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35 カノンは
カノンside
カノンは学園から帰るなり、アントワーヌ姫を夕食に誘った。
今夜は二人での晩餐だ。年頃の若者が二人、星空も眺められるテラスに用意された小さめの卓────近い距離で、食を共にするのだ。
その意味に気付かないアントワーヌ姫は、ほわほわとした可愛らしい笑顔を浮かべて、談笑に応じている。
「ああそうだ、アントワーヌ王女殿下。学園の見学ですが、許可が降りなかったようです。ああ、学園の方は問題ないのですが、パヴェフォリの方の許可が降りませんでした……お力になれず、残念です」
「あら、忘れておりました。申し訳ありません……ええ、いいんです。わたし、王城で楽しく過ごさせていただいておりますから、こちらに来てからずっと体調も良いんですの!」
「それならよかった。……アントワーヌ王女殿下。そういえばもうお互い、良く話せたと思いますが、ぼくとの見合いについて、どう考えておられますか?」
カノンは覚悟を決めて、読み取れない王女の顔を伺う。
色々と兄から聞いていても、カノンとしては、王女の可憐さに心を奪われていた。本人の意思次第では、強引にことを進めても構わないと思うくらいに。
この時までは。
「もちろん、前向きに考えておりますわ!カノン様はとってもお優しくて、頼り甲斐のあるお方ですもの。今だってわたしのために心を砕いてくださって。でも……」
「でも?」
「お兄さまであらるる、アレクサンダー様……を見ますと、胸騒ぎがしてしまって。なんだかきゅっと苦しくなって、息がうまく吸えなくなって、わたしがわたしで無くなるような、変な感じがするんです……」
「……」
カノンは黙っていた。兄からは、『それが恋かどうかは分からないが、過分な好意は持たれているようだ』と聞いている。
カノンの気持ちを守るためにか、兄にしては婉曲な言い回しだった。歯切れはかなり悪かったものの、最終的にどう判断するかは、カノンに任せてくれた。
(……この人は、何も、知らない)
薄々気付いてはいたが、本人も自覚がない。それを、人がなんと呼ぶ気持ちなのか、教えていいのか判断がつかなかった。
「あの方の近くに行きますと、わたしの胸は他人のものになったように思う通りにならなくなってしまって、でも、それは嫌な感じではなくて……怖いのに、もっと近付いて確認したくなってしまうのです。カノン様、このような症状、ご存知ですか?」
「……ぼくには、分かりかねます。ぼくはまだ、若輩者ですから」
「そんなことはありません!カノン様は素晴らしい友人として、アントワーヌは慕っております!カノン様になら、わたくし、なんでも相談出来ますの」
アントワーヌのポエムじみた独白を聞いているうちに、カノンは鳩尾のあたりが、急速に冷えていくのを感じた。
(友人、かぁ…………それ、キープ君、ってこと?)
ピキ。
ピキピキ。
心が音を立てて凍りつく。同時に、腹も立ってきた。
自分との見合いに来たというのに、他の男、それも見合い相手の兄(それも婚約者持ちだ)に懸想をし、それを自分に隠しもせず、堂々と相談してくる姫が。
(自覚がない、とは恐ろしい)
見合いの茶会の場でも、兄に見惚れてしまった人はいることはいた。カノンの婚約者候補として招待されている令息令嬢が、ディディアを伴って現れたアレクサンダーを見て、まるで勝ち目のない恋に落ちていく様を、横目で見たこともある。
自慢はできないが、見慣れているのだ。だから、すぐに分かる。
そういった令息令嬢は、優しげな風貌のカノンには当たり障りない微笑みを浮かべて場をやり過ごす。直接アレクサンダーへ言い寄る勇気は無いのだ。ただ、兄を見てうっとりとため息を漏らす。それだけ。
罪とまでは言えない。人の気持ちはままならないことは知っている。
しかし、その後、何食わぬ顔でカノンにすり寄り、己の浅ましさをアピールするのである。
彼や彼女たちは自覚があった。カノンに言えない想いを抱いていると。だから、カノンに相談することはない。
アントワーヌは違うと思っていた。兄に恋をしても、カノンを受け入れ、心からの美しい笑みを見せてくれた。兄への恋心は封印し、カノンだけを見てくれる。
そう思っていたのは、間違いだったようだ。
だからその分、アントワーヌの方が厚顔無恥とも、恥知らずとも言えた。心の奥底で、罵詈雑言が止まらない。
可憐で無邪気で、教養を身につけることも許可されなかった可哀想な姫。
教育を施してあげようとか、いずれカノンは王室を離れる身であるから、静かな田舎に引っ込めば社交は必要ないとか、彼女を救うために夜な夜な考えていたものは、全て忘れることにした。
(改めて考えれば、ぼくは傲慢だったみたい。彼女を、救えるだなんて)
カノンは第二といえども王子だからと、目の前の可愛らしく、か弱い王女を救うことは容易いと考えていた。しかし、本人が友人だとしか認識していないのに娶るなんて、双方にとって不幸なことだ。
無邪気であれば罪はないというのであれば、こうも胸の痛みを与えてくる人から離れるのも罪ではないはず。
初めての失恋の痛みは、カノンの精神を急激に成長させた。
顔を上げたカノンは、綺麗な微笑みを浮かべていた。
急速に熱されて、急速に冷やされた心。その軋む音を聞きながらも、カノンの優秀な頭脳は、他人事のように最適解を導いた。
「いえ、やはり軟弱者です。ぼくは。アントワーヌ姫の伴侶としてあまりに不足しております。ですから、この話は無かったことにしましょう」
「……えっ?」
カノンは学園から帰るなり、アントワーヌ姫を夕食に誘った。
今夜は二人での晩餐だ。年頃の若者が二人、星空も眺められるテラスに用意された小さめの卓────近い距離で、食を共にするのだ。
その意味に気付かないアントワーヌ姫は、ほわほわとした可愛らしい笑顔を浮かべて、談笑に応じている。
「ああそうだ、アントワーヌ王女殿下。学園の見学ですが、許可が降りなかったようです。ああ、学園の方は問題ないのですが、パヴェフォリの方の許可が降りませんでした……お力になれず、残念です」
「あら、忘れておりました。申し訳ありません……ええ、いいんです。わたし、王城で楽しく過ごさせていただいておりますから、こちらに来てからずっと体調も良いんですの!」
「それならよかった。……アントワーヌ王女殿下。そういえばもうお互い、良く話せたと思いますが、ぼくとの見合いについて、どう考えておられますか?」
カノンは覚悟を決めて、読み取れない王女の顔を伺う。
色々と兄から聞いていても、カノンとしては、王女の可憐さに心を奪われていた。本人の意思次第では、強引にことを進めても構わないと思うくらいに。
この時までは。
「もちろん、前向きに考えておりますわ!カノン様はとってもお優しくて、頼り甲斐のあるお方ですもの。今だってわたしのために心を砕いてくださって。でも……」
「でも?」
「お兄さまであらるる、アレクサンダー様……を見ますと、胸騒ぎがしてしまって。なんだかきゅっと苦しくなって、息がうまく吸えなくなって、わたしがわたしで無くなるような、変な感じがするんです……」
「……」
カノンは黙っていた。兄からは、『それが恋かどうかは分からないが、過分な好意は持たれているようだ』と聞いている。
カノンの気持ちを守るためにか、兄にしては婉曲な言い回しだった。歯切れはかなり悪かったものの、最終的にどう判断するかは、カノンに任せてくれた。
(……この人は、何も、知らない)
薄々気付いてはいたが、本人も自覚がない。それを、人がなんと呼ぶ気持ちなのか、教えていいのか判断がつかなかった。
「あの方の近くに行きますと、わたしの胸は他人のものになったように思う通りにならなくなってしまって、でも、それは嫌な感じではなくて……怖いのに、もっと近付いて確認したくなってしまうのです。カノン様、このような症状、ご存知ですか?」
「……ぼくには、分かりかねます。ぼくはまだ、若輩者ですから」
「そんなことはありません!カノン様は素晴らしい友人として、アントワーヌは慕っております!カノン様になら、わたくし、なんでも相談出来ますの」
アントワーヌのポエムじみた独白を聞いているうちに、カノンは鳩尾のあたりが、急速に冷えていくのを感じた。
(友人、かぁ…………それ、キープ君、ってこと?)
ピキ。
ピキピキ。
心が音を立てて凍りつく。同時に、腹も立ってきた。
自分との見合いに来たというのに、他の男、それも見合い相手の兄(それも婚約者持ちだ)に懸想をし、それを自分に隠しもせず、堂々と相談してくる姫が。
(自覚がない、とは恐ろしい)
見合いの茶会の場でも、兄に見惚れてしまった人はいることはいた。カノンの婚約者候補として招待されている令息令嬢が、ディディアを伴って現れたアレクサンダーを見て、まるで勝ち目のない恋に落ちていく様を、横目で見たこともある。
自慢はできないが、見慣れているのだ。だから、すぐに分かる。
そういった令息令嬢は、優しげな風貌のカノンには当たり障りない微笑みを浮かべて場をやり過ごす。直接アレクサンダーへ言い寄る勇気は無いのだ。ただ、兄を見てうっとりとため息を漏らす。それだけ。
罪とまでは言えない。人の気持ちはままならないことは知っている。
しかし、その後、何食わぬ顔でカノンにすり寄り、己の浅ましさをアピールするのである。
彼や彼女たちは自覚があった。カノンに言えない想いを抱いていると。だから、カノンに相談することはない。
アントワーヌは違うと思っていた。兄に恋をしても、カノンを受け入れ、心からの美しい笑みを見せてくれた。兄への恋心は封印し、カノンだけを見てくれる。
そう思っていたのは、間違いだったようだ。
だからその分、アントワーヌの方が厚顔無恥とも、恥知らずとも言えた。心の奥底で、罵詈雑言が止まらない。
可憐で無邪気で、教養を身につけることも許可されなかった可哀想な姫。
教育を施してあげようとか、いずれカノンは王室を離れる身であるから、静かな田舎に引っ込めば社交は必要ないとか、彼女を救うために夜な夜な考えていたものは、全て忘れることにした。
(改めて考えれば、ぼくは傲慢だったみたい。彼女を、救えるだなんて)
カノンは第二といえども王子だからと、目の前の可愛らしく、か弱い王女を救うことは容易いと考えていた。しかし、本人が友人だとしか認識していないのに娶るなんて、双方にとって不幸なことだ。
無邪気であれば罪はないというのであれば、こうも胸の痛みを与えてくる人から離れるのも罪ではないはず。
初めての失恋の痛みは、カノンの精神を急激に成長させた。
顔を上げたカノンは、綺麗な微笑みを浮かべていた。
急速に熱されて、急速に冷やされた心。その軋む音を聞きながらも、カノンの優秀な頭脳は、他人事のように最適解を導いた。
「いえ、やはり軟弱者です。ぼくは。アントワーヌ姫の伴侶としてあまりに不足しております。ですから、この話は無かったことにしましょう」
「……えっ?」
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