青空の中の彼女

トランクス

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ハルカ

6.援護

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「これが円の方程式で…」

 数学の教師がチョークを使って黒板に文字を書き記している。頭の痛くなりそうな数字や記号の羅列を。

 ただ自分の頭痛のタネは別の箇所に存在。勉強より人間関係の方が問題だった。

「ぐっ…」

 辺りの生徒がチラチラとこちらの様子を窺っている。単独ではなく複数人のクラスメートが。そのどれもがマイナス感情を含んだ不快な物だった。

「鬱陶しいなぁ…」

 翔弥を始め、日頃から親しくしている男子生徒は何も変わらない。変化があったのは接点の無かった人物達。彼らはまるで汚らわしい物でも見るかのように蔑んできた。

 基本的に男子は怯え、女子は悪口大会をあちこちで開催。注意しに行こうにも噂を否定出来る証拠を持っていないので手の施しようがなかった。

「何だよ」

「ひぇっ!?」

 隣の席にいる男子生徒を睨み付ける。畏怖しているオーラが全身から放たれている人物を。

「……クソが」

 ただでさえ頭が悪いのに集中力を削られる要素が盛りだくさん。勉強に全く集中が出来なかった。


「あ~、終わった終わった」

 授業が終わると強張った背筋を伸ばす。反響しているチャイムの音をBGMに。

「……トイレ行ってこよ」

 いつもならリラックス出来る時間だが今はそうはならない。窮屈な場から逃げ出す為にゆっくりと席を立った。

「あの人でしょ? 例の人」

「見たからに悪そうな顔してるよね~」

 廊下に一歩出た途端に注目されてしまう。性別問わず多くの同級生達から。

「ちっ…」

 疑心暗鬼に陥っているせいか全ての人間が憎らしい。知っている人間もそうじゃない人間も。無関係の話題を交わしている連中ですら悪評を流しているのではという疑いを持ってしまっていた。

「あの~」

「何だよ!?」

 呼びかけられた瞬間に大声で返答する。自身でも驚いてしまうような素早い条件反射で。

「……え?」

「あっ…」

「もしかしてまた声かけたらマズかったですか?」

「違う違う。殺気立ってただけで君は悪くないから」

 振り向いてその正体を確認。本屋で冤罪を証明してくれた救世主だった。

「確か前に声かけた時も怒ってましたよね?」

「ふっふっふ。ここ最近トラブル続きだからな」

「は、はぁ…」

 自虐的に笑った直後に呆れたような顔付きを向けられてしまう。状況を全く理解していないであろう表情を。

「ところで何しに来たの?」

「え~と、お店にペンを戻した事を報告しておこうかと思いまして」

「わざわざその為だけに? 律儀な性格してるなぁ」

「……どうも」

 特に問題が発生した訳でないのなら知らせる意味はない。元々は他人という間柄なのだから普段通りに戻ってくれればそれで済んだ話だった。

「ちなみにトラブルって何か起きたんですか?」

「ん? 聞きたい?」

「はい。私にも原因があるかもしれないので」

「別に話しても構わないんだけど…」

 ふと周りの人間達の視線を感じる。好奇心に満ちた眼差しの数々を。

「……ここだとアレだから中庭に行こうぜ」

「え? あ、はい」

 小柄な後輩を誘導。下駄箱で靴に履き替えると2人で校舎の外に出た。

「人に聞かれたらマズイ内容なんですか?」

「俺、同級生達に嫌われてんだよ。今週からなんだけど」

「嫌われてる…」

「んで、君にもとばっちりがいくといけないから場所を変えたってわけ」

「なるほど…」

 養護する発言をしたが最も案じているのは自身の体裁。軽蔑の視線や、芳しくない内緒話を耳に入れる事が怖かった。

「それでトラブルって…」

「ペンを万引きした女子いたじゃん? 髪の長い」

「はい」

「その子に弱味を握られたわけよ」

「へ?」

 ここ数日に起きた出来事を洗いざらい話す。公園での猫の救出劇だったり、アザのついた画像が発端となった暴力騒動についても。

 目の前にいるのは素性をよく知らない人物。なのに不自然とスラスラ喋ってしまった。

「それは……大変でしたね」

「あ~あ、俺は何もしてないのにどうしてこう悪い方に悪い方に転がっていくかなぁ」

「クレプトマニアですか…」

「ん? 何それ?」

「窃盗癖のある人の事です。常習犯と言いますか」

「へぇ」

 会話中に聞いた事のない単語が出てくる。苦手な横文字が。

「青井先輩の話を聞いてると前科が何回かありそうですもんね」

「実際に現場を目撃したのは本屋での1回だけなんだけど他にもやってるだろうな。下着も盗んでるぐらいだし」

「その春華さんって方はクラスでイジめられてる訳ではないんですよね?」

「だよ。皆と仲良いし、誰かに脅されてやってるってのも本人が否定したし」

「ならやっぱり快楽目的でやってる可能性が高いのかも…」

 2人で人が少ない中庭を散策。ベンチも置かれていたが利用せず歩いた。

「あのさ、その何ちゃらマニアって万引きをよくする人の事を言うの?」

「というより癖になってる人の事ですね。普通はお金を払いたくなくて盗るんですが、クレプトマニアは万引き行為そのものに依存してしまっているんです」

「ふむふむ、なるへそ」

 説明に対して相槌を打つ。理解していますよ的な雰囲気を出しながら。

「私も詳しくは知らないんですがストレス発散の為だったり、鬱な気分を紛らわせる為だったり」

「店側からしたら迷惑な話だぜ」

「もしその春華さんって方がそうだとしたら再犯の可能性が高いんですよね」

「……やるだろうなぁ。てか絶対やるわ」

 説得の言葉を受け入れないだけでなく共犯に仕立て上げる始末。そんな人間が反省なんかするハズもなかった。

「体にアザがある画像も春華さんなんですか?」

「らしいよ。確証は無いけど」

「今それ見れます?」

「え~と、ちょい待ち」

 ズボンのポケットから端末を取り出して弄る。切っていた電源を入れて。

「これ」

「うわぁ、痛そう…」

「でも作り物っぽいんだよね。メイク道具使えば再現出来るらしいし」

「この写真は誰が撮ってどこに載せたんですか?」

「さぁ? 俺も友達に教えてもらっただけだからサッパリ」

 掲載元も被写体も撮影者も不明。画像だけが同級生達の間で独り歩きしていた。

「どれも家で撮ってますよね」

「そうみたい。壁とかドアが写ってるもん」

「構図がおかしくないですか?」

「ん? どこが?」

「肩から肘までが写ってるのに斜め後ろから撮られてますよ」

「あ……手が届かないじゃん」

「はい。よほどの軟体人間でも無理だと思います」

 指摘されて初めて気付く。画像の中に自撮りでは不可能な物が混ざっている事に。

「じゃ、じゃあ…」

「誰かに撮影してもらったのではないでしょうか」

「協力者がいるって事かよ」

「恐らく。私の憶測なので断言は出来ませんが…」

「いや、絶対にそうだって。この背中のヤツとか確実に無理じゃん」

 視点を変えて確認すると他にも単独撮影が難しい物が何枚か存在。マジックの種明かしを聞かされている気分だった。

「そうか。だから余計に俺がやったと疑われてるのか…」

「道具なりセルフタイマー機能を使えば出来ないって事もないのですが…」

「誰かに撮ってもらったと考える方が自然だよね」

「はい」

 少しだけ状況が進展する。何の解決策にもなっていないが全貌を知る為のヒントを得た事で。

「けど俺を陥れる為にわざわざこんな事するかなぁ。下着とか写り込んじゃってるのに」

「ミュンヒハウゼン症候群って知ってます?」

「いや、初耳」

「人の意識を惹き付ける為に自分の体を傷付けたりする人の事なんですけど」

「えぇ…」

 協議相手の口からはまたしても聞き慣れない横文字が登場。その内容が直感的にヤバイと感じる物だった。

「周りからの同情や憐れみの言葉が快感になるらしいんです」

「おいおい、ただの変態じゃねぇか」

「見方によってはそうですね。誰かに構ってほしくて自分の子供に怪我を負わせたりする人もいるとか」

「ワザと? クソ親じゃん」

「もしその春華さんがそうだとしたら先輩を陥れる為というより…」

「自分の為にやってるって事かよ」

「可能性は高いです」

 気分がメチャクチャ悪くなる。全力で何かに拳をぶつけてやりたい程に。

「てか君、頭良いね。いろいろな事を知ってるじゃん」

「ありがとうございます。昔から本を読んだりテレビを見るのが好きでして」

「ちなみに名前は何だったっけ?」

「……奏多です。地味でスミマセン」

「いや、俺の記憶力が壊滅的なだけだよ。悪いのはこっち」

 誉めようとしたが相手の名前をど忘れ。反対に傷付ける結果となってしまった。

「かなた、かなた、かなた……よし、覚えた!」

「単純ですね」

「俺さ、君に聞きたい事があったんだけど」

「はい? 何でしょう?」

「本屋で疑われた時、どうして助けてくれたの?」

 話題を少し切り替える。目の前にいる人物と初めて接触した時の出来事へと。

「え……知りたいですか?」

「当然。ていうか理由あるの?」

「私も青井先輩を尾行していたからです」

「はぁっ!?」

 彼女の口からは予想を上回る台詞が飛び出した。事前に考えていた候補の中にはまるで無かった答えが。

「そ、それは何ゆえ…」

「どうしても教えてほしいというなら話しますけど」

「……聞きたい気もするけど聞いたら後戻り出来ない予感もする。ジレンマだ」

 心の中に微かな恐怖心が生まれる。パンドラの箱に触れてしまった事で。

「つか私もって事はまさか…」

「青井先輩が春華さんの後を付け回してたのは把握してます」

「キャーーっ!!?」

「何日も前からやってましたよね?」

「ぎぇえぇええぇっ!!」

 続けて自分の口からは甲高い声が飛び出した。喉が枯れそうな悲鳴が。

「ダメじゃないか! 人を追いかけ回すなんて迷惑な事したら!」

「それを実行犯が言うんですか?」

「二重尾行とかさ、気付く訳ないじゃん…」

「それより今はこっちをどうにかしましようよ。春華さんにされている嫌がらせの件を」

「……軽く受け流すけど俺にとっては問題が増えた気分なんだが」

 無意識に後退りする。味方だと思っていた後輩が急に怖く感じてきてしまった。

「まず青井先輩はどうしたいんですか?」

「どうしたいって……全ての誤解を解きたい」

「それは黒幕を暴いても構わないという意味でしょうか?」

「は? どういう事?」

「春華さんの嘘を同級生達にバラして彼女が嫌われるような状況を作り上げても構わないかという意味です」

「……あ」

 言葉が詰まる。思いがけないシチュエーションを脳裏に浮かべてしまった事で。

「そ、それは…」

「後を付け回してたぐらいなんだから特別な感情を抱いているんですよね?」

「……否定はしない。その正体は自分でもよく分からないんだけど」

「思春期かぁ。それは多感な時期の若者が抱く複雑な胸懐の一つですよ」

「確認するけど君は俺より年下なんだよね?」

「はい。無知で無垢な1年生です」

「本当かな…」

 思考から言動まで全てが達観の域に。彼女は幼い外見とは裏腹に中身は大人だった。

「自分が周りから敵視されてるのは嫌だけど、あの人が同じ目に遭うのはどうなのかなって…」

「抵抗があるという事ですか?」

「……かもしれない。その考えが間違えてるってのは理解してるんだけど」

「人に気を配れるのは優しいからですよ。自分を責めないでください」

「う~ん…」

 本来ならば騒動の張本人を強く叱責出来る立場にある。なのに実行する気にならない。心の中でアクセルとブレーキを同時に踏んでいた。

「分かりました。ではせめて春華さんからの圧力を消しましょう」

「ん? どうやって?」

「お昼ご飯を買わされに行ってるんですよね?」

「まぁ……写真騒動があって以降は会話しなくなったから行ってないけど」

「目には目を歯には歯を。脅迫に対抗するには脅迫してしまう事です」

「はぁ?」

 問題に積極的な後輩がとんでもない発言を投下する。控えめな性格からは想像もつかない大胆な作戦を。

「脅迫ってどうやって?」

「握ってる弱味をチラつかせれば良いんです」

「いや、無理だよ。向こうの方が立場が有利だし、んな事したら俺も巻き添えを喰うし」

「先輩には無理でも私には出来ます。任せてください」

「ん~、けどなぁ…」

 彼女を信用していない訳ではないが簡単に頷けない。年下という要素のせいで単純に頼りなかった。

「今からだと時間がないので放課後にしますね」

「……うぃっす」

 とはいえ自身には何のアイデアも無いのも事実。トラブルを解消する為の方法が。懸念材料はあったものの突発的な指示に従う事にした。



「あのぉ…」

「はい?」

 帰りのホームルームが終わると声をかける。1人で帰路に就いていたクラスメートに。

「少し話があるんですけど良いですか?」

「へ?」

「今って時間あります?」

「ア、アナタ……誰?」

 学校の敷地を出たタイミングで春華さんと接触。なので周りには知り合いがほとんどいない。ついでに呼び止めたのは自分ではなく同行を願い出た後輩だった。

「この人の事で相談がありまして」

「あ…」

 振り向いたターゲットがこちらを凝視する。分かりやすいぐらいに目を丸くしながら。

「……用件は何でしょう?」

「ありがとうございます。ただここで話すと誰かに聞かれる恐れがあるので場所を変えませんか?」

「面倒ですね。私は早く帰りたいので手短に済ませてほしいのですが」

「え? でもこの提案を呑んでいただかないと私はアナタを警察に突き出さないといけなくなってしまいますよ?」

「……っ!?」

 女性陣2人が駆け引きを始めた。腹を探りあった心理戦を。

「そこの公園で良いですか?」

「分かり……ました」

「お手数おかけしてすみません」

 最初の攻防は後輩に軍配が上がる。不穏な空気が漂う中、近くにあった無料の施設へと移動した。

「それで話って?」

「単刀直入に言います。もう青井先輩に関わらないでください」

「はぁ?」

「アナタの行動のせいでいろいろ迷惑してるんです。妙な疑いをかけられたり、同級生から嫌われたり」

「疑い…」

 人がいないスペースまでやって来た所で第2ラウンドが始まる。当人を無視した穏やかでない話し合いが。

「アナタは青井くんの何なのでしょう?」

「え~と、ただの先輩と後輩です」

「とてもそうは見えないけど……私には関係のない事だから深く詮索はしませんが」

「そうしてくれると助かります」

「う~ん…」

 その様子を無言で観察。本来なら介入すべき事態なのに何も言葉が出てこなかった。

「ひょっとしてアナタ、あそこの本屋で働いてる店員さん?」

「そうです。春華先輩がペンを万引きしている現場も見ていました」

「そう……なら私の弱点を知ってるわけね」

「はい」

「別にいいわよ。束縛するつもりなんてなかったし」

「えっ!?」

 牽制の台詞に対して意外な答えが返ってくる。肯定を意味した台詞が。

「なんだったら万引きの件を店や警察に報告してくれても構いません」

「へぇ。素直なんですね」

「アザの写真を撮ったのが青井くんではないと私の方からクラスメート達に話しておきます」

「え……マジで?」

「それより青井くんにたくさん迷惑をかけてしまいましたね。ごめんなさい…」

 続けて震える声での謝罪が炸裂。言葉を発信している女子生徒は上半身を少しだけ前に傾けていた。

「……話というのはこれで終わりですか?」

「まぁ……あとは春華先輩が約束を守ってくれるかなんですが」

「それは大丈夫です。仮に私が取り決めを反古したとしてもアナタが私を警察に突き出せば済む話でしょ?」

「そう……ですね」

 犯罪行為が学校にバレれば停学か退学。処分を受けるなんて事になれば悪役になるのは彼女の方だった。

「それでは」

「あっ…」

「はい?」

「……な、何でもないっす」

 立ち去ろうとした背中に向かって思わず呼び止める。しかし次の言葉が出てこない。待っても無駄だと悟ったのか彼女はスカートを翻して道路へと出て行ってしまった。

「良かったですね。穏便に済んで」

「……うん」

「何か心残りでも?」

「なんつーか思ってたより呆気なかったなぁと」

「そうですね。口論する気満々でしたから私も拍子抜けでした」

「おいおい…」

 2人きりになった所で後輩と成果を分かち合う。物騒な言葉も付け加えながら

「ん…」

 ただ心の底から喜べはしない。達成感よりも罪悪感が意識の中枢を漂っていた。
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