0.04%の矛盾を見抜いて帝国を追放された魔導監査官、辺境で「真実の帳簿」を付けていたら世界を支配する巨大銀行を潰してしまった件

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​第1部「凋落」

第3話:地下水道の錬金術と、小さな密偵

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1. 経済封鎖と空腹の計算式
​勝利の余韻は、翌朝の空腹とともに消え去っていた。
「……ないな」
ルカスは出張所の食料庫を開け、短く呟いた。
中にあるのは乾燥した豆が数粒と、カビの生えたパンの耳だけ。
「おい、監査官様。朝飯はまだか?」
ソファでふんぞり返る管理人ガラムが催促する。
「ガラムさん。残念なお知らせですが、我が支店の『流動資産(食料)』は枯渇しました。さらに言えば、街の店という店が、私たちへの販売を拒否しています」
​ゼーク男爵の報復は、シンプルかつ陰湿だった。
直接的な暴力は(昨夜の魔法停止を恐れて)控える代わりに、経済的な締め付けを行ってきたのだ。「銀行の連中に物を売った者は、裏切り者として処罰する」というお触れが出ている。
​「兵糧攻めかよ。陰険な野郎だ」
「合理的ですね。人間は霞(かすみ)を食べては生きられない。私が餓死するか、泣きついてくるのを待っているのでしょう」
ルカスは冷静に眼鏡の位置を直したが、その横でリナが小さくお腹を鳴らした。
「……ごめんなさい」
彼女は申し訳なさそうに縮こまる。
「謝る必要はない、リナ。これは私の計算ミスだ。敵が『商売』を放棄してくるとは想定外だった」
​ルカスは一枚の古地図をテーブルに広げた。
「正面突破がダメなら、裏口を探すしかない。この街には、男爵すら管理しきれていない『簿外資産』が眠っているはずだ」

​2. 都市の「排泄物」
​「簿外資産だ? この貧乏な街のどこにそんなもんがある」
ガラムが覗き込む。
「このクレイ・ラグは、かつて魔導銀の採掘で栄えた街です。当時の記録を見ると、地下に広大な坑道と、排水用の水路が張り巡らされている」
ルカスが指し示したのは、街の地下深部を示す黒いラインだ。
「都市活動で消費されたマナの残滓——いわゆる『廃マナ』は、すべて地下へ沈殿します。通常、それは毒ですが、適切に処理すればエネルギー資源になる」
「おいおい、地下水道のヘドロを漁る気か? 正気じゃねえぞ」
「銀行家は、ゴミの中から黄金を見つけるのが仕事ですよ」
​ルカスはリナに声をかけた。
「リナ、君にも手伝ってもらう。君のその『目』が必要だ」
「……うん。私、役に立ちたい」
​二人は出張所の地下倉庫にある、錆びついたマンホールを開けた。
湿った冷気と、鼻をつくような異臭が吹き上げてくる。
それは物理的な腐敗臭ではなく、魔力が澱(よど)んだときに発する「魔毒」の匂いだった。

​3. 暗闇の奥で
​地下水道は、迷宮のように入り組んでいた。
壁面には発光苔がへばりつき、頼りない緑色の光を放っている。足元を流れる汚水は、ドス黒く濁っていた。
「うっ……気持ち悪い……」
リナが口元を押さえる。
「魔毒濃度が高いな。普通の人間なら数分で意識を失うレベルだ」
ルカスはあらかじめ用意していた中和剤を含ませた布を彼女に渡した。
​「ルカス、あっち。……あっちから、すごい『ノイズ』が聞こえる」
リナが指差したのは、地図にはない横穴だった。
「ノイズ?」
「うん。数字が、ぐちゃぐちゃになって泣いてるみたいな音」
​二人がその横穴を進むと、巨大な空洞に出た。
そこは、かつての採掘場跡地と思われた。そして中央には、汚泥が溜まってできた巨大な「黒い池」があった。
「……これは凄い」
ルカスは息を呑んだ。
その池から放たれているのは、致死量の魔力だ。だが、それはあまりにも不純物が混ざりすぎて、ドロドロの塊になっている。
「帝都の試算では廃棄物扱いですが、ここにあるマナ総量は、小型の発電所一基分に相当する。これを精製できれば、男爵に頭を下げる必要はなくなる」
​しかし、どうやって?
通常の精製機材はない。ルカスにあるのは計算尺と知識だけだ。
「リナ。この黒い泥を見て、どう思う?」
「……間違ってる、と思う。本当はもっと綺麗なのに、余計なものが混ざって、苦しがってる」
「その『余計なもの』を取り除けるか?」
​リナはおずおずと池に近づき、手をかざした。
彼女の指先から、淡い光の波紋が広がる。
「——修正(デバッグ)」
彼女がそう呟いた瞬間だった。

​4. 輝くヘドロ
​黒い泥が、沸騰したように泡立った。
泥の中から、不純物である「呪い」や「物理的な汚れ」が蒸発していく。
まるで映像の早回しを見ているようだった。ドス黒かった液体が、急速に透明度を増し、やがて青白く輝く結晶水へと変わっていく。
暗い地下空間が、幻想的な光で満たされた。
​「……信じられない。マナの純度分離(リファイン)を、素手で行ったのか?」
ルカスは驚愕した。それは帝国最高峰の錬金術師たちが、巨大なプラントを使ってようやく行う作業だ。
それを、この少女は「間違い直しの計算」のように一瞬でやってのけた。
​「……できた。これなら、使える?」
リナがふらりと倒れそうになるのを、ルカスが支えた。
「ああ、上出来どころの話じゃない。これは最高純度の『液状マナ』だ。市場価格にして金貨1000枚分はある」
これで、資金(アセット)は確保できた。
ルカスが瓶にマナ水を詰めようとした、その時だ。
​「ヒャハッ! いただきだぜぇ!」
天井の梁から、小さな影が降りてきた。
影はルカスの手から瓶をひったくると、素早い動きで岩場に着地した。
「なっ!?」
そこにいたのは、ボロボロの服を着た小柄な少年だった。年齢は10歳くらいか。泥と煤(すす)で顔は真っ黒だが、目はギラギラと光っている。
「へへっ、あんたたちが何か探しているのはお見通しだったんだよ! これは俺様のもんだ!」
​少年は逃げようとするが、ルカスは冷静だった。
「待て。それを持って行っても、君には換金できないぞ」
「うるせえ! 闇市に流せばパンくらい買える!」
「その純度のマナを子供が持ち込めば、店主に殺されて奪われるのがオチだ。この街の闇市を仕切っているのは『三つ目の蛇』という組織だろう? 彼らは子供に慈悲をかけるような連中じゃない」
​少年がピタリと止まった。ルカスの指摘が図星だったのだ。
「……なんで、よそ者のあんたがそんなこと知ってんだ」
「来る前に調べた。君、名前は?」
「……ラットだ」
「いい名前だ。地下を這い回るには最適だ」
​ルカスは一歩近づいた。
「ラット。その瓶を返すなら、君を雇おう。報酬はパンと、安全な寝床だ」
「はっ、信用できるかよ! 大人なんてみんな嘘つきだ!」
「私は嘘はつかない。契約を守るだけだ。……それに、君はこの地下水道の抜け道を知っているな? 男爵の監視をすり抜けて、外の世界と物資をやり取りするルートを」
​ラットの目が揺らいだ。
彼はずっと一人で生きてきた。この街で孤児が生きる過酷さを誰よりも知っている。
「……本当に、飯を食わせてくれるのか?」
「ああ。それに、君の才能はもっと高く売れる。泥棒としてではなく、私の『目』として働け」
​ラットは少し迷った後、舌打ちをして瓶を投げ返してきた。
「……チッ。変な大人だ。わかったよ、契約してやる」

​5. 黒字への転換
​数時間後。
出張所に戻った三人の前には、山盛りの食料と、暖炉で燃える暖かい火があった。
ラットが地下ルートを使って、隣町の商人から物資を調達してきたのだ。支払いは、精製したマナ水の一部で行った。
​ガラムが目を丸くして、焼き立てのパンを頬張っている。
「お前……まさか本当に地下の汚泥を金に変えちまうとはな。しかも、あの悪ガキまで手懐けるとは」
ラットも隣でシチューを啜りながら、憎まれ口を叩く。
「勘違いすんなよ、爺さん。俺は雇われただけだ。割に合わなくなったらすぐ逃げるからな」
「賢明な判断だ。だが、私の計算では君が逃げる確率は今のところ低い」
ルカスは帳簿に新たな項目を書き加えた。
『新規雇用:現地調査員(ラット)。資産:高純度マナ水(備蓄十分)』
​「さて、腹も満たされたことだし」
ルカスはスプーンを置き、壁に貼られた街の地図を見上げた。
そこにはゼーク男爵の屋敷と、彼が支配する商店の位置が記されている。
​「資金と流通経路は確保しました。次は、男爵が独占している『市場』を解放しましょう」
「解放って、どうやるの?」
リナが尋ねる。
「簡単だ。彼よりも高品質なマナを、彼よりも安く売る。……価格競争(ダンピング)を仕掛けて、彼の資金源を枯渇させるんです」
​ルカスの眼鏡が、暖炉の炎を反射して怪しく光った。
魔法ではなく、経済という名の武器で、この街の支配者を追い詰める戦いが始まろうとしていた。

​ルカスたちが始めた「格安マナ供給」により、街の経済は劇的に改善し始める。
焦ったゼーク男爵は、ついに実力行使に出る。
雇われたのは、帝都から流れてきた凄腕の暗殺者。
だが、その暗殺者の使う武器には、ある「致命的な欠陥」があった。
次回、第4話「殺し屋はマニュアルを読まない」。
「——あなたの剣、メンテナンス費用が嵩(かさ)みすぎていませんか?」
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