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第1部「凋落」
第6話:最初の『倍返し』
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1. 衆人環視の罠
「ルカス殿! あなたこそがこの街の真の救世主だ!」
クレイ・ラグの広場。そこには、熱狂する民衆と、彼らに担ぎ上げられたルカスの姿があった。
前夜、ジルの襲撃を退けたルカスの元に、街の有力商たちが集まってきたのだ。「ゼーク男爵を糾弾し、ルカスを新しい執政官に」という嘆願書まで用意されている。一見、ルカスの完全勝利に見える光景。しかし、ルカスの目は一度も笑っていなかった。
「……計算が合いすぎるな」
隣に控えるカイトが低く囁く。
「ああ。民衆の熱狂は、時に最も安上がりな『凶器』になる」
その時、広場の入り口から重厚な蹄の音が響いた。
現れたのは、これまでにない規模の重装騎士団。そして、その中央には「聖法規委員会」の法服を纏った審問官たちが控えていた。
さらに、その横には勝ち誇ったような笑みを浮かべるゼーク男爵の姿がある。
「そこまでだ、ルカス・ハルフォード! 貴様を『民衆扇動による反逆罪』および『私設軍隊の保持』の容疑で拘束する!」
2. 法的包囲網
審問官の一人が、羊皮紙を広げて朗々と罪状を読み上げ始めた。
「本委員会は、貴殿が地下資源を不当に独占し、それを餌に民衆を煽動して正当な領主であるゼーク男爵を害そうとした動かぬ証拠を掴んでいる。また、その傍らにいる男……カイト。帝都の指名手配犯を私兵として雇っていることも、重大な契約違反である」
民衆がざわめき、恐怖に後ずさる。
男爵が馬を進め、ルカスを見下ろした。
「ハハハ! 監査官ごときが、この私と『ルール』で戦おうなどと100年早い! お前がどれだけ帳簿を洗おうと、私がこの地の『法』なのだよ!」
男爵の狙いは、ルカスを「正義の味方」に仕立て上げた上で、その立場を利用して「反逆者」のレッテルを貼ることだった。民衆の支持という流動的な資産を、そのまま負債に変換する——悪辣だが完璧な法的手続きだ。
「さあ、跪け。貴様の持っている『偽の帳簿』もろとも、地の底へ埋めてやる」
3. 計算された「差し押さえ」
沈黙を守っていたルカスが、ゆっくりと顔を上げた。
彼は眼鏡を指で押し上げると、審問官ではなく、男爵の背後にいる騎士団たちに向かって声をかけた。
「……騎士団の皆さん。あなた方の給与は、本日正午をもって『全額凍結』されました」
現場が凍りついた。男爵が吹き出す。
「何を馬鹿なことを! 彼らの給与は私の私産から支払われて——」
「いいえ。あなたの私産を管理していた『クレイ・ラグ商業金庫』は、一分前に私によって『資産凍結の手続き』が完了しています」
ルカスは懐から、一枚の赤い封蝋がされた文書を取り出した。
「これは……帝国銀行法、第12条第4項に基づく『強制執行停止命令書』です」
審問官が慌てて割って入る。
「馬鹿な! そんな権限、一介の監査官にあるはずがない!」
「通常はありませんね。ですが……この街の領主であるゼーク男爵が、あろうことか『帝都中央監査局の査察官(ジル)』に対し、暗殺未遂を働いたとなれば話は別です」
ルカスは、前話でジルから「預かった」特務査察官のバッジを高く掲げた。
「ジルの馬車が襲撃された際、現場に残されていたのは男爵家の紋章が入った矢尻、そして男爵が秘密裏に雇用していた暗殺者……カイト氏の供述書です」
カイトが隣で不敵に笑う。もちろん、これはルカスとカイトがあらかじめ仕組んだ「司法取引」のシナリオだ。
4. 逆転のロジック
「な、何を……私はジル殿に協力して貴様を——」
「いいえ。ジル氏は帝都に戻る際、私にこう言い残しました。『男爵は私をも殺そうとした。この地の全権を君に委ねる』と。……日付入りの委任状もここにあります」
ルカスが突き出したのは、ジルがルカスをハメるために持ってきた「特赦の申請書」だった。しかし、ルカスはその余白に、ジルの筆跡を模倣した(あるいはジルの署名を利用した)「全権委任」の文言を書き加えていた。
「さらに、男爵。あなたが地下から横領していたマナの累計額を再計算した結果、あなたの全資産を没収しても、帝国への『未払い利息』すら完済できないことが判明しました。つまり——」
ルカスは一歩、男爵に歩み寄る。
「あなたは今、この瞬間をもって『破産』しました。法的権利、爵位、そしてその着ている服一枚に至るまで、すべては帝国(わたし)の差し押さえ対象です」
審問官たちが青ざめ、男爵から距離を置く。彼らは「勝つ方」にしか味方しない。
騎士団もまた、給与が出ないとなれば男爵を守る理由はなかった。彼らは静かに剣を納め、逆に男爵を包囲した。
「……そんな……嘘だ……私の帝国が……私の築き上げた富が……!」
「富とは信頼の蓄積です。信頼を改ざんした者に、数字が味方することはありません」
5. 倍返しの決着
男爵は崩れ落ち、憲兵たちに引きずられていった。
その様子を冷ややかに見送ったルカスは、広場に残された民衆に向き直った。
「皆さん。新しい領主など必要ありません。この街に必要なのは、正当な『契約』と、正当な『労働に対する報酬』だけです。……本日より、地下マナの管理権を街の自治評議会へ譲渡します。未払いだった過去3年分の税還付手続きは、あちらの出張所で受け付けます」
地鳴りのような歓声が上がった。
しかし、ルカスはその輪に入ることはなかった。
出張所へ戻る道すがら、リナが心配そうにルカスを見上げた。
「……ルカス、これで終わりなの?」
「いいえ。これはまだ、私の口座から奪われた『0.04%』を取り戻すための、最初の一歩に過ぎない」
ルカスは、懐にあるジルのバッジを見つめた。
彼がジルの署名を利用したのは、単なる策略ではない。ジルが「わざと」偽の署名が可能な隙を残していったことに、ルカスは気づいていた。
(ジル……君もまた、上層部の監視下で戦っているのか?)
友が敵か、それとも共犯者か。
帝都の闇は、辺境の男爵一人が抱えられるほど浅くはなかった。
「カイト、ラット。荷物をまとめておけ。次は、この街に流れる不透明な金の『上流』……隣領の商業都市を監査しに行く」
ルカスは万年筆を胸ポケットに差し、静かに笑った。
その目は、すでに帝国全土を揺るがす「巨大な不渡り」を見据えていた。
次回予告:第2部「交錯する伏線」へ
男爵を失脚させたルカスの元に、ある商船団からの招待状が届く。
その船に乗っていたのは、リナの記憶の断片を知る、謎の「老学者」だった。
一方、帝都では総裁バルドスが、ルカスの動きを「ある計画」に組み込もうと画策していた。
次回、第7話「毒の降る村」。
「——この世に、返さなくていい借金など存在しませんよ」
「ルカス殿! あなたこそがこの街の真の救世主だ!」
クレイ・ラグの広場。そこには、熱狂する民衆と、彼らに担ぎ上げられたルカスの姿があった。
前夜、ジルの襲撃を退けたルカスの元に、街の有力商たちが集まってきたのだ。「ゼーク男爵を糾弾し、ルカスを新しい執政官に」という嘆願書まで用意されている。一見、ルカスの完全勝利に見える光景。しかし、ルカスの目は一度も笑っていなかった。
「……計算が合いすぎるな」
隣に控えるカイトが低く囁く。
「ああ。民衆の熱狂は、時に最も安上がりな『凶器』になる」
その時、広場の入り口から重厚な蹄の音が響いた。
現れたのは、これまでにない規模の重装騎士団。そして、その中央には「聖法規委員会」の法服を纏った審問官たちが控えていた。
さらに、その横には勝ち誇ったような笑みを浮かべるゼーク男爵の姿がある。
「そこまでだ、ルカス・ハルフォード! 貴様を『民衆扇動による反逆罪』および『私設軍隊の保持』の容疑で拘束する!」
2. 法的包囲網
審問官の一人が、羊皮紙を広げて朗々と罪状を読み上げ始めた。
「本委員会は、貴殿が地下資源を不当に独占し、それを餌に民衆を煽動して正当な領主であるゼーク男爵を害そうとした動かぬ証拠を掴んでいる。また、その傍らにいる男……カイト。帝都の指名手配犯を私兵として雇っていることも、重大な契約違反である」
民衆がざわめき、恐怖に後ずさる。
男爵が馬を進め、ルカスを見下ろした。
「ハハハ! 監査官ごときが、この私と『ルール』で戦おうなどと100年早い! お前がどれだけ帳簿を洗おうと、私がこの地の『法』なのだよ!」
男爵の狙いは、ルカスを「正義の味方」に仕立て上げた上で、その立場を利用して「反逆者」のレッテルを貼ることだった。民衆の支持という流動的な資産を、そのまま負債に変換する——悪辣だが完璧な法的手続きだ。
「さあ、跪け。貴様の持っている『偽の帳簿』もろとも、地の底へ埋めてやる」
3. 計算された「差し押さえ」
沈黙を守っていたルカスが、ゆっくりと顔を上げた。
彼は眼鏡を指で押し上げると、審問官ではなく、男爵の背後にいる騎士団たちに向かって声をかけた。
「……騎士団の皆さん。あなた方の給与は、本日正午をもって『全額凍結』されました」
現場が凍りついた。男爵が吹き出す。
「何を馬鹿なことを! 彼らの給与は私の私産から支払われて——」
「いいえ。あなたの私産を管理していた『クレイ・ラグ商業金庫』は、一分前に私によって『資産凍結の手続き』が完了しています」
ルカスは懐から、一枚の赤い封蝋がされた文書を取り出した。
「これは……帝国銀行法、第12条第4項に基づく『強制執行停止命令書』です」
審問官が慌てて割って入る。
「馬鹿な! そんな権限、一介の監査官にあるはずがない!」
「通常はありませんね。ですが……この街の領主であるゼーク男爵が、あろうことか『帝都中央監査局の査察官(ジル)』に対し、暗殺未遂を働いたとなれば話は別です」
ルカスは、前話でジルから「預かった」特務査察官のバッジを高く掲げた。
「ジルの馬車が襲撃された際、現場に残されていたのは男爵家の紋章が入った矢尻、そして男爵が秘密裏に雇用していた暗殺者……カイト氏の供述書です」
カイトが隣で不敵に笑う。もちろん、これはルカスとカイトがあらかじめ仕組んだ「司法取引」のシナリオだ。
4. 逆転のロジック
「な、何を……私はジル殿に協力して貴様を——」
「いいえ。ジル氏は帝都に戻る際、私にこう言い残しました。『男爵は私をも殺そうとした。この地の全権を君に委ねる』と。……日付入りの委任状もここにあります」
ルカスが突き出したのは、ジルがルカスをハメるために持ってきた「特赦の申請書」だった。しかし、ルカスはその余白に、ジルの筆跡を模倣した(あるいはジルの署名を利用した)「全権委任」の文言を書き加えていた。
「さらに、男爵。あなたが地下から横領していたマナの累計額を再計算した結果、あなたの全資産を没収しても、帝国への『未払い利息』すら完済できないことが判明しました。つまり——」
ルカスは一歩、男爵に歩み寄る。
「あなたは今、この瞬間をもって『破産』しました。法的権利、爵位、そしてその着ている服一枚に至るまで、すべては帝国(わたし)の差し押さえ対象です」
審問官たちが青ざめ、男爵から距離を置く。彼らは「勝つ方」にしか味方しない。
騎士団もまた、給与が出ないとなれば男爵を守る理由はなかった。彼らは静かに剣を納め、逆に男爵を包囲した。
「……そんな……嘘だ……私の帝国が……私の築き上げた富が……!」
「富とは信頼の蓄積です。信頼を改ざんした者に、数字が味方することはありません」
5. 倍返しの決着
男爵は崩れ落ち、憲兵たちに引きずられていった。
その様子を冷ややかに見送ったルカスは、広場に残された民衆に向き直った。
「皆さん。新しい領主など必要ありません。この街に必要なのは、正当な『契約』と、正当な『労働に対する報酬』だけです。……本日より、地下マナの管理権を街の自治評議会へ譲渡します。未払いだった過去3年分の税還付手続きは、あちらの出張所で受け付けます」
地鳴りのような歓声が上がった。
しかし、ルカスはその輪に入ることはなかった。
出張所へ戻る道すがら、リナが心配そうにルカスを見上げた。
「……ルカス、これで終わりなの?」
「いいえ。これはまだ、私の口座から奪われた『0.04%』を取り戻すための、最初の一歩に過ぎない」
ルカスは、懐にあるジルのバッジを見つめた。
彼がジルの署名を利用したのは、単なる策略ではない。ジルが「わざと」偽の署名が可能な隙を残していったことに、ルカスは気づいていた。
(ジル……君もまた、上層部の監視下で戦っているのか?)
友が敵か、それとも共犯者か。
帝都の闇は、辺境の男爵一人が抱えられるほど浅くはなかった。
「カイト、ラット。荷物をまとめておけ。次は、この街に流れる不透明な金の『上流』……隣領の商業都市を監査しに行く」
ルカスは万年筆を胸ポケットに差し、静かに笑った。
その目は、すでに帝国全土を揺るがす「巨大な不渡り」を見据えていた。
次回予告:第2部「交錯する伏線」へ
男爵を失脚させたルカスの元に、ある商船団からの招待状が届く。
その船に乗っていたのは、リナの記憶の断片を知る、謎の「老学者」だった。
一方、帝都では総裁バルドスが、ルカスの動きを「ある計画」に組み込もうと画策していた。
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