僕を二十四時間監視し続ける彼女の愛が、重すぎて心地よい

橘廉

文字の大きさ
1 / 12
1章 日常

いつもの

しおりを挟む
「和樹君、見つけました! 今日の運命のエンカウント時間は12分34秒でしたね。語呂が良くて幸先がいいです!」

 背後から凄まじい勢いで抱きつかれ、僕の背中に柔らかい感触と、どこか懐かしい石鹸の香りが押し寄せた。場所は大学の噴水広場。講義の合間の移動中、僕はいつものように志乃に捕獲されていた。

「志乃、お前……。授業はどうしたんだよ。確か、この時間は語学の必修だっただろ」
「和樹君の『文化人類学概論』の教室が、私の『基礎演習』の隣の棟だと判明した瞬間に、最短ルートを計算して爆走してきました。あ、髪の毛に糸くずが。……はい、回収完了。これ、私のコレクションに加えますね」
「捨てろよ。怖いこと言うな。っていうか爆走する前に授業に出ろ。単位はコレクションしないのかよ」
「ストーカーですから!」

 僕が苦笑しながら彼女の手を払おうとすると、志乃は僕の腕をがっちりとホールドした。細い腕のどこにそんな力があるのか、一度捕まったら最後、逃げるには腕の一本でも置いていく覚悟が必要だ。志乃は僕の一歳下だが、僕が小学校の頃に少し「お休み」をしていたせいで、大学では同じ学年、同じ学部の同級生ということになっている。

「さあ和樹君、移動しましょう。学食の限定10食『極厚カツ丼』を確保するため、私の歩数計はすでに臨戦態勢です。和樹君、今日は右足から踏み出しましたね? 素晴らしい、健康の証です!」
「踏み出した足をいちいち報告するな。右足から歩き出しただけで健康診断が終わるなら医者はいらないだろ」
「私にとっては、和樹君の左右のバランスが崩れることこそが世界の危機なんです!  ちなみに、さっき歩幅が2センチ短くなりましたが、何か悩み事ですか? もしかして、私の愛が足りませんか?」
「むしろ飽和状態だよ。お前の歩数計、俺の心拍計も兼ねてたりしないだろうな」

 志乃は僕の顔を覗き込み、キラキラとした瞳で僕の一挙手一投足を観察している。彼女は僕と同じサークルに所属する、自称・僕のストーカー。どこへ行っても現れるし、僕が今何に興味を持ち、次にどこへ向かおうとしているのかを、まるでGPSでも付けているかのように把握している。だが、そのルックスの良さと、どこか突き抜けた言動のせいで、周囲からは「愛が重すぎる美少女」として半ば学部のアイドル的な扱いを受けていた。

「おい、あいつらまたやってるぞ。もはやキャンパスの名物だな」
「いつ見ても佐藤、志乃ちゃんに魂まで吸われてんな……。あれ、絶対どっかに首輪ついてるだろ」

通り過ぎる学生たちがニヤニヤしながら僕らを見ている。見物料を取れるレベルの羞恥心に耐えていると、サークルの同期で自称・情報通の男、高橋がこちらに駆け寄ってきた。

「よう、おしどり夫婦。今日も朝から盛大な公開イチャつきだな。……あ、そうだ和樹、今日の放課後のサークル、顔出せるか? 例の武田先輩がまた『重大な発表がある』とか言って息巻いてたぞ」
「重大な発表って……どうせまた、新しい酒の銘柄を見つけたとか、そんなんだろ」

 僕は志乃に腕を絡められたまま、やれやれと肩をすくめた。

「だろうな。昨日の飲み会も相当ひどかったらしいぜ。先輩、また記憶飛ばしてなきゃいいけど」
「酒癖の悪い先輩の話より、今は和樹君の栄養管理が最優先です。高橋君、和樹君の貴重な咀嚼タイムを削らないでいただけますか? ほら和樹君、カツ丼が私たちを待っています。私の計算によれば、あと三分二十秒以内に食券機に到達しないと、限定カツ丼は絶望的です!」
「分かった、分かったから引っ張るな。じゃあな、高橋。あとで行くよ」
「おう、志乃ちゃんに食われすぎないように気をつけろよー」

 高橋のひらひらとした見送りを背に、僕らは学食へと向かった。昼時の学食は、戦場さながらの熱気に包まれていた。志乃は僕の手を引き、人混みを縫うようにして進む。その足取りには一切の迷いがない。まるで、僕の進むべき道が最初から彼女の脳内にマッピングされているかのようだ。
 なんとか最後の一杯だった『極厚カツ丼』を死守し、僕らは騒がしい学生たちの喧騒から少し離れた窓際の席に陣取った。

「はい、和樹君。まずはお冷です。私の計算では、今の爆走で和樹君の体温は零点三度上昇しています。最適な水分補給で恒常性を維持してください」
「お前、本当にその『計算』どこでやってんだよ……」

 差し出されたコップを受け取り、喉を潤す。その間も、志乃の視線は僕の喉仏の動き一つ逃さず追っている。志乃は自分では何も注文せず、僕がカツ丼を頬張る様子を、幸せそうに頬杖をついて眺めていた。

「志乃、お前は食べないのか?」
「和樹君が美味しそうに細胞を更新している姿を見るのが、私にとって最大の栄養補給ですから。あ、和樹君、唇の端にタレがついています。……取ってあげますね」

 志乃が身を乗り出し、指先で僕の口元に触れる。そのまま指を自分の口に運ぶ動作があまりに自然で、周囲の学生数人が飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになっているのが見えた。

「……自分で拭けるから、そういうのはやめろって」
「どうしてですか? 和樹君の成分を微量たりとも無駄にするのは、ストーカーとしての矜持に反します。さあ、次は左から三番目のカツが食べ頃ですよ。油のノリが最も和樹君の好みに近いはずです。噛む回数も気を付けて」
「志乃、お前……本当に俺がカツを噛む回数まで数えてるのか?」
「もちろんです。和樹君の顎の筋肉の疲労度から、午後の講義での集中力維持に必要な糖分摂取効率を算出しています。あ、今の咀嚼、左に寄りましたね。均等に噛まないと、和樹君の端正な顔立ちが0.01ミリ歪んでしまいます。私が右側からアーンして強制矯正しましょうか?」

 もはやツッコむ気力も削がれ、僕は志乃の指定した通りの順番でカツを口に運ぶ。一歳年上のはずの僕が、こうして彼女に完全にペースを握られている姿は、端から見れば滑稽でしかないだろう。けれど、志乃のこの過剰なまでの執着が、僕の中に空いた得体の知れない穴を、かろうじて塞いでくれているような感覚も確かにあった。

「ふぅ……。ごちそうさま。さて、約束しちゃったし、サークル棟に行くか」
「はい! 和樹君の放課後も、もちろん私が完全エスコートします。サークル棟までの最短ルートは、昨日よりゴミ箱の配置が二箇所変更されていますが、私の脳内ナビは修正済みです。さあ、行きましょう、和樹君!」

 僕の腕を再びガッチリと確保した志乃と共に、僕らはサークル棟へと歩き出した。武田先輩の『重大な発表』が、またいつものように僕らを呆れさせるだけの日常であってほしい。そんな淡い期待を抱きながら、僕らは古ぼけたサークル棟の扉へと向かった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

マッサージ物語

浅野浩二
現代文学
マッサージ物語

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

処理中です...