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第3部「組織の闇」
第12話:最後の決算
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1. 聖域の静寂
帝都中央銀行・最深部「聖域」。
重厚な大扉が開いた先にあったのは、豪華な執務室でも、不気味な儀式場でもなかった。そこは、無数の真空管と魔導回路が壁一面を埋め尽くし、淡い青光を放ち続ける、巨大な「演算器の中」だった。
その中央、宙に浮く指令席に座っていたのは、総裁バルドス。
かつてルカスを追放した男は、今や全身にケーブルを繋ぎ、自身がシステムの一部と化していた。
「……遅かったな、ルカス。この国が完全に破綻する前に、君にこの『最終報告書』を見せたかったのだが」
バルドスの背後のモニターに、凄まじい速度で流れるグラフが表示される。
「帝国が消費するマナは、自然界の供給量を200%上回っている。私が何もしなくても、あと10年で魔法は消え、この文明は餓死する。……私の『プロジェクト・ジェネシス』は、人類を延命させるための唯一の、そして冷徹な計算式なのだよ」
2. 0.04%の真実
バルドスが提示したのは、残酷な「生存の選択」だった。
全人類の8割を低出力の「電池」とし、選ばれた2割の知性が文明を維持する。それだけが、絶滅を回避する唯一の黒字化(サバイバル)プランであると。
「君が指摘した『0.04%の矛盾』……。それは、私がこの過酷な未来を隠蔽するために意図的に残した『端数』だ。正しすぎる君がそれに気づき、私をここまで追い詰めることも、私のシミュレーションには含まれていた」
バルドスは悲しげに目を細めた。
「ルカス。君が私を倒せば、管理者を失ったシステムは暴走し、世界は明日にもデフォルト(債務不履行)に陥る。君に、世界を滅ぼす勇気があるか?」
カイトが剣を握り直し、ラットがリナを守るように前に出る。重苦しい沈黙が聖域を支配した。バルドスの論理は、非道ではあるが、圧倒的に「合理的」だった。
3. 監査官の「否認」
ルカスはゆっくりと眼鏡を外し、胸ポケットから万年筆を取り出した。
「……素晴らしいシミュレーションだ、総裁。ですが、監査官として一つだけ、あなたの計算に『重大な誤謬(エラー)』を指摘させていただきたい」
「エラーだと? 私の演算は、数万回繰り返された。間違いなど——」
「ありますよ。あなたは、『帳簿の外側』を計算に入れていない」
ルカスは足元の床を指差した。
「クレイ・ラグの岩肌に咲く花。ヴィーゼル村の住民が絶望の中で守り抜いた、銀色に輝く麦の種。そして、名前を奪われ、数字として扱われてきたこの少女……リナ。彼女たちの『意志』という非貨幣資産が、あなたの冷徹な数式を常に狂わせてきた」
ルカスはリナの手を握り、モニターのグラフへと向ける。
「あなたが『廃棄物』として捨てた0.04%のマナ。それは毒ではありません。既存のシステムに適合できなかった、未知の『可能性』だ。私は、リナと共にその0.04%を精査し、再定義(リブランディング)した」
4. 全額、返済させていただきます
ルカスは万年筆を、聖域のメインコンソールへと突き立てた。
「リナ、力を貸してくれ。私たちが集めてきた『真実の数字』を、この腐った大福帳(メインフレーム)へ叩き込む!」
リナが瞳を閉じると、彼女の記憶に刻まれていた純粋なマナの波動が、ルカスの論理(ロジック)を乗せてシステムへ逆流し始めた。
「——強制監査(フル・オーディット)開始! 偽造された生存権、隠蔽された環境負債、そして国民への不当な搾取。……これらすべての負債を、総裁バルドス、あなたの『存在そのもの』で相殺する!」
「な……馬鹿な! 私のシステムが、書き換えられていく……!?」
バルドスの繋がれたケーブルが激しく火花を散らす。
ルカスが流し込んだのは、クレイ・ラグで、エリュシオンで、そしてヴィーゼル村で出会った人々の「契約の意志」だった。
「バルドス総裁。あなたは世界を守るために独裁を選んだと言った。だが、監査官の判断は違います。……あなたはただ、失敗(赤字)を認めるのが怖かっただけの、小心な経営者だ!」
5. 最後の倍返し
システムが崩壊していく。
聖域の青い光が、リナの放つ暖かな白光に塗り替えられていく。
「ぐわぁぁぁぁ! 私が……私が消えれば、この国の信用は……!」
「信用なら、もう私たちが作り直しました。……あなたは今この瞬間をもって、解任(クビ)です!」
ルカスが万年筆を跳ね上げると、バルドスの意識を繋ぎ止めていた最後の演算回路が弾け飛んだ。
「……ルカス……君は、地獄のような……自由を……」
その言葉を最後に、総裁バルドスは光の中に消え、システムは沈黙した。
崩れ落ちる聖域。カイトがルカスとリナを抱え、ラットとコーネルを促して出口へと走る。
背後で、帝国を支配してきた巨大な「嘘の金庫」が、音を立てて崩壊していった。
6. 決算のその先へ
数日後。
帝都の中央広場には、朝日を浴びて再会を喜ぶ人々が溢れていた。
マナ貨幣は暴落したが、ルカスが公開した「マナの分散管理(デマントリール)」の方式により、人々は自分の手で、必要な分だけの魔法を自給自足する術を得始めていた。
「——本当に、行っちゃうの?」
リナが、旅の支度を整えたルカスの袖を引く。
「ああ。帝都の新しい帳簿は、ジルに任せた。……私は、まだ各地に残っている『未処理の負債』を整理しに行かなければならない」
カイトは新しいバイク(魔導二輪)に跨り、ラットは自慢げに「監査局・見習い」のバッジを胸に付けている。
「リナ。君はこれから、自分の名前を自分で書き込んでいくんだ。誰の担保でもない、一人の少女としてね」
ルカスはリナの頭を優しく撫で、馬車へと乗り込んだ。
「さて……。次はどこへ行くんですか、監査官様」
カイトが尋ねる。
ルカスは手元にある、まだ白いページの多い新しい手帳を開いた。
「北方の商業連盟が、不透明な取引で私腹を肥やしているという噂があります。……数字の乱れは、放っておくとすぐに伝染しますからね」
ルカス・ハルフォード。
魔法も剣も使えない、ただの偏屈な元監査官。
しかし、彼が万年筆を走らせる時、世界は再び、正しい形へと修正されていく。
馬車は、新しい時代の風を切りながら、地平線の彼方へと走り出した。
帝都中央銀行・最深部「聖域」。
重厚な大扉が開いた先にあったのは、豪華な執務室でも、不気味な儀式場でもなかった。そこは、無数の真空管と魔導回路が壁一面を埋め尽くし、淡い青光を放ち続ける、巨大な「演算器の中」だった。
その中央、宙に浮く指令席に座っていたのは、総裁バルドス。
かつてルカスを追放した男は、今や全身にケーブルを繋ぎ、自身がシステムの一部と化していた。
「……遅かったな、ルカス。この国が完全に破綻する前に、君にこの『最終報告書』を見せたかったのだが」
バルドスの背後のモニターに、凄まじい速度で流れるグラフが表示される。
「帝国が消費するマナは、自然界の供給量を200%上回っている。私が何もしなくても、あと10年で魔法は消え、この文明は餓死する。……私の『プロジェクト・ジェネシス』は、人類を延命させるための唯一の、そして冷徹な計算式なのだよ」
2. 0.04%の真実
バルドスが提示したのは、残酷な「生存の選択」だった。
全人類の8割を低出力の「電池」とし、選ばれた2割の知性が文明を維持する。それだけが、絶滅を回避する唯一の黒字化(サバイバル)プランであると。
「君が指摘した『0.04%の矛盾』……。それは、私がこの過酷な未来を隠蔽するために意図的に残した『端数』だ。正しすぎる君がそれに気づき、私をここまで追い詰めることも、私のシミュレーションには含まれていた」
バルドスは悲しげに目を細めた。
「ルカス。君が私を倒せば、管理者を失ったシステムは暴走し、世界は明日にもデフォルト(債務不履行)に陥る。君に、世界を滅ぼす勇気があるか?」
カイトが剣を握り直し、ラットがリナを守るように前に出る。重苦しい沈黙が聖域を支配した。バルドスの論理は、非道ではあるが、圧倒的に「合理的」だった。
3. 監査官の「否認」
ルカスはゆっくりと眼鏡を外し、胸ポケットから万年筆を取り出した。
「……素晴らしいシミュレーションだ、総裁。ですが、監査官として一つだけ、あなたの計算に『重大な誤謬(エラー)』を指摘させていただきたい」
「エラーだと? 私の演算は、数万回繰り返された。間違いなど——」
「ありますよ。あなたは、『帳簿の外側』を計算に入れていない」
ルカスは足元の床を指差した。
「クレイ・ラグの岩肌に咲く花。ヴィーゼル村の住民が絶望の中で守り抜いた、銀色に輝く麦の種。そして、名前を奪われ、数字として扱われてきたこの少女……リナ。彼女たちの『意志』という非貨幣資産が、あなたの冷徹な数式を常に狂わせてきた」
ルカスはリナの手を握り、モニターのグラフへと向ける。
「あなたが『廃棄物』として捨てた0.04%のマナ。それは毒ではありません。既存のシステムに適合できなかった、未知の『可能性』だ。私は、リナと共にその0.04%を精査し、再定義(リブランディング)した」
4. 全額、返済させていただきます
ルカスは万年筆を、聖域のメインコンソールへと突き立てた。
「リナ、力を貸してくれ。私たちが集めてきた『真実の数字』を、この腐った大福帳(メインフレーム)へ叩き込む!」
リナが瞳を閉じると、彼女の記憶に刻まれていた純粋なマナの波動が、ルカスの論理(ロジック)を乗せてシステムへ逆流し始めた。
「——強制監査(フル・オーディット)開始! 偽造された生存権、隠蔽された環境負債、そして国民への不当な搾取。……これらすべての負債を、総裁バルドス、あなたの『存在そのもの』で相殺する!」
「な……馬鹿な! 私のシステムが、書き換えられていく……!?」
バルドスの繋がれたケーブルが激しく火花を散らす。
ルカスが流し込んだのは、クレイ・ラグで、エリュシオンで、そしてヴィーゼル村で出会った人々の「契約の意志」だった。
「バルドス総裁。あなたは世界を守るために独裁を選んだと言った。だが、監査官の判断は違います。……あなたはただ、失敗(赤字)を認めるのが怖かっただけの、小心な経営者だ!」
5. 最後の倍返し
システムが崩壊していく。
聖域の青い光が、リナの放つ暖かな白光に塗り替えられていく。
「ぐわぁぁぁぁ! 私が……私が消えれば、この国の信用は……!」
「信用なら、もう私たちが作り直しました。……あなたは今この瞬間をもって、解任(クビ)です!」
ルカスが万年筆を跳ね上げると、バルドスの意識を繋ぎ止めていた最後の演算回路が弾け飛んだ。
「……ルカス……君は、地獄のような……自由を……」
その言葉を最後に、総裁バルドスは光の中に消え、システムは沈黙した。
崩れ落ちる聖域。カイトがルカスとリナを抱え、ラットとコーネルを促して出口へと走る。
背後で、帝国を支配してきた巨大な「嘘の金庫」が、音を立てて崩壊していった。
6. 決算のその先へ
数日後。
帝都の中央広場には、朝日を浴びて再会を喜ぶ人々が溢れていた。
マナ貨幣は暴落したが、ルカスが公開した「マナの分散管理(デマントリール)」の方式により、人々は自分の手で、必要な分だけの魔法を自給自足する術を得始めていた。
「——本当に、行っちゃうの?」
リナが、旅の支度を整えたルカスの袖を引く。
「ああ。帝都の新しい帳簿は、ジルに任せた。……私は、まだ各地に残っている『未処理の負債』を整理しに行かなければならない」
カイトは新しいバイク(魔導二輪)に跨り、ラットは自慢げに「監査局・見習い」のバッジを胸に付けている。
「リナ。君はこれから、自分の名前を自分で書き込んでいくんだ。誰の担保でもない、一人の少女としてね」
ルカスはリナの頭を優しく撫で、馬車へと乗り込んだ。
「さて……。次はどこへ行くんですか、監査官様」
カイトが尋ねる。
ルカスは手元にある、まだ白いページの多い新しい手帳を開いた。
「北方の商業連盟が、不透明な取引で私腹を肥やしているという噂があります。……数字の乱れは、放っておくとすぐに伝染しますからね」
ルカス・ハルフォード。
魔法も剣も使えない、ただの偏屈な元監査官。
しかし、彼が万年筆を走らせる時、世界は再び、正しい形へと修正されていく。
馬車は、新しい時代の風を切りながら、地平線の彼方へと走り出した。
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