空蝉

マイク・バーデル

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空蝉

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 夏の暑い日のことだった。
 入道雲が仁王立ちしている空の下、聳え立つ病院を前に足を止めた。
 祖父を亡くした数年前と変わらない味気ない場所。
 本当はこんな所に来るはずではなかったのだが、芳しくない受験勉強の息苦しさから逃れるためか、気がついたらこの道を歩いてきていた。
 自動扉をくぐり、院内の空気に触れる。瞬間から、段違いの涼しさで身体がキュッと締まった感覚に襲われる。セミの喚き声はここで途絶えた。
 あの人の病室は6階。エレベーターを呼び出し、無意識の中で6のボタンに指をおいた。
 閉塞感のあるこの鉄の箱の中で、とにかく寝ていて欲しいと強く願っていた。


 あの人と疎遠になり始めたのは、梅雨の時期のあの日が原因だった。
 受験勉強に明け暮れる毎日。それにも関わらず、結果は今まで出るものと変わらない。
 いつもあまり言葉を交わさない人だったが、E判定のみの模試の結果を見て「後悔するのはお前だぞ」の言葉を聞いた時、結果を出せない苛立ちから心にもない言葉を放ってしまった。


「努力したことないから分からないんだろ!? この辛さも悔しさも! そんな言葉なんか聞きたくねぇ! 分かりもしないくせに! 死んじまえ!」


 そこから入院するまであまり時間はかからなかった。
 そしてその数日後に『宣告』を受けたのだった。
 色味のない部屋に照らし出される白黒のフィルム。その説明は頭には入ってこなかった。
 その日の夜の母の姿を今でも鮮明に覚えている。1人、声を押し殺して涙を流していた。

「死んじまえ」

 時が経つにつれて重なっていくこの言葉の重さ。後悔。罪悪感。
 余計に言葉掛けをしづらくなっていた。


 エレベーターの扉が開き、真夏の光が入るホールへと出てきた。
 窓越しに蝉の叫びが流れ込んでくる。
 用はない。着替えを置きに来ただけだ。
 そう言い聞かせてあの人のいる病室の引き戸に手をかけた。

ーー怖い。

 あの時の言葉を後悔している。だからこそ、会いたくない。
 引き戸を握る手が未だに動かない。しかし、忙しくしている母の頼みをここまできて断る訳にもいかない。
 大きく息を吸ってゆっくりと扉を開けた。
 夏の綺麗な空模様を背景に、無口だった父は上体を起こして考え事をしているようにただ一点をみつめていた。
 しばらく見なかったこともあってか、その姿は吐息で消えてしまいそうな蝋燭の火のように弱々しくこの目に映った。
 あの一言を放った自分自身を呪った。
 こんな事にはならなかったはずなのに、と。
 父は呆然と病室の入口で立ち尽くしている息子に気がついたようだった。

「……来てくれたのか」

 その声は弱さを包み隠そうとしていたが、声よりも目で人は言葉を伝えてくる。弱っているのは明確だった。

「……」

 普通に見舞いに来たと言えれば、また関係も変わってきただろう。その一言は喉までこみ上がってきたが、また飲み込んでしまった。
 しっかりと眼差しを向けてくる父の目を見ることができない。
 足枷が付いたかのように重い足。ゆっくり、引きずるようにして、ベッドの横に設けられた棚へと動き出す。

「……最近、元気にしてるか?」

 棚に綺麗に畳まれた服を1着1着入れているところで、さっきよりもハッキリとした声で語りかけてきた。

「……あぁ」

 やっと絞り出した返事。
 その返答に対して「そうか」と一言残すとまた父は黙ってしまった。
 父の方を一瞥すると微かに口角が上がっているように見えた。
 しかし、それも一瞬のことだった。
 すぐに父は視線を落とし、目を伏せた。
 沈黙が味気ない病室を包む。
 窓越しのはずの蝉の声が鼓膜を揺さぶる。
 淡々と服を棚に戻していると「ごめんな」の一言が響いた。
 服を戻す手が止まる。
 明らかにその手が震えているのがわかる。
 その言葉を言うべきなのは父ではないはず。
 それは誰よりも解っていた。言うべきは自分自身の方なのに……

「……ごめんな」

 また、静かな病室に悲痛の想いをのせた言葉がこだまする。

「お前の成長を見届けられなくて……本当にごめんな」

 その声は涙混じりで弱々しかった。

「お前のスーツ姿も見たかったし、結婚式にも参列したかった。孫をこの手で抱いてもみたかった」

 父は両手を胸の前へ持ってくる。
 その手は震えていた。
 その揺れは肩へ背中へと、やがて体全体を揺らしていた。

「……本当にごめんな」

 涙を流しながら何度も、何度も謝っていた。
 言葉が出てこない。
 喉まで上がっては声にならない声となって漏れていく。
 同時にあの日放った言葉が幾度と心を突き刺していく。

ーー死んじまえ。

 この言葉が原因で宣告を受けたのか、と心の中を罪悪感が埋め尽くす。
 目を伏せ、大きく深呼吸をし、最後の着替えを棚に収めた。
 振り返り、病室の扉に向かって足早に歩き出す。
 扉に手をかけた。
 取っ手はひんやりと冷たく、重い。

「……」

 再び、父の方を向いた。

「……ごめん、なさい」

 深々と頭を下げる。
 漸く絞り出せた一言。
 その言葉はあまりにも言葉足らずで、父を困らせるかもしれない。
 でも、今言える最大限の想いを伝えることのできる言葉だった。
 下げた頭をあげることが出来ない。
 顔を見ることが出来ない。
 気がつくと顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。


 放った言葉は心に残り続ける。たとえ涙と言葉で消そうとしてもーー



 それから数日。
 父は多くの人に看取られながら旅立った。
 あまりにも若すぎる死だった。
 話を聞くと、教育に回す資金を集めようと躍起になっていたらしい。
 既にその頃には身体はボロボロで、いつ壊れてもおかしくはない、むしろここまで頑張れていた事が奇跡だと改めて会った医者に聞かされた。

「君は相当、愛されていたんだね」

 その一言で取り繕っていた全てが崩れ落ちた。
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