悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第一部

Hiroko

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38 聞きなれた音

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「え? な、なに言うんだよ、スサノオ……」
「和也、お前さんは未来の世界に帰るんだ。おそらく芹那は、そのためにお前さんの前に現れたんだ」
「そ、そんなの。だって天逆毎はどうするんだよ? 牛鬼は? ここの妖怪たちはどうやって倒すんだよ」
「今の俺たちには倒せやしねーよ。二人がかりで手下の牛鬼相手にこのざまだ、天逆毎なんて俺たちが十人いてもかなわねーよ」そう言ってスサノオは笑った。
「やめてよ。どうして笑うんだよ。だったらどうすればいいんだよ? どうしてここまで来たんだよ? それに僕だって美津子を救い出さなきゃいけないんだ。このまま引き下がれないよ」
「美津子のことは気にするな。安全なところにいる。だがここじゃねえ」
「どちらにしても、戦わなければここから抜け出せないじゃないか?」
「それもまあ、大丈夫だ。なあ、そうだろ? アマテラスよ」スサノオがその名前を口にした瞬間、まるで風が吹くかのように一抹の光が吹き抜けた。それは不思議な光だった。蠟燭や太陽のような光を発するものはどこにもないのに、風が自ら光を放つように形もなく目の前を横切ったのだ。
と、その瞬間、ガチャリと鍵の開く音がした。
見ると牢獄の入り口に小太りの鬼のような化け物が立っていた。
「おお、来やがったな」スサノオがそう言うと、鬼も同じように「おお、来やがったな」と言った。
「まあせっかく天叢雲剣も戻ってきたことだし、もうひと暴れしてやるか!」
「もうひと暴れしてやるのか! いーーーひっひっひい」と鬼は言うと、スサノオに飛び掛かった。
スサノオは飛びのき鬼をかわしたが、鬼は身軽ですぐに体制を立て直し、またスサノオに向かって行った。
「今だ和也、芹那と一緒に外に出るんだ!」
「ス、スサノオは!?」
「俺もすぐ行く! とにかく出るんだ!」
「芹那、行こう!」僕はそう言って芹那の手を引くと、牢獄の扉の外に出た。
牢獄の外は通路が真っすぐ右と左に分かれていて、その向こうは暗闇でどうなっているのか見えない。
すると左手の通路の向こうの方から小太りな鬼の集団がこちらへやってきた。
「一矢必殺」僕はそう言うと背中から矢を引き抜き、鏃を舐めて鬼に放った。
鬼は「ぎひい!」と悲鳴を上げて喉元に刺さった矢に苦しみ、のたうち回った。
「い、今のなに!?」芹那が聞いてきたが、答えている暇はなかった。
「一矢必殺」僕はそう言ってまた矢を放った。
眉間に矢を受けた鬼は悲鳴を上げる間もなくその場で即死した。
けれど、けれど、矢じゃ追いつかない。
目の前の鬼は次々と数を増し、数十匹はいる。
剣、剣があれば……。
「おい和也、これを使え!」そう言ってスサノオは天叢雲剣を投げてよこした。見ると最初にスサノオと戦っていた鬼はもう死んでいた。
「わかった!」そう言って僕はスサノオのように天叢雲剣を大きく振るい、目の前にせまった鬼たちを薙ぎ払った。
けれど、やはりスサノオのようにはいかない。
僕の頭に外で化け物たちと戦った時の記憶がよぎった。
「信じろ! 和也! 信じろ!」
「信じろって、何を信じろって言うんだい!」一瞬後ろを振り向くと、どうやら後ろからも鬼が現れたようで、スサノオはその鬼と素手で戦っていた。
幸い、鬼どもはそんなに強くもなかったので、僕は天叢雲剣で何とか戦えることができた。
そして後ろを守るスサノオの強さはすさまじかった。
剣を持たずしても、まるで拳が雷(いかずち)のように光り、鬼を一撃で倒していった。
「芹那! 和也に抱き着け!」
「えっ、えっ、えっ!? なんで私が和也に抱き着くのよ!」
「いいからやってみろ!」
そう言われて芹那は僕の背中にしがみついた。
そんなことされてまともに動けるはずがない。と思ったのだけれど、芹那が僕に抱き着いた瞬間、ふわりと体の力が抜け、生気のようなものが背中から流れ込み、まるで体重が十分の一になったかのように軽くなり、力は百倍になったかのようにみなぎってきた。
「な、なんだこれ!?」僕は切っても切っても増えてくる鬼を、体の奥に湧き上がる力に任せてなんなく切り刻んでいった。まるで負ける気がしない。
「どうだ、うまくいったか!?」
「ス、スサノオ、すごいや! どうなったの!?」
「知らん! 適当に言っただけだ!」
えっ? と思って僕は力が抜けそうになったけれど、新たに巨大な化け物が目の前に現れると、僕の身体に心臓を潰されるような緊張が走った。
その化け物は鬼たちを蹴散らすように四つ足で歩いてきた。
体はふさふさとした白い毛で覆われていたが、口元は血で黒く固まり、巨大な二つの黄色い目を笑うように見開いていた。
「和也! 信じろ、お前さんの力はそんなもんじゃない! そいつを倒してみろ!」
「そ、そんな……」と言って後ろを振り向くと、スサノオの向こうに何やら背筋の凍り付きそうな気配を感じた。
ぎゅ、牛鬼だ……。
挟まれた。
や、やっぱりだめだったのか……。
「こっちは俺に任せろ! 和也、お前さんは目の前の敵だけに集中するんだ。いいな、自分を信じろ!」
そ、そんなこと言ったって……。僕は目の前の化け物はもちろん、後ろに感じる牛鬼の気配に動けなくなっていた。
信じろって、いったい何を信じるんだい。
「ぐあっ!」と後ろでスサノオの声が聞こえた。
「スサノオ!」振り向くとスサノオは牛鬼の角に脇腹を串刺しにされ、宙に浮いていた。
「俺のことは気にするな! そいつを倒せ! そして前に進め! 未来に、未来に戻るんだ! そしていつかまたここに戻ってこい! その時が本当の戦いだ! いいか? 和也、信じろ! お前さんは神だ! 神の末裔だ! それも神の頂点に立つ男だ!」
「か、神の頂点ってなんだよ!」僕はスサノオの声を背中に受けながら、目の前に迫る化け物に対峙していた。化け物は口から赤い唾液を滴らせ、吐き出す息は生臭く、裂けた口には長く鋭い牙が伸びていた。
信じろ……、信じろ……、信じろ……。
僕は自分に必死にそう言い聞かせた。
けれど自分が何者であるか、それがわからずして何を信じればいいのかわからなかった。
「迷いのある者に勝機はない」目の前の化け物がそう言った。そして右手を振り上げ、まるで熊のように鋭い爪の生えた巨大な手を振り下ろした。そして信じられないことに、僕と化け物の距離は軽く十メートルはあったけれど、化け物の爪はあっさりと僕の胸を引き裂いた。
焼けるような痛みに吐き気がした。
「負けるな和也……」
けれどそれよりスサノオ……、スサノオ……、スサノオの声から力が抜けていた。助けなきゃ、このままじゃスサノオが死んじゃう……。
僕をここまで導いてくれた。
僕をここまで強くしてくれた。
なんだよ、どうすればいいんだよ。
美津子、美津子、助けなきゃ、勝たなきゃ、どうすれば、どうすれば。
僕は、僕はこんなやつに負けるためにここまで来たんじゃない。
「臆するな……、和也。……信じるんだ……、お前は……、お前は……、俺なんだ」
「え?」その言葉に僕はすべてを忘れ、後ろを振り向いた。
スサノオは牛鬼の角に刺し貫かれたまま逆さまにぶら下がり、口から血を流していた。
そしてそれだけではなく、スサノオの体からはまたいつもの光の粒子のようなものが靄のようになって立ち昇っていて、さらに体が見えないほどに透明になっていた。
「あっはっは、和也……、どうやら俺にも寿命が来ちまったみたいだな……」
「な、なに言ってんだい、スサノオ!」
「まあ聞けよ。なあ、俺はこいつに、牛鬼に負けて死ぬわけじゃないぜ……。寿命だよ。あいつを、クシナダヒメと契りを交わした引き換えに身に宿した寿命が来たんだ」
「スサノオ、そんなこと言うなよ。僕たちこれから戦うんだろ? 天逆毎をやっつけるんだろ?」
「あっはっは! そいつはお前さんに任せるぜ、和也。どうやら俺はいったんここでおさらばだ。だが楽しかったぜ……、和也との旅はよ」
「やめろよ、スサノオ。そんなわけないじゃないか」
「俺は死ぬわけじゃない。生まれ変わるんだ。喜べよ。それを知ることができただけで俺は嬉しかったぜ」
「ス、スサノオ……、いったいなにを」
そしてスサノオは最後の力を振り絞るように言った。とても嬉しそうな顔で、優しそうな顔で、幸せに満ちた顔で言った。「和也。お前さんは……、お前さんは俺だ……。俺の生まれ変わりなんだ。気づいてはいたがな、俺が消える時まではと思い、秘密にしておいた」
「そんなこと言ったって、スサノオは僕の目の前にいるじゃないか?」
「ああそうさ。だからお前さんはいつまでも本当の力を知ることができなかった。半分の力しか手に入れることができなかった。一つの時に、同時に同じ人間が存在することはできないんだ。そして俺は、お前さんが俺の生まれ変わりだと知った時、自分の寿命を知ったのさ。さあ、信じろ和也……、いや、スサノオ。お前さんはスサノオ。今から、今から和也、お前さんがスサノオなんだ!!!」
僕はその名前を呼ばれた瞬間、まるで心臓が爆発したように体中に血液が駆け巡った。
けれど僕の身体を駆け巡ったのは血液だけではなかった。何かの記憶が、思いが、力が、まるで本当にこの世の頂点に立つような昂然(こうぜん)とした心が体中にみなぎった。
「んあああああ!!!!!」そうだ……、そうだ……、そうなんだ……「僕は……、僕は……、そうなんだ。僕は……、僕は! スサノオだあああああ!!!!!」そう叫んだかと思うと、僕はほんの地面のひと蹴りで化け物の横をすり抜け、すれ違いざまに天叢雲剣で化け物の体を真っ二つにした。
そして振り向くと、今度は牛鬼めがけて地面を蹴った。
まるで高速で飛ぶ矢のように地面すれすれを直線に飛び、牛鬼の首元めがけて天叢雲剣を後ろ上段に構えた。
牛鬼の角に刺し貫かれたスサノオの体はもう見えないほどに消えかけていた。
「スサノオを、スサノオを離せ!!!」
僕には牛鬼の動きがまるで空を流れる雲のように止まって見えた。
「うぉおおおおお!!!!!」
振り下ろした天叢雲剣が牛鬼の喉元をかすめた瞬間、さっきの風が吹くような光が辺りを照らした。
その光はさっきのような弱いものではなく、辺り一面を乾かし砂に変えてしまうほどの眩しさだった。
それでも僕は……、僕は……、牛鬼の息の根を止めるために……。

僕はまるで体を失ってしまったかのようにどこにも力を入れることができなかった。
ただ光に包まれ、流れるように移動していた。
瞼を閉じているはずなのに、光を遮ることはできなかった。
声が聞こえた。
温かい、女の人の声だった。
なぜか僕はそれが光の主であることを知っていた。
「今は帰るのです。そしてもう一度来てください。私たちを、人の世を助けるために」
「あなたは……、お姉さま」芹那の声が聞こえたが、あまりの眩しさにどこにいるのかわからなかった。
やがて太陽のようなものが見えた。
そしてその太陽を包み込むようにして立つ女の人が。
その太陽が放つ光に僕らは包まれている。
よく見ると、それは太陽ではなく、丸く大きい鏡のようなものだった。
「お姉さま……」
「スサノオ、ツクヨミ、助けにきてください。必ず……、もう一度……」
僕は光の繭(まゆ)のようなものに包まれ、一秒にも一億年にも感じる瞬間を経て時間と空間の狭間を流されていった。

どこかにたどり着いた。
深い眠りから覚めるように目を開けると、そこは暗い草むらの中だった。
むせかえるような土と緑の匂いがした。
な、なんだこれ……。
カーン、カーン、カーン……、と、遠くになにやら聞きなれた音がした。
「踏切?」
僕は起き上がった。
踏切の音のする方に目を向けると、赤い明滅する光が見えた。
「え、ここって……」僕は夢を見ていた?
電車の走り去る音が聞こえると、明滅する赤い光も音も止んだ。
僕は自分の手の平を見た。
なにもおかしいところはない。
夢……、だったんだ。
そ、そうだ、美津子、美津子は!?
僕は辺りを見回した。
暗くてよく見えない。けれど……、少し離れたところに倒れた人影が見える。
「み、美津子!」僕はその人影に駆け寄った。
「美津子、美津子、大丈夫!?」
「う、うーーーん……」
「起きて、美津子。なんだかその、よくわからないんだけど、美津子、無事でよかった!」
辺りが静かになると、遠くに車の走る音も聞こえた。
時折ヘッドライトの光が届くのか、白い光も草むらの向こうに見える。
「美津子、僕たち電車にひかれたのかな、気を失ってたみたいだ」
僕は美津子の頭を撫で、顔にかかった髪を横に払った。
あれ……、美津子……?
「か、和也君。ここって……」暗闇の中、芹那はそう言って目を覚ました。
そして……、「ギ、ギヒィイイイ……」と得体の知れない者の声が草むらの向こうから聞こえた。



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