
「清濁あわせ呑むってやつだよ。あはは」
アレクサンダーは軽やかに笑うと、ぽふりとソファへ沈み込んだ。
それはディディアの【貯蔵庫】に入っていた、“安らぎのカウチソファ”である。柔らかなアイボリーで仕立てられたそれに寝そべれば、思わず寝入ってしまうほど心地よい、精神の高ぶりを鎮静化させるリラックス効果がある。
それを『これ、気持ちいいねぇ』などと言って撫で回し、にこにことしているばかり。
「…………ところで殿下。まさか、ずっとこの部屋にいるおつもりではありませんよね?」
「そのおつもりだよ?だって、君の一挙手一投足を見つめるという大切な役割を任されたからね!」
そう悪気なく言い放つアレクサンダーに、ディディアは黙った。お忙しいはずの王子殿下が、何故こんなところで暇を潰しているのだ。
そんな高貴な暇が潰れていいはずがない。居心地が最高に悪い。
「であれば、場所を変えましょう。殿下には婚約者様もいらっしゃいますし、こうも二人きりでは外聞が悪いです」
「アレクでいいよ。ディディアと呼んでも?あ、いや、やっぱりディアと呼びたいな。いいかな?」
適当に紅茶を淹れて差し出すと、どさくさに紛れて指先を取られた。生徒から触られるのは切り飛ばすほど嫌っているのに、自分から触れるのはいいらしい。理不尽である。
(アレクもディアも、愛称じゃないか。何故?僕は主人公じゃないのに……)
ゲームでアレクサンダーを選択すると、その婚約者はディディアに変わるから、この現実においては“レイヴン攻略ケース”で進んでいると思われる。
現実のディディアの記憶をなんとか手繰り寄せてみれば、アレクサンダーには隣国の王女殿下という婚約者がいたはずだ。噂では、大層可憐で『宝石姫』と有名らしい。
さりげなく指先を引っ込ませ、こすり落とすように払う。眉間に皺が寄るのは、王子の手先の滑らかさに『よく手入れされている』なと引け目を感じたからだ。今のディディアはマシになってきたが、荒れた手指は改善中なのである。
「ディア?ですか。構いませんが……」
「ああそれと、今現在婚約は破棄している。これはまだ内緒にしていて。かの姫は母国でちやほやされて、奔放にお育ち遊ばされた。ということで我々を咎める者はいないよ」
「……その話、聞いてしまってよかったのですが?僕など部外者ですのに」
「良いから言っただけさ。ふぁ、それにしてもここは居心地が良いな。時間が止まっているみたいだよ」
アレクサンダーの調子を崩すことは出来なさそうだ。そのうちソファでウトウトさえし出したので、ディディアは諦めて机へ向かった。
いつも通りにしていて良いと言われたので、その通りにさせてもらおう。ディディアは参考書を取り出し、勉学に集中した。
「ふう……寝ちゃったな……」
すうすうと居眠りをする寝顔は無防備で、どこか幼い。造形が整っているため見られると緊張さえする美貌だが、眠っていれば可愛いのに、とディディアの中のアラサーサラリーマンはため息を吐いた。
(王子は謎設定が多すぎるんだよな。それでもやり込んで、王子より難しい裏キャラを出そうとしていたはずだけど、……あれ?記憶がないな……)
すこし引っかかりながらも、この世界は現実であり、あのゲームの通りには進んでいないのだからと無視をする。
そんなことよりも、口の中の痛みが限界だった。抜けた歯の部分がひっきりなしに苦情を訴えて、ガンガンとドラムビートを刻んでいる。
(…………痛い。このか細いディディアを、よくレイヴンは躊躇なく殴れたな。全く、馬鹿力め)
レイヴンに呪詛を吐きながら、そうっと【治癒】を施した時。
「ねぇ今、何をしたの?」
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